stage1_ゴロツキと魔女 4
茜色に染まるセピアの森に影が二つ。当てもなく彷徨う私たちは、さながら昔物語に出てくる名も無き若者のようでした。
道に迷った若者は神に祈って無事に町へと帰り着くことができました。けれど現実は厳しいもの、祈っても祈っても返ってくるのは沈黙ばかり。何て薄情なエル・リール様。どうやら女神は耳に栓をして寝息を立てているようです。
「だいたい、道も分からないのに闇雲に歩き回るからいけないんです」
ジークベルトに案内を任せたのは失敗でした。自信満々な顔をして、適当に歩き回っているだけなんです。最初にタイル道を外れたところで気づくべきでした。何も疑わずに付いていった馬鹿な自分をぶん殴ってやりたいです。
「悪かったって言ってんだろうが。だが、大丈夫だ。今度は絶対に間違ってねぇから」
もう何回聞いたか分からない大丈夫だという言葉。歩くのは慣れている方だと思いますが、湿気を含んだ森の土は足に優しくありません。
「もう足が棒になりそうです」
「情けない奴だな。おぶってやろうか?」
首を振って、黙々と進んで行きます。最初はジークベルトが前を歩いていましたが、いつの間にか横並び。歩幅が小さい分、私は早足です。
しばらく歩くと横になった大木が転がっていました。跨いで通るのも面倒ですが、薄暗い森の中で立ち往生なんてしたくありません。
「ジークさん、若者は何回くらい神様に祈ったんですかね?」
「急に何の話だよ?」
「昔物語ですよ。若者が道に迷って……」
「兎を見つけて食ったら美味かったって話だよな」
お腹が空くからそんな冗談は止めて欲しかったです。ジークベルトの手を握り、大木を越えると同時に物凄い疲労感が襲ってきました。
「何か捕まえてきてやろうか。色の付いた兎はちょっと難しいが、灰色の兎なら見つかるかもしれないぜ」
「いいですよ。もう暗くなってきましたから、離れたら探すのが大変です」
そう言いつつ、私はロッドの先端に魔法で灯りを灯します。陽は沈みきっていませんが森の夕暮れは早いですから、準備をしておくに越したことはないんです。
「灯りなんて必要ないぜ。俺は夜目が利くからな」
半分森で暮らしているような人ですから、町で生活している私たちよりも暗闇には慣れているのでしょう。ちょっと得意気なのが頭に来ますが、いざという時に頼ってしまえるのは心強くもあります。魔法使いだって夜は怖いですから――。
「ほらよ、腹が減ってるならこいつを食え」
次第に暗くなっていき、霧にぼやけた光の揺らめきが強く感じられるようになってきました。いつの間に見つけたのか、ジークベルトが白っぽい果実を渡してくれました。手のひらに馴染むくらいの大きさ。見た目は良さそうですが味はどうでしょうか?
「食べられる奴ですかね?」
「さあな、俺は食ったことねぇぜ」
この辺りの果実は種類が多岐に渡っていて、口にしてはいけないような危険極まりない物も沢山あります。道中で見かけても手を出さないようにしていましたが、あまりにお腹が減っていたので少しだけかじってみることにしました。
「これは当たりみたいですね。ちゃんと甘い味がしますよ」
白い実は瑞々しく疲れた身体に甘みが染み渡っていくかのようです。皮まで甘いから大したもの。剥いて捨てるのも勿体ないのでそのまま全部食べてしまいます。ラッカにいた頃ならあり得ないことでしたが、ロンベルンではこれが普通なんです。
「さっきの話だけどな、俺は神様になんか祈らねぇぜ。道は自分で見つけるもんだ。今までだってそれで上手くいっていたしな」
「今回は駄目みたいですけどね。でも、貴方のような考え方も嫌いではありませんよ」
今のは修道士的には罰点な発言だったかもしれません。けれど、信仰する神々に過度に傾倒するような連中と比べれば余程好ましいでしょう。
バランス感覚を失うと人は心を失います。私自身もそうですが、魔法使いならば常に気を付けなければならない事でしょう。
「見てみな。向こうに灯りが灯ってやがる」
「ええっ、本当ですか?」
じっと目を凝らすと、微かに橙色の光が揺らめいて見えました。迷っているようでそうではなかったのか、あるいはただの偶然か。どちらにせよ、私たちは目的の場所へ辿り着いてしまったようです。
「良かったです。てっきり今夜は野宿になるかと思っていました。これもエル・リール様のおかげですね」
「何言ってやがる。俺の勘のおかげだろうが」
私は修道士らしくエル・リール様に感謝の祈りを捧げます。さすがは女神様、いびきをかきながらもしっかりと私たちを導いてくれましたね。
「しかし、マヤトーレの奴が犯人だとはな」
「ちょっと怪しいってだけですけどね。ちなみにジークさんは彼女と会ったことがあるんですか?」
「そりゃあるに決まってる。前はあいつも良く町に顔を出していたからな。一緒に酒を飲んだことだって一回や二回じゃねぇぜ」
旧知の間柄ということでしょうか?
