第1話 嫌がらせ小僧
毎日、ボトスとチャッカー三昧の王子。そのお目付け役に、侍従が西の塔にやってくる。王に仕えるはずの侍従が、なぜ王子のもとに?侍従がやってきた真の目的とは?
最初についたメイドは、長い黒髪が妖艶な雰囲気を醸し出す年上のお姉さま。さて、その妖艶さに隠された真の素顔とは?うるさい執事の居ぬ間を縫って、メイドへの嫌がらせが始まる・・・・。
(ミロディ編 全9話)
王子の日常は、朝のお目覚めタイムから始まる。
「デューン様、お目覚め下さいませ」
メイドの柔らかい声で、一日が始まる。
デューンは、のっそりと起き上がると寝ぼけ眼でトイレに向かう。
と言っても、トイレという個室があるわけではなく、広い寝室の一角に洋式の便器が設置してあり、跳ねが飛ばないように、腰の高さくらいの半円形の囲いが、その便器の前面を覆っているだけ。
デューンが、そこに入って構えると、メイドはその覆いの内側に入り、便器を間に挟んでデューンの前にかがむ。
「触ってみる?」
デューンが、ニヤけて言う。
「結構です」
年若いメイドは、クールに言い返す。
言っておくが、これはメイドの変な趣味ではない。
メイドは、主の日常生活をサポートするだけでなく、主の健康管理をも担っていた。
排便排尿は健康チェックのバロメーター。尿の色、勢い、便の硬さなど、様々な情報からデューンの体調を判断し、必要に応じて王宮医師を呼んだ。
赤ん坊の便の状態をみて、おむつの処理をする母親と同じだ。
17歳になるまで、デューンの日常を甲斐甲斐しく支えてくれた乳母は、入浴もトイレも一緒だったが、何の抵抗もなかった。物ごころついたときにはそうしていたので、それがデューンの中の常識となった。
だが、17歳になって状況は一変した。
乳母は40代の女性。母も乳母も薹が立ったミドルエイジで、女性の盛りも過ぎた熟女であったが、17歳になってデューンについたメイドは、彼と同世代。
何も考えずにただ庇護される身から、男爵という爵位を与えられて、自分の行動のすべてに責任を持つ立場へ。その責任感を持たせるために、もっとも身近にいるメイドは経験豊富な女性ではなく、同世代の女子と決められていた。
まあ、その趣旨をデューンが理解してメイドに接しているかは疑問符が付く。身体的にも精神的にも、もっとも多感な時期に、若い女子が身の周りにいれば健全たる男子が考えることは一つしかない。デューンはまさに本能のままに生きる、理性のたがが半分、いや9割方外れた野の獣と同じであった。
「触れよ、ほら」
すでに排尿は済み、今日も健康体異常なしであることは確認済み。にもかかわらず、しまうべきものをしまわず、しつこく行為を要求するデューン。
「お戯れはおよし下さいませ」
健康チェックが終われば見る必要もない。メイドは目をそむけながら言う。
「ママに言うぞ」
この一言は、メイドにとって必殺の一言だ。
もし、デューンが母である王妃エスペリエンザにメイドの告げ口をしようものなら、即暗殺に結び付けられ、そのメイドは即日処刑だ。
命が惜しければ言うことを聞け。
セクシャルハラスメントとパワーハラスメントとモラルハラスメントが一緒くたに覆いかぶさってくるようなものだ。
これを言われれば、メイドに逃げ道はない。
甘く、そして爽やかな美少年タイプのデューンの口から出るような言葉には思えない。そのニヤける表情はどこか冷たく、感情の起伏は感じられない。
「どうした、さあ」
目をそむけていたメイドが、デューンの催促に正面を向く。
その手がわずかに動きかけた時、デューンの動きが固まった。
急に冷たい感触に襲われて縮み上がったのだ。
「それは、メイドに触らせるために付いているものではない。そんなに触らせたくなるなら、余計な物は取ってしまうか?」
いつ間に来たのか、デューンの横に立っていたハーディガンが、剣先をデューンのしまうべきものに突きつけていた。
その切っ先の冷たさに、デューンは固まったのだ。
デューンは慌ててしまうべきものをしまって、トイレから出て行った。
「ハーディガン様」
メイドは、立ち上がると、ハーディガンに頭を下げた。
「メイドの業務以外は相手をするな。何を言われようと、自らの業務だけに専念するのだ。じゅくじゅく坊ちゃんの無下な言動はすべて握りつぶす。だが、じゅくじゅく坊ちゃんも誰でも、という訳ではない。お前にも、じゅくじゅく坊ちゃんをその気にさせる落ち度があったのだ。心せよ」
