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stage6_酔っ払い淑女 5

 扉を開けた瞬間に襲い掛かってきた鈍色の鉈。いくらマヤトーレでも直撃は避けられない。そう思って私はとっさに目を瞑ってしまいました。

「マヤさん……?」

 目を開けると、そこに立ち尽くすマヤトーレがいました。荒い呼吸の音、どこも切断されていない綺麗な身体。巨大な腕は鉈を上空に掲げたまま、全く動かずに停止していました。 

 これは一体どういうことでしょうか。つい先ほどまで衝撃音が聞こえていたのは間違いありません。マヤトーレに斬りかかった瞬間だってこの目で見ているのに、その直前で動きを止め、抜け殻のように動かなくなってしまったんです。

「ミステル、貴様が私を助けたのか?」

 足の力が抜けてしまいそうでした。目の前には天井を突き抜ける柱のようにギラギラとした大鉈が伸びています。どういう現象か天井の石壁には傷一つ付いていませんでした。

「分かりません。でも良かったです……」

 茫然と立ち尽くす私の前で時間が急速に動き出していきます。長く息を吐き、マヤトーレが走り出しました。ひび割れた魔法陣に向って火炎を放ちます。消えていく腕と鉈。私はエル・リール様に祈りを捧げることすら忘れ、幻を見るかのようにその様子を眺めていました。

「さて、作戦は成功のようだ。早くコロリで治してやれ」

 マヤトーレが部屋の隅に目を向けます。見るも無残な血みどろの姿、そこには茨の触手と肉塊が絡まり合ったような奇妙な物が落ちていました。茨が這うように伸びていき、肉がドクドクと震えます。まるで心臓の鼓動のよう。肉塊は脈動し、微かに形を変えていきます。小さな突起が生まれ、そこから新たな茨が伸び始めました。

 コルアナの身体だと気づいた私は一度は躊躇したものの、思い直してコロリをかけてみることにしました。こんな状態の相手に使うのは初めてですが、戦いの中で見た彼女の再生能力の高さに賭けてみようと思ったんです。

「上手くいくかは分かりませんが、やってみましょう」

 心配する私たちを他所に、シャロが飛び跳ねながら指笛で凱歌を上げています。茨の触手が完全に消え去った何もない部屋。いつ元に戻ったのか、小さな燭台と隅っこの赤い椅子だけがそこにありました。

 脈打つ肉塊から次々と新たな茨が伸び、小さな葉をつけていきます。細い茨が絡まり合い、形を変えていくうちに、だんだんと人間の足のようなシルエットが浮かび上がってきました。膨れ上がる肉が引き締まって筋となり、茨と混じって編み込まれていきます。そうしているうちに身体の輪郭がはっきりとしてきました。

「うう……あああ……おえっ……!!」

 椅子の前で女が呻いています。色の薄い体に茨が巻き付き、その上に薄っすらとした何かが見えました。まるで花びらの様だと思っていると、次の瞬間にはそれが古めかしい紅のドレスに変化していました。

「ははは、はははははは、ははははははっ!!!!!!」

 狂ったような笑い声。煤けた石床に身を横たえ、顔だけがこちらを向いていました。禍々しい灰色の瞳、口元は汚れていて床へと涎が垂れています。

「ああ、何て腹立たしい。ミミック風情が、人間と手を組んでこの私に牙を剥くなんて」

 茨で形作られた腕から、その一本がシュルシュルと伸びてきます。シャロがナイフを放つと、茨は簡単に切り裂かれてしまいました。続けて箱から取り出したのは、何ともう残っていないと言っていた冷凍爆弾でした。

「こうなると哀れです。でも、箱を取られた恨みがありますから」

「シャロちゃん、やめて下さい。もう充分です」

「だけど、そいつは何をするか分かりませんよ?」

 そう言って冷凍爆弾を天井へ放ります。恐るべき早業。私たちが爆弾に目を奪われている隙に、三本のナイフがコルアナの身体に突き刺さっていました。

「ぎゃあああああああああああああああ!!!」

「こらっ、シャロちゃん!!!」

 怖い顔でシャロを睨み付けると、一目散に箱の中に隠れてしまいました。ロッドで軽く叩いてやります。

「ああやって、叫んでいますけどね。本当はそんなに効いてないんですよ。コルアナは怪我に強いですから、酷い傷でもすぐに治っちゃうんです」

 自分は何も悪くないと言いたいのでしょう。箱の中からくぐもった声が聞こえてきました。確かにコルアナの再生能力は大したものです。コロリの効果があるとはいえ、とても原型を留めない程に破壊された後だとは思えませんでした。シャロが投げたナイフも抜け落ちていて、傷口が殆ど塞がりかけています。どうしたものかと考える私の頭の上に、冷たい氷の粒が降り注いできました。

