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第二十九話 開始

 宰相とは国会の指揮者である。

 一人一人の発言を盛り上げるために演出し、決して不平等がないように采配する。時間を浪費する無駄な議論はさせない。良い論をする者を奏でる。


 扇型の国会議事堂は政治の舞台だ。

 オークとアカシアを緻密に組み込んだ木造建築で、見事な木材彫刻が至る所にあり、厳かに政治への美学を表している。


 アーチ型の中央扉には天秤を持った天使が扉の左右に彫られている。天使の厳しい目が向けられた先にはひな壇の席があり中央が階段によって分断され、右が貴族院、左が衆議院だ。椅子は百合模様のビロード張りである。

 反対側の壁には新聞記者と観覧者のための長椅子が並べられている。


 中央には壇上があり、真実を象徴するユニコーンが彫刻されている。その真向かいが王座だ。無骨で大きな石椅子である。背もたれもクッションもなく、肘掛けだけがやけに大きい。


 エドワードは、その石の王座と同化してしまっている。無表情で口は閉じたままだ。


 かつては、そうではなかった。王は「座り心地が悪いからね」と笑って言い、立ち上がってよく発言をしていた。表情も口も体も活発に動かす王であった。


 エドワード王は、一年ほど前から魂が抜けてしまったようになった。原因を探っているが判明しない。かつての王の威厳はどこへ行ってしまったのか。

 鳴らない楽器は指揮できない。


 宰相のジーモンは、壇上と王座の間にある小さな壇上に立っている。ジーモンはステンドグラスの天井から降り注ぐ七色の光を見た。


 ならば、大きく鳴る楽器を招き入れよう。


「これより、国会を終えます。……と言いたいところなのですが、突撃者が来られています。ご注意を」


 ジーモンはそう言って、壇上から降りた。

 困惑している王の顔を見て微笑み、貴族院と衆議院の戸惑った顔を睨んだ。

 民主主義が進化しないこの国に、革命が必要だ。


 天井から光が降ってきて、壇上に落ちた。

 光は宮廷道化師、ライモの姿となった。

 十八歳になった彼はその美貌を誇るように国会議事堂を見渡す。目が合うともう離すことができない。肌が透けるように白く、水色の大きな目は長いまつげに縁取られ、目の下はふくらみは白桃のよう、少し尖った三角の鼻、小さな薄桃の唇。細身で手足が長い。

 艶やかな黒髪に映える二又に分かれた道化師の白い鶏冠帽(とさかぼう)、天使の翼のように裾の広い袖、薄い布が何枚も重なった襟元、くびれた腰を強調するサテンのリボン。純白の贅沢な衣装は花嫁衣装のようだ。


 彼は一言も発さず静止していた。

 立っているだけで人を惹きつけ、その力を見せつけた。


 ライモが手を振り下ろすと、壇上の前に王座が現れた。

 ライモはそこに飛び降り、足を組んで手を叩いた。


 無数の白い蝶々が現れて、エドワード王の周りを取り囲んだ。

 蝶が王座を動かす。エドワードは驚いた顔をしたが、すぐに背筋を伸ばし、ライモを受け入れる態度を見せた。


「陛下!」

「良い、このままで」


 護衛騎士が駆けつけたのを、エドワードは止めた。


 エドワードの王座が目の前に来ると、ライモは微笑んだ。


 記者たちは小声で「あれは何者だ」と囁きあっている。衆議院席では若い議員が立ち上がり、鋭い目をライモに向けていた。

 前席に座っている大臣たちは腕を組んでむっつり不機嫌になったり、周りの反応を見てどうすべきか困惑している。


「なんと、蝶に運ばれてくるとは、軽い王座だな」


 ライモが低い声で嘲笑う。

 衆議院の大蔵大臣が、はっはっはと笑った。でっぷりとした体のセバスチャン大蔵大臣は、笑ったことを防衛大臣に注意されてもにこにこしている。


「おまえがいるから僕がいるのではない。僕がいるからおまえがいるのだ。捨て子の道化師のお陰でおまえは王座に座っていられる。ゆめゆめそれを忘れるな」


 耳に心地よく響く低い声で、ライモが言った。


「何を偉そうなことを、王に向かって!」


 防衛大臣が立ち上がって怒鳴る。

 ライモが指をくいっと曲げると、袖のフリルから蜂が出てきて鋭く大臣へと飛びかかった。ぶんぶんと羽音を立てる蜂に「うわあっ」と防衛大臣が驚く。何か言おうとして体を前のめりにしていた大臣たちは、それを見て体を小さく丸めた。


