第十八話 ぜんぶ嬉しい
「はぐれない為だからね」
ライモがぶっきらぼうに言って握ってくれた手の体温は優しい。指と指をしっかりと繋ぎ合わせて、二人が歩けるこの道があってよかった。
脳が頭の外から出て、夏の太陽をさんさんと浴びている気がする。肌に浮き出す汗は暑さではなく感動で流れている。
季節は夏、今日という日、八月一日に生まれてよかった。
ライモとアイラの手のひらはしっとり濡れて、重なりあっている。指の先で感じるライモの尖った手の骨、それは自分にないもの。愛しい、毎日こうして手を繋ぐことができたらいいのに。
踊って食べて笑って、お祭りも半分まできてしまった。あと何時間なんて考えない、きつくアイラはライモの手を握る。
リディアの道案内で、フェミニズム協会の事務所にたどり着いた。祭りの喧騒から離れた寂れた路地裏、野良猫が走っていくく。粗末な小屋のような小さな家の屋根は、緑と白、紫で塗られている。よほどその色を主張したいのか木のドアも同じ色に塗られている。
リディアがドアを三回ノックして、手を二回叩いた。
緑と色と紫のドアが、勢いよく開いた。
「みなさん、ようこそ」
赤い髪に緋色の唇、魔術書で何度も見たカレンだ。
カレンはゆったりとした白いシャツに黒のズボンで飾りっ気がないのに、強い存在感を放っている。とび色の目は何事も見過ごすものか、と果敢に挑んでいる。
狭い家の中には、複数の女が思い思いに座っていた。家具は丸いローテーブルが一つ。布と本がたくさんある。壁や天井にまでびっしり刺繍された布が貼り付けられ、床は何枚もの布が重なっていた。そしていたるところに本の山がある。
女たちはアイラたちを見て、微笑んだり、声をかけたり、ちらっと見ただけだったり、本に夢中だったり、険しい顔で刺繍していたりとさまざまだ。
「ノラは名案だった、さすが彼女だ。今日という日こそ、女王がここにくるに相応しい日だ。みんな適当に座って」
カレンは部屋の真ん中であぐらをかいた。
ふくよかな年配の女性がハーブティーをいれてくれたので、アイラは気持ちを落ち着けるために飲んだ。
「私はすべてを変えたいの」
アイラが言うと、うんうん、とカレンが強くうなずく。
「私は女王になる、そして全部、変えられると信じている。ここに連れてきた三人はね、私が女王になりたいと言っても笑わなかった。ライモは私が手紙に女王になりたいって書いたら、絶対になれると返事をくれた。実は女王になりたいなんて言ったら、笑われないか、やめておけなんて言われないか、いまだに怖いよ。お父様には特に言えない、頭ごなしに否定されたらお父様を嫌いになってしまいそうだから。でも、この気持ちは抑えきれないよ。女と男も同じ人間なのに、社会ではまったく違う扱い方をする。女は男に従えなんて絶対におかしいし、男ができることが女にはできないなんて絶対に嘘。そのためにね」
アイラはぎゅっ眉間に皺を寄せた。
「戦う、死ぬまで戦う。たとえ負けたら死ぬかもしれない戦いでも私は戦い続ける。だって私にとって戦わないのは死んでいるのと一緒だから」
「うん。あんたはもう、女王だ」
カレンが無邪気な笑い声をあげた。
他の女たちも、クスクスとかケラケラ、とかあはは、と楽しそう笑い声をあげた。
「っていうかさ、みんな、女王だよ。フェミニズムで戦うみんなは女王さ。みんなそれぞれ違う女王、女王じゃなくて王もいる。あたしらはさ、そうやって仲間を尊敬しあってんだ。そのなかでも、あんたは実際に女王になるんだ。アステールの初めての女王にさ」
「そっか、そうだ! みんな女王、たとえどんな場所にいても生い立ちもバラバラでも。私たちは同じ目標で戦っている。
それで、でも私は王様とか女王とかいつかなくなって、王族とか貴族とか関係ない。本当にこの国を愛してリーダーとしてふさわしい人が投票で選ばれて、国をまとめていくのが理想なの」
「うん、そうだね。あんたはそれをやってくれるんだろう?」
カレンが目を光らせてやる。
アイラは立ち上がって、腰に手を当てて思いっきり威張ったポーズをとった。
「やってやるさ!」
大きな声で言って笑う、部屋は笑い声でいっぱいになった。
「今日はみんな、ありがとう。また絶対にくるから、今日は初デートだから行くわね。みんな元気でね」
アイラはライモと手を繋ぎ、フェミニズム協会の一人一人の顔を見て言った。
「来てくれてありがとう」
「お祭り楽しんで」
「あなたも元気でね」
「次は刺繍を一緒にやろう」
「おいしいものも、一緒に食べようね」
集まった女ちがそれぞれ声をかけてくれて、アイラを手を振りながら事務所をあとにした。気持ちがスッキリした、迷うことなんてなかったんだ。ただ信じた道をいく、戦い抜く。
「言葉にするって、大事だね」
アイラは言う。
「うん。アイラは本当に立派で、かっこいいよ。尊敬してる」
ライモが目を合わせて、優しい微笑みで言ってくれた。
「その言葉、とても嬉しい。尊敬してるって言葉、嬉しい。あなたはいつだって、私が欲しい言葉をくれるんだね。私のことをすごく考えてくれているのが伝わってくるよ。ねぇ、この感謝の気持ちはどうすればいいかな。ライモは私に何をして欲しい?」
ライモはうつ向いて、黙り込んだ。じっと見つめて優しい言葉をくれたと思ったらいきなりそっぽをむく、それがどうしてかわからなくて寂しい気持ちになる。彼は自分が思うほど、私のことが好きではないのかもしれない、そう感じて不安になる。
「アイラが幸せでいてくれたら、僕はそれでいいんだ。君が笑顔でいてくれたら、それで…………」
ライモの水色の瞳がうるみ、薄桃の唇がぎゅっと閉じられる。
すぐそこにいるのに消えしまいそうなその儚さに、アイラはいつも魅入られて、そして同時に悲痛な気持ちになる。彼はどうしてこんなにも切ないのだろう。
「もっと欲張っていいのに」
アイラは冷たくなった気持ちを再び温めたくなって、わざと軽い口調で言った。
「宮廷道化師のお給料あげてもらうとかさ。欲ばりなよ」
「いいえ、僕は無欲ですからね。さあ、サーカスに行こう。早く行かないと、いい席がなくなるよ」
ライモがかすかに笑い、少し早足になる。
路地裏から出ると賑やかな音楽と人の声であふれていた、夕方になるにかけて祭りはさらに盛り上がっていく。最後までお祭りを楽しもうと欲張る人たち。
サーカスのテントにはたくさん人が集まっていた。
ゾウが子供を背中に乗せていて、道化師が風船を配り、太鼓笛の音に合わせて踊っている人たち。
ついにきた、ライモの出身地、ニコルスサーカス団。
いつも満員、王都バルトの名物娯楽。
ライモにエスコートされて、大きな三角のテントにアイラは入っていく。




