第一話 かわいそうな王女
世界は黄金比の箱型だ。
アステール国は中央大陸の真ん中に位置する。通称、へその国。へそに行けばなんでもある。東西南北の人が行き交う貿易の国であり、城下町のバルドは旅商人で賑わっている。
独裁王のハイドンが民衆革命で処刑され、王権絶対時代は終わった。現王エドワードの父ハンストンが民主制に舵を切り、エドワードが跡を継いで民主主義をより強固にした。
すべての者が天にいるごとく幸せな気持ちでいることを願っているが、課題は山のように積み上がっていた。
政体は王を首位とし、貴族による貴族院、民衆の中から選挙で選ばれ任命された議員による衆議院が国会で議論と投票で決議する間接民主主義だ。
エドワードは王座を焼き払い、爵位はすべて廃止したがっている。新しい国のあり方が必要だ。
去年の冬、エドワードに不幸が起きた。
離婚だ。
王と皇后が離婚したと、国民を混乱させてしまった。
これが、宮廷道化師を必要とした理由である。
※
王さまと皇后さまが離婚した。
贅沢三昧をして税金をムダにしていると新聞で批判されていた皇后であるが、なんと王の許可もなく高額なダイヤモンドを買っていたことが判明し、離婚の決定打となった。
アステール国は商売人気質のおしゃべり。
酒場では王室の離婚問題がつまみとなって、酒樽がひっきりなしにごろごろ転がっていた。あんなにいなくなってほしかった憎い税金泥棒も、一応は皇后であるので王は反省させて夫婦生活を再構築できなかったのか、王と皇后が離婚したなんて国は風通しよろしくないのではないか、皇后は多額の税金を使ったことに謝罪しなかった、賠償させろ。
サーカス団の団員たちと酒場に来て食事をしていたライモは、そんな大人たちの話を聞いて、悲しくなった。
「ねぇ、師匠。どうして誰もお母さんがいなくなった王女様を心配しないの?」
そう尋ねると、おじいさんの師匠は目をしょぼつかせた。
「わしの優しいライモや、そうじゃな。王女様はお母さんと離れ離れになってしまった。おまえにはその辛さが、よくわかるな」
師匠の言葉にライモはうなずく。
ライモは母に捨てられた。愛してはくれなかったお母さん。いつも路上で大道芸をやらされて、お金は全部持っていかれ、ろくに食べさせてくれなかったけど、小さいときは抱きしめられて安心していた記憶がある。
捨てられて、悲しくて、行くあてもなくぼろぼろになったライモは、気がついたらニコルス・サーカス団に保護されていた。辛いことが多くて、十二歳より前の記憶はほとんどない。
魔術曲芸師の師匠ホルオーに孫のようにかわいがられ、ライモはすんなりとホルオーの魔術の技術を習得し、一躍人気者となった。
「誰かが、王女様をなぐさめてあげないと」
ライモはつぶやく。
「そうだね」
師匠ホルオーは顔をくしゃくしゃにして、ライモの肩を抱き寄せた。
「おまえのその優しい気持ち、宝じゃ。ほら、ごはんもっと食べなさい。少食じゃのう。おまえは成長期なんじゃからもっと食え」
「やだ、僕、もうお腹いっぱい。ニンジン嫌い」
「ほんなら、わしの入れ歯、おまえの口の中に突っ込むぞ」
「それはもっとやだ!」
ライモは慌てて、酒場のおかみさんに
「お、おかわり!」
と叫んだ。
※
緑のジャケットに銅のバッジをつけた官僚がサーカス団に来た。
「初めまして、ライモ殿。わたくし、官僚のシモンズと申します。ライモ殿、私はあなたのファンです。いやぁ素晴らしい曲芸だ。そこでですね、あなたを宮廷道化師に推薦します。宮廷道化師の募集をかけて面接と試験中なのですが、どうも王女が納得されなくて。王女と同じ歳で、街の人気者ならば王女のお眼鏡にかなうと私は直感いたしました。試験をライモに受けていただくお願いに参りました」
眼鏡をかけた知的な男はにこやかに朗々と喋り、ニコルス団長もライモも呆気にとられた。
「この子が、宮廷道化師に!?」
「はい、ぜひに。ライモ殿は才能があります。若すぎるという意見もありましたが、王女様の遊び相手をしてくださるにもちょうどいいですし、何よりとても可愛らしい顔をしてらっしゃる。あなたの評判を聞いて、王も王女も楽しみになさっていますよ。ぜひこの目で見てみたいと」
「なるほど、ですが」
ニコルス団長は困っている。
ライモは考えた。
「王女様は、僕の曲芸を喜んでくださるでしょうか?」
「それはもう、お喜びになることでしょう」
シモンズがにっこり笑う。
「わかりました、僕、試験を受けます。団長、行かせてください」
ライモは、お母さんがいなくなった王女様を喜ばせたい一心で言った。
「そうか、ライモが受けたいというならば。お願いします」
ニコルス団長がライモの肩に手を置いて言った。
ライモはぺこりと頭を下げる。
「では来週の土曜日、十二時においでください。楽しみにしています」
シモンズが去った。
「そうか、ライモ。さすがニコルス・サーカス団の人気者だな。よかったな。張り切って行くんだぞ。おまえならきっと王様を喜ばせることができる」
ニコルス団長がライモを励ますように、両肩をぐっとつかんで笑った。
師匠ホルオーに宮廷道化師の面接を受けることを伝えると、ほろほろ泣いた。
「ほんに、ほんに。大きくなったなあ、ついにこの日が来たかあ。時が過ぎるのは早い。さてライモ、試験のために特訓じゃ。老いぼれがんばるぞい」
師匠ホルオーはライモの手を握りしめ、稽古場へと連れていく。
「師匠、今までになく厳しい特訓をお願いします。とびっきりを見せなくちゃ」
「よろしい。わしはこの時を待っておった、わしはおまえのために存在するのじゃ。さて、いくかのぅ」
師匠ホルオーは巨大な熊に姿を変えた。
「決して失敗は許されない試験だ。私を越えるのだ、ライモ。私が見たこともないような派手で、楽しい曲芸で楽しませろ。わしは笑ったり感動したり、驚いたりすると萎んでいく。私をねずみのような小さな熊にしろ」
ライモは玉乗り、変身の術、パントマイム、ダンス、歌、そこに魔法で飾り付けをして目まぐるしく動き回った。
ライモは一週間、汗を拭くこともしなかった。着替える時間さえ惜しく、垢まみれの体で奮闘した。
試験の二日前、倒れた弟子の体をきれいにしてやるのに師匠は苦労した。白磁のような肌を丁寧に洗ってやり、髪を切って整えた。そして栄養のある飯を食わせてよく寝かせ、肌艶の良い美少年に戻してやった。
年老いた体にむち打ったホルオーは「わしはもう死ぬ。腰がもうダメじゃ」と倒れたが、ライモの試験日当日になると元気に起き上がってきて、飯を三杯おかわりしてピンピンしていた。
師匠ホルオーは満面の笑みで「行ってらっしゃい」とライモを見送った。
「行ってきます! 師匠、三千年は生きてね!」
ライモは無邪気に笑って言った。ホルオーはほっほほ、と笑う。魔力の強い魔術師は千年は生きると言われている。だから大好きな師匠に長生きしてほしい。