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stage2_ミノタウロス 1

 ロンベルン近郊に出現した迷宮を調査すべく。私とジークベルト、マヤトーレの三人は薄暗い森の奥深くを彷徨っていました。良く眠ったので皆元気、もう夕方ですけどね。

「かなり暗くなってきましたよ。本当に近くなんですよね?」

「ああそうだ。そのまま真っすぐ進んでいけ」

 先頭を歩くのは私の役目、モルゲンロッドで木枝を払いながら進みます。

 ローブの修道士に、胸当てとマントを付けた戦士風の男、凝った作りの衣装を纏っているけれど、やたらと肌色の目立つ細身の女。町中なら目立つこと間違いなしの私たちですが、迷宮に挑む冒険者と考えれば実にそれらしい格好をしているのではないでしょうか?

 会議の席では面倒な仕事だと思ってうんざりしていましたが、迷宮探索となれば話は別です。昔物語に出てくる迷宮には魔物や財宝が付き物。心躍る冒険を期待すると、自然と足も弾み元気が湧いてきます。

「未だに信じられねぇぜ。まさか、デルフィの村がそんなことになってるなんてよ。あそこにはまだ家や畑が残ってたはずだろ?」

 マヤトーレによると迷宮の入り口となる転移の魔法陣はロンベルンの西方、かつてデルフィという名の村があった場所に出現したのだとか。私は初めて耳にしましたが、ジークベルトは以前からその村のことを知っていたようです。

 知らない場所へ行くというのは不安もありますが、どうやら私の場合、期待を感じてしまうことの方が多いよう。修道士になろうと思い立った時や、ラッカを飛び出した時だってそうでした。こんな気持ちになるのは久しぶり。燻っていた最近の私が嘘のようです。

「迷宮なんて昔物語の中にしか存在しないって思ってました。やっぱり魔物なんかも出るんですかね?」

「それは勿論。せいぜい楽しみにしておくことだな」

 セピアの森に陽が落ちて、闇が急速に深まっていきます。私はモルゲンロッドの先端に魔法で灯りを灯しました。遠く響く獣の鳴き声、夜の森は少し不気味で怖い感じがします。

「色付きの狼だ。奴らは、ああやって仲間を探しているんだ」

 目を凝らしてみますが、それらしい影は見当たりませんでした。狼はきっと遠く、私たち人間の目の届かないところに隠れているのでしょう。

 ぽとりと、何かが水に落ちるような音がしました。蛇が水辺に飛び込んだのでしょうか。正体が分からないから却って気味が悪いです。

「沢からは大分離れたと思いますけど、近くに泉でもあるんですかね?」

「どうやら着いたみたいだな。見ろよ、家が並んでるじゃねぇか」

 ロッドをかざしてみますがそれらしい物は見当たりません。さすがジークベルト、相当に目が良いようです。彼が言った通り、しばらく歩くと小屋のようなものが姿を現しました。近くに井戸もありますね。どうやら水音の正体はあれだったようです。

「相変わらず寂れた村だぜ。人っ子一人いやしねぇ」

 井戸の横を通って表に回ります。荒れ果てた畑と木造の民家らしきものが点々としていました。聞いていた通り廃村になっているようで、人の気配は全く感じられません。

「こんな場所があるなんて……。だいたい、ロンベルンより西には誰も住んでいなかったんじゃ……」

「俺が生まれる少し前くらいだったか、流行り病で人がいなくなったらしい。こういう場所は他にもあるぜ」

 今にも崩れそうな家々に、境目の分からなくなった道と畑。小さな井戸と朽ち果てた四角い柵。柵の中には鶏の骨らしき物が転がっていました。彼らは誰に食べられることなく、この狭い世界の中で静かに息を引き取っていったのでしょう。

「大いなるエル・リールよ。哀れな鶏たちに救いの手を差し伸べたまえ」

「ほう、さすが修道士。殊勝なこったな」

 職業病というやつでしょう。骨や死体を見ると祈りたくなってしまうんです。暗記した文言を唱えて静かに目を瞑ります。モルゲンロッドを突き出して神聖なポーズ。これで彼らも救われたことでしょう。

