彼女の音
彼女はどのようにしてあのような美しい音をこのベルでならしていたのだろう
僕と彼女が出会ったのは偶然だった そして僕は彼女に一目惚れした 彼女は生まれた時から音を知らずに口から言葉を描くことができなかった。しかし、彼女が描き出す音は全て美しかった。少し太ったかと聞くと怒って食器をスプーンで叩いて出した恥ずかしさから出るキンキンという音 タバコを吸うのをやめない僕にやめるようにと机を叩いて出した優しさから出るトントンという音 誕生日プレゼントに欲しがっていたマフラーをあげた時に子供のようにはしゃいで出した喜びから出るドタドタという音 そのどれもが一生懸命で美しかった 音を知り 言葉を描けるというだけの僕が出す力のない音では彼女の音の美しさを表すことすらできない。そのなかでも僕が特別に好きだった音は彼女が鳴らすベルの音だった。彼女が鳴らすベルの音はその時の彼女の心そのものを映し出しているようだった。会社でミスをして怒られて落ち込んでいるとベルを鳴らして「大丈夫」と言っていた。旅行に誘うとベルを鳴らして「大好き」と言っていた 旅行の最中 手を繋いで歩いているとベルを鳴らして「幸せ」だと言っていた 病気の検査結果はどうだったかと聞くと ベルを鳴らして「かなしい」と言っていた 。このままだと長生きはできないと医者に聞かされた時は ベルを鳴らして「死にたくない」と言っていた。治療のために髪の毛が全て抜けてしまった時は ベルを鳴らして「恥ずかしい」と言っていた 。外出の時に恥ずかしがらなくていいようにプレゼントにあげたマフラーに似合うニット帽をあげた時はベルを鳴らして「嬉しい」と言っていた。病気の進行具合を一緒に医者から聞いた時はベルを鳴らして「ごめんなさい」と言っていた。 車椅子を押しながら旅行は楽しいかと聞くとベルを鳴らして「楽しい」と言っていた 。私が死んだら別にいい人を見つけて欲しいといわれ 僕が嫌だと言った時は言葉にできないベルの音を鳴らしていた 最後に力いっぱい手を握りしめた時はベルを鳴らして「ありがとう」と言っていた。