stage5_客間を統べる者 1
部屋というのは住人の個性が大きく反映されるものです。そこに置いてある家具の色合いや小物の可愛らしさ、机の角のすり減り具合に埃の溜まり方まで。眺めていると楽しいもので、他人の部屋でも気に入った場所なら長居したくなってしまいます。
これは教会にいた頃の話、下っ端の私たちは布教活動の一環ということで良くビラ配りをさせられていました。全部配り終わるまで帰らせてもらえないという過酷な仕事です。
最初は普通に路上で配っていましたが、都会の人間は冷たいもので目の前でビラが捨てられてしまったこともしばしばです。別に構いませんけどね。所詮は転写機で刷ったビラですから。けれど、何を思ったのかそれを見た親切な司祭が馬鹿な気を起こしてしまったんです。
次の日から、私には直接訪問の仕事が回されるようになりました。何でもエル・リール派で初めての試みだとか。
司祭からやり方を教えてもらいましたが、扉の前で手渡しするだけでは駄目なんです。見知らぬ人の家に押しかけて、無理を言ってお茶を出してもらい長々とエル・リール様の話をして帰っていく。今思えば酷い事をしていたかもしれませんが世の中には色々な人がいるようで、上手くいけば歓迎を受け、他人の部屋でくつろぐことができたんです。
布教活動としての効果はあまり感じられませんでしたが、私はこの仕事がそれほど嫌いではありませんでした。似たような建物が並ぶラッカの都でも、一歩扉を潜れば多種多様な部屋が広がっている。修道士としてというよりは、人間的に成長した気がするエピソードです――。
大広間の先には小部屋がありました。四方を木の壁に囲まれた、奥行きの狭い部屋。中央にお洒落なテーブルが置かれていて、花や蔦の付いた果実が飾ってありましたが、それらは全て造り物のようです。
誰かが休憩するための部屋でしょうか? テーブルの横にサイドテーブルがあって、その上にポッドとティーカップが並んでいました。
「可愛らしい部屋ですね。お姫様が住んでいそうです」
天井には大きな宝石のようなランタンが二つ。同じ物のようですが色違いになっています。部屋の角にはベッドが置かれ、その横には衣装棚、女の子らしい三段チェストが並んでいました。
ちょっと窮屈な印象を受けますが、個人的にはこれくらいの方が落ち着きそう。誰が使っているのか知りませんが中々趣味の良い部屋だと思います。
「棚の中身は服ばかりだな。男性用と女性用、どちらも揃っている。こんな物もあるぞ」
マヤトーレがドレスのような服を広げて見せました。古めかしい感じの衣装で、お尻の辺りに切れ目が入っているのが特徴的です。
「この穴は何のために付いているんですかね?」
「尻尾を出すためだろう。これを見ろ」
冗談を言っているのかと思いましたが、次に取り出した帽子を見て気づきました。今度は穴が二つ開いていたんです。
「もしかして、角を出すためですか。じゃあ、ここはあの魔物人の?」
「どうだろうな、例えばこの服はあの女の背丈に合わない。半分は男物のようだが、レミーニャが着るような物でもないな」
どちらも背丈が低いという点では共通していましたから、すらりとした大人が着るような衣装は似合わないでしょう。少女趣味な感じの部屋ですが、住んでいるのは紳士淑女、もしかしたら魔物人の壮年夫婦かもしれませんね。
「これまでは通常の魔物ばかりに出くわしていたが、そろそろ本格的に魔物人の住居に入ったのかもしれないな」
「何人くらいいるんですかね。今は留守にしているみたいですけど、急に出て来たらと思うとちょっと怖いです」
魔物人が地上から姿を消したのはずっと昔のこと、英雄たちに滅ぼされたと言われてきましたが、部屋を見る限り生き残りは結構良い暮らしをしているみたいです。
こうやって迷宮の奥に隠れながら、彼らは外界との接触を断って何をしていたんでしょうか。毎日お茶を飲んでのんびりと過ごしているだけなら良いんですが、実際は力を蓄えて、人間へ復讐を果たすための準備を行っていたのかもしれません。
迷宮は封印されていたという話ですが、それ自体考えようによっては身を守る障壁のような物。悠久の時の中で、戦力を増した魔物人たちがついに反撃の狼煙を上げた。その始まりがあの黒タイルによる外の世界への干渉だとしたら!!!!