「何だか、寂しい場所ですね。ここと比べればロンベルンの方が幾分かましに思えます」

 ロンベルンは街道の終わりの町、皮肉を込めて森の終わりの町だなんて呼ばれたりもしています。そこから先は人の住まない未開の地、どこまでも森が広がっているものと思っていましたが、これは都会の常識が正しいとは限らないという一つの実例ですね。

「軽く衝撃を受けました。まさかこんな森の奥に村があったなんて」

「もっと西の方にも人が住んでるらしいぜ。知ってるか、亡獣の皮を被ったりしてるんだとよ」

 それは森の未開人という奴でしょう。原始的な生活を送っていて、文字も読めず、言葉も通じないという人たちです。本当にいるのかも分からない幻の存在。人間なのに魔物図鑑に載っているくらいですから。

 マヤトーレに続いて奥へ進みます。骸骨の一つでも転がっていそうな雰囲気でしたが、それらしいものは見当たりませんでした。周囲を見渡してみると、村のあちこちに木で作った農具や防柵の跡のような物が残っていました。

 並ぶ廃屋の横を抜け、荒涼とした畑の跡を通って村の外れへ。細い水路の前で足を止めます。樹木の傍に人影のような物が見えました。

「あそこに誰かいます……?」

 突然のことで驚きましたが、良く見ると石像か何かのようです。ロッドで照らすと、ぼんやりと姿が浮かび上がってきます。立派な像ですが、かなり劣化しているようで所々が欠けたり削れたりしていました。

「見たことのない神様ですね。誰か知っていますか?」

 少女の像にも見えますが、その頭には二本の角が付いています。美しい顔立ちをしてドレスを纏った何者かの像。服の端から指先まで、細かな装飾が施されているのが印象的でした。

「どこかの神か、あるいは魔物人の像かもしれないな」

「言われてみればそれっぽくもありますね」

 まるで木の根のような、太く螺旋を描く二本の角。改めて見ると、確かに神というよりは魔物人のそれに近いような気がしました。

 大昔に人間と争っていたという、魔物の大いなる主。人に似た姿を持ち魔法を操ったと言われていますが、かつての英雄たちに敗れて地上から姿を消したと伝えられています。

 昔物語の多くは両者の戦いが元になっていると考えられていますが、魔物人が実在したという証拠はどこにも残されていません。全ては歴史の闇の中。同様に空想の産物だと思われていた迷宮の近くこんな像があるだなんて、これは実に探求心がくすぐられます。

 しかし、仮にこの少女が魔物人であるのなら、村に住んでいた人々は一体何を思ってこんな像を作ったんでしょうか。神様の像ではなく魔物人の像だなんて……。

「そういや、こんな噂を聞いたことがあるぜ。デルフィの村じゃ昔から魔物崇拝が行われていたって。こいつはもしや本当だったんじゃねぇか?」

「へぇ、それは興味深い話ですね」

 村人たちは流行り病で死んでしまったという話ですから真相は分からず仕舞いでしょう。けれど、もしかしたら村の魔物崇拝と迷宮の出現には何か関係があるのかもしれません。

 人々が神の像に祈りを捧げるのと同じように、魔物人の像に跪いて怪しげな儀式でも行っていたのでしょうか。楽しい想像をする私たちを見て、マヤトーレが意味深に唇を吊り上げました。

「どうだ、中々に面白い場所だろう。だが、驚くのはここからだ。あそこを見ろ、地面が白っぽくなっているのが分かるか?」

「あれ、この村の地面って剥き出しじゃありませんでしたっけ?」

 草と土に覆われた地面の先に見知ったタイルの床が並んでいました。

 デルフィは森に囲まれた辺境の村。暗くてはっきりとは分かりませんでしたが、実際に歩いてみた感じからすると、地面にタイルは敷かれていなかったと思います。それに、あちこちに防柵の残骸がありましたが、あれは魔物の襲撃に備えての物でしょう。もしもタイルが村の土台になっているならそれだって必要ないはずです。

「ロンベルンや他の町程ではないが、この村にもタイル床は存在している。入口と広場の一角。そして森の奥へと続くこの道だ」

 タイルは細い道のようになって森の奥へと続いていました。タイルを辿っていくと――、これはどういうことなのでしょうか。奇妙なことに先へ進むほど、タイルの色が白から黒に変色していっているのです。

