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第二十七話 大きくて長い布

 三日後に死ぬ。


 長く生きる魔術師は命果てる前に、予感する。


 ホルオーはとてつもなく長かった罰の人生を、ようやく終わらせることができる。やっと死ねると感激すると思っていた。

 ホルオーが死に際して感じたのは「納得」だった。


 苦役だった人生はライモによって昇華された。

 憂いも後悔もない。罪をあがない、人を愛して、守るべき者のために戦い、魔術を伝達した。ホルオーの人生は完了する。

 最後の使命は、愛弟子のライモに話すことだ。


 ジーモンがささやかなディナーパーティーをする、と言い出した。別荘の管理をしてくれている農家の夫婦へのお礼、そしてライモを楽しませるためだ。

 この場に集まった者たちに自分の人生を語り、最後の酒を楽しもうとホルオーは決めた。

 ジーモンは農家で食材を買い込んできて料理を仕込み、ライモは皿を出して磨き、テーブルクロスを真っ白に洗濯して、アンが客間の壁に鮮やかな花を描いた。


「おじょうちゃん、ほんに良い絵を描くのぅ。見てると明るい気持ちになる」


 ホルオーは椅子に座って、アンが絵を描くのを眺めていた。


「ありがとう、おじいちゃん。うちも自分でそう思うねん。だから描くねん。これ一本では食っていかれへんけど、まあ売れるしな」


 アンが自信たっぷりに応える。


「私の愛弟子のライモも描いてほしいのう」


「あ、それやったらもうスケッチやけど描いたで。うち、人物画ってあんまり描かへんけど、あの子は絵になるからなあ」


 アンがそう言って、スケッチブックを開いてホルオーに渡した。鉛筆画で描かれた微笑むライモを見て、愛しい気持ちになる。迷いのないくっきりとした筆致で、ライモの顔の美しさが見事に強調されている。


「本人に許可もらって、それをちゃんと描いて売りたいねん。その絵に色はいらん。見る人がそのきれいな顔の少年に、自分の好きな色を塗ったらええと思うねんな」


「うん、そうだね。とてもよい。おじょうちゃん、この絵を買わせてくれんかのぅ。金なら積むぞよ」


「ええよ。おじいちゃんに、あげるわ」


 アンはスケッチブックを切り取り、ホルオーに渡した。


「おおきに、おおきに、おじょうちゃん」


 ホルオーはライモの絵を胸に抱いて、布にくるまり死を迎えると決めた。


 ライモは別荘にあったスーツを着せられた。ちゃんとネクタイも結んでもらい、髪を整えられた姿を見て、成長を感じる。レイサンダーもジャケットに華やかなシャツを着て、ピンク色のネクタイをつけてきた。

 アンは「いっちょうらやねん」と緑色のベロアワンピースを着てきた。農家の夫婦もフォーマルな装いで、人の良さそうな人だ。

 ジーモンはよく煮込んだビーフシチュー、ローストチキン、新鮮な野菜のサラダ、カナッペと次から次にごちそうを出してくれた。最後のデザートはショートケーキで、甘すぎないクリームが美味しかった。


「めっちゃうまい、ジーモンさんは政治家を引退したら飲食店やったらええやん。すごいなぁ、名宰相さんで料理上手、頭もええ。顔もカッコええし、すごいなぁ」


「ほんまやね、まるで有名レストランに来たみたいやわ。田舎もんですさかい、こんな美味しい料理食べて舌がびっくりしてますわ。都会の味ですなあ」


「このー、カナッペいいますのん、これ酒にめっちゃ合いますやん。いやあ驚きですわぁ。嫁はんの言う通り、舌がびっくりしてぴょんぴょんしてますわ」


 アンとその両親はジーモンを称えて、ワッハハと笑った。


「僕、にんじん嫌いだけど、お父さんのお陰で好きになったんだ。お父さんのにんじんグラッセはとても美味しい。料理上手なお父さんで僕は嬉しい。それに、僕が好きなショートケーキまで作ってくれた」


 ライモがとろけるような甘い笑顔で言う。


「うちの父なんて厨房に男が入るもんじゃないって言ってたから、ジーモン宰相を見習ってほしいわ。愛する息子に美味しくて栄養ある食事を食べさせてあげたいって気持ちは、男も女も関係ない。素晴らしいですわ、ジーモンさんは。私も早くお酒が飲める歳になりたいわぁ」


 レイサンダーが、大人たちが「うまい」と飲んでいるワインをうっとり見つめて言う。美味しい食事は話も弾ませる。

 お互いのことを尋ね合ったり、他愛もないことを交わしたり、そうして楽しいディナーは過ぎていく。


「夜が更けてきたのう。皆様がた、この老いぼれ魔術師ホルオーは三日後に死にます。その前に聞いてほしい話があるんじゃ。老人の昔話に、付き合ってくれまいかのぅ」


「そ、そんな! おじいちゃん死んじゃうの…………」


 ライモが立ち上がって悲しい顔をする。


「そうじゃ。どうか、悲しまんでくれ。わしはもう千年も生きた。ようやく、死ねるのじゃ。その前にわしの罪について語るのは使命。どうか、わしが死ぬことを悲しまず、聞いておくれ。ライモや、わしのすぐ近くに来てくれ」


