prologue_天使 2
その頃の私は、教会という組織に対して疑問を抱くようになっていました。才能に恵まれた若者が邪険に扱われ、大して実力もない、威張るだけしか取り柄のない無能者たちが幅を利かせている。いくら頑張っても私の取り分は少いままでしたし、どんなに革新的な意見を出した所で誰も取り合ってはくれませんでした。
独立を決心した私は嫌いな司祭をロッドで殴りつけ、ついでに父親と喧嘩してラッカの都を飛び出しました。鉄屑の二輪車に乗って西へ西へ、いくつかの町を経由してついに最果ての地へと辿り着いたんです。
細いタイル道の終わり、文明の終着点。ロンベルンという名の町は、最近発展が著しいと評判で、道中の宿屋でも何度かその話題を耳にしていました。
セラミックタイルの地面にレンガ積みの家々が並ぶ小さな町。全体的に濃い色合いの建物が多く、セピアがかった周囲の森から浮き上がって見え、中々にお洒落な感じです。
通りに並ぶ街灯に広場の水汲み井戸。外枠は木材が使われていますが、中身はどれもラッカ製の機械仕掛けになっていました。型落ちの旧式品を使っているようで、軋むようなモーター音と隙間から覗く錆付いた鉄屑がどこか廃退的な印象を与えます。
住民は総じてのんびりとしており、各々の仕事に対してもあまり頓着していないよう。都会育ちの私から見ると、まるで時計の針が止まってしまっているかのようでした。これは実にギルマンテス的な考え方ですが、ロンベルンの住人はもう少し、自らの力で生活を切り開いていくよう努力するべきだと思いました。これで楽しく暮らせているようなので構わないのかもしれませんが、せめて路地の清掃や機械類のメンテナンスくらいは自分たちで行おうとは思わないのでしょうか?
最初の数日でいくつかの疑問を抱きましたが、私がこのような視点を持つようになったのもラッカを出て新しい環境へ足を踏み入れたからでしょう。以前は聞く耳を持たなかった他派の主張も一理あるなと考えるようになっていたんです。
とはいえ当時の私はまだエル・リール派の修道士として前向きに活動していましたから、それで何かが大きく変わるということもありませんでした。
運の良いことにロンベルンには教会は勿論のこと、信仰に関する指導者は一人も存在していないとのことでした。辺境特有の魔物崇拝や精霊信仰が根付いているのかと思いましたが、特にそういうこともないようです。
町の有力者たちに掛け合った結果、私は無事にロンベルンの修道士として認められることとなりました。何と信仰関係の代表ということで、町の重要事項を決定する会議に参加する資格まで与えられてしまったんです。
新たな生活の始まりは想像していたよりもずっと素晴らしいものになりました。悠々自適な田舎暮らしに新たな布教活動の始まり。町の人間は神を知らない迷い人ばかりでしたから、彼らの目を覚まして敬虔なエル・リール信者にしてやろうと意気込んでいたんです――。
結局のところ、私を待っていたのは現実という夢と希望の成れの果てでした。
信仰とは素晴らしいものです。エル・リール様は何の取り柄もなかったこの私に、沢山の物を与えてくれました。きっと、忘れることはないでしょう。全てを捨てて、何の疑いもなく女神を信じ続けた日々。人生で一番頭のおかしかったあの日々を。けれど、とうとうそれにも終わりが来てしまったんです。
振り返ってみると、ラッカを飛び出してロンベルンへやってきたあの時期は私が長い子供時代とお別れを告げ大人になった瞬間でもありました。新天地へ導いてくれたことを大いなるエル・リール様に感謝しました。そして同時に少しだけ、私は生まれて初めて女神に不満を抱いてしまったんです。
暮らしてみて分かったんですが、ロンベルンというのはそれはもう最悪な町でした。何が嫌かって全部が嫌。通りにはゴロツキが溢れているし、誰かしら隅の方で嘔吐しているし、朝と夜の区別も曖昧で、いつだってそこかしこから奇声が聞こえてきます。
生理的に受け付けなくて、すぐにラッカへ引き返したくなってしまいました。けれど、その頃はまだ修道士としてやる気と根性を持っていましたから。これもエル・リール様の試練だと思って歯を食いしばって耐えていたんです。
本当に毎日が憂鬱でした。思わず隅の方で吐いたことだって一回や二回じゃありません。その度に自分自身に回復の魔法をかけて、私はローブの袖で止まらない涙を拭いました。
喧嘩の仲裁に入ればこっちが殴られ、女神の話をするだけで変人のような扱いを受けてしまう。どうして私がこんな目に合わなければならないんでしょうか。女神が私に何を求めているか、それが次第に分からなくなっていきました。
やがて存在理由の崩壊が始まります。ゴロツキたちをロッドで殴り飛ばしながら、私の中で何かが音を立てて崩れていきました。慈愛の心ではどうにもできなかった問題が、拳一つで簡単に解決できてしまう。今まで私は一体何をやっていたのか、そもそも女神の教えとは何なのか?