知らない者同士だろうと、お酒の席では、関係なく騒ぎ合うのがロンベルンという町なので、一概にそうとは言えないかもしれません。
住人も旅人も、最初は離れて座っていたって、酔いが回ってくる頃には皆で肩を組んで大騒ぎしています。基本的におおらかな町なんですよね。だからこそ、出入り禁止なんて処分を受けるのは相当なことなんですが。
マヤトーレの屋敷が見つかった安心感からか、少しだけ気の抜けた私たち。涼しい風の中、ぼやけた光を目指して真っすぐに進んでいきます。
「火を放ったって話でしたけど、どんな感じだったんですか?」
「さあ、俺は知らねぇぜ。その日は別の町へ遠征に行ってたんだ。帰ってきたら屋根が無くなってるんで驚いたのなんのって」
「そうなんですか。やっぱり遠征とかするんですね」
「そりゃ、偶にはな。最近は森に入り浸ってるが、あの頃は俺も外に目が向いていたんだ」
小さな世界では満足せず、より高みを目指して他の町へ飛び出していく。これでやることが喧嘩以外なら大した物ですが、そこは所詮ゴロツキという他人の役には全く立たない迷惑者、私たち修道士とは正反対の生き物です。
「遠征ってのは中々良いもんだぜ」
「その気持ちは分かる気がしますね。ある意味では私がロンベルンへ来たのも同じような感じです」
そう口に出すと不思議な物で、ジークベルトの生き方と、これまでの自分とが妙な形で重なったような気がしました。他の町での喧嘩を通して、果たして彼は何を感じ取ったのでしょうか?
ふと空を見上げると、湿った空気に雨粒が震えていました。ぽつりと服を叩く水滴。どうやら少し降ってくるようです。
「こいつは聞いた話だけどな。最初はただの余興だったらしい。頭や肩の上に果物を置いてよ。それをマヤトーレが射抜いていったんだ。それがどうしてか、通りへ繰り出そうって話になって、看板なんかを撃ち始めて、最後は花火だって空に向けて火を放ったんだ」
「何ですそれ。何というか、いかにもロンベルンらしい話じゃないですか」
余程被害が大きかったんでしょう。そうじゃなかったら笑い話か、ちょっとしたいざこざ程度で済んでいそうな話です。弓矢か何かで遊んでいたようですが、どうして急に火を持ち出したのか。相変わらず、酔っ払いの行動というのは常軌を逸しています。
雨粒の当たる間隔が短くなるのに合わせて、自然と私たちの足も速くなっていきます。木々の間に開けた土地が見え、その奥に廃墟のような屋敷が佇んでいました。
「薄気味悪い家ですね。ぼろぼろじゃないですか」
まるで、いくつかの壊れた家を継ぎ足して作ったかのようでした。斜めに傾いた二つの柱に小さな畑。当然、周囲の地面は剥き出しでタイル床らしき物は見当たりません。
兎に角、マヤトーレに会ってみましょう。さっそく茂みを抜けようとした私ですが、その肩をジークベルトが掴みました。
「ちょっと待て」
「何です?」
その時、私の足に何かが触れました。カランカランと、森に甲高い音が響き渡ります。
「これはまた、随分と古典的な仕掛けですね」
徐々に喧しくなっていきます。蔦を編んで作った紐でしょうか。それが振動するとあちこちにある鐘や木板が音を鳴らす仕組みになっているようです。
「やっちまったな」
「用心深い相手みたいですけど、別に寝込みを襲おうって訳じゃないんですから普通に話せば大丈夫でしょう」
念のため足元に注意しながら進みます。落とし穴でも掘ってあるかと心配しましたが、さすがにそんな罠は仕掛けてないようです。
音の仕掛けは魔物が近づいてきた時のために用意されていたものでしょう。タイル床がないから、身を守るために何かしらの対策が必要なんです。
「音が止みましたね」
「蔦を引き千切っておいた」
「ああ、なるほど」
私たちが近づいていくと、おもむろに屋敷の扉が開きました。女が一人、下着姿で飛び出してきます。
「あの人がマヤトーレさん?」
「そうだ、あいつは服を着ないんだよ」
それはまた変わっていますね。勿論、ああいう淫らな格好は修道士的にも罰点。エル・リール派の手引書にも駄目だと書いてあったはずです。
「誰だか知らんが、私の屋敷に忍び込もうとは良い度胸だ。そこの二人、今すぐ消し炭にしてやるから覚悟しろ!!!」
「ちょっと、ジークさん。あの人何を言ってるんですか!?」
「俺が知るかよ。あいつは頭がおかしいんだ」
そもそも、どうして真面な服を着ていないんでしょうか。肌の露出が極めて高い格好をしていますが、言動のおかしさからか微塵も煽情的な感じはしませんでした。
「む、貴様はジークベルトか。それからその格好、教会の修道士だな」
「私はミステル・テトマイヤ。以前はエル・リール派の教会に所属していましたが今は違います。マヤトーレさん、貴方にお尋ねしたいことが……」
瞬間、私の横を何かが通り過ぎていきました。赤く揺らめくそれは炎、そうです、細長い炎のようなものが突き抜けていったんです。