天使の一服
※細かい事は考えず、雰囲気でお読み下さい。
マンションの屋上にある給水タンクの上で、いつものように腰を降ろして羽休め。
私がこんなに気怠い気分だってのに空は憎たらしい程の快晴だ。
「ったく、ダルいったらないわ」
悪態を吐いて煙草に火を着ける。
ライターオイルが少ないのか、何度もカチカチさせられて余計にウンザリしてしまった。
毎日毎日、代わり映えが無くてほんと嫌になっちゃう。
強風が白いワンピースを激しくはためかせたが、どうせ誰も見てないし……とフワフワの癖毛を押さえるだけに留めた。
……そろそろかな。
「スカート、気を付けなよ」
はい来た、真面目。
背後から声を掛けられた私はいかにも面倒臭そうに振り返った。
「いつもの事でしょ。それにどうせ誰も見ないって」
「オ、オレが見ちゃうよ……!」
「いや見んなよ」
舌打ちして睨み上げれば、これでもかという程眉を下げた三白眼のヒョロ男と目が合った。
ご丁寧に「女の子が舌打ちするもんじゃないよ」というお小言付きだ。
いちいち良い子ぶんなよ、この悪魔め。
「うっせ。今は休憩中だから良ーの」
「そ、そう……なの? あ、ねぇねぇ、天使ちゃんは今日、何件回った? オレはね、もう六十件回ったよ!」
凄いだろと尖った八重歯を見せて笑う、いわば商売敵とも言えるこの男にわざと煙を吹き掛けてやる。
こいつの「悪魔の囁き」なんて、どうせ大した事ない内容だ。
せいぜい「ダイエット中だけどケーキ食べちゃおうかな」的な奥様の悩みに「明日から運動頑張れば良いじゃん」と囁く程度だろう。
私達が担当している区域の治安がさほど悪くないのが良い証拠だ。
「げほっ、エチケット違反だよ」
「自慢気なのがムカついたのでつい魔が差した」
「魔が……っ!? 天使なのに!?」
咳き込みながらも「体に良くないよ」と携帯灰皿を差し出すこいつは本物の馬鹿だ。
自分は嫌煙家の癖にわざわざこんな物を持ち歩くなんて、わざとじゃないなら悪魔じゃなくて小悪魔だろう。
「怒るって事は、進捗宜しくない感じ?」
「……別に、普通。祝福三件、囁き五十件ってトコ」
「へぇ、今日は三人も産まれたんだ。めでたいねぇ。このまま少子化問題が無くなれば良いのにな」
何寝惚けた事を言ってんだか。
その無駄にでかい蝙蝠のような翼、引きちぎってやろうかしら。
「どうせ『天使の祝福』なんて授けた所で、どう育つかはその子と環境次第だし、私達のやる事に意味なんてあるのかしらね」
グリグリと煙草を揉み消して携帯灰皿に入れてやれば、鋭い瞳が驚いたように見開かれた。
「そんな事言ったらオレの囁きだって、意志が強い人相手なら意味ないし……仕方ないじゃないか。オレ達は与えられた仕事をこなすだけだよ」
仕事は仕事と割り切っているらしい。
少し意外だけど、今の私には神経を逆撫でする言葉でしかない。
「はぁ……私この仕事向いてないわ」
「え、内勤希望なの!?」
「いや、天使自体が」
ついに言ってしまった──
気まずく頭を掻きむしっていると、フッと頭上にかかる影が動いた。
私の許可もなく勝手に隣に腰を下ろすこの男の思考が読めない。
「近いウザいでかい邪魔寄んな」
「天使ちゃんは悪口製造機なの?」
僅かに触れた羽が汚れる気がして、目一杯羽を小さくたたむ。
むくれる私の表情に気付かない鈍感野郎は、何故かせわしなく視線をさ迷わせている。
何なの。
「えと、仕事出来るし、オレは天使ちゃん、凄いと思うよ」
「あんたが仕事出来な過ぎなんじゃない?」
「う……」
尖った耳が徐々に下がっていく。
何でこんなヘタレが悪魔やってんだか。
「……あんたもさぁ。ぶっちゃけ悪魔向いてないよね」
「天使ちゃん、ハッキリ言うね」
本人は「毎日の囁きノルマは達成してる」と言い張っているが、そのノルマが甘々設定なのは部外者の私でも察せる事実だ。
悪魔のくせにホワイト職場とかマジないわ。
こんなヘタレ、パワハラでもしてさっさと辞めさせちゃえば良いのに。
「あんたの場合、天使の方が向いてたかもね」
つい零れた小さな言葉。
幸か不幸か、本音とは思われなかったらしい。
「え~、今更無理だよー。天使から悪魔に転職は割りと歓迎されるけどさ。悪魔から天使は嫌がられるでしょ、普通」
「まぁね。給湯室で陰口コース待ったなしだわ」
「嫌だよ、怖いなぁ」
オレはあくまでコツコツ頑張るんだ、というクソ寒い発言はスルーして空を仰ぐ。
毎日、毎日、毎日。
同じ仕事を繰り返しては、実のない話の繰り返し。
こんなにやる気が無いのに、ルーティーンイコール仕事だなんて笑えない。
どうせ私達がノルマをこなせなくても、人は悩み、苦しんだあげく、勝手に答えを出すのに。
わざわざ私達が導いてやる必要なんてないのに。
ほんと、世界の仕組みって無駄が多くて嫌になる。
「毎日毎日、堂々巡りね」
「? 何が?」
「別に。……もう行くわ」
バサッと両翼を広げて立ち上がる。
スカートがひるがえったからか、隣の鈍男も慌てたように立ち上がった。
「あ、じゃあオレも行くよ。電線に気を付けてね。あとカラスも。天使ちゃん、髪がキラキラしてるから。それと、七丁目の奥田さんがコンビニ強盗しようか思い詰めてるから行ってあげてね」
「うるっさい! 悪魔が犯罪を未然に防ごうとすんな!」
怒鳴るだけ怒鳴ってバササッと飛び立つ。
これもいつもと同じだ。
背後で奴が飛び立つ音が聞こえて少し寂しく感じるのも、いつもの事。
昨日も一昨日もその前も、なんなら数年前からこうなのだ。
「……ほんと、堂々巡り」
試しに明日、あいつに愛でも囁いてみようか──
そんな事で何かが変わるとは思えないが、赤くなって焦るあいつを想像したら少しだけ、ほんの少しだけ頑張る気になれた。
さて、七丁目の奥田さん家に行くとするか。
(わざわざ携帯灰皿持ち歩くのはキミの為)
(仕事クビになったら、あんたの事拾ってやるのに)
何だかんだ言って、きっとこの二人はこの先もずっと転職はしない気がします。
……天使の内勤って何だ。