第十九話 サーカスの夜
観客席でサーカスを見るのは初めてのことだ。サーカスの舞台が上がり、アイラが体を寄せてくる。始まりのドラムロールが自分の心臓の音に聞こえる。
シルクハットに赤い燕尾服のニコルス団長がステージに登場すると大きな声で「ようこそ!」と挨拶をした。久しぶりに見るニコルスは変わらず元気そうだ。
シャム双生児に、大男、黒い髭を胸元まで伸ばした女、小人たちが集まって、観客たちに手をふった。東洋人の男性シャム双生児のニコとカンは縞模様のスーツを着てカンカン帽を被ってる。
女性のシャム双生児のリリーとララーは爽やかな水色のワンピースで頭に大きリボンをつけている。二組のシャム双生児が手をとりあって、見事にシンクロしたダンスを披露、拍手が起きてペコリと頭を下げて退場。大男が小人を肩に乗せて、登場する。
小人の女性エミリーが、大男ダンの大きな頭によじ登って、なんとそこで逆立ちをして見せた。そしてゆっくり降りると、エミリーの夫のダニーは大男の頭の上で、あぐらをかいて「えっへん」という顔をしてその愛嬌に笑いが起きた。
長いひげを手早く三つ編みにして、紫色のドレスを着た多毛症のマリアは、両手を広げて歌いだす。
「どうだい
わたしたち、へんでしょう
まちにこんなひと いないでしょう
わたしたちは、化物じゃない
こんなこと できるのよ」
いつ聞いても体がぶるっと震える力強い歌声だ。
隣を見ると、アイラは涙を流していた。そっと彼女の手を握る。
空中ブランコのショーが始まった。お互いを信頼しあっているナターシャとヘンリー、ステージ上でもお互いの頬にキスをしあって仲良しだ。
顔を真っ白に塗って赤い鼻をつけた、三角帽子を被った道化師が三人、登場して客席にキャンディーを投げる。つかめた子供がやったーと歓声を上げた。
道化師たちはステージに戻ると、ボールを投げ合う。
ドラムのリズムに乗って、どんどんボールの投げ合いが早くなり、限界にくると道化師たちはいっせいにパッと手を離してやめてしまい、あー疲れたーという風に寝転がってしまう。
そこにニコルス団長が出てきて、
「おやおや、まだ終わりじゃないぞ、しっかりやれ!」
と叱る。
道化師たちは慌てて立ち上がる。
一人目は風船をぷーとふくらませて、針でパンチと割ると中から白いハトが出てくるマジックを、二人目は玉乗りを披露、玉の上で一回転して着地して拍手をもらいご満悦、さてさて三人目はというと「おいら、もう何にもしたくなーい!」と舌を見せる。
「なんだって、この給料泥棒!」
ニコルス団長が怒ると、道化師は飛び上がって舞台中を走る。飛んで、バク転して、大きくジャンプしてどたどたと追いかけるニコルス団長から逃げ回る。
「おいらが一番得意なのは、逃げることさっ」
そう言って道化師は舞台裏に引っ込む。
さてニコルス団長ははぁはぁと肩で息をしていて、しんどそうだ。
「さーて、これより。話題の新人にご登場いただこう。澄んだ歌声と優雅なダンス、とびっきりのかわい子ちゃん、カナリア!」
紹介されて、カナリアが舞台の上に立つ。
まだ十二歳の新人だ。
黄色いドレスで、ひまわりのように笑っている。
ピアノとヴァイオリンの演奏が始まると、カナリアはしなやな動きで踊りはじめた。
「なぜかしら はじめてなのに
ずっと 知っていた 気がするの
優しさも愛も ぜんぶ
ここにあったね」
カナリアの歌声は真に通る。
「ありがとうを 何回 言えばいいかな
嬉しいと 涙が出てしまう
あったかい波が 出てしまうね
あしたもどうか
このしあわせが続きますように」
観客たちを包み込むような優美な動きに、天高く透き通る歌声。観客みんなが見惚れて聴き入っている、全員が感動しているという一体感でライモは鳥肌が立った。
カナリアがお辞儀をすると、スタンディングオベーションは長く続いた。アイラにぎゅっと手を握られて、そのまま引かれる。アイラは人をかき分けて外にいく。
サーカスのテントの下で、ライモはアイラにキスをされた。
熱い。
唇を離したあとの、間近にあるアイラの緑色の瞳から涙がこぼれていて、指でぬぐうと雫は暖かい。
もう一度、唇が重なりかけた。ライモはアイラの唇に人差し指を当てて、首を横に振った。
「ごめん。一度だけにしていて欲しい。さっきのが、初めてで、最後のキスにして。お願い」
ライモは懇願した。
「どうして」
アイラの声はひきつっていた。
「どうして、ダメなの! デートに応えててくれて、外に連れ出してくれて。抱きしめてくれたのに。どうしてなの。私のこと、好きじゃないの?」
ライモは息を止める。うつむいて、歯を食いしばる。
「…………大人になったら、僕たちの関係は壊れるよ。君は女王様で、僕は君にふさわしい人じゃない。好きだから、嫌なんだ。好きだから…………君との恋が楽しめない。苦しいんだ」
「ふさわしいとか、そんなの関係ない。愛しあっていればなんとかなる。私についてきてよ」
「できない」ライモは首を横に振る。「僕は君が思うほど、強くない。わかるだろ、臆病なんだ。君のように未来を信じられない」
アイラは何も言わない。
沈黙に胸を刺される。
呆れられて嫌われて、ここで終わればまだ傷跡が浅くて済むかもしれない。きれいなまま、少しの間だけど楽しかったね、で終わらせられたら。
「わかった。私はあなたが決心するまで、待ってるから。しばらくは距離をおこう。今日は本当にありがとう」
アイラが一度だけライモの手を強く握って、エルサとリディアたちの方へ行った。
ライモは手で目をおさえた。
どうして、嫌いになってくれないんだ。
でも嫌われるような態度を取ることすらできないんだ。
ライモは祭りの後の夜、花火が上がる夜空を背に、うつむいて泣きながら歩いた。額に衝撃があり、人とぶつかってしまった。
「大丈夫か?」
ぶつかった男が顔をのぞき込んでき。
ライモはすみません、と小声で答えた。
「いや、君、すごく悲しそうだ」
ほっといてくれ。ライモはその声から走って逃げた。




