第7話 負け犬の遠吠え
人はそう簡単に変わることはできない。
でも、変わるための材料はどこにでも転がっている。
それに気づくか、気付かないだけだ。
ロイメルが、悲鳴の方を見ると、興奮状態で、前足を振り上げながら暴れている馬がまず目に映った。
そして、その足元を見ると、怪我でもしたのか、子供が倒れている。そのままの状態にしていたら、いずれ、暴れ馬に子供は踏みつぶされる。だが、馬の興奮状態は収まらず、親たちは馬に近づくことができない。
ロイメルは、馬の方に駆け寄った。
自分には、動物を操る能力がないことは知っている。だが、幼い命を前にして何もしないでいることは、誇り高きハボアの血が許さなかった。
ロイメルは、馬まで2メートルのところで立ち止まり、両手をその馬面に掲げた。
その格好に意味はあるのか?
いや、単なる勢いだ。
だが、ロイメルがその格好をした途端、馬は急に静まった。
ロイメル自身も驚いている。
なぜ、おさまった?
これは俺の力なのか?
ロイメルは、自分自身に疑問を抱きながらも、馬にゆっくり近づき、首元に手を触れた。
触れて暴れなければ、落ち着いている証拠。
ロイメルが手を触れても大人しいままの馬を見て、両親が倒れている子供に駆け寄り、抱き上げる。
その瞬間を待っていたかのように、馬は突然前足を振り上げた。
ロイメルはとっさに、首から垂れ下がっていた手綱を掴んだ。だが、馬は、身長190センチはあろうかというロイメルをクビの力だけで軽々と跳ねあげる。ロイメルは、危うく空中高く放りだされるところを、手綱を掴んだまま空中で一回転して、馬の肩に飛び乗った。
その眼の前では、子供を抱いている両親がまさに踏みつぶされる寸前。ロイメルは力の限り、手綱を引いた。
野太い馬の上腕頭筋が、ロイメルの渾身の力で右に引き曲げられ、その蹄は両親とその子供の横の地面を踏みつぶした。両親は、その瞬間を逃さず、子供を抱いて馬から遠ざかった。
ほっとしたのも束の間、馬は、後ろ脚を蹴り上げ、ロイメルを振り落とそうとする。そのまま振り落とされたらただでは済まない。暴れ馬は、大きくうねる巨大な波のように暴れまくる。ロイメルは手綱を離し、その首に両手ですがりついた。
静まれ!
静まれ!
ロイメルの呼びかけは、虚しく自分の心の中だけに響いた。その叫びは暴れる馬には全く通じない。
ロイメルは痛感した。
動物を自由に操れる者こそ地上の王たりうる。
その力にいかに憧れ、渇望していたのかを。
だが、その想いを実現することもなく、こんなところで自分はこの馬に振り落とされ、その足で踏み潰され、片端になってしまうのか。
一瞬の激情で、自らの強さにうぬぼれて行動したことが悔やまれた。だが、悔やんでももう遅い。
必死の想いですがりついていた腕の筋肉が悲鳴をあげ、限界が来たその時、急に馬が鎮まった。
ロイメルは、ゆっくりと顔を上げた。
そこには、カシーネが馬の鼻面に手をかけて立っていた。
「ロイメル、今の内に早く降りなさい」
ロイメルは、カシーネの声を聞くと、滑り落ちるように馬の肩から降りた。
足元のふらつくロイメルを、従者たちが支える。
「なんてバカなことを。この馬は、凶暴なことで知られるクレディエブル種よ。こんな馬を乗馬用にする乗り主の気も知れないけど、この馬が暴れているところに手を出すなんてもっと呆れるわ」
「分かっている!俺が地上の王になれないことは!」
カシーネの知ったような話しぶりに、疲労困憊のロイメルも苛立ちを爆発させ、強い口調で言い返す。
「・・・・・ロイメル。まだ、動物と心通わすことのできないことを気にしているの?あなたの価値はそんなところにはないのに」
「動物を自由に操れるお前に俺の何が分かる?お前にも逃げられてしまうようなこの俺に、どれほどの価値があるって言うんだ?俺の価値が分かる人間なんていない。俺にはこれっぽっちの価値もないんだからな」
「そうなの?でも、あなたの価値を知っている人を、わたしは知っているわ」
「・・・・・誰だ、それは」
「エルキーネのパスティルよ」
「エルキーネはハボアの仇敵。あの白髪の一族のことなど言うな!」
カシーネの後ろから、デューンが歩いてくる。
「ボトスは、粗野で乱暴なスポーツだが、それを愛する者に悪い奴はいない。ましてや選手たるもの、礼儀を欠くことなどあるはずない。ロイメル、一番大事なことを何か忘れていないか」
「大事なこと?」
「お前は、自分で始めたことを、自分で収めることができなかった。それをしてくれたのは誰だ?文句ばかり言う前にやることがあるだろう」
ロイメルは、デューンの言葉を聞き、ゆっくりとカシーネの方を見た。
「・・・・・助けてくれて・・・・ありがとう。カシーネがいなければ、今頃俺は、担架の上だった」
「・・・・・地上の王だけが、全てを統べるわけではないわ。わたしだって、自由にできるのは四足動物だけ。そんなの誇りでも何でもない。自分が誇りに思えることに情熱の全てを捧げられることこそ、最も幸せなことなんだと思う」
カシーネは、ロイメルの感謝の言葉に答えた。
「・・・・・ロイメル、今のカシーネの言葉をよく胸に刻み込んでおけよ。お前を好いてる人間の言葉は、お前に媚びているだけだ。お前を嫌っている人間の言葉こそ、真実をついているんだからな」
そう言うと、デューンはカシーネを連れてその場を去った。