これはいよいよ確定的になってきたかもしれません。私が何とかしなければ世界は魔物人たちの手に落ちてしまうでしょう。そう思うと背筋に震えが走ります。
「ここが最前線って訳ですか。何だか緊張してきましたよ」
「またおかしなこと言い始める気だな。さっさと次に行こうぜ」
何て可哀想なジークベルト。自分が今、奇跡のような体験をしているということに気が付いていないんでしょう。この探索は伝説として後世に語り継がれるに違いありません。私をモチーフにした教会壁画だって沢山描かれるに決まっています。彼もお供の一人として脇を飾ることになるでしょうが、それを見てやっと理解するんです。自分は凄い奴と一緒に冒険をしたんだなって。
「今に見ていてください。私の名前が世界中に知れ渡る時が来ますから」
「そりゃすげぇや」
ジークベルトを鼻であしらって先へ進みます。部屋の奥には扉がありました。鍵は付いていないようで、取ってを回すと簡単に開けることができました。
姿を現したのは似たような小部屋です。
テーブルと衣装棚。ベッド、ティーセットが置いてあるのも一緒。意匠は異なりますが家具を選んだのは同じ魔物人でしょう。少女的で可愛らしいけれど派手ではなく、纏まっていて落ち着いた感じのする素敵な小部屋です。
「棚の中身は服ばかりか。こちらも同じだな」
「おい、また扉があるぜ」
向かい側にもう一つ扉がありました。さっそく、取っ手を握ろうとしましたが、後ろからマヤトーレに呼びかけられて足を止めます。
「一応警戒しておけ。魔物が飛び出してくるかもしれないからな」
「大丈夫です。私だってここまでの経験で……」
常に警戒を怠らないこと、未知の迷宮を探索する者にとっての鉄則でしょう。心構えは十分でしたが、喋っている間にジークベルトが扉を開けてしまいました。
「ここの住人は余程、お茶が好きみたいですね」
「ポットは空のようだがな」
ここも似たような小部屋。魔物がいるどころか目ぼしい物は何もありませんでした。代わり映えがしないので、殆ど素通りしてしまいます。
「ええと、これはどういうことですかね?」
扉の向こうにはまた小部屋がありました。だんだん頭が混乱してきます。幻覚か何かを見ているような気分。深呼吸して振り返ってみます。夢なら醒めて欲しかったですが、残念ながら目の前には三つの小部屋が並んでいました。
「向かい合わせの鏡を見ているみたいです。まさか、延々と部屋が続いているなんてことはないですよね?」
「取りあえず進んでみるしかないだろう。判断するのはそれからだ」
大きな宮殿ですから、部屋の数だってロンベルンのそれとは比べ物にならないでしょう。気を取り直して進んで行きます。扉を開けるとまた小部屋、その次も小部屋。黙々と開けていきますが、何だか小馬鹿にされているみたいで面白くありません。
「だんだん魔物が恋しくなってきました」
「こう単調だと頭が痛くなってくるな。ミノタウロスでも殴ってた方がずっと面白いぜ」
爆発に巻き込まれた癖に良く言います。扉を開け放つと、そこには壁を這うトカゲの魔物が一匹。歓喜して一斉に雪崩れ込みました。
「ここは私に任せておけ!!」
「そいつは俺の獲物だ!!」
「いいえ、私が!!」
狭い場所なのに三人で群がるからやりにくいったらありゃしません。私とジークベルトがぶつかって、そこにマヤトーレの矢が飛んでくる始末。もう誰が倒したかも分かりませんでした。
「尻尾を引き千切ってやったぜ。見ろよ、まだ動いてやがる」
「気持ち悪いから捨てて下さいよ」
止めを刺したのは多分マヤトーレでしょう。トカゲの本体が床で燃えていました。尻尾を投げ入れると一緒になって消えていきます。
揺らめく炎の中、黒く溶け落ちていく小さな魔物。その姿を見ていると何だか虚しくなってしまいます。世界の破滅を前に、扉を開けてトカゲを奪い合って、私たちは一体何をやっているんでしょうか?
