起
「ふぅ...今日も疲れたな」
電車の中で時計をちらりと観ると既に夜の10時に差し掛かるとこだ。
電車の中は1人の老人と自分と同じくらいの年齢のサラリーマンを除いて誰もいない。
窓からはいくつかの店の灯りが見えるもののこんな片田舎ではこの時間帯はほぼ閉店しているとこばかりで景色と呼べるほどのものではない。
まあ、そもそも毎日通勤している変わりばえのない景色など見えない方がいいとさえ思うが。
「次は〜終点深桜駅に止まります。お荷物等お忘れ物のないようお降り下さい」
平坦な声が長い通勤の終わりを告げる。やっと終わりかと重い腰を上げゆっくりと立ち上がる。
「あたた...さすがに職場から最寄駅まで40分は堪えるな...。職場変えようかな」
このサラリーマンの名は小林信治。どこにでもいる社会のパーツとして働いている会社員である。
軽く伸びをしながら無人駅に降りると肌寒い風が頬を突いた。
日に日に寒くなるその風はまだこれからどんどん寒さを増すのだなと実感させた。
駅内の自販機からコーヒーを買い、何気無しに駅のベンチに腰をつけるとミシッと音を立てた。
コーヒーをぐいっと口に放り、上を見上げ一息つく。蛍光灯がパチパチと無秩序なリズムをとっている。
「このまま、俺田舎でいいのかな」
小林はふとそう呟いた。
というのも小林は数年前に都市部の大学に進学していたのだが、丁度父が定年を迎えるということもあり、実家に帰ってきたのだ。
都会に疲れた身体にとって実家がある田舎というものは最初は際限ない潤いを与えた。
帰ったらご飯が炊かれていて食事が出てくる、洗濯カゴに着汚れたワイシャツを入れれば翌日にはシワ一つなく畳まれているという生活はもはや楽園とも呼べるものだった。
しかし、あれから2年という月日が経った今どうだろうか。
うちの母は家事くらいしたらーと嫌味をチクリと刺しながらも未だに規制当初のように家事をしてくれる。
父も同様に自分のために帰ってきたことを自覚しているのか俺をやたらに労ってくる。
多少は母は対応がそれなりのものにはなってしまったものの、特に生活が変わったわけではない。むしろ未だにあれこれとしてくれる両親には感謝さえしている。でも、一つだけ。そんな状況だからこそ罪悪感が心の奥底で渦巻いている。
「俺は...俺は...本当に父さんのことを思って帰ってきたのか」
俺は...ただ逃げてきただけなんじゃないのか。
周りのみんなに負けるのが怖くて田舎に帰るという言い訳をして自らを正当化したかっただけなんじゃないのか。
そんな負の感情が頭を占める。
と同時に眠気も一緒にやってくる。
「俺は...そんなつもりじゃ...」
小林はそのまま意識を失った。
チュチュチュ
「...寒っ」
身体を震わせながら目を冷ますと、駅のベンチに横になっていた。
意識が鮮明になるにつれ、身体にズキズキと痛みが主張してくる。
「これもうちょっと冬だったら完全にご臨終だったな」
ポケットからケータイを取り出し見てみると、数件メールが入っていた。どれも親からのものだった。
「やべ、連絡入れないと」
小林は急いで電話の欄から親の番号にかけようとして、そして、辞めた。
「まあ、今日中に帰れば大丈夫だろう」
幸いにも今日は土曜日だ。この休日だけは俺を縛ることはない。
さて、どこに行こうか。
といっても特に行きたいとこなんてないけど。
「とりあえず散歩でもするか」
小林はとりあえず歩を進めることにした。夜の霜で濡れた服がひんやりとした。
それから数十分ほどして。
俺とは別に意思を持った足は気がつくと高校の前に来ていた。卒業してから6年ぶりの登校だった。
「俺なんでこんなとこに」
小林は不思議に思いながらも校内を散策。
普段こんなことをしようものなら不審者として捕まえられるんじゃないかと思ったが今日は幸いにも土曜日であったと思い出す。
もちろん生徒なんてのはほとんどいない。少しだけ部活動でランニングしている生徒達の目が気にはなるけど。
小林は、最初は意味もなく歩いてみたものの歩を進めるにつれここに6年ぶりに来てしまった理由が明確に分かってきた気がした。
そうか、俺にとってここが最後の『自由』だったんだな。
学歴で選んだのとは違いただ近いという全く考えないままに選んだこの高校。
