第9話 喪中の怪異
どんな豪快な奴にも、人には言えない暗い過去がある。
その日、王宮の各塔に黒幕が降りた。
デューンの叔父ブリジェルドが亡くなった。
ほぼ寝たきりだったが、病状が急変した。
国中が喪に服し、雅牙の塔の大広間では、告別式が執り行われた。
「マクガイアス家の呪いが、王以外にも及んだ」
「いやいや、呪いなどではなく、暗殺されたのだ」
様々な憶測が飛び交う不穏な雰囲気の告別式となった。
叔母マーレヌノアは、黒いベールで顔を隠し、喪服姿で7日間霊柩の間に籠る。
参列者を見送るマーレヌノア。
黒いベールに包まれたその表情は読み取れないが、光の加減でかすかに見えたその顔にふくよかさはなく、骨ばって、妖艶さどころか老婆のようだった。
マーレヌノアが喪に服している間、国中の娯楽もひかえられた。ボトスもその一部であった。
ウールクラール全土が静かになった七日間。
告別式の翌日から始まった喪に服す七日間の初日。
デューン達はいつものように3人テーブルを囲み、だが誰も見ていないとはいえ、あまり明るい会話は憚られた。
静かな朝食。
デューンは、何皿めかを受け取った時に気付いた。
ナターシャの爪が青く染まっているのを。
喪に服す7日間は、家人の仕事以外は休みだ。
家人とは、家の中で主人の面倒を見る職業。執事やメイドはもちろん、調理人などもこれに含まれる。それ以外は全て休みなので、配膳係も当番以外は休み。
いつもなら、廊下を歩けば清掃をしている誰かに行き会うだはずが、今は塔の中はがらんとしている。そんな中、一人だけ塔の中を歩き回っている人物がいた。アルギユヌスだ。
「ナターシャ、アルギユヌスを見たか?」
「先ほどまでは、5階の応接間におりましたが、アルギユヌス様が何か?」
「設計士は家人ではない。今は仕事の代わりに喪に服さねばならない時。仕事をされたら困るのだ」
ローディンは、5階の応接間に向かった。
応接室の扉をローディンが開けると、アルギユヌスは、驚いたように振り向いた。
「・・・・・寝てないな」
ローディンは言った。
確かに、アルギユヌスの目は充血し、目の下にクマができている。
「・・・いえ、このくらいは、そんなに・・・・」
そう言いながら、アルギユヌスはその場に倒れた。
ローディンが駆け寄る。
首元に手を当て、額の熱を確認。手首に指を当て脈拍を測る。
そこへ、ナターシャが駆けつけた。
「おお、いい所へ。ナターシャ、部屋を用意してくれ。しばらくアルギユヌスを休ませる」
アルギユヌスは、あつらえ部屋に運ばれた。
アルギユヌスの部屋は、図面や作図用の器具でいっぱいの状態で、病人がゆっくり休む部屋ではなかった。
「ナターシャ、今日は頼める使用人が誰もいない。わたしはデューン男爵の所に行ってくる。わたしが戻るまでアルギユヌスの様子を見ていてくれ」
「分かりました」
ナターシャはベッドの横に椅子を持ってきて、そこに座った。
アルギユヌスは、深い眠りについたままだ。
ナターシャは、アルギユヌスの頬を撫でた。
その指の爪は青色に染まっている。
そのナターシャの指が止まる。
ナターシャはゆっくり天井を見上げた。
天井には何もない。
だが、ナターシャの目は何かを追うように天井を見つめ続ける。そのナターシャの目が一点で止まる。
その時、
「うあー!」
突然、アルギユヌスが上半身を起こして叫んだ。
ナターシャは、アルギユヌスに視線を戻し、その肩を掴んだ。
アルギユヌスは、ナターシャの手が肩に触れた途端、驚いたようにその手を払った。
「アルギユヌス、ナターシャよ」
その声に、アルギユヌスは我に返った。
アルギユヌスは、声の主を見た。凍りついたようだったアルギユヌスの表情に温かみが戻ってくる。
「ナターシャ」
アルギユヌスは、ナターシャの胸にもたれかかった。ナターシャは、もたれかかるアルギユヌスをその胸に抱きしめた。
「大丈夫よ。何にうなされていたの?」
ナターシャの胸にもたれたまま、アルギユヌスは語り始めた。
「音だ。何かがすれるような・・・・そう鋭い牙と牙がこすれ合うようなかすかな音。どこからするのか分からない。背後でしたかと思うと耳元でする気もする。何もしないでいると、その音が気になって仕方ないんだ。仕事をしている時だけは、その音を気にしないでいられる。だから、喪に服さなければいけないのは分かっているんだが、音を紛らわすために仕事に熱中してたんだ。その音は寝ていてもする。だからこの二、三日眠ることができなかったんだ」
「わたしが付いているわ。ローディン様からあなたに付いているよう言われたの。だから、安心して」
「・・・・・ナターシャ。君には聞いておいてもらいたい」
急に真顔になり、アルギユヌスは、ナターシャの胸から顔を上げた。
「ナターシャはデールメティリアだから、マーレとダーレの話を知っているか?」
「知ってるわ。魔族と人間の混血。牙持つ者と爪で引き裂く者のことでしょう?」
「前に、俺はモズリーとの戦いに参加したと話したよな。魔族との混血はもう何百年も前に絶滅したはずだった。だが、モズリーは絶滅したはずの混血を兵士として使っていた。ウールクラール軍はこれを発見し、捕えた人間は捕虜としたが、混血は・・・・・」
アルギユヌスは、そこで間を開けた。
次の一言を言うのに抵抗を感じている。だが、その抵抗を打ち破り、アルギユヌスは言った。
「俺達は、混血を・・・・皆殺しにしたんだ」
アルギユヌスは、もうナターシャを見ていなかった。
その紫がかった青い瞳を見ながら話すことはできなかった。
「さらにモズリーを追撃していくと、混血の村を発見したんだ。混血は、牙と爪で人類に不安を及ぼすもの。俺たちはその村の住人全員を虐殺した。女子供も容赦なく・・・・」
アルギユヌスは、目を閉じた。
「命令だった。軍である以上は上官の指示に従う義務がある。だから、俺も虐殺に加わった。その時に、俺は聞いたんだ。何かがこすれるような音。牙と牙がこすれあうような音だ。その音は、俺の中の最も深い所に沈んでいる懺悔の念を刺激する。・・・・・・もう何年も聞いていなかった。いや、何年も聞いていないのではなく、俺自身がその音から逃げていたんだ。軍をやめ、人の多くいる所を転々と放浪した。その音は放浪先で鳴ることはなかった。もう解放されたと思った。もう懺悔の日々は終わったと。だが、喪に服すことになったその夜から、突然その音が再び鳴りだしたんだ」
「それで、その音が気になり眠ることができなくなったのね」
ナターシャが念押しするように言う。
うなづくアルギユヌス。
「さっき突然起きたのは?」
「夢の中で鳴ったような気がしたんだ。牙と牙がこすれ合うようなその音が」
ナターシャは天井の方を見た。
「音なんか聞こえていないわ。さあ、もう少しお眠りなさい」
アルギユヌスに視線を戻したナターシャは言った。




