4 ナギの散歩
(・・・なんだか、知らない場所だと心がワクワクするのですよ。)
ナギはまだこの世界に生まれたばかりの子供のように、見るものすべてがワクワクとドキドキに包まれているかのように無邪気な様子で人の行き交う町並みを散策していた。
金色の細い髪は光に照らされるとキラキラと輝き、白く細い指先はどこぞの貴族様のよう。
身長や見た目から見るに16、17歳程度の彼女は、黒っぽいローブに身を包み人波を移動していた。
(この世界のこと、なんにも知らないなんて・・。不思議だけど、なんだかとっても楽しいですよ)
橋の上から運河を見たり、飲食店をのぞいてみたり、街の中をあてもなく散策するだけでナギは満足そうだった。
「綺麗なのですよ。街も、水も・・・。街全体がとっても・・・」
赤茶色の煉瓦を基準に作られた道、建物、流れる運河の水を見ながら誰に言うわけでもなくナギは高台にのぼり手すりにもたれかかりながらこの世界を満喫していた。
ナギの眼下に広がる見知らぬ街、その先には見知らぬ世界が広がっている。街の中心に近いところに見える噴水。きっとあそこがハルたちと別れた場所なのだと、彼女は噴水広場を見みると不思議とにやけてしまう。
家が多いように思えるけど、街の一部は廃れていて、廃墟のようになっている。あの部分は人があまり住んでいないようだ。
遠くに見える大きな屋敷がいくつか。この高台からでも何軒かよく見える。さらに遠くには山が見え、その手前には鬱蒼とした森が広がっている。
(ナギ達は、あの森のどこかで意識を取り戻して、ここまで来たのですよ・・・)
ナギ自身も、得体の知れないモンスターに襲われた身である。
林道に出るまで誰かと合流することはなかったが、命からがら逃げ惑ってきた。
その時の事を考えると、背筋に寒気が走り身震いしてしまう。
「お嬢さん・・・魔道士様かえ?」
暖かな日差しの中、ナギはボーッと町並みを見下ろしていると急に背後から声をかけられた。
「お嬢さんって・・・。ナギのこと??」
驚いて振り返ると、そこには足を引きづりながら歩く老人と、付き添いの人がナギを見つめていた。
ナギはゆっくりと二人のそばへ近づいていく。
「えと。おじいさん。ナギになにかご用事です?さっき、ぼーっとしてたから聞こえなかったですよ」
困った顔をしながらナギは少し背中の丸まった老人の前まで行くと、視線を合わせようと、その場に腰を落とす。
「お嬢さん。ナギというのか。いい名前じゃな。」
「えへへ~。ナギも、けっこう気に入ってる名前なのですよ」
老人はナギの名前を聞くと気に入ったように何度も頷いていた。
ナギもそれに合わせてうんうん、と照れくさそうに頷いていた。
「まぁ、立ち話も老体には酷でな。座らんかな?」
ちょっと先にあるベンチを指差し右足を引きづりながら、付き添いのお姉さんの肩を借りながら歩き始めた。
「おじいさん、だいじょうぶですか?手伝うのですよ。」
「おぉ、すまんのお嬢ちゃん。歳はとるものではないの。自由に動けんでな」
ナギはゆっくり移動する老人を後ろから見ていたが、すぐに空いている方へ周り、老人へ肩を貸した。
見た目もやせ細っているせいか、老人の体はナギが予想していたものよりも軽いものだった。
老人は少し照れたような笑いをしながらも、ナギの好意におとなしく従っていた。
「よっこらせっと・・・。ふぃー。助かったよ。お嬢ちゃん。」
「ナ・ギ、ですよ。お嬢ちゃんではないですよ」
「おぉ!!そうだったな。お嬢ちゃん。すまんすまん」
「だからっ!・・・、もう、お嬢ちゃんでいいのですよ。」
少し怒った顔で言い返しては見たものの、ナギの意見は届くことがなかった。
老人に伝えることは諦めたようで、少しため息をつくとナギは老人の隣に腰掛けた。
