第12話 マスカの滴
ローディン、そりゃあ煽りすぎだろ‥‥うわ、出た!
夕食の時間。
テーブルには、相向かいでデューンとペイネントが座っている。
夕食が運ばれてくる。
その配膳係は・・・・・ユーグだった。
「ユーグ・・・・。いつもの配膳係は?」
デューンが聞く。
「コールブロント伯爵のお宅では、調理人と配膳係は分かれていませんでした。それは、実に新鮮な経験でした。それで、西の塔の厨房でもできないかと、まず自分でしてみることにしたんです」
言いながら、笑顔で皿に食材を盛るユーグ。
ペイネントは、心なしか硬い表情。
ときどき、ちらりちらりとユーグの方を向く。
前菜のサラダが出てくる。
ペイネントはフォークを手に取り、いつものように、見た目を観察し、匂いを嗅ぎ、口に食材を入れた。
目を閉じてかみしめる。
ペイネントは、目を開いてうなづくと、皿をデューンの方に差し出した。
ユーグは、真剣な表情でその様子を凝視しながら、直立不動、微動だにしない。
2皿めはスープだ。
スプーンですくったスープを口に運ぶペイネント。
真っ赤な形のいい唇にスープが吸い込まれる。その唇から一滴スープのしずくが器に落ちた。
ペイネントはスープを味わい、うなづくとデューンの方に器を差しだそうとした。
「あっ!」
ユーグが、突拍子もない声を上げる。
器を受け取ろうとしたデューンの手が止まる。
「一番肝心の食材がスープに入っていませんでした。その器、交換します」
ペイネントの表情が変わる。
「ペイネント、もう一度毒見を」
もう一度別の器に取りなおしたスープを置く。
ユーグの視線は、じっとペイネントの様子を見ていた。
今度は、ユーグに止められることなく、デューンはスープを堪能した。
デューンは、妙に緊迫した空気に気付いた。
「・・・・プリンシファの足取りだが、その後何も進展していない」
デューンは、その空気を払拭するように話し出した。
「もっとも、王宮騎士団による各塔の警備が厳重になったためかその後、新たな犠牲者は出ていないがな」
「ローディン様は、もし王宮のどこかに隠れているとしたら、どこか秘密の部屋でもない限り隠れ通すことなんかできないと言っていました」
とユーグ。
「ローディンは、今夜プリンシファを秘密の部屋から引きずり出すと豪語していたぞ。一体何をする気か分からんけどな」
そこへ、ローディンが入ってきた。
「かくいう張本人が現れた。食事の場にローディンが姿を現すとは珍しいな」
「これから、面白いことが始まるかもしれないのでね」
「面白いこと?ローディン、一体何をしたんだ?」
「ペトリアヌス暗殺の真犯人はプリンシファである、と、デューン男爵が断言したと王宮中に触れまわってきたのです」
「何?俺はそんなこと一言も言っていないぞ!」
「デューン男爵がプリンシファならどうします?」
「そんな、いい加減な戯言を言う奴は叩きのめす!・・・・」
デューンは、ハッとしてローディンの方を見た。
「プリンシファがまだ王宮内のどこかに潜んでいるとすれば、必ずそれを耳にする。そうすれば、デューン男爵を放っておくわけがありません」
「俺をオトリにしたのか。そんなことをすれば、プリンシファはここへ乗り込んでくるぞ」
「怖じ気づきましたか?」
「バカ言うな。何が起きるか、かえってワクワクする」
「そうくると思いました。だから、これから面白いことが始まると言っているんです」
「だが、どうやってここに来るって言うんだ?各塔の周りには、王宮騎士団がゴロゴロいるんだぞ」
「それは、ペイネントが狙われた時も同じ。奴は必ず来ます」
そう言って、ローディンが一歩前に足を踏み出すと、ピチャッと言う音がした。
ローディンは、足元を見た。
床全体が、透明な液体で濡れていた。
ローディンが見ると、浴室へと続く4段ある階段の上から、液体は流れ落ちている。
「この水は何だ?」
デューンも、足元が濡れているのに気付き椅子から立ち上がる。
「風呂場のお湯があふれたのでは?」
ローディンが、液体の流れている先を目で追いながら言う。
「いえ、違います」
突然ユーグが言った。
「違う?じゃこの液体はいったい何だ」
とデューン。
「ピーアルコ溶液です。エルデラ山脈の鉱物から抽出される染物用の液体です、これに花の抽出液を混ぜると、この透明な液が繊細で華やかな色に変わる」
「なぜこれがピーアルコ溶液だと分かる?」
「匂いです」
「匂い?」
「ユーグは神の舌を持つと言われるほど味覚に敏感だが、嗅覚も鋭い」
ローディンが言う。
「味覚が神なら、嗅覚は犬並みか?」
「それは、全然称賛になっていませんよ、デューン男爵」
「茶かすな、ローディン。そもそも、なぜここにピーアルコ溶液が流れ込むんだ?」
「それは、わたしが流したからだ」
その場にいた全員が、声がした浴室の扉の方を向く。
そこには、プリンシファが立っていた。
「デューン男爵。わたしが、ペトリアヌス暗殺の犯人だと吹聴しているらしいが、その真相を聞きに来た」
デューンは何か言おうとしたが、言葉は発せずローディンの方を見た。
「デューン男爵、答えてもらおうか。その答えによってはこれを垂らすことになる」
プリンシファは、小さな小瓶を取り出した。蓋はない。ひっくり返せば中身は床にこぼれてしまう。
「・・・・・その小瓶に入っているのは、マスカの滴か?」
ローディンが尋ねる。
「よく分かったな。・・・・お前は誰だ?見たことないな」
「わたしは、ローディン。一昨年からデューン男爵の執事をしている」
プリンシファは慎重に歩きながら、ゆっくりと階段を下りてくる。
「じゃあ、分からないわけだ。わたしは牢獄の中だったからな。だが、牢獄の中にも伝わってきた。デューン男爵の執事はハーディガンだと。ハーディガンはどうした?」
「ハーディガンは、侍従長の恨みを買ってシデオールを追放された」
デューンが答える。
「あのキレ者を追放するとは。王宮はその影響を何も考えていないな。皆自分のことしか考えてない。エゴイストの集まりだ」
「わたしもそれには共感するよ」
ローディンが言う。
プリンシファは食卓のテーブルを迂回しながら、座ったままのペイネントの方に歩いて行く。
「ローディンとやら、お前も相当キレそうだから分かるだろうが、ピーアルコ溶液とマスカの滴が交わるとどうなるか」
「致死性の猛毒を含んだ煙が発生する。それをたらされたら最後、この部屋にいる人間は全員あの世行きだ」
プリンシファは、ペイネントの背後で立ち止まった。
「それなら、慎重に答えろ。ペトリアヌス暗殺の真相を」
プリンシファの表情が変わる。
「真相に納得したら、その小瓶はこちらにもらえるかな?」
ローディンが聞く。
「それは、真相を聞いてから決める」
「まず、誤解を解いておこう。あなたが真犯人だと言ったのは、大いなる勘違いだ。あなたの残した備忘録。あれが、真犯人を突き止める最高の証拠になると言っただけだ」
「わたしの残した備忘録だと?」
「あの備忘録は素晴らしい。深い人間洞察と鋭い観察眼。あれがなければ、真犯人にまでたどり着けなかった」
「真犯人は分かったのか?」
うなづくローディン。
「それは誰だ」
「エレーナリント。彼女が暗殺者だった」




