幸せになってほしい話
深く考えず気軽に楽しんでいただければ幸いです。
「貴女が編入生かしら?」
昼休み。食堂に行くか購買部で買うかで悩んでいたシェリーに声をかけてきたのは、上品さが溢れ出ている女生徒だった。
間違いなく高位貴族だろう相手に緊張しながら、頭を下げる。
「はい。シェリーと申します」
「そう。わたくしはコンスタンス・アンバーよ。貴女とお話がしたいの、本日のお昼の時間はわたくしにいただけないかしら?」
「……はい。光栄です」
――これが、シェリーとコニー(コンスタンス)の出会いである。
シェリーは根っからの庶民だった。
王都の端、住居が密集した地域で生まれ育ったシェリーだが、十五歳で王国立の学園に編入することになった。きっかけはシェリーの兄である。
両親が事故で亡くなったシェリーは九歳違いの兄に育てられてきたのだが、この兄の父親が伯爵家の人間だったことが発覚した。シェリーが十二歳の時だ。
丁度その伯爵家で跡取りがおらず混乱していた時だったらしく、伯父と名乗る伯爵が兄を引き取りたいと申し出てきた。兄は最初嫌がったが、シェリーに衣食住の保障と教育を施すことを条件に了承したのである。
なお、シェリーと兄は異父兄妹である。つまりシェリーには貴族の血など欠片も入っていない。
初めは大変戸惑ったし、不安でもあったが、兄の「お前は貴族にならなくていい。将来の武器として学ぶだけ学んどけ」という言葉でいくらか安心した。重そうなドレスを着て扇子を持ってオホホホと笑うシェリーなど想像しただけで気味悪い。
こうしてシェリーは伯爵家の後ろ盾がある、ただの庶民となった。
それから三年、伯爵家で家庭教師をつけてもらい学んでいたのだが、「この子なら学園に入れます」と教師からお墨付きをもらった。
好成績で卒業できれば、庶民出身でも官吏になれる可能性があるし、民間の商会でも雇われやすくなる。また学園の生徒は貴族の子女が圧倒的に多いが、優秀なら商人の子なども通っているので、それほど目立つこともないだろうと言われた。
いつまでも兄の脛をかじっているつもりは無かったので、シェリーは編入試験を受けることにした。……兄は「脛どころかまるっと飲み込んでも構わねぇけど」などと言って奥さんに怒られていたが。兄も多少貴族らしくなったが、シスコンは三年では治らなかった。
そして、見事編入試験を合格したのである。
まぁそれでも庶民の編入は珍しかったので、やはり編入初日から数日は浮いた。商人だったらまだ商いの話を振れたかもしれないが、シェリーは伯爵家の居候である。周囲もシェリーもお互い距離感を掴み損ねていた。
そこに、コニーが話しかけてきた。
アンバーというと侯爵家だったはず。別クラスの彼女がどうしてシェリーを誘ったのか。
「ウィンストン伯爵には、わたくしも何度かお会いしたわ。その家からの編入生、しかも大変優秀な成績だったという話をきいて、お話してみたくなったの」
食事をしながら、コニーは理由を話した。
なお、コニーはそれはもう見とれるほどに優雅に食べている。なるほど、マナーの完成形はこれかとシェリーは納得した。「慣れるまでは一回一回ちゃんと飲み込んで食器を置いてから話すようにしなさい」と行儀作法の先生は言っていたが。
シェリーは付け焼刃の作法、そしてつたない話しか出来なかったが、コニーは好意的に受け取ってくれたらしい。
「わたくしたち、お友達になれそうね? ああ、わたくしのことはコニーと呼んでちょうだい」
昼休みの最後に、柔らかにそう言ってくれた。
アンバー侯爵令嬢に認められたというのはその日のうちに周囲に伝わり、同じクラスの生徒たちがその後少しずつ話しかけてくれるようになった。そのうちの数人とはちゃんと友人になれた。
もしかしたら、コニーはこれを狙って声をかけてくれたのかもしれないな、とシェリーは思った。
コニーと友人になり、しばらくすると彼女の立場もなんとなくわかってきた。
侯爵令嬢として全く瑕の無い完璧なコニーだが、彼女に影を落とす唯一にして最大の問題が存在した。
それが王弟アルバート――コニーの婚約者である。
このアルバート、王の歳の離れた弟で現在学生なのだが、素行が大変悪かった。女性関係、そのただ一点が。
コニーという婚約者がいるにも関わらず、毎日女性を侍らしているのだ。しかも短期間で相手が変わる。休日になると誰かしらとデートで出かけているらしい。
「アルバート様曰く、『真実の愛』を探しているそうよ」
図書館の個別自習室でシェリーと二人で勉強しながら、彼女は肩をすくめて言った。