「はい」
17歳のデューンについた最初のメイドはミロディ。
ウールクラール王国の西方にあるミラディスから来た。
ミラディスは、穀物の一大生産地。良質な穀物で育ったミラディスの人々は、肌がきめ細かく、美しい黒髪が印象的。ミロディも腰下まで伸びる長い黒髪だが、業務中は邪魔にならないよう後ろでうまくまとめあげている。そして、見つめられると吸い込まれそうになる銀色の瞳。ミロディは、19歳ながら、わずかに年下のデューンをその気にさせるような妖艶な雰囲気を纏っていた。
デューンは、階段を上がり最上階へと向かう。
最上階は浴室。その半分を占める浴槽は、円形のプールのようだ。王宮の背後にそびえる「雅牙の断崖」から流れ落ちる無数の滝を水源として、王宮内の建物はすべて最上階が浴室になっている。
まずはそこで体を温め、心身ともに目覚めさせるのが、王宮内に暮らす人々の朝の習いだ。
デューンもそれに倣う。
デューンに遅れて、ミロディも浴室に入ってくる。
と言っても、衣替えの衣類とタオルを持って、浴室の入り口近くに座ってデューンの湯上がりを待つだけだ。
浴槽内でおぼれるなどの緊急時には、メイドが救急処置を行う必要がある。主の入浴中、メイドは白い薄手の浴衣を羽織ったまま、常に浴室内に控えていた。
デューンが、巨大な浴槽からあがる。
ミロディは、タオルを持ってデューンに近づく。
デューンは近づくミロディを一瞥すると、その手からタオルを奪った。自分で全身を拭く。
本来であれば、濡れた体を拭くのもメイドの仕事だ。
だが、今日のデューンはへそを曲げていた。言うことを聞かなかったミロディにも腹をたてていたが、ハーディガンにあんな形で行為を止められたことも大いに癪に障っていた。
デューンは食堂へと向かう。
食堂は、浴室と隣りあっていて、浴室の扉をくぐり抜けると、4段ばかり階段を下ったところに食卓用の長いテーブルが置いてある。
その階段を、体を拭きながら降りて行くデューン。衣服を持ったままミロディがその後を追う。
体を拭くのもそこそこに、デューンはタオルを腰に巻いてテーブルに着いた。
「デューン様、お着替えを」
ミロディが、デューンに膝まづき、両手で着替えを差し出す。
「いらない。まだ体が濡れている。着替えはその辺に放りだしておけ。自分で適当に着る」
「では、着替えは寝室のベッドの上に置いておきます」
ミロディはそう言い、お辞儀をすると食堂を後にした。
ミロディと入れ替わるように、朝食の配膳が始まる。
男爵の地位ではあるが、王子は王子。
食事やお召し物は、王と同じ物を賜る。
デューンが気にしなければならないのは爵位に応じた所作のみで、食べる物や着る物は、王や王妃と暮らしていた時と何ら変わりない。物質的には十分すぎるほどに足りている。
王宮の各塔にはそれぞれ厨房があり、それぞれの塔で名の知れた一流シェフが毎日腕を振るう。配膳係も十人以上だ。
さて、テーブルの上には、どこのパーティかと思うほどの豪華な食事が何皿も並ぶ。
だが、デューンは、食べ物を目の前にしても全く動かない。
そこへ、メイド服に着替えたミロディが入ってくる。
「遅い」
デューンが、正面を見たまま言う。
「申し訳ありません」
ミロディは頭を下げると、デューンの正面席に着く。
給仕が、テーブルの上に並べられた皿から小皿に盛りつけ、その小皿をミロディの前に置く。
ミロディは、見た目と匂いを嗅ぎ、次に盛りつけた物を口にする。ミロディは、正面のデューンを見ている。あらぬ方向を見ていたデューンが、ミロディの方を見る。
ミロディは、食べた物を飲み込むとデューンを見たままうなづいた。デューンは、それを確認すると、ミロディの前の小皿をひったくるように自分の方に引き寄せ、小皿の物を口にした。
そう、メイドは毒見役も兼ねる。
毒見役は以前からいたが、ペトリアヌスが亡くなってからは、毒見はさらに細かく厳しくなった。
なにしろ、ペトリアヌスの毒見をしたはずのエレーナリントは、主が毒で亡くなったにもかかわらず生きていたのだから。
王族の中には、毒見役が口を付けた皿から物を食することに不満を漏らすものもいたが、自分の命とどっちが大事かってことだよね。
デューンも、ミロディが口付けた物を食することに不満を持っていたか否かは分からないが、まあ、あまりいい表情を見せないまま淡々と食事を終えた。