第八話 十四歳の生活
日々の変化を指先で、鼻先で、つま先で感じる。ライモは十四歳になった。常に服が窮屈な気がするし、増えていく心の奥のひだに翻弄される。
ただ毎日を精一杯生きたい。
「ライモ」
低い声が聞こえる。もうとっくに耳に馴染んで、もう怖くはない男の声だ。
「ライモ! 部屋で寝なさい」
怒鳴られて、ライモはもそもそと起きる。ジーモンの書斎で本を読んでいる途中に床で眠ってしまった。
「勉強熱心なのはいいが、夜はさっさと寝て朝早く起きろ。ここで寝ると風邪を引くぞ」
ジーモンはまったく変わらない。大人になって体の成長が安定すればジーモンのように厳しさを定着させられるのだろうか、とライモは考えながら起き上がり、あくびをした。
「待て。挨拶は?」
ジーモンに呼び止められ、ライモは片手をあげた。
おやすみなさい、と煙文字を浮かばせる。
「口で言いなさい。おまえはまたそうやって魔術に頼ってばかりで。本も散らかして、仕方のない奴だな。明日は騎士との訓練だろ、寝坊するなよ」
「はーい、おやすみなさい。鬼の宰相さま」
ライモは返事をして、ジーモンの小言を終わらせる。
ジーモンは宰相に出世した。
毎日毎日、あれやこれやとうるさいおじさんだ。
自室のベッドにもぐりこんで、まぶたを閉じる。
急に眠気がなくなった。ライモは早く寝ろというジーモンの言いつけを無視して起き上がり、机に向かう。
ライモは教師も驚くほどの速さで読み書きを習得して城内教室を卒業、現在は中層級世帯の子供が通う塾に通っている。ライモは塾では宮廷道化師という身分は隠し「マックス」と名乗った。ライモは十四歳で、二つの人格を使い分けている。
宮廷道化師のライモは「かわいい」ばかり言われる。
エドワード王にぴったりとつき従い話相手となり、メイドの掃除を魔術で手伝い、求められれば魔術による曲芸を披露して皆を喜ばせる。
アイラとは週に一度しか会えなくなった。年頃の男女が二人きりで話すことに、アリス・ガード夫人は反対なのだ。話す時間が少なくなったので、二人は長い手紙をやりとりするようになった。
アイラはすでに大学生までの学力を身につけており、時々彼女の手紙はライモには難しい哲学的な内容だった。ライモはアイラの博識についていけるよう、塾で猛烈に勉強している。
塾での人格マックスは、気さくな少年だ。もう十四歳の少年には照れくさい「かわいい道化師」を演じる必要がないので気が楽だ。夜道は危ないからとジーモンが迎えに来ようとするが、目立つのが嫌なので断り、友達と一緒に帰っている。
新しい自分になりたい、とライモは焦っている。
貴族の権力復興が国政の問題となっていた。独裁時代から国を立て直してきたのは貴族の財産と安定した統治があったからだ、無学な民衆の力だけで立て直すことはできなかったという貴族側の主張だ。
エドワード王は選挙制の衆議院と、世襲制の貴族院の格差をなくそうとしている。
貿易商の課税を増やすべきだと貴族院が国会で税制改正案を出すと、新聞を読んだ国民による反乱が起きて輸出が停止した。
宰相ジーモンがすぐに税制改正案を却下したが、国民の貴族院への不信が高まり、衆議院の活躍が求められている。
国が豊かになり社会が発展すれば、さまざまな問題と直面する。ライモはエドワード王の役に立ちたい、早く一人前の宮廷道化師になりたい。
ライモは何度も糸で綴じ直した古い本を開く。
「国民の税金で飯を食い脂肪ばかり体につけて、知恵はつかないたわけた脳みそ、貴族とは着飾った馬糞のようなものだ」
独裁王を批判した宮廷道化師のマリルの日記だ。
ライモは寝る前に口に出して読み、マリルを頭に叩き込んでいる。宮廷道化師の資料はこの一冊のみだ。
「おれさまは小さな小さなフォークに、リンゴの皮を突き刺して王に食わせてやったのじゃ」
ライモは母にろくに食べさせてもらえなかった。母が手ずからライモの口に入れてくれたのは、リンゴの皮だった。
「これがおまえが王として役目を果たした分だ。よかったな今日はリンゴの皮で。明日は木の枝かもしれん、口の中がリンゴのように真っ赤になるぞな」
ライモは小さな声で読み上げて、机に突っ伏した。
アイラの手紙が視界に入る。難しいつづりで、ライモは理解するのに辞書を何回も引かなければならなかった。大抵のことはジーモンに聞けばわかる。「歩く辞書」と呼ばれている人だから。——でも、アイラからの手紙は絶対の秘密にしておきたい。
早く大人になりたい。宮廷道化師としての役目を果たしたい。
アイラが手紙に書いた「女王になりたい」という野望を叶えてあげたい。
騎士団は国の治安を守る警察団と、城を守衛する王宮騎士団で構成され、軍備はしない。
城に犯罪者、不審者、強盗が入った際の対処確認の訓練が月に一度、行われる。
ライモは魔術師の盗賊役で訓練に参加することになった。
騎士団からくじ引きで選ばれたのは、見習いの少年騎士レイサンダーと、魔術騎クイナだ。
「マックス、じゃなかった。ライモ、私、緊張してきたわ」
レイサンダーが赤くなった顔を手で仰ぐ。レイサンダーは一つ年上の十五歳、王宮騎士団の試験で首位を獲得した。ライモと同じ塾に通っている。レイサンダーは女性の言葉遣いをするクィアだ。
「侵入者ってどうすればいいの? ああ、なぜ私がこんなことを。野蛮なことって苦手なのよ」
レイサンダーは十五歳とは思えない体格の良さだ。栗色の髪を背中に垂らして、前髪を一筋くるんと額でカールさせている。
レイサンダーが思う「エレガント」をその髪型で表現しているそうだ。エレガントな騎士道という美学は、塾からの帰り道でよく聞かされる。十五歳にして自分ならではの美学を持つのはすごいことだ。
「ぶつぶつうるさいなぁ。くじ引きに文句言うなよ。焦って暴れるなよ、レイサンダー。おまえに吹っ飛ばされたら僕の骨が折れちゃうよ」
「そうね、あんたって図太い神経のわりに軟弱だものね」
「おい、静かにしろ」
クイナに叱られて、ライモとレイサンダーは黙った。
東洋人のクイナは小柄で童顔だが、低い声には重みがある。
「背中は俺に任せておけばいい。ガキ二人で撹乱しろ。騎士団は今頃、おまえたちの予測できない動きを想定して楽しみにしているだろうからな」
そう言って笑ったクイナは少年のようだ。
城の最上階の監視塔から、鐘の音が聞こえてきた。
訓練、開始だ。
 