最近はクラスこそ違うが一緒に宿題をし、共通科目についてはコニーが教えてくれるようになった。至れり尽くせりである。他の生徒からのやっかみがあるのではとシェリーは警戒していたが、そこの管理もコニーが完璧に行ってくれたらしい。
こっそり存在するコンスタンス嬢ファンクラブに入会しようか本気で悩み始めたシェリーである。
……いや今はアルバートの話だ。
「なんですかそれ、新手の宗教ですか」
「ふふ、それならまだ良かったわね、神殿に言えば止めてくれるもの。……陛下のお兄様が廃太子になったことはご存じ?」
「聞いたことはあります」
「他国からのハニートラップに引っかかった結果なのだけど。どうもその話をアルバート様が妙な受け取り方をしたらしくて」
『兄上は運命の人を間違えたからそのようなことになったんだ! 僕は必ず運命の人を、真実の愛を見つけてみせる!』と言ったそうだ。
周囲はおかしなことをする前にと慌てて婚約を纏めた。幸か不幸か、アンバー家はコニーの兄が病弱でコニーに婿を取るかどうか悩んでいた時だった。アンバー侯爵家に婿入りし、次期侯爵となることがが決まれば現実を見れるようになるだろうと思った訳である。
結局、勉学は励むようになったが真実の愛探しを諦めることもなかった。
「もう周囲は結婚前の火遊びだと大目に見ているわ」
「嘘でしょう……私貴族じゃなくて本当に良かった……」
「そう?」
「庶民なら、結婚の約束までしているのに女とっかえひっかえなんかしてたら殴られますよ」
少なくとも、シェリーの結婚相手がそんな男だった場合、兄が黙っているはずがない。とりあえず顔を変形するまで殴りそうである。
「けどやっぱりコニー様も怒ったほうがいいですよ!」
「……けれど、家が決めた婚約ですし」
今更話したところで、と顔を曇らせる。
しかしシェリーも引きたくなかった。何しろコニーは友達なのだ。身分に天地の差はあれど。
コニーには幸せになって欲しい。
「家が決めたからっていうのと、コニー様が我慢するのは違うと思います。殿下が許されるならコニー様だって美丈夫に侍られる権利があります!」
「いえわたくし特に男性を侍らせたい訳では」
「もちろんコニー様がそんなことをするはずないですけど! そのくらいのことされてるんですよ? アルバート殿下ってそれが許されるくらい良い殿方なんですか? コニー様も殿下が好きだから許してしまうんです?」
先ほど聞いた限りでは、アルバートのことを好きという訳でもないようなのだ。家が決めたから。ただその一点で婚約しているにすぎない。
実際、シェリーの問いかけにコニーは少し困った顔をした。
「悪い方ではないのよ。人に優しい方で、頭も良いの。……ただ、女性を片端から口説くだけで」
「好きなんですか?」
「……正直に言うと、わからないわ。手紙も贈り物も下さるけれど、ちゃんとお話ししたのは数えるほどなの」
アルバートは婚約者に最低限の対応しかしていないらしい。
「それって、要するに『どうでもいい』ってことでは? そんな相手から理不尽にそんな扱い受けたら腹立ちません?」
「腹立つ……」
「一回ドンと言ってやりましょうよコニー様! 結婚は絶対だというならなおさらです! むしろコニー様を真実の愛にする甲斐性は無いのかと言いたいです私は」
「甲斐性」
コニーが戸惑っている。
感情を理由にはなかなか動きづらいのだろうか。やはり貴族は面倒だなと思うシェリーだった。
――それならば立場的な理由から背中を押すのはどうだろうと思い至る。
「それに結婚前から浮気しまくる侯爵なんて威厳も何もないと思うんですけど、大丈夫なんです?」
アンバー侯爵の名が地に落ちそう、と言うと。
「……そうね。もう一度お父様に相談してみるわ」
そう言って微笑むコニーはやはり美しかった。
シェリーは内心勝利のポーズをした。
******
「――いらっしゃいませんね」
「何をしているのでしょうか……」
数週間経ち、昼休みの食堂である。
コニーがアルバートの様子を手紙にて事細かに報告すると、同じ王都に居たらしい父親からすぐ返事があった。
――あまりにも酷いのでアンバー家として抗議をしろ、と。
どうも王宮側から侯爵家に来ていた報告が、現実の数分の一くらいにぼかされたものだったらしい。浮気をしているのは聞いていたが、数日ごとに相手が変わるなどとは知らなかった。しかも学園内だけでなく、外でも未亡人やらに手を出していると発覚した。