「これでまた、ただの小部屋に戻ったな」
「歯ごたえのない魔物だったぜ」
「手ごたえの間違いじゃないですか?」
ジークベルトが椅子を蹴飛ばしました。足が一本折れてしまいましたが、大広間で見たようにすぐ元に戻っていきます。
「物を壊すのは止めた方が良いと思いますよ」
「構わねぇよ。どうせ誰もいねぇんだ」
そういえば、ここに至るまで住人らしき人物には出会っていませんね。夜の庭園で目にした少女を除けば魔物人の姿はまだ一度も目にしていません。これだけ沢山の部屋があるというのに、それを空にして一体皆どこへ行っているのでしょうか?
「まさかとは思いますけど、私たちとは入れ違いで外の世界へ出て行ったってことはないですよね。今頃、ロンベルンや他の町を荒らしまわっているとか」
「ああ!? 何だって!?」
ジークベルトが血相変えて飛び上がりました。拳を握って走り出しますが、マヤトーレの矢に行く手を阻まれて立ち往生してしまいます。
「おい、危ねぇだろうが!!」
「可能性がないとは言わんが考え過ぎだろう。もし本当なら手遅れだ。不確定なことで悩むより今は探索に集中しておけ」
「でもよう……!!!」
「我々の後に来たアデルだってそんな話は全くしていなかった。気にするだけ馬鹿を見るぞ」
マヤトーレの言う通りだと思いましたが、ジークベルトは納得できないでいるようです。ちょっと意外な感じもしますが、ロンベルンが心配で仕方がないんでしょう。
彼の町を思う気持ちは本物。今の様子を見たら、悪口を言っていたアイラットたちも考えを改めるかもしれません。
「それにな、仮に町に戻って魔物人と戦うことになったとして、貴様一人で何ができる。奴らは半分人間のような存在だ。果たして貴様の魔法が通用するだろうか?」
「どういう意味でしょう。あの敵を砂に変える魔法は結構凄いと思っていたんですけど」
「確かにな。私も最初に見た時は驚いた。だが、あれは魔物以外には通用しないんじゃないか?」
「えっ、そうなんですか!?」
急に壁の方を向いてジークベルトが舌を鳴らします。どうやら正解だったよう。他人の魔法なのに良く分かるものです。
思い返してみれば、確かに魔物以外にあれを使っている所を見たことがありません。物凄い魔法だと思っていましたが、そんなに使い勝手が良い訳でもなかったんですね。
「アデルと戦っている様子を見て気が付いた。狙える場面があってもその素振りすら見せなかったからな」
「言われてみればそうだったかもしれませんね」
「さらに言えば、他の魔法を一切使うことができないだろう。扱える魔法術はたった一つ。石のガントレットと、そこから繰り出す魔物を砂に変えるあの技だけだ」
「ああ、それは私も何となく気付いていました……」
「だったら、何だってんだよ。馬鹿野郎!!!」
これは少し可哀想だったかもしれません。真実だとしても言って良い事と悪い事があるんです。
かなり苛ついた様子でジークベルトが壁を殴り付けています。また舌打ちして、そっぽを向いたまま次の部屋へと歩いていってしまいました。
「ギガトン・バニッシュは人間や獣相手にだって通用するぜ。勿論、魔物人にもな。俺自身が封印してんだよ」
「強がりを言うのは良いが、実戦で無茶をするなよ。貴様の尻拭いをするのは私たちだという事を忘れるな」
「言っとくが、俺が本気を出したらやばいことになるからな!!!」
「ああ、分かっている。私だってそれなりに頼りにしているからな」
喧嘩になるかと思いましたが、取りあえずは大丈夫なようです。マヤトーレも彼を非難したい訳ではないようで、これはこれで良い話し合いだったかもしれません。
それにしても、やたらと素手で突っ込んでいくと思いましたが、他に何もできなかったとは。まさに命知らず、火炎瓶みたいな人間です。
「俺を侮るなよ。今に笑えなくしてやるぜ」
顔を真っ赤にしたままジークベルトが次の小部屋への扉を開きます。もう何度見たか分からない光景、けれど今回は一つだけ違いがありました。
「おい、扉が二つあるぜ……」
それを見た瞬間、私とマヤトーレの溜息が重なりました。これはいよいよ全く以て面倒なことになってきましたね――。




