第九話 フェミニズム
真夜中、アイラは目を覚ます。枕の下から文庫本を出し、布団にもぐりこむ。布地の表紙を開くと、小さな光が飛び出してきた。
「名前を教えて」
光が明滅しながらささやきかけてくる。
「私はアイラ。女王のアイラ」
「よろしい。どこから聞く?」
「昨日のカレンの演説」
光が大きくなって文庫本に戻ると、白紙に女性の姿が浮き上がり動き出した。真っ赤な髪のカレンが深紅の唇で抑揚の強い演説を始める。まるでその場にいたように、アイラは彼女を体験できた。
「たとえ集会を禁じられようとも私たちは集まり熱い言葉を交わす。女たちよ政治について考えよう、私たちの願いが叶う政治を考え続けよう。女が参政権を持たずして民主主義は成り立たない」
その通り!
アイラは心の中で叫ぶ。
リディアがくれた魔術書は、場面を記録して再現する。
アイラは十四歳でフェミニズム協会の一員になった。最年少の侍女リディアが男女平等権利、女性参政権について教えてくれたのだ。フェミニズムの理念はアイラの中にすでにあった、私と同じ考えの人たちがいる! と歓喜した。
国民の女たちを鼓舞する意味でもアイラは手紙で「私は女王」と名乗った。
アイラはすっかり目が冴えてしまって、ベッドを出て机に向かう。ガラスペンでフェミニズム協会へ手紙を書く。
城の外に出られたら、どんなにいいだろう。男が優位な社会に立ち向かう女たちの熱い息吹を肌で感じたい。
少ししか眠れず、昼食後にうとうとしていると、警報のベルが鳴った。アイラは立ち上がり、監視塔を見る。七つの金のベルが、大きく揺れている。
「訓練警報、訓練警報。これより城内への侵入者捕獲の訓練を行う。繰り返す、訓練警報、訓練警報」
太い男の声が拡声器で反響した。メイドたちがやってきて、バルコニーの扉を閉めて重いカーテンをおろした。初夏の日光はさえぎられ、暗い部屋の中、アイラはメイドに囲まれた。
「アイラ王女、どうかお静かに。ソファーに座って終わるのを待ちましょう」
アリス・ガード夫人が厳しく言った。
「わかったわ。エルサを部屋の中に入れて。彼女は私の傍にいるべきよ」
アイラが言うと、ガード夫人がため息をついた。メイドがドアを開けてエルサを中に入れる。銀の甲冑が薄闇の中で光った。
褐色の肌にとび色の大きな瞳、スキンヘッドの長身の女騎士、エルサ。騎士団長の娘でアイラが特例として彼女を王女付の騎士に任命した。年頃なので着替えを男の騎士に見られたくないという理由を付けたが、本願は騎士団に女騎士が増えることだ。
エドワード王に謁見して、女ながら騎士団に入れてほしいと嘆願してきたエルサにアイラは心を動かされた。
国の治安を守るのに男だけではいけない、女の視点も必要だ。
アイラはソファーに腰掛けた。エルサが側に立つ。
「エルサ、今日の訓練内容は? もう私も十四歳、おとなしくしてる。ただ訓練の動きが知りたいの」
アイラは城内訓練の日常を打ちこわしてくれる雰囲気が好きで、いつもはしゃいではガード夫人に叱られた。去年はどさくさに紛れて城を出ようとして、こっぴどく叱られた。
「敵襲は三人、ライモ宮廷道化師が魔術による攻撃を行いながら逃走中。精鋭の少年騎士レイサンダーと魔術騎士の会のクイナが強盗役」
淡々とエルサが語る。
「この目で見たい。ただここに引きこもって助けてもらうのを待ってるなんて、つまらないわ」
「何をおっしゃっているのです、野蛮な訓練など王女が見るべきではありません」
ピシャリとガード夫人に言われて、アイラはむっつりと黙る。
「失礼します! 緊急事態です。これは訓練ではありません、不審者が城内を徘徊中! 早くアイラ王女を塔へ。繰り返します、これは訓練ではありません!」
侍女のリディアがドアを開けて、甲高い声で告げるとメイドたちが騒ぎ出した。