 ライモは椅子を動かし、ぴったりとホルオーに寄り添った。 

 

「千年前、わしは大きな罪を犯した」


 ホルオーは特級魔術師だった。太い魔力血管を持つ優秀な血統で、王族に生まれた。ホルオーは父の本妻の末子だった。三人の兄たちを暗殺して王座を手に入れた。


 北大陸を統一して我が物とする、魔力のない人間は奴隷とする。ホルオーは魔力を高く掲げ閃かせ、魔術師たちを惹きつけた。自分たちの都合の良い世界を信奉させて操ることは容易い。


 反逆するあまたの同胞の魔術師を殺し、多くの人間の命を抹消し、ホルオーは北大陸の覇者となった。


 自分こそが真の魔術師だ。

 この世界は最も強い魔力を持つ者が統治することが正解だ。ホルオーは王座にあぐらをかいた。政治はホルオーの考える悪か善かで白黒分けた。そうすれば混乱はない。

 権力を持つ者は力を振りかざし、弱者はそれに従っていればいい。


 ホルオーは油断をした。


 人間による反乱が起きた。奴隷が船に忍び乗って中央大陸に行き、助けを求めた。当時、中央大陸は戦争もなく平和で、人間の文明が最も進んでいた。魔術師による独裁国家は許されないと、人間に武器を与えた。

 東の国の魔術師たちも、人間と魔術師は共存していくべきであり、人間を奴隷にしてはならないと力を貸した。

 人間の奴隷に何もかもやらせて、ろくに頭も働かせず贅沢な暮らしをしていた魔術師の貴族たちが、これに対戦できるわけがない。あっという間に貴族たちは牢獄に入れられた。


 ホルオーは一人で戦った。

 しかしどれほど魔力があろうとも、多勢に勝つことはできなかった。


「人間を甘く見たな。魔力があるからと驕り、人間の力をおまえは知らなかった。おまえは大罪を犯した。老人の姿で千年生きろ。生き地獄の旅をじっくりと味わうがいい」


 東の国の女王が言い、ホルオーは呪いをかけられて老人の姿となり、国を追放された。


 魔力も半分になった。

 三十代から急激に老いて、歩き方さえわからない。食事も喉が詰まって食べにくい。視界はぼやける。這うようにホルオーは生きた。安住の土地はない。ホルオーが罪人であることは世界に知れ渡っていた。「大量殺人者め!」と石を投げられ、弱い老人の皮膚は傷つき膿んでひどく痛んだ。

 自死しようとしても、できない。千年生きるまで死ねない。


 ホルオーは道で曲芸を披露して、投げ銭をもらっている者を見て、熊や象、ダチョウ、カバと珍しい動物に姿を変える芸を披露し、なんとか食い繋いだ。


 自分は、間違っていたのだ。

 弱者となって虐げられることの辛さを知った。弱者を助ける者の誇り高さを知った。弱者も強い者も同等の命があり、生まれ持って優れている。優秀な者が世界を支配するなんてバカげていると知った。


 ホルオーは自分の大罪と向き合った。殺した分だけ人を救おうと、魔力で病気やケガを治した。事故があったと聞けば駆けつけ、重病人がいれば飛んで行く。雨の中も嵐の中も、ホルオーは人助けに奔走した。一切の金は受け取らず、わずかな食料を恵んでもらった。


 そうして九百五十を過ぎてから、ホルオーの魔力は衰えてしまった。だが「治療魔術」を研究して多くの魔術師に伝授していたので、安泰であると治療はやめて曲芸で人を楽しませることにした。あらゆるサーカス団を渡り歩き、行き着いたのがニコルスサーカス団だ。ここが終の住処だとホルオーは確信していた。

 そして、愛弟子のライモと出会った。まるで孫のように可愛らしく、その力は抜群で、こいつは大物になると見込んだ。

 ホルオーが罪を償ったことが祝福されて、天がライモと出会わせてくれたと泣いた。


「大きくて長い布を用意してください。そして私の体をくるんで、三日間、置いてください。その間、決して部屋のドアを開けないように。長く生きた魔術師は三日かけて死ぬ。私をくるんだ布に私の歴史が記録されます。ライモ、その布をおまえに持っていてほしい。困ったことがあれば、私の布を読みなさい」


 ホルオーは泣いているライモの手を握って言った。

 涙を流しながら、ライモは頷いた。


「わしが、おまえの辛い記憶を持っていく。ライモや、また世界樹の木の根で会おう」


ホルオーは目を細めて言った。


「ええ、きっとあなたなら世界樹の根へ行かれますわ。ああ、涙が止まらへん。こんなすごい御方とお食事をさせていただくとは」


アンたち家族は涙を流した。

ジーモンは大きな体でホルオーを抱擁した。


「我が息子を育ててくださった恩は忘れません」


「おじいちゃんは僕の中で生き続けるよ」


ライモはホルオーとジーモンの間に入り込んで、力強く祖父を抱きしめた。


 こうしてホルオーは長くて大きな布にくるまれて、別荘の物置部屋に置かれた。


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