後編
フェイ焼き屋さんから出た私たちはキャサリン様の領地邸に馬車で向かった。
花々が道脇に溢れていて、陽気のいい領民は馬車に乗るのがキャサリン様とわかると、みんな笑顔で手を振った。
堅牢という表現がばっちり似合う領地邸は、もはや要塞のようだった。
華美な雰囲気はゼロで門番の人のめっちゃ人懐っこい笑顔がなければ、戦争時代の灰色の要塞まさにそれ。
リンジー子爵はあいにく帰宅が夜になるとのことで、リンジー子爵夫人がキャサリン様そっくりの笑顔で迎えてくれた。
「ヴィオラ、と呼んでいいかしら?」
「もちろんです。キャサリン様」
各々、割り振られた部屋で一息ついていると、キャサリン様が紅茶を持ってやってきた。いくら自分の領地の家でも、メイドのようにお茶セットを乗っけてワゴンを押す子爵令嬢って。今は、キャサリン様のその気安い態度が心に沁みるけど。ほろり。
「びっくりしたねぇ。ルナ様の話もやけど、ヴィオラのお父様があないに・・・」
「ええ、まさか王都の言葉があんなに自然とぬるって口から出てくるとは思いませんでした」
「ほんま、小さい頃からあそこのフェイ焼き屋さんには通ってたけど、あんな喋り方できるなんてなぁ。ずっとカーンサーイ地方に住んでる人かとおもってたわ。ヴィオラもカーンサーイ語上手やなぁ」
「幼い頃に、両親とここに来たんですが・・・母がカーンサーイ地方出身の商家の娘で。言葉がカーンサーイ語に戻り、家でも学校でもカーンサーイ語が溢れると子どもは早いですからね。王都に暮らしている今でも、カーンサーイ語が近くにあると釣られますよ〜」
「そうなんや、気持ちわかるわぁ。独り言でつい出てしまうし。
私も王都では気が抜けへんくてなぁ、特に貴族の舞踏会は肩凝ってしゃぁない。それに婚約破棄未遂事件もあったし、みんな私のこと噂してるんちゃうかって心配なったりな」
「キャサリン様・・・」
「せやけど、ルナ様は全然普通でな。ほんまに普通に話しかけてきはるねん。ルナ様ほど方やん?今まで接点あらへんかったけど、あの事件以来、気軽に声かけてくれはってなぁ。ありがたいことやわ」
キャサリン様は天然バ・・・純情なトーマス様に婚約破棄と宣言され、なんやかんやあって未遂となった過去がある。そういえばルナ様も同じく婚約破棄を宣言されたことがあったな。
「ルナ様、隣国で王太子妃になるんですかね」
私の独り言に近いつぶやきに、キャサリン様は真剣な顔をして話してくれた。
数十年続く友好同盟を結ぶ隣国。
手っ取り早い友好の証は王族同士の婚姻だ。
戦後すぐに結ばれた両国の王弟と王女の婚姻の後、王族とはいかなくとも公爵間での婚姻があったくらいで、両国の婚姻による結びつきは細くなりつつある。
そんな中、ちょうど同時期に隣国の王太子の婚約者が病死し、我が国の国王の従姪であるルナ様が婚約破棄したものだから話がまとまってしまった。らしい。
婚約者の病死も婚約破棄も、なんかしんどいやつやな。これは隣国の王太子様もルナ様も大変だ。
「それに、ここだけの話。両国王族との婚姻を積極的に行おうと思っていても、こないに急に話をまとめるのはおかしいわ。多分、そうせなあかん理由があるんやろうな」
「と、言いますと?」
「両国どちらか、あるいは両国でキナ臭い動きがある・・・戦争に持ち込みたい人間がいるんや。そのためのルナ様は『架け橋』と」
思いの外、真剣な話だった。
私、ただのバイオリニストなんですけど。
「ヴィオラは元は隣国の子爵令嬢なのよね」
「ほんの小さい頃の話ですが・・・」
「多分、ルナ様は隣国出身で自国をよく知る側近がほしいのね。隣国の言葉はもちろん習慣などルナ様は習得されているだろうけど、小さな誤差があるやろうし、そうなった時に助けてくれる人が必要なんやと私は思うわ」
そんなん・・・、ただのバイオリニストにできへん。側近て、そんなん・・・無理や。
「私かて手伝ってええ言うなら、なんでもする。もう一回、考えてみて」
黙る私の肩をぽん、と手を置いてキャサリン様は笑顔を向けられた。私は何も返事ができなかった。
夜になり、これまたリンジー子爵は部屋だけでなく晩餐の席まで私に用意してくださった。いいのかこれで。一介のバイオリニストに。
ズラッと並ぶカトラリーに慄くも、いざ使い出すと体が覚えていた。自分でもほんまに?となるもポーカーなフェイスで乗り切る。
美味しく食事が終わり、湯浴みを終えると寝巻きのまま待つようメイドに言われた。
程なくしてキャサリンとルナ様がこれまた寝巻きで登場。
しかも、枕持参。
マイ!まくら!持参!
驚いている私はそのまま放置され、メイドたちがわらわら軽食やお茶をワゴンに乗せて用意してくれた。
あ、これがジョシカイかぁ。
なんてこった。
次々と魅惑的なスイーツ様たちが並んでる〜。
「さあ、ジョシカイを始めましょう」
「ルナ様、カーンサーイ地方へようこそ。ヴィオラ、おかえりなさい」
「あ・・・ありがとうございます」
そして、お行儀的にどうなんだと貴族令嬢なら眉を顰めない、なんとベッドの上で三人座ってグラスを掲げて乾杯してしまった。
えええええ、ええんかこれで!
