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第6話 囚人の脱獄

解き放たれてはならない者が、解き放たれた!

 その日、ある囚人が牢獄から脱走した。

 招餐会に参加する高貴な人の護衛で手薄になった隙を狙ってのことだった。

 脱走しただけなら、シデオールの警備兵の検問ですぐに捕まるはずだった。だが、その男は、警備兵の監視の網をかいくぐり、逃げ続けた。

 街中を捜索するローラー作戦が展開された。

 しかし、男は見つからない。

 残るは、王宮のみ。

 ここに逃げ込まれたら簡単には見つからない。

 なぜなら、男は王宮内のことを熟知していたからだ。

 男の名は、プリンシファ。

 今は亡きデューンの兄、ペトリアヌスの執事だった男。


 夜中に、扉を叩く音がした。

 ローディンが、西の塔の扉を開ける。

 すると、王宮騎士団が塔の中に乗り込んできた。

 ナターシャの時とは比べ物にならない、20人以上が一挙に、塔の中に入ってきた。

「何ごとですか?」

「全ての塔を封鎖し、塔の中を確認する」

 ローディンの言葉に、先頭にいた騎士が言う。

「封鎖?いったい何が起こっているんですか?」

 騎士が振り向く。

「執政官のメイドが毒殺された」

「毒殺?」

「おそらくは、執政官を狙ってのこと。毒見をしたメイドは主の代わりに命を落としたのだ。これは、タイミングから言って、脱走犯プリンシファの仕業に違いない。奴は王宮の塔のどこかに潜んでいる。そのための一斉捜索だ」

 20人の騎士たちが西の塔に散らばったが、犯人どころか、犯人のいたという痕跡さえ見つけられなかった。

 騎士たちは、西の塔に怪しい所がないと分かると、捜査の礼をしてそそくさと引き上げた。

 ナターシャの一件以来、騎士団の間に伝わっていたのだ。

「ローディンには気をつけろ」と。


「逆恨みか?」

 デューンがローディンに聞く。

「プリンシファを牢獄につなぐ最終決断をしたのは王妃だ。執政官は、政務を担当する。プリンシファの収監には何も関わっていなかった。それなのに、執政官を狙うというのは・・・」

 その問いにローディンが答える。

「理由はどうあれ、プリンシファは執事としては失格だった。自分の主の命を守れなかったのだから。だが、それが収監に値するのか、わたしには分かりません。処刑された厨房の者たちも、一体何人がペトリアヌス男爵の毒殺に直接かかわっていたのか。処刑された者からは何の証言も取らなかったといいます。まるで証拠を封印するようなやり方です」

「何が言いたい?」

「守れなかった主の命。理不尽な王宮の仕打ち。何もない監獄の壁に向かっているプリンシファの胸に残るものは何か」

「・・・・・それは何だ」

「怒りです。務めを果たせなかった自分に対しての怒り、弁明の機会を与えずやりたい放題の王宮に対する怒り。その怒りは牢獄の中に封印されていた。それが、解放されたのです。収監に直接関係なかった執政官を狙ったのは、その怒りの矛先が王宮の全ての者に向いているということ」

「明日は我が身ということか」

「くれぐれもご用心を。わたしも24時間、デューン様に張り付いているわけにはいきませんからな」


 ペイネントは、パーティルたちと、招餐会で使った花びらを摘み取っている。口紅の色を抽出するために、摘み取っているのだ。

 そこへ、ユーグが来た。

「やあ、ペイネント」

 ペイネントが振り返る。

「ユーグ、招餐会では食べ物が大好評だったようね」

「ペイネントの口紅ほどじゃないさ。今、高貴な御婦人の間ではその話題で持ちきりのようだよ」

「ありがとう」

「今の作業は、口紅をつくるための?」 

「そう、色を抽出するための作業よ」

「実は、いくつか花を欲しいと思ってきたんだ」

「えっ?」

「今度のメニューの中に花のエキスを入れたものを考えたいと思ってね」

「素晴らしいアイデアだわ。どうぞ、お好きな物を選んで」

「今、ペイネントが摘んでいるのは、ムラササキ?」

「よく知っているわね。そう、この香りは疲労を取る効果があるの。食べ物の中にこれが入っていれば、食事をするだけで疲れを取ることができるわ」

「でも、それは葉っぱの話。その花びらには人の命を奪えるほどの猛毒が含まれている」

 ペイネントは、ユーグを見た。

「この花は観賞用としては、美しい赤で僕達を楽しませてくれるけど、食用とするのは危険だ。唇を赤く美しく見せるだけにとどめた方がいい。僕が探しているのは、ミサンガリという花だ」

「ミサンガリはとても貴重な花よ」

「その花びらには、あらゆる毒素を中和する強力な酵素が含まれている。その効能は古くから知られていて、すでに食用として使われていた。だが、希少価値が高いので、高額で取引され、それを口にできるのはごく一部の上流階級だけ。僕は、ミサンガリの味やにおいから、同じような成分を、他のもっと手に入れやすい花で作れないかと考えているんだ。そうすれば、もっと多くの人たちが、口にすることができるようになる」

「ごめんなさいユーグ。この中には残念ながらないわ。ミサンガリは、普通の花屋ではとても取り扱えるものじゃない。前に、医者が薬として持っているというのは聞いたことがある。でも、どの医者でも持っているというものではないわ。それほど貴重なものなの」

「そうか。これだけ花があったから、一本くらい混じっているかと思った。甘い考えだった」

「ほかに、ミサンガリを置いていそうな所は・・・・」

「高級食材だから、ビジュヨルドとかミシュゲイレンみたいなレストランには置いてあるかもしれない。でもまさかそこに、ちょっと分けて下さいと頼みに行くわけにはいかないよな」

「もし、ミサンガリが手に入れられそうになったら、必ずユーグに教えるわ」

「ああ、じゃ今日はこれをもらって行くけどいいかな」

 ユーグは、オレンジ色の花を手に取った。

「それも食用には向かないわ」

「分かっているよ。今日のメニューは緑が多いんだ。食用でなく、飾りとして彩りを添えるのにちょうどいい」

 ペイネントは、なあんだ、という風に肩をすぼめた。

 ユーグは、その仕草を真似しながら、厨房へと戻っていった。


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