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【ヒューマンドラマ】

最も強い力と揺蕩う正義

作者: 小雨川蛙
掲載日:2024/10/19

『「正義は勝つ」と弁護士は高らかに宣言した。』の続編となります。

事前にお読みいただけるとより楽しめるかと思います。

 

「被告人を無罪とする」

 その判決が下った途端、原告人であった夫婦は泣き崩れた。

 傍聴席がざわつき出すが、それを裁判長は「静粛に」のたった一言で静めてしまった。

 心苦しい沈黙の中で夫婦の泣き声が水がつたうように響く。

 誰もが何も言えない。

 そんな重苦しい空気はあっさりと消え去る。

「正義は勝つ」

 被告人の隣に立っていた美しい女性弁護士は夫婦に対してそう宣言した。

 それはあまりにも無慈悲に夫婦の身体を打つ、しなやかな鞭だった。

 事実、夫婦は痛みに喘ぐようにして言葉には聞こえない音を大声で口から発していた。

 しかし、そんなことを気にした様子もなく。

 いや、むしろ嘲笑うように被告人もまた立ち上がると夫婦に対して唾棄するようにして言った。

「気持ちは分かりますが、罪無き者に罪を擦り付けようとするのはこれっきりにしてください」

 その言葉はまるでこの場所の主であるかのように悪寒が走る程に響いていた。


「愉快だったな」

 車の後部座席で被告人だった男が笑う。

 その言葉を聞いた助手席に居た女性弁護士もまた笑って頷いた。

「ええ。本当に」

 語るまでもないかもしれないが男は大罪を犯していた。

 あの夫婦の子供を攫い惨殺したのだ。

 多くの証拠が存在したが、この弁護士の前では全てが無駄だった。

 それほどまでに彼女は優れた実力を持ち、さらには『裏技』にも精通していた。

 そして、彼女は自分が納得する金額さえ払えばそれらの力を躊躇なく行使する。

「あの夫妻はきっと生涯に渡ってあなたを恨み続けるでしょうね」

「あぁ。だが、私はこうして無罪放免。大手を振って生きていけるわけだ」

「仰る通りです」

 男は下品に大笑いをした後、女性弁護士に言った。

「しかし、君は本当に素晴らしいな。金さえ払えばどのような罪だってもみ消してくれる」

「ええ。それが仕事ですからね。それに……」

「それに?」

「お金はこの世で最も強い力ですからね」

 当たり前の事を言う彼女に対し、男はまた笑っていた。

 その通りだ。

 金さえあれば大抵のことは解決する。

 人を攫おうとも、人を殺そうとも、誰もが証拠を突きつけようとも。

 不意に。

 車が止まった。

「どうした?」

 尋ねる男を無視して運転手は車を降りる。

 悪意を心に秘める者は自分の危機に聡い。

 男は慌てて車のドアを開こうとしたが、どのような細工がされているのか押しても引いても開きはしなかった。

「おい! 何をした!?」

 そう叫んだ男に女弁護士は微笑む。

「正義は勝つのです。必ず」

 彼女はそう言うと同時にそのまま車外に出る。

 独り残された男は後部座席から乗り出して無理矢理外へ行こうとした途端、車内に催眠ガスが満ちて彼はそのまま眠りに落ちた。


 それから三日後。

 原告人であった夫婦は指定された場所へやってきた。

 すると、そこには椅子に完全に拘束されたあの男が猿轡をされて、二人を睨みつけていた。

 その周りには『様々なことに使える』あらゆる道具が転がっていた。

「お越しいただきありがとうございます」

 そう言って女性弁護士は二人の前へ姿を現した。

 そして、夫婦の前に幾つものアタッシュケースを置き、その中身を見させた。

 そう。

 彼女はこのお金を支払って夫婦に『あの男を殺すこと』を依頼したのだ。

 途方もない金額になる紙幣を見せられながらも夫は一切の動揺をせずに言った。

「お金はいらない。アイツを殺せるなら」

「ええ。ですが、私はお金を払ってでも見たいのです。あなた達がどのように彼を殺すのか」

 そう言った途端、妻が女性弁護士の顔を思い切り叩いた。

「アンタに感謝なんて絶対しない」

 叩かれた頬を擦りながら弁護士は言った。

「仕事に感情は持ち込むものではありませんよ。そのためにお金が存在しているのですから」

 最早、会話は無駄だ。

 そう思ったのか夫婦は走り出すやいなや道具を用いて男を襲った。


 最早弄ぶことの出来なくなった物体から夫婦がようやく離れる。

 彼らの表情は暗かった。

 晴々としたものは何もない。

 ただ、虚しいだけだった。

 疲れ切った表情で歩いてきた二人に女性弁護士は無言のまま一礼をする。

 どのような言葉をかけられば良いのか。

 彼女には分からなかったのだ。

 そんな弁護士に対して夫の方が言った。

「こんなこと言いたくないが、少しだけ気が晴れた。ありがとう」

 弁護士は無言で首を振ると再びアタッシュケースのお金を見せて告げた。

「こんなものなんていらないと思います。ですが、どうか受け取ってください。そして、好きに使ってください」

 夫婦は顔を見合わせた後、夫の方が乾いた笑いをしながら言った。

「これで私達も罪人か」

 それに寄り添うようにして妻は言った。

「別にいいけどね」

 そんな二人に対して弁護士は再び一礼して告げた。

「ご安心ください。私が必ずお二人を無罪に致します」

 腹立たしいほどにその言葉を夫婦は実感できた。

 事実、自分達は一度、彼女に煮え湯を飲まされているのだから。

「いくら払えばいい?」

 感情を一切受け取れない声に対して弁護士は答えた。

「私は既に報酬を受け取っております。悪は裁かれましたから」


 その後、夫婦はあっさりと無罪となった。

 まるで簡単なパズルを解いているかのように。

「どうか心安らかな日々を」

 そう告げて夫婦と別れた後、女性弁護士は恩師の墓に線香をあげていた。

 煙を見つめながら彼女はぽつりと呟いていた。

「正義は勝つ」

 それは、彼女の恩師が度々口にしていた言葉だった。

 その声は墓前であまりにも虚しく響く。

「先生」

 涙と共に彼女はぽつり、ぽつりと吐露した。

「正義とは。本当に悪に勝てるのでしょうか」

 自分の行動はいつだって後手であり、既に悪は為されている。

 そして、既に生まれた悪を摘み取ろうとも、巻き込まれてしまった者達の傷はもう二度と塞がらない。

「悪に勝てる正義など存在するのでしょうか」

 耐え切れないほど苦しい時、彼女はいつもこうして恩師の墓前で呟き続けるのだった。

 立ち直れるその時まで。

 やがて、彼女の涙は止まった。

 墓の下に眠る師に対して、彼女は力強く告げた。

「また、来ます」

 踵を返して歩き出した彼女の心を恩師の言葉が優しく包んでいた。

 悩みなど数えだせば切りがない。

 ならば、今までと同じく出来る事を繰り返せばよい。

 それこそ、恩師と同じように。

「正義は勝つ!」

 力強く声をあげ、彼女はまた正道を歩み出した。

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