「あの、あなたは座らないのですか?」
老人の隣に立つ女性に声をかけてみた。
「私は、旦那様のお世話係りをやらせていただいていますので、隣にいるだけで光栄です。どうぞ私のことはお気になさらないでくださいませ。ナギ様」
「は、はあぁ・・・」
「それよりじゃ、ナギ。お主は魔道士かえ?」
ナギと女性が話している最中に老人は我慢できなかったのか割り込んできた。
さっきの一瞬耳を疑る単語。「魔道士」。どうやら聞き間違いなんかではないらしい。
「ま、魔道士?それはどんなものなのですよ?」
「魔道士とは、万物の理。世界の根源たる力を扱える偉大な存在じゃ。今では純潔の魔道士はほとんどいなくなってしまってな。世界中で量産される「魔法道具」を利用し人々は魔法を使うようになっておる。お主の姿。その黒いローブ。容姿から見るに異国の者じゃろう。この街に魔道士はいないからな。わしはてっきり旅の魔道士様かと思ったのだが・・・。」
ナギが「魔道士」を知らないことを悟った老人は残念そうに肩を落とし、ナギへ視線を送る。
ナギはその視線を受けるも、いきなりの勘違いで困り果ててしまう。
「その足、怪我をしたんですか?」
非常に重たい沈黙と痛い視線に耐え切れなくなったナギは、なにか話題を探そうとしていたがさっきの老人の歩き方を思い出し聞いてみた。
「この足は昔な。鉱山にあるオークの集落を壊滅する仕事を請けたときにできた傷じゃよ。もう、何十年も前じゃ。この街がここまで発展する前のな」
「お、オーク・・・」
ナギは昨日の夜のことを思い出していた。
ブラックが、豚野郎、と言っていたあれのことと安易に想像がついた。
おそらく、ナギが森で襲てきたやつもそれだろう。
自分たちには逃げるだけで何もできなかった、恐怖の対象を討伐するなんて想像もつかなかった。
「あんな怖いの倒すなんて、すごいのですよ。ナギは怖くて怖くて・・・。逃げるのが精一杯なのですよ」
昨日のことを思い出し、顔面から血の気が引いていくことがわかった老人は、少し明るいトーンで少し優しく語りかけてきた。
「そりゃあ、あの時はワシもお嬢さんのように若さもあったし、仲間もおったしな。強かったんじゃぞー?黒魔道士の炎魔法、盗賊の双剣を使った連続攻撃。スナイパーの弓矢。そして二人の剣士の見事なまでの攻防。わしはこれでも結構有名でな。仲間と賞金稼ぎをしまくったものじゃ。」
「つ、強かったのですよ。おじいさん。」
「双剣のミクロ!なんて言われてな。当時のわしはなんでも出来ると思っておったよ。このあたりのモンスターをなめてたんじゃな。ゴブリンでも、オークでも、スライムでも、このあたりに生息するモンスターなぞ敵ではなかった。」
「おぉー!!おじいさん、強いのですよ!」
『双剣のミクロ』の異名を老人は、ナギの純粋の驚き、尊敬する眼差しを受けると少し照れくさそうにしながらも曲がった背骨を精一杯に伸ばして胸を張ってみせた。
「しかしなぁ・・・」
ミクロ、という老人は動きの鈍くなった足を見つめながら、思いため息を吐くと、静かに話し続けた。
「あれは、わしの最後の冒険じゃった。山の麓でオークが異常発生していてな。討伐の依頼があったのじゃよ。よく調べもしないで、オークの討伐なんて軽い軽い、って仲間と出かけたらこの有様じゃ」
そう言いながら足をポンポン、と軽く叩いてみせる。
「でも、おじいさんは強かったのですよ。オークや、ゴブリンもやっつけるって聞いたのですよ!」
「そうじゃな。確かにそのとおりじゃ。」
「なら、なんで負けちゃったのですよ?」
「オークの中に、『マザー』がいたんじゃよ。」
「ま、まざー??」