「黒いタイルなんて初めて見ました。ラッカにだってこんなものは……」

「魔物だな。気を引き締めろ」

 言うが早いか、マヤトーレの矢が暗闇に火花を散らしました。どうと倒れた二体の魔物、その姿には見覚えがありました。

「脅かしやがって、ただのゴブリンじゃねぇか」

 尖った耳に鋭い歯、一見すると小人のような外見。魔物図鑑でも大抵は最初の方に載っている有名な魔物です。

「でも珍しいですね、二匹も同時に現れるなんて」

 ゴブリンは広く分布し個体差もかなりあると言われています。倒れている二体を見ても肌の色から骨格まで異なっていました。

 気になるのは複数が同時に現れたということです。魔物は人間と違い群れを作ろうとはしない生き物です。そもそも絶対数が少なく、姿を目にすること自体が稀ですから、こんな風に複数と同じ場所で出くわすなんて通常ならまずあり得ないはずなんです。

「ミステル、貴様は魔物がどうやって増えていくか知っているか?」

「ええと、詳しいことは分かっていないと聞いています。なんでも、黒い淀みから生まれるって」

 魔物は生殖活動を行わないと考えられています。人型や亡獣と同様に、どのように生まれてくるかは謎に包まれているんです。ただ、何人か目撃者がいるようで、話によると黒い霧や水たまりのような穴から這い出てくるとか。

「どうやら、この黒いタイルには魔物を生み出す力があるらしい。そう頻繁に湧いてくる訳ではないようだがな」

「そんな馬鹿な事、タイル床には魔物除けの効果があるはずですよ?」

 私の見ている目の前で地面が沼のように変化していきます。濁った小さな穴の中で漆黒の闇が泡を立てているかのようでした。先を照らすと、似たような物はいくつか見られました。果たしてここから魔物が生まれてくるのか。穴の縁に掛けられた小さな手は何者の物なのか。最早、考える必要もありませんでした。 

「私の記憶が間違っていなければ、以前このタイルはこんな色をしていなかった。最近になって、急に黒く染まり始めたんだ。そして黒いタイルは徐々にデルフィの内側へ向かって伸びてきている」

 広場のタイルが黒に染まり、入口のタイルが黒に染まり。もしそうなれば、その後はどうなってしまうのでしょうか?

「おい、修道士。こいつはやべぇぜ。俺にだって分かる」

「そうですね。これは……」

 やがてはロンベルンのタイルも変色し周囲に魔物を生み出し始めるかもしれません。ロージィの謎を追っていたはずが、まさかこんな恐ろしい物に行き当たってしまうとは――。

「あれが問題の迷宮へ続く魔法陣だ。どうする、引き返すなら今のうちだぞ?」

 木々の間を潜り抜けると、タイル道の先に青白い光が揺らめいていました。似たようなものはラッカの教会にもありましたが、闇夜に輝くそれはまるで異世界への扉のようでした。

「そんなのは決まっています。私は清く正しい修道士ですから。人々のために出来ることを精一杯やるんです」

 非現実的な状況の中、私の頭は驚くほど冷静でした。

 幾度となく繰り返してきた修道士的な台詞。しかし、今この瞬間ほど、この言葉が似つかわしいと感じられる場面があったでしょうか?

 このままでは、いずれ魔物が地上を覆いつくす日がやって来るでしょう。私たちの知らぬ間に、世界は終焉へと向かって歩み始めていたのです。

「ふふっ、エル・リール様は私に感謝するべきです」

「おい、マヤ。またあれが始まったぜ」

 心の中の女神に私から語り掛けます。これから始まることは全ての信仰者が羨むこと。神々が眠りに就き、英雄たちが魔物を打ち倒し、そして黄昏へ向かっていく世界で、終末の時代の物語はこの私の手によって紡がれるのです。

「ついに天使の羽ばたく時が来ましたか……」

 自らの信仰者の中から救世主が生まれる。女神にとってこれほど喜ばしいこともないでしょう。ゆらゆらと揺れる魔法陣の真ん中に立ち、私は大いなる野望へと向かって翼を広げたのでした。


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