第十七話 初めてばかり
城からアイラが出てきたとき、にぎやかな祭りの光景が見えなくなった。
アイラしか見えない。緑色の瞳が太陽の下でとても強く光っている。走ってくるアイラのなびく髪と、勢いよく前に出される足、ライモはすべてに釘付けになった。
熱い体が、ぶつかってくる。初めて出会った時の、あの体当たりを思い出す。でも感触がまったく違う。アイラはライモの肩にあごつけて、腕をしっかり胴体に巻き付けている。耳にかかるアイラの息から甘い匂いがして、ひどく戸惑う、女の子の息がこんなに気分を乱すなんて知らない。手が、アイラを求めて触れてしまう。
もう、いいかもしれない。
今日はアイラの誕生日、お祭りだ。
ライモはアイラを強く抱きしめた、とても柔らかい、自分とは違う体に驚いた。金色の太陽の匂いがする髪に顔をうずめたい、でも、これ以上はもう切なくなる。
今日一日、だけだから。
ライモはアイラから手を離して、離れるように言った。けれど彼女は言うことを聞いてくれない。
どうしてわかってくれないのか、宮廷道化師と王女様は恋仲になっても先にあるのは悲しい別れなのに。こっちがどれだけ切なくて苦しいか。ライモはそれに腹が立って、つい口ゲンカをしてしまった。
お互いに言いたいことを言って、疲れたとき、アイラは目を伏せて悲しい顔をした。
「ごめん…………誕生日なのに、そんな顔させてしまった」
ライモは謝った。
「ううん、私こそごめん。浮かれすぎちゃった。ライモの言う通り、気をつけないとね。さ、気分を変えて」
アイラがにっと笑ってから、キリッとした顔になる。
「せっかくだから一曲踊りませんか、そこの美少年くん?」
少し低い声でアイラが言う。
「いいですよ、さあ、この手を。引っぱって?」
ライモが手を差し出すと、アイラがぐっと手を握る。手をつないでお互いに簡単なステップを踏むだけのダンスを、青空の下で楽しむ。ライモがちょっと挑発するように難しいステップを踏むと、アイラも負けじとついてくる。
それを見たヴァイオリン弾きがテンポを早めたので、周囲はわあ、と歓声をあげながら早いリズムについていくため、ステップを踏み鳴らす。
アイラとライモはピッタリ息の合った複雑なステップで、周囲の目を集めた。
「こら、目立ってるぞ」
エルサに注意されて、アイラとライモは何事もありませんでしたよ、という顔でダンスから抜ける。
「リディアがぐずぐずだ、どうにかしてくれ」
エルサが珍しく困っている。
リディアは広場の公園のベンチで、ぐったりしていた。足を開いて天を向き、あられもない姿になっている。
「どうしたの、リディア! しっかりしてよ!」
アイラが肩をつかんで揺り動かすが、リディアは白目を剥いている。
「ジーモン宰相が話しかけてくれたのに、気の利いた返しができなかった、と落ち込んでいる」
エルサが説明した。
「それって、そんなに落ち込むこと? ジーモンさんにいきなり話しかけられて気の利いたこと言える人の方が珍しいよ。特にリディアはジーモンさんとあまり話さない女の子だし。それに珍しい。ジーモンさんは相手を怖がらせるからと、女の子には挨拶しかしないのに」
「そうなの!?」
ライモが言うと、リディアが正気になって、叫んだ。
「ジーモン宰相は私の名前を呼んで、お祭りを楽しんできてくださいねって言ってくださったわ。もしかして、これって私がかわいらしい少女にしては気高いから、声をかけてくださったってことじゃないかしら。私なら怖がらないと!」
リディアが鼻息を荒くして言った。ライモはうーん、と考える。今日一日、リディアには何かと助けてもらわないといけない、フォローしなければ。
ジーモンは律儀なので祭りの挨拶に関しては誰にでもする。
おめかしして、今から祭りに行くらしい女の子たちに、ただ挨拶をしただけだと思うが。
