stage6_酔っ払い淑女 6
その匂いは妖精を誘い、味は神さえも虜にする。人間と魔物人がテーブルを囲み、仲良く赤い酒に酔い痴れています。
大騒ぎしていたジークベルトは床の上、さすがに疲れたのか早々に椅子を引っ繰り返してしまいました。マヤトーレはシャロの箱の中に手を突っ込み、さっきから何かないかと物色を続けています。その度にくすぐったくなるようで、シャロが涙まじりに身を捩っていました。それを見てコルアナが腹を抱えて大笑い――。
「要は叩きやすい所に頭があったのよ。ほら、あの子って背が低いじゃない」
「そんな理由だったんですか。はっきり言って酷いと思いますよ」
トロンとしながら隣に座る淑女と語り合います。赤みが差す色の薄い肌、一見すると人間のようですが彼女は本物の魔物人。その身体の大半が茨で出来ているんです。
「それで、このお酒について聞きたいんですけど……」
「それより見てよ、私の茨アート。これは平面画だけど立体の像も作れるのよ。暇な時に練習してたんだから、上手いと思ったら拍手して頂戴」
宙に描き出された謎の図形。人か何かに見えなくもないですが、ぐちゃぐちゃで全く分かりませんでした。取りあえず拍手してやると照れたように頭を掻き始めます。
ロージィや黒いタイルのことについて質問してみますが、どうにも話が噛み合わない状況が続いていました。やっぱりお酒を飲ませたのは失敗だったかもしれません。笑いながら足をバタバタ。酔っ払いはどこでも役立たずです。
「天使のお姉ちゃん、私の方が凄いですよ!!」
向かい側でシャロが空瓶や皿を投げています。テンポよく宙を舞っている様は中々のもの。最初は感心して見ていましたが、四度目ともなればさすがに興も醒めてきます。
「どうです、このリバースカスケード!!」
「とっても華麗です。シャロちゃんは才能の塊ですね!!」
褒めたら手元が緩んだのか、皿が落ちましたがすぐに再生していきます。
本人はそれにも気づかず上機嫌。ちなみに最初はナイフを投げていましたが、それらはすでに没収済みです。コルアナの軽口に反応して飛んでくるから危なっかしいことこの上ありませんでした。
ここの魔物人は皆何かしらの特技を持っていて、酒の席ではそれを披露するのがお決まりになっているよう。シャロのナイフ投げも元々は戦うためではなく、場を盛り上げるために練習した芸だったのだとか。
余所者の自分たちも何かしなければと、マヤトーレが火炎の弓を取り出しました。頭の上に乗せろと、私に向って次々と赤い果実を放ってきます。
「こんなもの、どこで拾ってきたんです?」
「シャロに出してもらったに決まっているだろう。いいから早く準備をしろ。そいつは良く燃えるからな、余興にはぴったりだぞ」
「ええっ、危ないのは嫌ですよ!?」
「私の腕を信用しろ。絶対に失敗しないから覚悟しておけ!!!」
「ちょっと、言ってることがおかしいです……」
酔っ払いを信じて痛い目を見るのはもう懲り懲り。怖くなったのでわざと床に落としてしまう事にしました。怒ったマヤトーレが天井のシャンデリアを矢で滅多打ちにしていきます。
「わあ、凄い面白いです!!」
「人間も中々やるじゃない!!」
魔物人たちには大盛況。私はテーブルの下に避難して、降り注ぐ火花をやり過ごしました。転がった赤い実に火の粉が当たって燃え上がっています。もしも頭に乗せていたら、人間蝋燭の出来上がりでしたね……。
「天使のお姉ちゃんは何をやってくれるんですかね。とっても楽しみです」
「期待されたって何も出来ないですよ。いざとなったら……」
得意の歌でも歌ってやりましょうか。声を掛けられるのではと心配しながら顔を出します。いつの間にか騒音は優雅なステップに変わっていて、マヤトーレとシャロが楽しそうに踊りを舞っていました。
黙々と動く二人は機械人形のよう。ラッカの実家にあった鉄屑細工の仕掛け時計みたいです。思えば随分遠くへやってきました。一人で口の周りを真っ白にしていた私が、今では魔物人と一緒にお酒を楽しんでいるだなんて――。
やがて時間の感覚は失われ、あちこちから寝息が聞こえてきました。私は眠い目を擦りながら。コルアナとシャロから聞いた話を整理していきます。
酔っ払いに思った通りのことを喋らせるのは大変でしたが、おかげで必要な情報は全て揃いました。それは絶望的な、酔いすら吹き飛ばす悲しい真実。今は眠気だけが私の味方だと、そう思いながら頭を回転させます。
まずはこの迷宮、「メイプルクランの宮殿」について。