当時野心家だった小林にとっては結構コンプレックスではあったものの今ふと思い返せば好きに勉強、友達とカラオケ、そして恋愛。
どれもこれも色あせたはずの記憶のページはとても鮮やかに描かれていたことに気付かされる。
しかし、別に今となっては都会に出たことも後悔はなかった。
ただ、今はこの懐かしく友と語らった学び舎を歩きたかった。
「あ、そういえば」
ふと、昔親友が言っていたことを思い出す。
「確か裏庭の焼却炉の横の廃墟跡にお化けが出るんだっけか」
当時は盛り上がったバカバカしい七不思議の内の一つ。
桜が満開の日にそこの近くの廃墟跡にお化けが出てそれに会えたら幸せが訪れるというもの。
まあ、今は秋真っ只中。桜どころか木に木の葉一つついているか怪しいところだが。
小林はそう思いながらも暇つぶしにいってみるかと裏庭に足を運ぶ。
裏庭には人ひとりいない静寂があった。木は案の定木の葉一つ残しておいてはくれず、あいもかわらず焼却炉はずっしりと佇んでいる。
「お化けなんてそりゃいないよなー。ましてやこんな昼間に」
小林にとってその行為は別に本当に見れると思ってやった所作ではなかった。ただの当時の親友と見に来た思い出を懐かしむためのものでしかない。
しかし、一つだけ当時にはなかったものを目にしてしまう。そしてそれは小林の目を奪ったまま釘付けにして離さない。
焼却炉の横には大きな屋敷が聳え立っていた。
「あれ?こんなとこにこんな建物あったかな」
新しく建てたのかなとも小林は思ったが、その年季の入りように新しく建てたようには到底思えないとその考えを消した。
だが、それならそれでおかしい。
こんな古くそれなりに大きな建物なら当時気付いていただろうし、校内にあるとなっては余計素行の悪い学生になにかしら嫌がらせの的にしていただろう。
「誰かいるのかな」
なぜそう思ったのか。それは小林にも分からない。しかし、なぜかその建物のドアは半開きなこともあって中が無性に気になった。
まるで誰かが自分を手招きしているような、そんな錯覚を覚えた。
ギイイィッ
ドアは少しだけ力を入れると開け慣れているのかすぐに開いた。中から涼しげな空気が頬を撫でた。
小林は不気味さを背中に感じつつもここまで来たという気持ちとなにより中を知りたいというよく分からない好奇心を抑えられなかった。
「よし、入るぞ」
ゴクリと唾を飲み、中に入る。
フッ
テレビのケーブルを引き抜かれたかのように突然意識が途絶えた。
「んっ...」
瞼に暖かさを感じ目を覚ます。そこは原っぱだった。
日はサンサンと注ぎ、虫は足元を這い、鶯は春を歌う。
そして何より小林の目を奪ったもの。それは目の前に大きくずっしりと構えピンクに咲き誇る桜の木だった。
先程までの肌寒さは何処へやら今となっては若干スーツが暑く感じさえする。
「なにがどうなって」
とりあえずたち上がろうとして毛虫が手付近にいることに気付きあまりの驚愕に尻餅をついて身体ごと倒れてしまった。
ふと鼻先を香るアブラナの匂い。空の雲はゆっくりと流れていた。
ずっとこのままここに倒れていたいな。ふと小林はそんなことを思ってしまったが、そんなわけにもいかないと腰を上げた。なぜなら今日見たどんより曇っていた秋空がどこまでも澄んだ爽やかな春空に変わってしまっているからだ。
そんなよく分からない空間にいつまでもいるのはあまり好ましいことではない。
小林は一先ず周りを探索することにした。
しかし、自分が元いた場所とは全然異なり生徒どころか人影、焼却炉さえない。どこまでも黄色いアブラナが風になぞって揺れているだけだ。
だが、そんな摩訶不思議な光景にも一つだけ変わらないものがあった。
そう、来る前と同じ位置にちゃんと屋敷が決まりよく居座っていた。
来る前はあんなに景色に溶け込まておらず、目に馴染まない分不気味でさえあったあの屋敷が今となっては一番そこにあって良かったとさえ思う。一番出会って歴史の浅いそれだけが小林にとって最も見慣れたものの一つとなった。
「今度は大丈夫だよな」
小林は再度目の前の屋敷の前のドアを開けようとした。
さっきのふと意識が途切れた感覚を思い出し、鳥肌が全身を駆け巡る。だがだからといって辺りを散策するよりはこの中に入った方が元の場所に戻れる可能性がある分引き下がるわけにはいかない。
キイィィ!