「死ね。死ね。貴様ら皆、死んでしまえ」

 顔を上げたコルアナは真っ白な表情をしていました。無駄だと悟っているのか攻撃を仕掛けてくるような素振りもありません。

「今です。首を切り落としましょう」

 箱から顔を出したシャロが、元気良く跳ね上がりました。ナイフを放とうとするその手を止めます。

「シャロちゃん、ナイフ没収です」

「だけど、まだ……」

 子供のような目で私を見つめてきます。好きと嫌いがはっきりした性格。私たちには友好的ですが、もしも出会い方が違ったらと思うとぞっとしてしまいます。

「彼女はもう十分に傷を負いましたから、箱のことは許してあげて下さい。やりすぎは駄目ですよ」

「じゃあちょっとだけなら良いです?」

「ちょっとでも駄目です。折角箱が戻ったんだから思い切り走り回ってきたら良いじゃないですか。ほら、怖いお兄ちゃんと遊んできてください」

 箱ごと押し付けて二人を一緒に追い出してしまうことにしました。ジークベルトは静かにしていましたが、どうせすぐ喧嘩腰になりますからね。これで良いんです。

「本気で言ってんのかよ。子守りなんて俺の性に合わねぇぜ」

「いいから、大広間に戻って下さい。マヤさんも手は出さないで下さいよ。私たちはもう十分に戦ったんですから」

 これ以上やりあっても血みどろの争いが待っているだけ。シャロが自分の半身を奪われたというのなら、コルアナだって同じようなダメージは受けたはずです。丁度良いくらいに傷つけ合ったのだから、ここらで仲直りしておくのが一番でしょう。

 再生が終わったのか、再びコルアナが顔をこちらへと向けました。新たな茨がゆっくりと伸びてきます。私の方を見て、その茨で空中にクルクルと円を描いていきました。

「話を聞いてもらえますか。そちらが何もしてこなければ、これ以上は私も攻撃をしませんから」

「私と友好的に接したいと?」

 頷く私を見て、コルアナは再び狂ったような笑い声を上げました。床に伏せたまま、お腹を捩るようにして。

「はははははっ。それはおかしな話だわ。ならどうして貴方は手を伸ばさないの?」

「その茨、握手か何かのつもりですか。だったら……」

 警告をするかのように扉の向こうでシャロが跳ねています。危険なのは私だって百も承知です。けれど、修道士としての経験が手を伸ばせと言っていました。これは儀式のような物、相手の信用を得るためには必要なことなんです。

「へぇ、意外と勇気があるのね」

 細い茨が指の間を這いまわります。チクチクとした棘の感触、僅かに血が滲みましたが、別段力を入れているような気配はありません。なぞるように手のひらを滑っていきます。

「ふうん。もう、いいわ」

「私たちの話、聞いてもらえますか?」

 緊張の一瞬。伏していたコルアナの身体がゆっくりと起き上がり、吸い込まれるように椅子の上へと移動しました。その口元が吊り上がります。

「いっ……!!」

 指に鋭い痛みが走りました。ポタポタと垂れる赤い滴、よもや切り落とされたかと思いましたが、指はちゃんと五本揃っています。けれど、指輪がありませんでした。素早く茨を動かして、中指から指輪を抜き取っていたんです。

「私は人間が嫌い。でも、貴方には興味があるわ。ねぇ、どうしてこの指輪を持っているの?」

「それは私の物じゃありません。さっき客間で拾ったんです」

「へぇ、それは本当かしら?」

 聞かれるまま頷いて見せます。あの指輪が何なのか、私にはさっぱり分かりません。先ほどまで黒く光っていたはずですが、いつの間にか元に戻っています。

「なら、もう一つ。どうして貴方がアインゾーラの剣を?」

 こちらも何のことだかさっぱり。首を傾げる私を見て、コルアナが意味深な笑みを浮かべました。

「まあいいわ。今日の私は気分が良い。詳しいことは後でゆっくりと聞くことにしましょう。シャロと仲直りをするから呼んできてもらえるかしら」

「いいんですか。そんなにあっさりと」

「別に元からあの子のことを嫌っていた訳じゃないわ。ちょっと頭に来ることがあったから腹いせに箱を奪ってやっただけよ」

 別に大したことはしていないという感じ。怒りに燃えていたシャロが聞けば、またすぐにでも飛び掛かっていきそうです。大広間の方を一瞥しましたが、彼女の耳には入らなかったようで、楽しそうにジークベルトと駆けまわっていました。

「あれがないと何もできないからって、物凄い剣幕で怒ってきてね。鬱陶しくなったから痛めつけて客間に閉じ込めてやったのよ。でももう、そんなことはどうでも良いわ」

 執念深いシャロと比べてコルアナの方は随分とあっさりした性格のようです。触手の罠や気性の荒い言動を見てきたので、まるで人が変わったかのような印象さえ受けます。

 この手の人間、魔物人は次の行動が予想できません。少なくとも怒らせると厄介なので十分注意しなければならないでしょう。油断しているうちに、矛先がこちらに向かってくると最悪ですからね。

「分かりました。じゃあ、シャロちゃんたちを呼びますけど、くれぐれも喧嘩になるようなことは言わないでくださいね」

 いつ爆ぜるか分からない火薬が二つ。ジークベルトを合わせれば三つ。私の心配を知ってか知らずか、当のコルアナは上機嫌でした。連れてきたシャロを見て、謝るより先にこんな要求をしてきたんです。