「うん、きっとそうだよ。ジーモンさんの人を見抜く目はすごいから。リディアが今日、お祭りにふさわしいおしゃれしてるから、特別に声をかけたんだよ」
ライモはにっこり笑って嘘をついた。
「キャー! アイラ、お守りのハンカチ、お守りのハンカチを買いに行こう!」
リディアがアイラの手を握って、元気よく鼻歌を歌って歩き出す。エルサとライモは二人のあとをついていく。
「嘘をついたな。ジーモン宰相はただ挨拶をしただけ。リディアが特別認められた訳ではない」
エルサに小声で言われた。
「うん。でもほら、優しい嘘ってのもあるじゃん。エルサには教えてあげる。あのさ、ジーモンさんはクイナさんと付き合ってるよ」
コソコソとライモは言った。
「知ってる。私はクイナ隊長に訓練をつけてもらったとき、ジーモン宰相が急にこられて、クイナ隊長がジーモン宰相の頭をなでなでしていたから、そういう関係だと教えてもらった」
エルサが淡々と言ったことに、ライモは爆笑した。
あのジーモンが恋人に甘えるなんて。
なんだそれ、すごく見たい。
「ライモー、早く早く! ねぇねぇ、このクッキー食べたい」
ライモはアイラに呼ばれた。アイラが食べたいと言ったアイシングクッキーを買ってあげた。アイラは店の横のあいてるスペースで、バリバリとクッキーにかじりつく。大胆な買い食いする王女ってのはなかなか見れない貴重なものだね、とライモは笑ってしまう。
「次はあれ、あれ。アイスクリーム」
「スイカジュース!」
「からあげ!」
「たこやき!」
「イカ焼き!」
アイラは次々と屋台を巡り、食べまくった。
「あんまり急に食べると、お腹痛くなるよ」
ライモは注意した。
「だって、私は初めて街のごはん食べるんだよ。私はお城の中のごはんやおやつしか食べたことない。こうして屋台のものを食べるのが夢だったの。感動だわ、全部食べたい。次はベスーカステラ」
アイラの目は食欲でぎらついている。
「ちょっとぅ、ハンカチ行くよ、ハンカチ。これは今日買わないと意味ないの! 男子のライモはだめ、ここで待ってて」
リディアがアイラをハンカチ屋に連れていく。
すでにハンカチ屋は女の子の行列ができていた。
魔術師が刺繍したハンカチを王女の誕生日の日に買うと、好きな人と結ばれるというお守りだ。ライモはあまりこれを信じていない。魔術師による刺繍の技術は素晴らしいが、恋心なんてものは難しくて魔術でどうにもできない。魔術で人の心は操れないからだ。
「ぼったくりだよ。エルサはああいうの、信じないでしょ?」
エルサは屋台で買った肉串を食べている。
「信じないな。だが、いいんじゃないか、気持ちの問題だ。それよりライモ、デートプランは考えているのか」
「デートプラン…………ねぇ、エルサ。初めてなんだ、デート。だからいっぱい考えたよ、でも正解なんてないからさ、もうアイラの様子を見ながら、まあ、その…………いろいろ。夕方にサーカスに行くでしょ。それから夜は帰る……よ…………」
「キスはいつする?」
エルサの質問にライモはギョッとした。
「し、しないよ!」
ライモは顔を真っ赤にして答える。
「しろよ。初デートなのに」
「エルサだけは常識人だと思ったのに。宮廷道化師の僕が王女とはできないよ!」
「常識人ってなんのことやら、私にはさっぱりわからん。好きなようにすればいいだろう、常識なんかより」
「はっ、簡単に言っちゃうんだねぇ、さすがエルサは僕と違って成人してるもんねぇ、でも大人が未成年にキスしろとか言うのってどうなの、ねぇ、それって性的嫌がらせでは?」
ライモは真っ赤な顔でエルサに何か言い返そうと必死になるが、エルサは二本目の牛串を食うのに集中している。
「ハンカチ買えたよ。あ、エルサおいしそうなの食べてる。一口ちょーだい」
アイラがハンカチ屋から出てきて、エルサから牛串を渡されてかぶりつく。その唇を見て、ライモは背中を向けて頭を抱えた。
キス、の言葉が頭から離れてくれない。