つい数分前にも聞いたようにドアは勢いよく開く。しかし、気のせいだろうか。さっきよりもドアはよりスムーズに空いたような気がした。
「!?」
中はどこまでも続く廊下があり、再度の両隣に襖がびっしりと並んでいる。
ブナの木だろうか。艶が出た廊下は少し気を抜けば転んでしまいそうな程に滑滑に道を作っている。
「こんなことするのも良くないけど、今は元の場所に帰るのが最優先。家の中に誰かいないか探すか」
小林は淡々と進み、適当に襖を開けた。
襖の先の部屋はおよそ20坪は固いだろう。一部屋にしてはかなりの広さがただ存在していた。
隅には仏像が何体も並んでいたりするものの他には特に何も見当たらない。
「やっぱり誰もいないのかな」
部屋の中をいくつか散策しては見るものの人の生活感らしきものを全く感じない。
まるで観光用の建築モデルの中を歩いているみたいだ。
「やっぱり屋敷から出てとりあえず外を探索して見るしかないのかなあ」
小林は部屋の中で戻る手段を探すのを諦め、戻ろうとした。その時だった。
「なんじゃ、久々の客人とは珍しい。そんな早く出ようとせずとももう少しゆっくりしていけばいいではないか?」
「!?」
小林は慌てて後ろを振り返る。そこには真っ黒なボブヘヤーに紅い着物を着た小さな女の子が立っていた。
「あっ...あっ...」
あまりの衝撃に小林は声が出ない。まさに文字通りお化けに出会ってしまったと小林は思った。
「なんじゃ?そんな驚いた顔をして。人の家を物色していたのは妾に用があってのことではないのか?」
女の子は腰に手を当て屈み、小林の顔をまじまじと見る。その小さな顔についた大きな目は小林の怯えた顔を写していた。
「あ、あなたはここの屋敷の方ですか?」
ようやく喉からかすれかすれの音が出る。
「ふむ、そうじゃが何かな?というかお主人間なのにここを訪れたようだから少しは肝のある奴だと思ったのだが大したことないのじゃな」
女の子のその言葉に小林はさらに首をすくめる。
「じゃあ、あなたはやっぱり」
「ふむう、知らんのに入ってきたとは。そう、我こそはここの屋敷の主人にして第98代目妖怪総大将座敷童こと童じゃ」
童は胸の前でポンと握り拳を叩き、自信一杯に元気いっぱいにそう言った。
「そしてお主の周りにいるのが...」
「え...?」
そう言われ小林が辺りを見渡すと襖の隙間から巨大な怪物の目や小さな小人、ありとあらゆる畏怖されるべき魑魅魍魎が顔を覗かせていた。
「この屋敷の住人であり妾の家族たちだ」
「うわあー!」
小林は全力で逃げようとするが腰が抜けてしまっているのかうまく身体に力が入らない。恐らく逃げ出せたからといって屋敷から抜け出せるわけではないのだが。
小林はこの数分を未だに信じられないまま、その場に蹲る。ついさっき見た爽やかな春空の方がまるで夢のようであったかのように淡く頭から消える。
「なんだか騒がしく面白いやつじゃのお。人間というのはみんなこういう感じなのかの?妾はまだ人間に会ったことがないから分からんのじゃ」
「ええ、人間は大体我々妖怪を見た最初はこのような反応を致します」
「そうかそうか、ではこれは人間なりの初対面に対する挨拶みたいなもんなのじゃな。おい、人間」
「は、はい...」
小林は恐る恐る蹲った体制のまま、服の隙間から童の方を見る。
「よし、よく向いてくれた。ではこれより妾の家族を紹介するぞ」
童はそう言い、ニコッと笑った。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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