父親からも抗議をするが、学園にいるアルバートにはコニーから一度話すように、ついでに今までの鬱憤も晴らしとけ。簡潔に言えばそのような内容だったそうだ。
「お父様より、母方のおじい様がよっぽどお怒りだそうよ。お母様はラピスラズリ侯爵家の生まれなのですけど、ラピスラズリは清廉潔白で有名な家だから……」
母親がコニーからの手紙を見て、ついうっかり実家にも連絡した。ラピスラズリ侯爵の末娘だった母親は溺愛されており、その可愛い孫娘を虚仮にされたと怒り心頭だそうだ。
アルバートが貴族の基準でなくて良かったとシェリーは思う。
さて、では早速アルバートと話し合いをと思ったのだが、これがなかなか捕まらない。遊び歩いているため、学園で会うことが皆無だった。
仕方なしに従者に言付けを頼み、本日の昼休みに食堂で会うようセッティングしたのだが、シェリーたちの食事が終わってもまだ来ないのだ。
「これは……もう書面で最後通告を出すしかないのかしら……」
「殿下が約束を反故になさったのですから、構わないのでは?」
「そうね……せめてお顔を拝見して、と思ったのだけれど、仕方ないわね」
そしてコニーはシェリーを見、くすりと笑った。
「コニー様?」
「いえ、こうなったのもシェリーのお陰だと思って。本当にありがとう」
「私は何も」
「いいえ、わたくしの背中を押してくれたのは貴女よ、シェリー。貴女が代わりに怒ってくれなければ、わたくしずっと黙って我慢してたもの。――わたくし、『家が決めたから仕方が無い』だなんて言っていたけれど、本当は辛かったみたい」
シェリーはつい感極まってしまい、コニーの手を握りしめた。
こんな時でもコニーは優雅で、美しい。
「コニー様。私、コニー様が幸せになるよう祈ってますから。我慢しちゃだめですよ!」
「……ふふ、そうね。我慢しちゃだめね」
実に美しい友情で周囲もホンワカしていると、急に食堂が騒がしくなった。
「コニー!」
見ると入口から颯爽とこちらに向かって歩いてくる男がいた。
甘いマスク、優雅な歩き。――アルバート王弟殿下である。
大変美男子なのだが、シェリーには胡散臭い男にしか見えない。何しろ前情報が最悪である。
「すまないな! こんな時間になってしまった。しかしまだ昼休み中だから大目に見て欲しい!」
確かにまだ昼休みである。……もう残り十五分ほどしかなく、生徒たちの移動が始まっているのだが。
「なにかございましたの、殿下」
「具合の悪い女生徒を保健室に連れていき、そのまま少し話し込んでしまってな。僕の運命かもしれないから邪険にも出来なかったんだ」
……なんだこの男。
シェリーのアルバートへの評価がだだ下がり中である。元からマイナスだが更に下があった。
具合が悪い人を助ける。これはいい。だがその具合の悪い人間と喋る必要があるのか? 相手の為にもお大事にと言ってすぐに去るべきではないのか? 下心満々か?
「――女性にお優しい殿下は素晴らしいと思いますが、とりあえずわたくしの話を始めてよろしいでしょうか」
「うむ、構わん。どうした、何かあったのか」
コニーはスルーすることにしたらしい。確かに時間もないし。
まずアンバー侯爵からの手紙について説明しようとした時――アルバートの従者が駆け寄ってきた。
「も、申し訳ございませんアンバー侯爵令嬢。殿下に至急のご報告がありまして」
「……構いませんよ」
「殿下、こちらへ」
「なんだ? 急ぎなのだろう、ここで言うがいい。コニーの話も聞かなければならないからな」
チラチラとコニーを見る従者だが、アルバートの再度の促しがあり、意を決した顔をした。そして。
「殿下……キャロル子爵元夫人が、殿下の御子を身籠った、と」
従者はなるべく小さな声が言ったようだが、人数がだいぶ減っていた食堂によく響いた。
一瞬で辺りが静まり返る。
「――は?」
「詳細は不明ですが、どうも王宮に報告があったようで」
ここで慌てるか呆然とするならまだ可愛いのだが、アルバートは二、三度瞬きをした後、そっと聞き返した。
「それはつまり……元夫人が、僕の運命の人ということか?」
プツン、と。
シェリーは何かが切れる音を聴いた気がした。友人のほうから。
「―――――どういうことですの」
静かな食堂に、酷く冷たい声が響いた。
「コニー、黙っていてくれ。僕の運命の人が、」
「貴方の運命はどちらかと言うとわたくしが握っていると思うのですけれど? 将来アンバー侯爵家に婿入り予定のはずの、アルバート王弟殿下?」
誰かが小さく悲鳴を上げた。シェリーだって本当は叫んで逃げたい。