「アイラ王女、行きましょう。リディア、王女の後ろへ」
エルサがアイラを連れて歩き出す。リディアがうなずい、アイラの背を守る。公爵令嬢のリディアは華奢な少女だが格闘技を身につけており、王女の護衛も任されている。騎士たち忙しく走り回り、不審者の情報を伝達している。
「不審者は黒い影、黒いローブのみ確認、顔は見えない」
アイラは騎士が伝える情報を聞き取った。
「大丈夫、ライモがいる。それにレイサンダーとクイナは手練れだ。クイナの捕獲魔術ですぐに捕まる。あいつらは強い」
エルサがぶっきらぼうに言った。彼女は必要最低限のことしか言わない。
監視塔に行くと、父エドワードがハラハラとした様子で塔から城の様子を見ていた。
「一体、何者で何が目的なのかしら。今日、訓練があるのを知っている人物だとしたら内部犯か」
「アイラ、詮索はいい。大人しくしているんだよ」
エドワードに言われて、アイラはムッとした。
わかってるわよ、と呟く。
直後、目の前が真っ白になった。まるで雲の中にいるようだ、視界が白い。波がひくように徐々に白煙は消えた。
黒いローブが宙に浮いている。
「何者だ」
エルサがアイラの前に立ち、剣の鞘に手をかける。
監視塔のドアが開いて、騎士が入ってきた。青色のジャケットの少年騎士だ。栗色の長い髪を小さな青いリボンで結んだ、背の高い少年騎士はレイピアを黒いローブに向ける。
「王女、今のうちに逃げて! この黒いモヤモヤは私が倒す!」
少年が叫ぶと、黒いローブはゲラゲラと濁った声で笑う。
「オレサマを倒すとはいい度胸だ、クィアのレイサンダー。おめかし大好き努力大好きレイサンダー」
黒いローブが歌うような声で言う、
「私の力を知るがいい!えいっ!」
レイサンダーが黒いローブに突進するが、かわされた。
「レイサンダー、力任せとはエレガントではないな」
黒いローブが濁った笑い声をあげる。
レイサンダーのレイピアがヒュッと音を鳴らして黒いローブの裾を切り落とす、黒いローブが慌てたように動き回った。
白い影がレイサンダーと黒いローブの間に入ってきた。黒いローブはライモの姿に変わった。レイサンダーがレイピアを下ろす。
「このバカもの! 遊べとは言ってないぞ! 不審者が出たと嘘の情報まで流して!」
男が怒鳴り、ライモとレイサンダーを背中合わせにして、魔術で手のひらから出した縄で縛った。
一級魔術師のみ着ることを許される、2輪の白百合が交差した刺繍が背に入った、白いローブを身につけている、魔術師騎士のクイナだ。
「すみません、クイナ隊長。私は黒いローブがライモだと知らず、本気で戦っていました。まさか正体がライモだったなんて」
レイサンダーがめそめそと言う。
「ライモ、そうなのか?」
「知らないもん、だって僕ライモだもん」
上目遣いで言ったライモの頭をクイナ隊長がはたく。
「俺にそのぶりっ子は通用しないぞ、ライモ。レイサンダー、おまえが楽しんでいたのもわかってるからな。まったく、王女と王にここまで来ていただくことまでして」
クイナに叱られたライモとレイサンダーは、お互いを肘で小突きあっている。
「なんだ、びっくりした! ライモだったのね。少年騎士レイサンダーは勇敢に戦っていましたよ、クイナ隊長。まったく、ライモはいたずらっ子なんだから」
アイラは腹を抱えて笑った。エルサとリディアが同時にため息を吐いた。
「ほめられちゃった」
ライモが言うと、ぽっとレイサンダーの頬が赤くなる。
「調子に乗るな」
クイナがライモとレイサンダーの頭を同時に叩いた。
それを見てアイラはさらに大きく笑った。
「はっはは、そうだったか。いやいや、私たちもここに逃げる訓練ができてよかったよ」
エドワードも笑った。