 ふふ、とライモが笑う。


「そう慌てるな。泡のように消える魔術の蜂だ、刺しはしない。僕は言葉でおまえたちの怠慢な仕事ぶりを刺す。王よ、よかったな。僕を不敬と言う者がいた、安心した」


 ライモが胸に手を当て、ほっと息を吐いて目を閉じる。

 そして目を薄く開き、あごを上げてエドワードを見下す。


「実は疑っていたのだ。おまえは本当に王なのか。この国で『不敬である』という言葉が使われるに値する者であるのか。放心してろくに何も言わず、国民のために何も決められないこんな者が王かと、がっかりしていたからな」


 ライモが嘲笑う。


「そうだー!」


 衆議院から野太い声がした。ライモはその者に優しく微笑む。


「そうだそうだ」と続けて衆議院から声が上がった。


「そうだ、我々の生活はよくなっていない! 貴族ばかり優先されている。地方貴族の地主は威張っているだけで何もしてくれない。俺は不満だ!」


 観覧席で中年の男が立ち上がり、怒鳴った。

 ライモが男に優しい目で微笑みかけると、男はその笑顔に見とれたように静止した。


「ありがたいことではないか。我が国の国民は声をあげる勇気がある。諦めて他国に移住などせず、この国で暮らしてくれている。呆れられて皆がよその国へ行ってしまったら、アステールは亡国となるだろう。ああ、そのような嘆かわしいことにならぬように」


 ライモはカッと目を見開き、王を指差した。


「悪と戦うのだ、王よ! 国民を愛する心を忘れたか!

 諦めるな! かつて僕という道化師を愛してくれた王はどこに行った! 熱きあの魂を取り戻せ!」


 ライモが叫ぶ。

 ずっと立って見ている若い議員が拍手をした。それに続いてセバスチャンも拍手をする。貴族院では後ろの方の若い者が小さく拍手をし、前席の大臣たちは鼻白んだ顔をした。

 記者数人も拍手をし、観客席では大きな拍手が起こった。


「宮廷道化師、では、おまえは何をするのだ。おまえの役目を答えよ」


 エドワード王が暗い声で言い、国会議事堂は静まった。

 ライモの喝に応えぬエドワードに、拍手をしていた者たちは落胆した。


「教えてやろう」


 ライモが一度だけ目を伏せた。誰よりもライモは王の言葉に失望しているだろう、それを隠すように眉を寄せて怒りの表情をエドワードに示した。

 水色の瞳が刺激的に光る。


「宮廷道化師は、城で遊び、言いたいことを好き放題に言い、せかせか働く者どもの間を蝶のように舞い、たらふく食って寝るだけさ。

 愚者ほど強い者はない。愚劣なことをやってのけても反省せず、反感をはねのけ、儚きこの世で遊んで暮らす。宮廷道化師様の遊びときたら、悪辣なものさ。王と臣下たちの周りをうろちょろと」


 ライモは袖を振って、飛ぶような仕草をした。


「しっかり仕事をせんかと叱りつけ、辛辣に悪口を言い、悪いことをしてしらばっくれたらお仕置きするよ。

 政治をやろうって者ども、みんな宮廷道化師ライモに気をつけろ。魔術で悪事を暴き、魔物のように計り知れず。

 宮廷道化師はどの身分にも属すことはない。

 権力はいらぬ、規律など知らぬ、怖い者知らず」


 ライモは腕を組んで、笑ってみせた。


「これは驚いた。あのおどおどしていた坊やが、こんなに成長したか。ずいぶんと憎まれ口を叩くようになったものだ」


 エドワード王が答える。


「王よ。僕がおどおどしていた小僧のころから、何か変わったか?