内心は冷や汗だばだばですわ。
もちろん顔には出しませんよ。
できますよ、私、バイオリニストですから。
ルナ様とキャサリン様はグラスに入った、冷たいハーブティーについて話している。
私はチビチビと甘くしたハーブティーを飲みながら、ぼんやり耳を傾けて会話に適度に入りながらいた。
しばらく、軽食をつまみながら会話を楽しんでいると、キャサリン様が満面の笑顔で言った。
「せや!ホットミルク淹れてきますわ。はちみつ入れてほっこりしましょ」
にこにこにこ。
キャサリン様は笑顔でいそいそと部屋を出ていった。
と、なると。
「「・・・・・・・・・」」
ルナ様と私二人きりになるのよね。
ベタに謀りましたなキャサリン様。
「・・・ごめんなさい」
「ルナ様?」
「急に話を、隣国について来てなんて・・・」
「・・・そうですね。なんだかルナ様らしくない急な話の運び方だなって思いました」
ルナ様は俯いて、こくんと頷いた。
「そうね、私らしくないわね。もしかしたら・・・隣国に嫁ぐことが、王太子妃になるのが、」
「怖いですか?」
ルナ様の声を遮った。
不敬だし無礼だし、やっちゃいけないことだけど。なんだろう、ルナ様の口から言ってほしくない気がした。
「・・・そうね。でもそれ以上に・・・さび」
「淋しいのですか?じゃあお気に入りのぬいぐるみでも持って行ったらいいじゃないですか」
「そうじゃない。私は・・・あなたが側にいて、問題も喜びも共に分かち合いたい」
「私より王太子様の側にいて、問題も喜びも分かち合ってくださいよ」
「・・・なによ、いつもみたいにアワアワしてよ。いつもみたいに顔と心の中と同じ事言ってよ」
「私、みんなからは顔に出にくいって言われます」
「そんなことないわ!すごく表情に出るわ」
「多分それ、ルナ様だからわかるんと思いますよ」
気がついたらキャサリン様がワゴンを押して部屋にいた。ワゴンの上に乗っているのは、ティーカップに温めたミルクと蜂蜜の小瓶。
「ヴィオラはルナ様がおっしゃるほど表情が騒がしくありません。どちらかというと大人しい方です。せやけど、今回の旅でお二人を見ておりましたが、なんだか姉妹みたいにじゃれあってるなぁと微笑ましく感じました」
キャサリン様は丁寧な手つきでミルクに蜂蜜を垂らして私たちに手渡した。
「なあ、ヴィオラ。ルナ様が一緒に隣国まで行ってほしいねんて。ヴィオラと一緒やないとあかんねんて。ヴィオラはどうなん?」
「私は・・・、だってただのバイオリニストですよ?ルナ様の役になんて立ちません。ましてや王太子妃になられる方の側で何をしたらいいんですか。バイオリン弾けばいいんですか?」
「まあ、それもええな。和むし」
「そんなん!一緒に行くんやったら、私かてルナ様のお役に立ちたいのに、バイオリンしか弾くことができないんですよ?それに、小さい頃、バイオリンを続けさせてもらうために一生懸命父や母に支えてもろたんです。私がしっかりせな・・・」
「今度はヴィオラがルナ様の側におって支えたらええやん。バイオリンもやけど、ルナ様はあんたが必要なんや!見てみい、今のルナ様の顔を。いつも社交界でみる名門伯爵家の令嬢か?国王陛下の従姪か?」
キャサリン様に言われて私はのろのろとルナ様に顔を向けた。
・・・私はあほや。
さっきから俯いてたからわからへんかった。
ルナ様は迷子の子どもみたいな不安な顔をしてはった。
あんな、人をおちょくったり可愛い顔したりするルナ様が。
そんな顔にさせたんは私や。
バイオリンかルナ様かって、なにを傲慢なことを思ってたんや。
ほんまは心の底でわかってたのに。
一緒に来てほしいって言われて嬉しかった。
せやけど、自分が一介のバイオリニストで隣国で何の役に立てるかわからへんからって尻込みしてた。
「・・・ルナ様、すみませんでした。私、本当はルナ様のお役に立ちたいんです」
「うん。私もごめんなさい。いきなりご両親の前で話して。ああしないと、あなたが逃げてしまうのではないかと外堀を埋めたいと、と思ってしまったの。どうしてもあなたと一緒に行きたかったから。ごめんなさい」
「ルナ様・・・」
「ちゃんとあなたにお願いしなきゃね。私と一緒に隣国まで着いてきてくれるかしら?」
いつのまにか私たちは手を取り合っていた。
ルナ様の細い手は白くて小さくて。
私、ルナ様を守りたいな。
そう思っていたら、自然と言葉が出た。
「ルナ様、お供します」
「『よろしゅう頼んまっせ』」
発音ばっちりなカーンサーイ語が返ってきた。
そして、よく晴れた日。
私は楽団に辞表を出した。
オーナーはルナ様の侍女になることを喜んでくれたけど、ちょっと眉を下げて私の楽団での活躍を惜しんでくれた。
第一バイオリンのバルトさんは舌打ちしてた。やさぐれたジジィだなと思っていたら、「頑張れよ」と小さな声で言ってくれた。
大切なバイオリンは私と共にある。
どこでだってバイオリンは弾ける。
私自身でルナ様をお守りして支えて差し上げるのだ。
数年後、王太子妃となられたルナ様の側に控えていたら、やっぱりまた婚約破棄宣言事件に出くわした。うん、隣国でも流行ってんのかな。ほんと。
おしまい
ヴィオラはキャサリン様と文通する仲間になりました。