第85話 取り戻した心
三つ子の魂百まで。
どのような悪意も、その本質を変えることはできないのです。
フランチェの表情に動揺が走る。
「なぜ・・・・なぜそんなことを・・・・」
「お前の祖母は、魔族との混血マーレと知りながら、ある男と交わり、お前の母親を生んだ。魔族との混血は、滅ぼさなければならない。その古い因習に従い、わたしたちは、祖母と交わったマーレを殺した。それから、お前の祖母は、おかしくなった。魔族との混血の血筋は、自分の代で絶やさなければならないという妄想にとりつかれてしまったのだ。生まれた娘レオノラを、お前の祖母は家に閉じ込めようとした。だが、レオノラは、年頃になると、母であるお前の祖母の言うことを聞かず、男たちと遊び歩くようになった。お前の祖母は、そんなレオノラを忌み嫌い、家から追い払った。だが、しばらくすると、レオノラは赤ん坊とともに、祖母の家に戻ってきた。その赤ん坊こそ、フランチェ、お前だった。お前の祖母は分かっていた。レオノラは、魔族との混血ダーレと交わり、お前を生んだのだと。再び混血征伐が叫ばれたが、わたしはそれを止めた。混血という理由だけでその命を奪われるほどの罪があるのか?混血征伐はなくなった。だが、その間に、お前の祖母は娘と混血との間にできた孫であるお前を殺そうとした」
「祖母が・・・・わたしを・・・・・」
「わたしは、我が妹であるお前の祖母を止めたのだ。何ゆえに、母も娘も、魔族との混血に惹かれるのか?その呪いは、命を絶やすことで終わるものではないと。お前の母レオノラは渇望したのだ。愛情で満たされた人生を。だが、お前の祖母は、愛情で満たされた人生を送る代わりに、その娘であるフランチェの命を奪おうとした。その裏切りに、お前の母はメロキモスの牙で答えたのだ」
フランチェの母は、単なる蛇使いではなかった。メロキモスを操り、祖母を、自らの母親を殺した殺人者だったのだ。
「わたしは恐れた。レオノラは、メロキモスを操るフラットマスターだった。その力を人を殺すために使った。一度、悪しきことに手を染めた者は、その泥沼から二度と逃れられない。そんなレオノラにフランチェを育てることができるのか。自分の娘も悪しき道に引きずり込んでしまうのではないか。悪しきものに手を染めたフランチェが、そのまま成長したら、再び母娘の殺し合いになってしまうのではないか。だから、わたしは2人を引き離した。そして、お前の祖母が、レオノラに与えられなかった、愛情に満たされた人生を、お前に与えようとしたのだ」
「・・・・わたしの母が亡くなったということは、悪しき道に引きずり込むものがいなくなったということ。わたしが母を殺すこともありえない。だから、呪いが解かれたと・・・・」
「わたしは、もっと早く真実を伝えるべきだった。わたしは怖かったのだ。真実を知ったフランチェから恨まれ、憎まれるのを。そして、もしフランチェが、地を這う暗闇メロキモスを操るフラットマスターだったら、そして、その力を悪しきことに使おうとしたら・・・・。そうなれば、我が一族が、世界を混乱に陥れることになる。何としてもそれだけは避けねばならない」
その言葉を継ぐようにカッツェンバックが言った。
「ホーボラス公爵は、恐れたのだ。もし、そうなったとき、自分の手でフランチェを止めることはできるかと。もし、フランチェを止めることができなかったときはその命を奪えるかと」
「その迷いが、ホーボラス公爵を屋敷の中にとどめさせた。わたしたちの説得にも応じなかったのはそのためだ。だが、ホーボラス公爵は決断した。フランチェは、一度は悪しきものに染まろうとも、必ず再び純真な心に戻ってくれると。母レオノラとは違うと」
クレールが、カッツェンバックに続いて言った。
ふいに、フランチェの脳裏にキャリオンの言葉が蘇った。
「俺にそれを言えと?どんなに恨んでも、どんなに憎んでも、フランチェはその人のために、その人を喜ばせるために、今まで生きてきたはず」
その人?その人とは?