「さっそくだけど、この部屋の内装を変えてもらえるかしら。明るい壁紙を張って、真ん中に大きなテーブルを出して。あと人数分の上等な椅子を用意して頂戴」

「天使のお姉ちゃん。こいつ、全然反省していないです!!」

「出してあげて下さいよ。さっきまでは、泣きながら謝っていたんですから」

 嘘を吐いてシャロをなだめます。修道士的には罰点ですが、この際仕方がないでしょう。心の中で適当にエル・リール様に謝っておきます。

 シャロはコルアナに散々嫌味を言いましたが、部屋の模様替えをしている間は終始楽しそうにしていました。客間の管理をしていたと言うくらいですから、元々こういう仕事をするのが好きなんでしょう。背を向けたコルアナに襲い掛からないかと冷や冷やしましたが、そんな素振りも全くありませんでした。

「あとシャンデリアを付けて頂戴。大広間にあるやつを小さくしたような感じが良いわね。装飾の色は茶系で纏めて欲しいわ」

「あまり良い趣味じゃないですね。コルアナの部屋だから別に良いですけど」

 瞬く間に、室内の様子が一変していきます。絨毯が敷かれ、外の見える窓まで取り付けられてしまいました。内装を作っているというよりは空間そのものを弄っているという感じです。

「窓の開閉は出来ますけど、通り抜けは出来ないようになっていますから」

「やっと落ち着ける場所になったわね。目覚めてからずっと陰鬱とした気分だったけれど、今日からは前向きに生きることが出来そうだわ」

「何だかお二人とも晴れ晴れとした顔をしていますね。もう仲違いは止めたんですか?」

 死ぬような目にあった私からすれば、ちょっと納得がいきませんでした。執拗に茨の触手を放ってきたコルアナも、隙あらばナイフを投げようと目を光らせていたシャロも今はどこかへ行ってしまったかのようです。

「あんなに酷い争いをしていたのに……」

「これくらいは日常茶飯事よ。貴方たち人間とは身体が違うもの」

 魔物人にとっては本当に只の喧嘩だったのでしょうか。私たちから見たらやり過ぎのような戦いでも、生命力の高い彼女たちからすればそれ程でもなかったと。

「私はまだ怒っていますからね。箱のことは一生忘れません!!」

「どうせすぐに忘れてしまうわよ。どれくらい前だったかしら、長い事箱と間違えて水槽に身体を突っ込んでいた事があったわよね?」

「そんなことがあったんですか……」

「廊下に水溜まりが出来て、その中を魚が泳いでいたわ。この娘が全く気付かないから」

 嘘か本当か、いくら何でも誇張されていると思いましたが、二人とも随分と長く生きているようなので、変わった出来事のいくつかはあって当然なのかもしれません。

 ゴロツキ同士が殴り合いを経て仲良くなるように、魔物人も互いに相手を叩きのめして絆を深めていくのでしょう。今回はどちらも満足したようで、口喧嘩は続いていても、これまでのような憎悪や殺意は感じられなくなっていました。

 ようやく本題に入れそうですね。思えば客間で道に迷ってからかなり苦労してここまで辿り着きました。シャロとコルアナ。二人の魔物人から話を聞けば、きっとロージィの異変や黒いタイルについての手掛かりを得ることもできるでしょう。

「それじゃあ、さっそくですが話を聞いてもらいましょうか」

 皆が私の方に注目します。咳払いして口を開きかけると、コルアナが両手をテーブルに乗せ身を乗り出してきました。

「ちょっと待って、折角だから飲みながらにしましょう。シャロ、地下の食料庫からお酒を持って来て頂戴」

「えっ、飲むんですか……?」

 酒という言葉を聞いて無性に嫌な予感がしてきました。ロンベルンでもそうでしたが、真面目な話をする時にお酒を飲むのはこの地方に伝わる風習か何かなのでしょうか。

 後ろを見るとジークベルトとマヤトーレの顔がにやけています。この雰囲気はあれですね、私も良く知っている酒場のそれです。

「コルアナの命令を聞くのは癪ですけど、まあいいです。天使のお姉ちゃんたちもいるから、特別上等な奴を持ってきますよ」

 シャロが転移して、すぐに瓶の入った箱を持って帰ってきました。いかにも古そうな真っ赤な瓶。コルアナが引っ手繰って、触手で栓を抜きました。逆さにして透明なグラスに注いでいきます。

「こいつは!!!!」

「おお!!!」

 揺れる液体を見つめ、ジークベルトとマヤトーレが歓声を上げています。本当に皆お酒が大好きみたいですね。私一人が蚊帳の外です。

「これだから、酒飲みは……」

「やったな、どうやら核心に触れたようだ」

「核心に触れた……?」

 マヤトーレの言葉の意味する所に気づき、背筋に衝撃が走り抜けました。私はこのお酒を知っています。この匂いを、そしてこの色を――。


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