「ただでさえ婚約者が居ながらあちこちの女性を口説き、はしたなく寄り添った姿を周囲に晒して――挙句に未亡人との間に赤子? どれだけわたくしを侮辱すれば気がすむのかしら?」
コニーが地獄の底から出たのかというほどの恐ろしい声で、淡々と尋ねる。
ようやくここが危険地帯に変貌していることに気付いたのか、アルバートが慌てて両手を振る。
「いやだな、コニー! 間違いなく婚約者は君さ! 僕はアンバー侯爵になり、君と結婚する予定だとも! ただ、なんだ、真実の愛はやはり必要だろう?」
しかし、自ら猛獣の口に飛び込んでいったようにしか思えないことを言った。
コニーは口角を上げた。――微笑んだ、ではない。口角を上げたのである。
「わたくしも勘違いしておりましたわ。真実の愛、素敵ですこと。殿下がそれに執心されるなら、わたくし、もっと早く殿下を解放するべきでしたのね」
「か、解放?」
「わたくし、ひいてはアンバー侯爵家を侮辱し、愚弄するようなお方を婿入りさせる訳には参りませんわ。父にはしっかり報告させていただき、しかるべき順序で婚約を解消させていただきますわ」
「な……! 僕が婿入りしなかったらアンバー侯爵は誰がなると言うんだ!?」
「貴方より相応しい殿方はたくさんいますのでご心配なく。なんでしたら兄が継いでもいいのですし」
「兄!? 彼は病弱だろう!」
「随分昔の話をされますのね。 最近の兄はすこぶる元気ですわ」
本当にアンバー家に興味が無かったのですね、と言われてアルバートは顔を青くする。
「そ、そうだ! 生まれてくる子が男子だったらアンバーの養子にするのはどうだろう! 僕の子だからアンバー家の跡継ぎに相応しいだろう?」
正々堂々とお家乗っ取りにも取れる言葉が放たれ、とうとう何人か逃げ出した。逃げ出すついでに実家に連絡するのかもしれない。
バギリ、とコニーが持っていた扇子が折れ、アルバートが口を閉じた。
確かあの扇子には、鉄棒が混じっていると言っていたはずだ。あの細腕で、というか片手で握り潰せるようなものではない。
うわぁい、コニー様が覚醒した。などと現実逃避しそうな意識を必死に繋ぎ止め、シェリーはようやく【身体強化魔法】の単語を思い出した。確か貴族が偶に使えるようになるものだ。任意で発動出来ないらしいが。
「どこがどう相応しいのか全くわかりませんわ……貴方のような男はアンバー家に必要ないと言っておりますのよこの……すっとこどっこい!」
最後に叫ばれた言葉に、アルバートもシェリーも目が点になった。
「コ、コニー……?」
「貴方に愛称など呼ばれたくありません! 唐変木! 甲斐性なし!」
シェリーの現在のマナーや作法は間違いなくコニーの影響により向上している。
……そしてどうも、コニーもシェリーの影響を受けていたらしい。普通のご令嬢ならありえない、庶民の悪口をいつの間にかマスターしていた。
アンバー家の皆様本当にごめんなさい……シェリーが遠い目をしている間も、コニーはアルバートに散々な言葉を放っており、騒ぎを聞きつけた教師たちが止めに入るまで続いた。
結論から言おう。
王弟アルバートとアンバー侯爵令嬢コンスタンスの婚約は解消された。
ラピスラズリ侯爵(祖父)と夫人(祖母)が王城にお話しという名の殴り込みに行ったらしい。ちなみに情報収集を怠り後手に回ってしまったアンバー侯爵は義父母の熱烈なお叱りを受けて屋敷で放心していたそうだ。
最終的に王家側の責任で婚約解消、違約金をたんまりともらうことになった。
「お金はともかく、王家はラピスラズリ家とアンバー家に大きな借りが出来てしまって大変でしょうね。以前の婚約破棄でフローライト家も敵に回してしまっているのだから」
アルバートから解放されたコニーはいつにも増して明るく、美しい。これはすぐに新しい縁談が舞い込むだろうなとシェリーは確信した。
「そうかしら? 侯爵を継ぐのは兄かもしれないという噂もしっかり流れているから、案外二の足を踏んでいるかもしれないわよ」
「コニー様を妻にできるのに二の足踏むって……やっぱり貴族ってわかりません」
まぁだいぶシェリーの貴族観も変わったが。例えば貴族女性も扇子を折るとか、想像以上に貴族男子は俗っぽいとか。
この先シェリーがどこに就職するとしても、役に立つはずだ。
「ところで、シェリー。貴女、わたくしの兄と結婚してみない?」
社交はわたくしがするから大丈夫よ、などと言われてシェリーは紅茶を噴き出した。
コニーは、やはり優雅に微笑んでいた。