そもそも宮殿とは何なのか。一説では神々の誰かが造った物だとか。それが真実かは分からないそうですが、建物自体は遥か大昔から存在していたようで、今の住人たちは無人になっていたこの場所を見つけて移り住んだにすぎないと言います。それから皆で話し合い、少しずつ中身を作り変えていったと。
この時に重要な役目を果たしたのがシャロらしく、彼女の本来の仕事は宮殿全体の基礎を作り管理することだったようです。宮殿内を自由に行き来する転移能力に、食べ物や家具を生み出す力。それらは客間の客を持て成すためだけに使われていた訳ではなかったと。あれだけの能力ですから、考えてみれば当然でしょうか。
選ばれしミミックだけが使いこなすという箱魔法。詳しい説明もしてくれましたが、人間の私では十分には理解出来ませんでした。見えない糸のような物を這わせて建物と一つになる。少しずつ糸を伸ばし理解を深めていくと、奥に眠っている力が呼び起こせるのだとか。
復元と防御壁、魔物を発生させるための淀みと古の風の調整。この場所で起こる不思議な現象の殆どに関わっているようで、例えば庭園への抜け道もシャロの管理下にあったようです。
コルアナがシャロに対して怒りを覚えたのはそれが原因。レミーニャがおかしいだけだと抗議していましたが、侵入された責任は彼女にあると考えていた訳です。
次に宮殿の封印について。
宮殿は長い事封印されていて、その間魔物人たちは外の世界と接触することが出来なかった。この辺りはマヤトーレが言っていた通りです。ただ、一つ認識に間違いがありました。
人間と魔物人が争っていた混沌の時代。英雄たちの活躍によって人間側が勝利を収めた。昔物語や教会の教えが真実ならば、迷宮の封印と言うのは英雄たちが生き残った魔物人を閉じ込めるために行った、あるいは魔物人の側が追撃から逃れるために行ったと考えるのが妥当でしょう。
けれど真実は違っていたようで、そもそも魔物人の勢力は英雄に敗れてはいなかった。むしろ圧倒的に優勢だったと言います。宮殿の封印は戦いとは全く別の所に理由があったんです。
その当時、主のエレモアの元には自然と大勢の客人が集まってきて宮殿はいつも賑わっていた。彼らの活躍もあって向かう所敵無しだったと言います。けれど、残念なことに休眠期が訪れてしまった。だから宮殿を封印し、永い永い眠りに就くことになったと。どうやらそういう話のようです。
この休眠期というのが馴染みのない言葉でしたが、どうやらこの世界には人間が強い時代と魔物人が強い時代の間に明確な区切りが存在しているみたいなんです。
それは、死に対して鈍感な魔物人だけが持っている知識でした。彼女たちは力の衰えを感じると眠りに就き、時代の移り変わりの時期に目覚める。それを何度も繰り返して今に至っていると言います。根本的に私たちとは時に対する向き合い方が違うんです。
話しているうちに分かりましたが、どうやら寿命の概念もあってないようなもののようで、自分たちにはないけれど人間や他の生き物にはそれがある、だから争いが起きても少し手加減してやろう。そういう考え方をしているように感じられました。基本的に自分たちを人間の上位に置いているんです。
「タイルの色が変わっていくのは止めることの出来ない現象よ。人型や亡獣の出現は時代の転換期を知らせる合図だと言われているわ」
永遠に近い時を生きる彼女たちは、ある意味で神々に近い存在なのかもしれません。魔物人は過去を知っていて、そして未来を知っている。コルアナから聞かされた話は本当に衝撃的で聞いた私はしばらく言葉を失ってしまいました。
人間の時代は確実に終焉に向っているのだそうです。魔物人の視点では大きな流れの中の折り返しの一つに過ぎないのかもしれませんが、私たちにとっては文字通りの終焉なんです。
タイルの色が黒く染まるにつれて、人間たちは今まで暮らしていた町を捨てて、まるで蜘蛛の巣を散らすように逃げていく。安心だと思っていた場所が一番危険な場所になって、仕方がなく森や山へ逃げるけれど、そこにもやはり魔物がいる。だんだんと世界に魔物が溢れて行って人の住める土地が消えていく。タイルが全て黒に染まって、ついには滅びてしまう。
これは何度も繰り返されてきたこと。それでも人間が地上から姿を消さないのは、数の減った人間を一部の魔物人たちが匿ってくれているからだと言います。時期が来たらまた野に放たれて、束の間の繁栄を享受する。彼らにとって人間は遊び相手、やっぱり格下にしか見られていないんです。