 貴族は貴族のまま威張っている。階級社会は変わってなどいない。富める者は富めるままに、貧しい者は貧しいまま。変化がない。それは王の怠慢だ。貴族に任せておけば楽なこともある。衆議院のことは国民の選挙任せ。

 さらに良い国を目指そうとしないのか。国民主権、平和、人権の尊重。それらすべて、もっと高みを目指すべきではないか」


 ライモは微笑みから厳しい顔に変わり、鋭い声で言った。

 これに王は沈黙した。


「何よりも、ここはなぜ男ばかりなのだ。なぜ、等しく人間である女がいない。どれだけ参政権を訴えても、未だ女は選挙すら行けない。……おっと、これ以上は適任者に語ってもらおう」


 ライモが立ち上がり、指を鳴らした。

 国会議事堂に太陽が出現した。燦々と輝く太陽から、アイラ王女が登場する。


 勇ましい顔をしている。すべてを威嚇している緑の瞳の三白眼、凛々しい眉。首が細く長く、顔が小さい。貴族の女性は髪を豪華に結い上げ飾るものだが、アイラ王女はまっすぐな金色の髪を下ろし、小さな金のティアラだけをつけている。

 赤いドレスのシルエットはシンプルで、胸元に白百合が刺繍されている。


 ライモは切なそうな潤んだ瞳で、アイラを見上げている。


「突然の登場、失礼いたします。私こそ女の参政権を語る適任者、アイラです。私は王女という身分に甘んじることはしません。あなた方がどれだけ女を政治から追い払っても、私は戦います」


 アイラは唇を引き結び、エドワードを凝視した。

 アイラを登場させた太陽は星形となり、アイラの背の後ろで光り輝く。


 十八歳にして、威光を堂々とアイラは背負っている。


 王は石となってしまった。しかしその娘の王女は太陽である。


「王よ、そして私の父、エドワードに宣戦布告します。必ずや女性参政権を実現する。そして私は王を倒し、女王となる」


 高らかにアイラが宣誓し、小さなティアラを放り投げた。


 それが合図だった。

 国家議事堂のドアが乱暴に開かれ、たくさんの女たちが押し入ってきた。騎士が阻止しようとするが、大勢の女たちに数で勝てない。


「私たち女を無視するんじゃないよ!」

「誰があんたたち男を産んだと思ってんだい!」

「家事に育児、私たちが生活を回してやってんのに、なんで私たちに国のことを決める権利がないの!?」


 フライパンにお玉を持った恰幅の良い女が、ドラのように鍋を鳴らす。赤ん坊をおぶった女が声を張り上げ、赤ん坊が泣く。

 投げられたエプロンが、貴族院の前席で威張って座っている大臣の顔を覆い隠し、突然の暗闇に大臣は悲鳴を上げる。


 華やかな衣装の踊り子たちが、アイラの周りで派手に踊る。

 若い娘たちがケラケラと笑って、走り回る。


 これは、大変な騒ぎであるな。


 追い出そうと集まってきた騎士を、踊り子たちが取り囲んで一緒に踊らせる。


「おい、誰かどうにかしろ!」

「なんてことだ、騎士たちは何をしている!」


 大臣たちは叫ぶが、収拾がつかないと悟ってかこそこそと王座の後ろにある黒い幕へと逃げていった。


「わっははは、楽しいな」


 大蔵大臣のセバスチャンは、踊り子と一緒にでっぷりした体を揺さぶって踊っている。


「出ていけ! 国会への不法侵入だぞ!」


 騎士団のゴドー団長がようやく現れて、怒鳴り散らす。


「あら、あなた。私を捕まえたら、誰があなたの食事を作って、シャツにアイロンをかけて、子供たちの面倒を見るの?」


 ゴドーはそう言ってきた女を見て絶句する。妻のヘレナだったからだ。


「そうよ、私たちみんな捕まえたら、誰があんたら男の面倒を見るのさっ」

「そうよそうよっ」


 ヘレナに主婦たちが加勢した。


「と、とにかく早く出ていけ!」


 ゴドーはそれだけ言って、「早くなんとかしろ」と騎士たちに怒鳴りつけて国会から出ていく。


 その光景にジーモンはニヤッと笑った。


 アイラ女王が立つ壇上の周りに、女たちが集まった。


「さあさあ、新しい時代の始まりだ!

 ついてこい!」


 ライモが拍手をした。


「新しい時代は、女たちが作る!」


 アイラとカレンが壇上で手を握り、力強く宣言した。

 

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