第二十六話 クィアということ
レイサンダーの父は警察騎士で街の治安を守るため、巡回警視する仕事をしている。母は商家の生まれで裁縫が好きな専業主婦、妹が一人いる。そこそこ裕福な家で、ありきたりな家に住んでいる。
レイサンダーは世の中の「普通」通りではなかった。子供時代はおとなしく絵本を読んだり母の家事を手伝ったり、裁縫を教わるのが好きで、男の子らしいやんちゃな遊びは嫌いだった。
かわいい服を着せてもらえてお人形を与えられる二つ下の妹に嫉妬した。おもちゃを取り上げて泣かせては父と母に叱られた。
「変わった子ね。なんでお兄ちゃんなのに女の子のおもちゃで遊びたがるの」
「男の子なんだから、外で遊びなさい」
両親にそう言われるたびに、レイサンダーの自我はしぼんでいく。でも両親の期待に反する「男の子らしくない自我」は消えてはくれず、時に丸々とふくらんで破裂しそうだった。
飾りっ気のない男の子の服はつまらない。
だからといって、ひらひらしたワンピースが着たいわけでもない。ドレスを着こなした女性に憧れるけれど、女性になりたいかというと、そうでもない。
男の子のやんちゃなグループにはなじめないけれど、学校の運動の授業は好きで、木の棒を使った戦いごっこでは強かった。
でもおしゃべりをするのは、女の子の方が楽しい。
少しだけいいから、シャツの襟にレースが欲しい。
そう思い立って、小遣いでレースを買って母の裁縫道具を借りて自分の持っているシャツにレースを縫い付けた。
それを着たときに、心の中で花が開いた。
男だけどちょっと女っぽい、それが自分だ。
「あらやだ、そんな女の子みたいな服。やめなさい」
母に言われて、レイサンダーは初めて母に怒りを感じた。
「これが私なの! 男の子の言葉も使いたくない。女の子の言葉を使いたい。これが私、仕方ないの!」
母は息子の口から女言葉が出たことが信じられない、という顔をして立ち尽くした。レイサンダーは家を飛び出た。レイサンダーは学校が休みの土曜日は、城内教室に通っていた。世帯も年齢も違ういろいろな子が集まっているその教室の方が、レイサンダーは居心地がよかった。
先生のエリザベートとディスターなら信頼できる。
レイサンダーは二人に「自我」を打ち明けた。
「レイサンダー、あなたは何も変ではありません。人間は男女だけではなく、いろんなジェンダーがあるんですよ。あなたのような子は、先進的な言葉で『クィア』と総称されます。厳密に言うともっと細やかなジェンダーがありますが、クィアとは既存には当てはまらないジェンダーのことです。しかしそれは決して変なことではありませんよ。男らしくとか女らしくとか、生まれてきた性別で人の性格や好みは決められませんからね」
エリザベートの言葉に、レイサンダーは涙した。
クィア。そう自分が認める言葉があった。
「その襟のレース、とてもきれいに縫えているね。君のことについて、ご両親の理解を得るために、話してみようか? 根気よく話せばわかってくれると思う。だって君は何も悪いことをしていないから」
ディスターが言ってくれた。
二人はそのまま一緒に家まで来てくれて、長い時間をかけてレイサンダーのことを話してくれた。父は最初は怒ってろくに話を聞かなかったが、「自分らしく生きることこそ、幸せです」とエリザベートが説得してくれた。
両親はそれから、レイサンダーの「男の子らしくないこと」に口やかましく言わなくなった。仲の悪かった妹とも関係がよくなり、一緒にお人形で遊ぶうちに「お兄ちゃんはママより服の趣味がいい。お洋服を買うときはお兄ちゃんについてきてもらう」と言ってくれた。
「男のくせに女みたいなことして、変だ」という言葉はつきまとう。けれどそれを無視して「クィア」として生きるしたたかさをレイサンダーは身につけた。父の仕事は誇りに思っている。男らしくないのに男社会の騎士になることに、迷いはなかった。
