第82話 命の恩返し
徳施せば、徳返る。
命を大事にする者には、必ず喜びの返礼があるのです。
森の中を走り回るデューンとカシーネ。
森の木々が、ガイモスの進行を阻む。
その間に、ガイモスとの距離を引き離していく。
しばらく進むと、森の中に巨大な岩が突き出していた。
デューンは、後方を見た。
木々の枝が視界を阻み、追跡するガイモスからはデューンたちの姿は見えていない。
デューンは賭けに出た。
巨大な岩の方に走っていくと、その岩の影に身を隠す。
「デューン様!」
カシーネの声にそちらの方を見ると、岩に亀裂が入り、人が入れそうな空間がある。
だが、2人が入るにはかなり狭い。
「大丈夫か?」
デューンは、カシーネを見て言った。カシーネは狭いところが苦手だ。カシーネは何も言わず、ただうなづいた。
「よし、まずカシーネだ」
カシーネが、その亀裂に入る。
カシーネと亀裂の間にできたずかな隙間に、デューンが無理やり入り込む。デューンの分厚い胸板が、カシーネの豊かな胸を押しつぶす。
カシーネの呼吸が荒くなる。
だがその呼吸音も、ガイモスが木々をなぎ倒して進む足音にかき消された。
ガイモスたちは、岩場の亀裂に潜む2人に気づかず森の奥へと進んでいく。
デューンは、カシーネを見た。
その視線に気づいたカシーネは、肩で呼吸しながらデューンの顔を見上げた。
どうだ、見込みどおりだろ。
デューンは、視線でそう訴えかけた。
こんなところでも、やんちゃな姿勢を崩さない。
言葉遣いは少し変わっても、その純真な魂は3年前と何も変わっていない。
カシーネは、息苦しさを無理に抑えて、笑顔でうなづいた。
その時、最後尾を追っていたフランチェの乗るガイモスが、その岩の横を通った。
ガイモスの頭上から、その岩場をちらりと見るフランチェ。
一度は前を向いたものの、再び岩を見た。
フランチェの乗るガイモスが止まる。
そのガイモスは、岩の方に方向転換した。
笑顔のままのカシーネが、デューンの後方に視線を向けた途端、表情が一変した。
その表情の変化に、デューンは最悪の事態が発生したことを自覚した。その衝撃に備える。
フランチェの乗ったガイモスの鋭い牙が、2人の隠れていた岩を粉砕する。デューンは、身をかがめながらカシーネを覆うように前方に倒れ込んだ。
かろうじて、粉砕された岩から逃れることはできたが、デューンが振り向くと、2人を踏みつぶすために、ガイモスの片足が上がり始めていた。
立ち上がっている暇はなった。
もはやこれまで。
そう2人が覚悟を決めた時、突然そのガイモスに、横から別のガイモスが体当たりして押し倒した。
頭上に乗っていたフランチェは、ガイモスから放り出され、地面に落下した。
押し倒したガイモスが、2人の方を向く。
ガイモスが2人の方に近づき頭を下げ始める。
デューンは、鋭い牙で突きあげられることを覚悟した。
だが、ガイモスは、そのまま前足を折り、甘えるように鼻を2人の方に差し出してきた。
カシーネは、何かに気づいて立ち上がると、そのガイモスに近づいた。
「カシーネ!」
デューンが叫べど、カシーネはその歩みを止めようとしない。
カシーネはゆっくりと近づくと、ガイモスの鼻に触れた。鼻先が、カシーネの体に巻き付く。
「・・・・お前なのね」
カシーネはそう言うと、鼻を抱きしめた。
デューンは何が起きたか分からず、呆然として立ち上がる。
カシーネは振り返ると、デューンに言った。
「この子は、シデオールで生まれたガイモスよ」
「何?3年でこんなにでかくなるのか?」
カシーネが愛おしそうにその鼻を撫でる。
「あの時、消えかけていた命がこんなにも強く、たくましく育ってくれたのね」
デューンも恐る恐るガイモスの鼻を撫でた。
「そうか・・・。お前は、俺のことも覚えていてくれたんだな。もっとも、お前を救ったのはロイメルで、俺はそのロイメルと祝杯を挙げただけだったがな・・・」
そこで、思い出したように、デューンはカシーネの方を見た。
「そう言えば、あの時カシーネとは祝杯を挙げられなかったんだな」
カシーネは複雑な表情で、無理に笑顔を作ってうなづいた。
それはそうだ。
祝杯を挙げられなかったその理由は、カシーネにとって一番思い出したくない過去の苦い記憶だったのだから。
「あのとき、俺が意地でも一緒に連れていっていれば、カシーネをこんなに辛い目に遭わせることもなかった」
デューンの表情を見て、カシーネは言った。
「でも、あのとき、わたしがあそこに残らなければ、この子はここにいない。デューン様は間違ったことはしていないのです」
カシーネのその言葉に、デューンは今まで錘のように沈んでいたものから解放された気がした。
「じゃあ、今から乾杯しよう」
「えっ?」
デューンは見えないグラスを握ったふりをして、そのグラスを高く掲げた。
「レオノラ夫人に奪われかけた命。そのまばゆいばかりの輝きに乾杯だ」
カシーネは笑顔になると、自分も見えないグラスを握ったふりをして、そのグラスをデューンのグラスに重ねた。
「輝かしい命に」
と、ひと時の安らぎの時を遮るように、押し倒されたガイモスがゆっくりと起き上がり始めた。
それを見たカシーネのガイモスが、カシーネから鼻を外し、立ち上がったガイモスの方を向いた。
相手は足の根元をカシーネのガイモスに傷つけられており、戦意喪失状態。一方のカシーネのガイモスは、臨戦態勢だ。
勝負は目に見えている。
カシーネのガイモスが突進しかける。
「やめなさい!」
今度のカシーネの命令は、確実にガイモスを止めた。
カシーネは、傷ついたガイモスの垂れ下がった鼻に触れた。
しばらく、その鼻に触れていると、傷ついたガイモスはゆっくりと傷ついた足をかばいながら歩き始めた。カシーネたちに背を向ける。その姿が、次第に遠ざかっていく。
「そうだ、フランチェは?」
デューンは、周辺を見渡す。そして、地面に横たわったままのフランチェを発見した。
「フランチェ!」
デューンが駆けだす。カシーネもその後を追う。
デューンが、うつぶせのままのフランチェを、抱え起こそうとしたそのとき、白刃がきらめいた。
デューンは、反射的にその刃を避けたが、焼けるような鋭い痛みが右肩を貫く。左手で肩を押さえるデューン。
「デューン様!」
カシーネが叫ぶ。
デューンは立ち上がると、後退した。
短剣を握ったまま、フランチェが立ち上がる。
フランチェは、気を失ったふりをして、デューンが近づくのを待っていたのだ。
デューンは丸腰。短剣を振るわれれば逃げるしかないが、デューンにその気はなかった。
これでフランチェの心を取り戻せないなら、主として失格。俺の心の真実を気づいてもらえないなら、この命捧げるしかない。
デューンは覚悟を決めた。
だが、そのデューンの前にカシーネが立ちはだかった。
カシーネは、短剣を持ったままのフランチェに言った。
「フランチェ、あなたの母親を手にかけたのはわたし。わたしの命は奪われても仕方ない。でも、デューン様がわたしを逃がしてくれたのは悪意からではないの。それは、その心の憐れみと慈しみの深さゆえのこと。だから、その刃はどうかこのわたしだけに」
フランチェはそれには答えず、短剣を振りかざして、カシーネに襲い掛かった。