教会時代にもらった手引書を眺めていると、かつては宝物のように思えた言葉の数々が、欺瞞に満ちた下らない戯言にしか見えなくなってきました。
もうラッカに帰ってしまおう。そして、鉄屑技師になって地味に暮らそう。生まれ故郷が恋しくなりましたが、無理を言って飛び出してきた手前、簡単に戻れるとも思えませんでした。特に父親とは絶縁状態になっていますから、顔を見るなり工具で殴られること間違いなしです。
どうしたものかと考えた結果、私はロンベルンに残ることを決心しました。ここには仕事があります。町を代表する修道士ということで一応名声を得ていますし、何もしなくても生活が保証されているというのも魅力的でした。逆に言えば、他に良い所なんて一つもないんですけどね。
女神から目を背けた私は、適当に手を抜きながら修道士の活動を続けていきました。依然として辛いことは多く、時にはこっそりとラッカへ出向いて若者らしく羽目を外したりもしました。教会へ寄付金を届けに行くという名目で夜の都を遊びまわったんです。
それでも挫けそうになるから、対策として私は独自の魔法を開発しました。「ハピートリガー」こいつは教会でも教えてくれない全く新しい魔法。気持ちを盛り上げて頭の中を幸せにする効果があるんです。
そうしたらもうハッピー。毎日が幸せでどうにかなりそうでしたけど、実は反動が凄かったんです。少しすると急に悲しくなって、涙がポロポロって感じです。町の宿屋に担ぎ込まれたのも一回や二回ではありませんでした。でも、ここで諦めないのが私の良いところ。改良に改良を重ねてついに反動を消し去ることに成功したんです。
私ってやっぱり才能があるみたい。貴方の毎日にささやかな幸せを。そう思って、酔っ払いにかけてあげたことだってあります。ぶん殴られましたけどね。本当、ここの住民は最悪なんです!
ロンベルンの何が酷いって話ですけど、とにかく酔っ払いやゴロツキが多いんです。夜も眠らない町と言って調子に乗っていますけどね、ようは鉄屑の街灯と一緒。頭のおかしい連中が、羽虫の如く集まってくるんですよ。
ロンベルンの誇りと呼べるのはお酒だけ。それを目当てに遠くからも沢山の人やってきます。この辺りだけに育つロージィという麦を原料にしているんですが、舌が蕩けるほど美味しいって評判なんです。
酒飲みに商人、どこかの貴族の使いで来たという方もいましたね。外から来た人は一見すると普通な感じなんですけど、彼らも結局は酔っ払いになってしまいますから町の通りではいつも喧嘩ばかり、昼夜構わず誰かしら揉め事をおこしています。
喧嘩の仲裁に迷惑行為への対処、怪我人や泥酔者の治療も私の仕事の一環です。もう毎日が大忙し、体力はある方だと思いますが、このままでは近いうちに倒れてしまうかもしれません。
そうそう、そういえば最近少し変わった動きがあります。観光に力を入れていこうという話で、土産屋を中心にロージィ人形という物を流行らせようとしているみたいなんです。収穫の後に残った藁を使って丸っこいブタやウサギの人形を作るっているんですが、可愛らしいというよりは、へんちくりん。私としては、正直どうかと思うんですが……。
観光で来た旅人たちを楽しませるという名目で、ブタやウサギやオオカミが町の至る所にばらまかれているんです。
町にいくつかある酒場や街灯の周り、民家の扉にセラミックタイルの隙間。あとは町の入り口にある塔の中ですね。あそこは最近、展望台になってしまいました。上るのにもお金を取られてしまうようになったんですが、受付をしている女性が知り合いなので、彼女を言いくるめればタダで塔に上ることが出来ます。
実はあそこ、私のお気に入りの場所だったんですよ。落ち込んだ時は良く上っていたんですけど、今は人が多いから落ち着かない場所になってしまいました。上からの景色なんてのはそんなに面白いものじゃありません。ラッカみたいに夜景が綺麗ってわけではないですし、せいぜいロージィ畑を眺めるくらいでしょう。
時期が来ると穂が赤く色づいて、まるで上等な絨毯みたいに見えます。刈り入れが終わると今度は四つ葉を植えて、緑色の中に青い花が混じるんですけど、これは中々に素敵な景色ですね。それを森のブタたちが食べていくんです。人形のブタじゃなくて野生のブタですよ。
花を食べて、その後に自分が食べられるっていうから、おかしな話です。ブタが集まってきたら町の皆で捕まえてやります。これは一種のお祭りですね。色の付いた獣と触れ合う機会なんて滅多にありませんから、子供から大人まで皆大張り切りです。
奴らを追いかけるのは面白いですよ。捕まえて足を縛ってやって、ほとんどは森へ帰してしまいますが何匹かは広場で丸焼きにして参加者に振る舞われます。そこで私の仕事。エル・リール様のお言葉として、心に残る素敵な文言を読み上げなくてはならないんです。皆の注目が集まる晴れの舞台ですから、上手い事を言えばロンベルンでの評判が一気に良くなります!!
今年もいよいよ収穫期です。前回はそれなりに拍手が送られましたが、今回はどうでしょうか。ビッグウェーブを巻き起こすべく、私は寝る間も惜しんで原稿作りに励んでいました。
事件が起きたのはそんな矢先。いつもなら赤く染まるはずのロージィの穂がどれだけ経っても茶色のまま止まってしまっているんです。こんなことは前代未聞だそうで、住人たちもブタを追いかけるどころの話ではありません。お酒しか取り柄がないのにこのままじゃどうするんだともう大慌て。さて、こういう時、誰が問題を解決するのかって話ですが――。
そうなんです、これも私の仕事なんですよね。そういうわけで今から緊急対策会議に出席しなければなりません。場所は勿論酒場。この町で人が集まるとしたらそこしかないですから。