第5話 急カーブ
翔太「きっ、君も今朝の件で躍起が回ってるんだ。い、今ならまだ大丈夫。水に流せる。ちゃんとした要望をお聞かせ願えないか」
春香のあまりの変化球に流石の翔太も言葉が詰まる。
だがなんとか繫ぎ止める。
されど春香は引かなかった。
「いえ、私は至って平常。ずっと前からあなたを異性として着眼していました。今のあなたが私は好きなんです」
翔太「いっ、今の?」
俺は心臓にドライアイスを擦り付けられた心地だった。翔太も今の春香の言葉の含意を得たようだった。
"今のあなた"、春香はそう言ったのだ。
翔太「いっ、今の俺とは?」
「はい。今の気さくなあなたが好きなんです。一分前の自分と今のあなたは違う今のあなた。あなたはそう思いませんか?」
俺(一分前……俺が翔太に体を譲る前じゃねぇかっ!
まさか本当にこの女、複数人格があることを見抜いているのかっ!?)
翔太(落ち着け、隆二。ここは俺に任せろと言っただろ)
多分今俺だったらあからさまな表情を浮かべていただろう。しかし翔太は依然とした態度を崩さなかった。お陰で今春香の眼球には、真顔の顔が投射されている。
翔太「思わないな。それに今一つ君の言いたいことが飲み込めない。もっと噛み砕いてくれないか」
「あっ、そっ、そうですね。もう、私ったら」
春香は突発的にしどろもどろになった。
どうやら自分が恥ずかしいことをペラペラ喋っていたことを今更ながらに認知したのだろう。
若干、敬語も破綻しかけてる。
「私はあなたが多彩な才の持ち主であることを知ってます。運動もでき、社交性もあり、勉学も出来る。極稀に凄いキモオタ節を吐くことも存じてます。
私はその時々のあなたはまるでそれぞれが別の人間であるかのように思えるのです」
翔太「成る程。理解した」
俺(どうやら、人格のことまで疑ってないようだな)
俺は心の奥底で吐息を出した。
ん、待てよ。
ってことは春香が好きな相手は。
翔太「じゃあ、君は今の俺(翔太)が好きだと?」
「はい、そうです。頭脳明細になるときのあなた……勉学ができるときのあなたが好きなんです。
さっきのあなたの二人称は"お前"だった。でも今のあなたは"君"を用いてる」
翔太「よっ、よくそんな些細なことを」
そうか、俺と裕賀の二人称は"お前"。充も一応人を"君"と呼ぶが、滅多に人前には出ない。
だから、俺から翔太に話し手が変わったことに気づいたわけか。そう言えば、俺と翔太では口調も違うしな。
翔太(隆二、どうやら彼女は俺に好意を抱いてるらしいな)
俺(だな。まさか、ここまで春香が優秀とは)
実は翔太と春香には以前からある接点があった。
春香光は一年から、学年一位の成績を保持している。
そして驚くべきことに俺(翔太)は学年二位をキープしてるのだ。
それゆえか朝だけでなく、主に翔太が春香と話す機会はよくあった。
二人とも俺や充にはよく分からない物理や現代文の評論の問題について、定期テストが終わるたびに、お互いの解答を照らし合わせていた。
想起してみれば、結構翔太にとっては春香は込み入った間柄の人間だったのではないか、俺はそう考察した。
俺(で、お前は……)
翔太(心配するな。結論など出ている)
翔太は春香にかぶりを振ってみせた。
翔太「ノーだ。それはできない」
「えっ、それは何故……」
翔太「それを聞くのは野暮じゃないか」
由紀のことを出さなかったのは、翔太なりの配慮だろう。
春香はそれに対し、歯を噛み締め失意を示した。
そして、観念した容疑者のように感情を垂れ流し始めた。
「そうですか。ふふ、よく考えればそうですね。あなたのように誰でも口説く男が特定の誰かを好きになるはずがないですよね。
わかってたのに……期待してしまいました」
そうか、朝のキスは春香の背中を後押ししてしまったのか。俺は申し訳ない気持ちで一杯になった。だがしかし、春香の気持ちに答えるわけにはいかない。俺にはもうただ一人決めた人ができたのだから。
せめて女たらしだという春香の中のイメージを払拭しておきたいが、今それを翔太に頼んだところで、春香は聞き入れないだろう。それどころか恋の執念で出来立てほやほやの俺と由紀の関係の破壊を試みるかもしれない。
春香はそんなことをしないだろうが、今の心情から可能性はある。脅しから入る恋の告白には盲目的な部位が見受けられる。
ここはいっそ幻滅される方が方便だろう。
翔太「そうだ、俺は一夫多妻派なんだ。お前が俺を望むならば、四苦八苦することは必定」
まるで腹話術。翔太は俺の要求通りの言葉選びをしてくれた。思惑どおり春香はその翔太の様子の些かな変化を見逃さない。
「そうですか。今の私の言葉全面撤回させていただきます。どうやら、あなたは結局一人の人間……当たり前のことですが。今朝の件の償いとして今しがたの私の戯言は忘却してください」
春香は震えながらに語り、屋台の席を立った。
去り際の哀愁漂う背中は俺の心を更にえぐった。
そしてこの不遇な役目を翔太に背負わせてしまったことにも遣る瀬無い思いが募る。
俺は今日由紀との愛の種を植えた所なのに、翔太には失恋に近い憂き目を目の当たりにさせてしまった。
俺「翔太、すまない。最後だけでも俺が言うべきだった」
翔太「何言ってるんだ君は。テストの答え合わせをする相手を失ったのは痛手だがただそれだけのこと。それに俺がお前のために働くことは当然だろう」
思わず、声を出し合ったその会話の中で俺はやめてくれと叫びたくなった。
翔太はあくまで俺の為に顔に泥を塗ってくれた。なのに俺は適材適所、それが翔太の役目だと決めつけていた。しかもどこかお為ごかしに。
これからは頼み事にはふるいにかけよう。それが俺の今後に響く教訓となった。