「そうじゃ、オークの中にも階級がある。オーク、レッドオーク、ブレイクオーク、マザーオーク。強さによりあやつらにも階級がある。その中でもトップの力があるのがマザーオーク。大きさも、力もすべてがオーク族で最強じゃ。」
「普通のオークでも強いのに、もっと強いのがいるですか!」
「そうじゃ、最強のオークじゃ!」
体を大きく広げてガオーっと、襲いかかるような素振りをするミクロと、それに合わせて怖がる素振りをするナギ。
「すぐに撤退すればよかったのじゃが、わしは、有頂天になっていたのじゃな。仲間たちとろくに相談もせず無謀にも挑み、命からがら逃げ出して右足という大きな代償を支払ったわい。その後、仲間たちも散り散りになってな。今ではどこにいるのかもわからん。さぞ、ワシを恨んでいるじゃろうなぁ。」
右足をさすりながら、ミクロは寂しそうに、力なく喋っていた。
ナギは、その話を聞いて返事ができなくなり、隣に座ったまま目の前の風景をただ無言で見ていた。
「ナギ、魔道士になるですよ!」
「なぬ?」
ベンチから立ちがあると、ナギはミクロに自分の気持ちを伝えた。
「ナギ、魔道士になって、おじいさんの足、治してあげるですよ!それに、ナギの仲間だって、助けることができるですよ!」
驚いたミクロは、ただ、ナギの顔を見上げていた。
付き添いの女性も驚いているようで、二人からは何も返事はなかった。
「もしかして、ナギでは無理なことなのですか?」
その様子を見て不安になったナギは困った顔でミクロに聞くと、ミクロは慌ててナギに言い聞かせた。
「む、ムリじゃないかもしれんぞ!魔道士の適性を調べればわかるのじゃが、それは生まれ持ったモノで才能というやつで、もし魔道士の素質があれば日々鍛錬しスキルを磨き、修行し続ければお主にも魔法は使えるようになる!魔道士というのは・・・!」
「だ、旦那様。ナギ様が困惑されておりますよ。」
ミクロはナギの肩を両手で掴み立ち上がると、興奮気味にナギへと話しかけるも、途中で理解が追いつかなくなったナギ。
その様子を見てもとまらないミクロのマシンガントークにたまらず付き添いの女性は声を出した。
理解できなくてちんぷんかんぷんになっているナギを見て、ミクロはふと我に返り照れたように笑い出す。
「ナギ、出来るかもしれないなら頑張るのですよ~」
「す、すまんな、お嬢さん。つい、若い時のくすぶった気持ちが高まってしまってな。ははは!」
再びベンチに腰を掛けると、先程いた噴水広場を指差した。
「すまんが、あとで使いの者を送るのでな。日が暮れる前には噴水の前にいてほしいのじゃ。」
「噴水の前・・・。わかったのですよ!ナギの仲間も、夕方待ち合わせしてるのですよ!」
「ほうほう、仲間か。いいじゃろう。一緒にまっておれ。将来わしの足を治してくれる魔道士様に恩を売ってかんとな」
「えへへ~、頑張って魔道士になるですよ!」
照れて笑うナギを見て楽しそうに笑うミクロ。
「旦那様。お楽しみの中申し訳ございませんがそろそろお時間が・・・」
「もう、そんな時間か・・・。年を取ると、楽しい時間はあっという間に過ぎるものじゃな。」
そのミクロに申し訳なさそうに時間がないことを告げる女性。
楽しそうな顔は一瞬で消えると、どこか寂しそうな顔をしてゆっくりと立ち上がるミクロ。
足をずり。ずり。と引きずって歩く中、ナギは無言でその姿を見送っていた。
「夕刻頃、約束じゃぞい!」
「わかってるのですよ!おじいさんも、忘れちゃダメなのですよ!」
「わしはまだボケとらんよ!」
いきなり振り向いたかと思えば、ミクロは歳に似合わない明るい、若々しい声と笑顔で、まるで意中の相手を食事に誘うかのような口調でナギに別れを告げゆっくりと街の方へ歩いて行った。
ナギはその姿が見えなくなるまで、後ろから見守っていた。