「黒いタイルを止められれば何とかなるかもしれないんですよね。それが出来れば正真正銘の救世主になれます」
「そうね。そんなことが出来れば世界が変わるわ。でも、誰にもできないわよ。今までにだって似たようなことを考えた人間は何人もいた。けれど、どうしようもなかったもの」
「神様は助けてくれないんでしょうか。ずっと見て見ぬ振りをしてきたという事ですか?」
神に期待などしても裏切られるだけ、彼らは魔法という力を貸してくれるけれど、それ以上のことは何もしてくれない。多くの修道士が神を信じる中、私だけがそう思って彼らを訝しんできました。それでも真実を聞かされて悲しくなってしまうのはなぜでしょうか。もしかしたら心のどこかで、まだ神々を、エル・リール様を信じているからかもしれません。けれど、そんな私に向ってコルアナは言いました。
「神様ね、そんなのは古い存在よ。奴ら歳を取り過ぎて頭がおかしくなっているの。残したものは偉大だけど、今じゃもう誰もがやる気を失っている。いつか私たちもああなってしまうのかしらね。そう思うと早死にする人間の方がよっぽど希望があるわ」
遠くのどこか狭い場所、自分の部屋に閉じこもって寝転がっている。延々と同じ言葉を繰り返し、怒りも笑いもしない。時々寝返りを打つくらいが、唯一の楽しみ――。
まるでロンベルンの森のように、私の中のエル・リール様がセピア色に褪せていくかのようでした。今までだって、ぼんやりとしか見ることはできなかったけれど、それでも確かに光輝いていた。その光が消えるにつれて、同時に私の見る世界までがだんだんと黒に染まっていくかのように感じられました。
こうしてコルアナとの話を思い出すと、何だか虚しくなってしまいます。
私は救世主になりたかった。黒いタイルと謎の迷宮の存在を知って、その先に潜む悪者を懲らしめればそれで希望は達せられると淡い期待を抱いていた。けれど、そんなのは幻想で本当は真っ白な、どれだけ先を見ても終わりのない何の希望もない世界が広がっていたんです。
落ち込む私を見かねてか、シャロが声をかけてくれました。
「時代は移り変わりますけど、お姉ちゃんが死ぬくらいまでは多分大丈夫ですよ。そんなに強い魔物は出てきませんから得意の魔法で退治できます。それに折角こうして知り合ったんですから、いざとなったら客間に部屋を用意してあげます!!」
魔物人に励まされる修道士。何だか無性におかしくなって少しだけ気が楽になったことを覚えています。
「それは、ありがたいですけど。格好良くはないですね」
呑気に涎を垂らすシャロが羨ましいと思いました。杯の中で揺れる赤い液体を見つめます。
「何だかお酒が飲みたい気分になってきました」
一気に煽ると、酒場の風景と共にロンベルンの人たちの笑顔が浮かび上がってきました。陽気に酒を飲んで、騒いで暴れて眠りに就く。来る日も来る日もその繰り返し。もしかしたら、彼らの生き方こそが、この終焉の時代に最も相応しい生き方なのかもしれません。
「やっぱり無茶苦茶美味しいですね。使ってないのにハピートリガーって感じです。神さえ虜にするっていうのは本当かもしれませんよ」
このお酒でエル・リール様を奮い立たせてタイルを裏返してもらう。そんな馬鹿げた作戦が思い浮かびます。指ではじくようにタイルを飛ばす女神を想像して、一人で大笑いしました。
「終焉の時代でも出来ることはあります。私はロンベルンの修道士ですから、せめてその時が来るまであそこの住人には笑顔でいて欲しいです」
私も酒に酔っているのかもしれません。広場の真ん中に立つ自分の銅像を想像したら、何だか嬉しくなって泣いてしまいました。
こんな気持ちは生まれて初めて。何もできなくても何かしなければ、お先真っ暗でも頑張らなくちゃいけないって思ったんです。ロージィの異変を解決して、束の間でも町に活気を取り戻す。それこそが私の使命、世界の救世主にはなれないかもしれませんが、ロンベルンの救世主になってみせるんです。
「結局私は、そういう人間なんですね。さすがに今回は吐きそうですけど……」
昔物語を読んで英雄を夢見ていた少女の時代、憧れていたのは必ずしもハッピーエンドではありませんでした。だからきっと、これは私にこそ相応しい使命なんです。
ロージィ復活の鍵は宮殿の主が握っている。かつてはロンベルンを含むこの地域一帯を支配したというメイプルクラン領の主、角の生えた少女の姿を思い浮かべながら私は微睡へと落ちていきました。