「それは・・・・」
その先は、フランチェが自ら途切らせてしまった。
だが、蘇った言葉はその先を続けた。
「それは、ホーボラス公爵」
幼いころ、キャリオンに言った自分の言葉が蘇る。
「大叔父様は、いつもやさしい。でも何かを隠しているような気がするの。それがわたしには分からない。だから、大叔父様が心の底から喜んでくれるようなことをしたくても、何をどうすればいいのか分からないの」
それに、幼いキャリオンはこう答えたのだ。
「フランチェ様、ホーボラス様が隠しごとをしていようと、今フランチェ様が幸せなら、それこそがホーボラス様の喜びに違いありません。これからフランチェ様が生きていく道すじが、平安で穏やかなことこそ、ホーボラス様の喜びなのだと思います」
そうだ、わたしの生きる道、生きる目標はそれだった。
どんなに人に騙され、どんなに人から裏切られようと、この人の喜びに偽りなどありえない。
その人が悲しむことをしてはいけない。
その人を信じることをやめてはいけない。
ようやく、戻ってきた。
暖かくて、居心地のいい、その場所に。
その瞬間、純白のドレスを染めていた黒は洗い流され、崩れ去った透明なガラスの柱の代わりに、その心にダイヤの輝きを放つ柱が立ち上がった。
フランチェは、ホーボラスから、デューンの方に視線を移した。
デューンは、カシーネを両手で包むようにして、フランチェを見ていた。カシーネもフランチェの方を見ている。
その目に、フランチェに対する殺意など微塵も映っていなかった。死の一歩手前まで、自分が追い詰めたというのに。
カシーネが、母を殺したのは間違いない。
だが、その母はメロキモスを操り、祖母の命を奪ったのだ。
レオノラがメロキモスを操り、シデオールの王宮を滅ぼそうとしたのは、デューンの妄想などではなく、真実だった。
カシーネはそれを止めるために、母の命を奪ったのだ。
母の命を奪ったのは、カシーネではない。母が自ら悪しき道に堕ちていった罪深き行い。それが、母の命を奪ったのだ。
フランチェは、デューンとカシーネから、自分の足元に視線を移した。
そこに横たわっていたのはキャリオンの亡骸。
幼いころからフランチェの生き方に大きな影響を及ぼしてきたキャリオン。自らの真実を明かし、フランチェを悪しき道から救い出すことに、最後までその命を捧げた。
フランチェの両目から涙があふれる。
フランチェは、がっくりと膝を落とし、キャリオンの亡骸を抱え上げた。
そして、その冷たくなった頬に自らの頬を摺り寄せた。
そこへ、森の中から大勢のピロテックスが現れた。
先頭にいる白い毛のピロテックスが言う。
「ユナイトマスター。その受け皿が整ったようだ。まもなく来るぞ」
「来る?来るって何が来るんだ?」
デューンが聞く。
「あれなるものぞ」
ピロテックスが上空を見上げる。
デューンたちも上空を見上げると、遥か東の彼方から炎に包まれた不死鳥ファントラが飛んできた。
「ユナイトマスターよ。お前に足りないものは本体。そして、あの不死鳥ファントラこそ、ユナイトマスターの本体そのものなのだ。ファントラを受け入れることにより、ユナイトマスターはかつての能力と永遠の命を手に入れるだろう」
「・・・・わたしは、永遠の命などいりません。ユナイトマスターの能力もいりません」
「それが何を意味するか分かっているのか?」
「意味するもの?」
「ユナイトマスターが、ファントラを受け入れなければ、すべてのマスターに宿る能力が失われてしまう。人間は二度と、動物たちを操ることはできなくなるのだ。それでもいいのか?」
フランチェは、ピロテックスから視線を外した。
隠れていたロイメルとパスティルが、ハーディガンとともに姿を現す。それに気づいたフランチェは、パスティルを見た。
あなたは、マスターの能力が失われてしまっても構わない?
そう問いかけるフランチェの視線に、パスティルはゆっくりとうなづいた。
続いて、デューンとカシーネの方を見る。
「動物にとっちゃ、人間に操られるのはありがた迷惑だろう。動物たちは自由に生きればいい。それを止める権限は俺たちにはない」
デューンは言った。
それを聞いたフランチェは、ピロテックスに言った。
「わたしは・・・いえ、わたしたちは、この能力を永遠に放棄します。その命は、それぞれのもの。すべての生き物は、他の生き物に操られるようなことがあってはならないのです」
「本当にそれでよいのだな」
ピロテックスの言葉に、フランチェはうなづいた。
「そうなれば、不死鳥ファントラもいらなくなる。ユナイトマスターに代わる新たな受け皿を用意せねば」
白い毛のピロテックスが言う。
「新たな受け皿?」
「不死鳥ファントラは、そもそもこの世界に存在しないもの。ユナイトマスターがバラバラにされたときユナイトマスターの魂が形となって現れたものなのだ。それゆえに、ユナイトマスターの体に戻れないとすれば、この世界に存在する何かに宿らねばならぬ」
「・・・・その何かは、生きていなければならないのですか?」
「生きていない者にファントラが宿れば、その者は再び蘇るであろう」
フランチェは、抱きかかえたキャリオンを見た。
そして、空を見上げて言った。
「不死鳥ファントラ。わたしはあなたを受け入れることはできません。その代わり、どうか、この者に御宿り下さい」
森のすべてを覆い尽くすのではと思うほどの巨大さを誇るファントラ。視界のすべてが炎の赤で真っ赤になった次の瞬間、ファントラの体は視界から消えた。