エレガントで強い騎士になる。
その夢が芽生えてから髪を伸ばした。
女っぽい男の騎士、いいじゃない。そんな騎士がいたっていい。
「うん。僕もそう思うよ。レイサンダー、エレガントに国民を守ってくれよ」
初対面の時に自己紹介で夢を話したときに、ライモは笑顔で言ってくれた。彼は初めて心を許せる男友達になった。ライモはサーカス団で様々な少数派の人々と生活してきたからか、偏見がない。
彼は誰とでも暖かな態度で接する。
そして城内教室ではエリザベートもディスターも驚くほど学力を伸ばした。ライモは名門の塾に推薦で入った。
塾はライモと一緒がいいと志願し、彼の学力に追いつくため勉強した。十五歳で騎士の訓練生になり寮生活をするのは不安だったが、宮廷道化師として城の雰囲気を良くしようとしているライモに勇気づけられた。
「何を言われても、その強さで黙らせてやればいいよ。レイサンダーは背も高いし体格だっていい。さらに身体能力もいいんだ、おまえのことを認めるさ」
ライモはいつもそう言って、励ましてくれた。
男らしさを押し付けられる無骨な訓練はきつい時もあったが、そんな時は白い蝶のように城中を駆け回って、メイドの手伝いをしたり疲れている人に曲芸を披露しているライモを見て、「今は耐えよう、きっと見返せる日がくる」と信じた。
ライモはレイサンダーに希望を与えてくれた。
アイラ王女がライモに恋するなんて、当然だ。
彼はとびっきり、素晴らしい。
「こんなに自然に囲まれた冬は、初めてだ。田舎って都会より寒いね」
森林の小道を歩きながら、ライモが言った。ライモがねだったので、レイサンダーは彼の手を握ってゆっくりと歩いている。十五歳の少年の手は、同じ年なのに大きさは違う。ライモは手のひらが薄くて指が細い。
「そうね。でも、時には寒さを感じるのもいいでしょう。私は冬って好き。なんだか身が引き締まるのよね。それにコート、マフラー、ニット、ブーツ。冬はたくさん服が着られるじゃない」
レイサンダーは努めて明るい声で言った。
幼い顔をした親友。本心はどう接していいかわからない。こんなライモは初めてだ。手をつないでほしいなんて言うと思わなかった。身体的接触を、どちらかといえば嫌っていたのに。
「そっかあ。そういう考え方もあるんだ」
前より低くなっているのに、言葉づかいはどこかたどたどしい。
ライモは塾でよく生徒たちと議論を交わしていて、時に大人も舌を巻くほどだったのに。いや、比べてはいけない。彼はとても酷い目に遭ったばかりなのだ。
「冬になると木は枯れてしまうのに、春になると芽が出て花を咲かせる。不思議だね。冬でも緑の葉をつけた木があるし、あ、花が咲いている」
ライモはぐっとレイサンダーを引っ張った。
白い小さな花が密集して咲いている。枯れ木の中でその花は、降り積もったばかりの雪を思わせた。
「そう、冬に咲く花もあるの。この花の名前はノースポールよ。とても生命力が強いの。花言葉は誠実、高潔」
その花言葉はライモに似合うとレイサンダーは思った。
ライモはノースポールをそっと摘んで、レイサンダーのほうを向くとにっこり笑って、レイサンダーの髪に花をつける。
「この花はレイサンダーみたいだと思う。君は誠実で、誇り高い人だから。来てくれて、ありがとう。僕、寂しかったから。…………被害を受けた時、世界から突き飛ばされて、ひとりぼっちになった……でも、お父さんはずっとそばにいてくれて。そして、親友が来てくれて、僕はとても嬉しくて」
ライモが涙を流す。
「来てくれて、ありがとう。何もなかったようにふるまってくれて、ありがとう。花の名前を教えてくれて、ありがとう。僕はまた、がんばれそうな気がしてきたよ。これからもずっと、友達でいてくれる?」
ライモが首を傾げて言った。
「当たり前でしょう!」
冬空の下、二人は抱き合って泣いた。




