stage3_塔の槍使い 5
魔法陣の円が閉じ、聖なる光が消えていきます。アデルは膝を震わせて、それでも槍を支えに立っていました。私ももう限界、ぜえぜえ息を吐きながら彼女を見据えます。
「アデルちゃん、今日は私の勝ちです」
「私は負けない。貴方なんかに絶対負けるもんですか……!!!」
身を潜めていた獣たちが薄っすらと姿を現します。アデルはまだやる気のようですが、すでに決着はついていました。マヤトーレの矢が獣の影を瞬く間に消し去っていきます。
「卑怯だわ、二対一なんて」
「狼が一匹に豚が二匹、兎が四匹だったか。数の上では貴様の方が有利ではないか」
「屁理屈を言うな!!」
最後の力を振り絞るように、黒槍からオオカミの影が伸びてきます。けれど、それだけです。アデルが消耗した分だけ力が弱まったのでしょう。私に届く前に黒いオオカミは姿を消してしまいました。
「アデルちゃんの負けです。大人しく鍵を渡してください」
呆然とする、アデルの瞳から涙が溢れ出しました。後ろから物音がして、びくりと肩を震わせます。ジークベルトが起きてきましたね。
「畜生、もう一回俺と勝負しろ。俺はまだ負けちゃいねぇぜ」
「貴様は何を言っている。寝惚けているなら家に帰れ」
マヤトーレはもうやる気をなくしているようです。私の方を一瞥してジークベルトの方へと歩いていってしまいました。
「こんなのは嘘よ。せっかく守護者になれたのに、私は……」
アデルは大泣きしてしまいました。余程悔しかったんでしょう。わんわん泣いて拳を床に叩き付けています。私は悩みました。彼女の親友として、なんと言葉をかけたら良いのでしょう。
「この機会に、アデルちゃんもエル・リール派の修道士になりませんか。私が色々と教えてあげますから!」
「馬鹿なことを言わないで。この馬鹿女!!」
「でも危険ですよ。こんなことを続けていたら、きっといつか痛い目に……」
余計に傷つけてしまったよう。立ち尽くす私の前でアデルが子供のように泣きじゃくっています。私まで泣きたい気分になりましたが、修道士的にそれは格好良くないと思いました。こんな時、優れた修道士はどう行動するのか――。
いいえ、違います。エル・リール様の視線が気になりますが、今は修道士としてではなく彼女の親友として接してあげるべきでしょう。心って奴は正直です。そう思ったら体が勝手に動いていました。
「アデルちゃん大好き!!」
思い切って、熱い抱擁を交わします。こんな時に言葉は不要、最初からこうすれば良かったんです。
「何するのよ。離れろこの馬鹿、間抜け、修道士!!」
「絶対に離しません。離すもんですか!!」
滅茶苦茶抵抗されますが構いません。今はこうすることが、私がアデルにしてあげられる唯一のことですから。抱き合っているうちにアデルの悲しみや痛みがこちらにも伝わってくるようでした。アデルが打ち明けてくれた怒りや不満、それらを思い出しながら私は大いなるエル・リール様に懺悔します。
今度、あの展望台に上る時にはちゃんと受付で料金を払おうと思いました。持っていく菓子は一口で食べられる物にして、決してこぼしたりしないように注意しようと思いました。こちらから話すばかりでなく、相手の話もきちんと聞いてあげようと思いました。
「今日から本当の友達になりましょう。魔法使い同士、ちょっと人には言えないような話だって出来ます」
「鬱陶しいのよ。貴方はどうしてそんなに私に纏わりつくの!!」
「決まっているじゃないですか、アデルちゃんが大好きだからですよ」
本当は私に友人なんて一人もいません。けれど、友情を知らない修道士なんて二流も良い所です。そう思ったから形だけでも友人が欲しかった。アデルと仲良くしていた理由はそんな所です。それでも、偽物の友情でも時が経てば本物に変わることがある。今、私自身がそう実感していました。
いつまでそうしていたでしょうか。最初は噛みついたり暴れたりしていたアデルですが、いつの間にか大人しくなっていました。もうすっかり普通の女の子です。
「もういいわ、私の負けよ。大人しく鍵を渡すわ」
私を突っぱねて、むくりと頭を上げました。アデルは何かやり切ったような、清々しい顔をしていました。
「ミステル、貴方に負けたことは人生で最大の汚点よ」
「ええっ、そこまで言わなくても良いじゃないですか」
「私は落ちるところまで落ちたの。だから、前向きに頑張ることにしたわ」
何だか腑に落ちない感じもしますが、兎に角これで一件落着というやつでしょう。アデルはポケットから黄金の鍵を取り出し、私に手渡しました。まさに友情の証。私はお返しにハンカチを綺麗に洗って彼女に返すことにしました。
「ちょっと待っててください。洗ってきますから」
「ベタベタになったわね。乾かすことを考えないんだから」
「ごめんなさい、全く考えていませんでした」
ぶんぶん振り回して水を弾き飛ばします。まだ、少し湿っていますがこれでポケットに入れても大丈夫でしょう。修道士の知恵という奴です。
「ミステル、そろそろ先へ進むぞ」
「少し待っていてください。ちょっとだけ、お話をしてきますから」
アデルと並んで大広間を一周します。真の友情を育んだことで彼女の口も緩くなったようです。閉め忘れた蛇口の水のように、ぽろぽろと守護者の秘密を漏らしてくれました。
「最初にこの聖域に入った時に、天井から声が聞こえたのよ。守護者だって言ったらこの大広間を任されたわ」
「その声の正体は分からないんですか?」
「多分、魔物人様ね。でも、詳しいことは知らないわ。この宮殿の管理者だって名乗ったと思うけれど。最近じゃ向こうから話しかけてくることもなくなったし、連絡を取ろうと思っても方法が分からないのよ」
この迷宮にはやはり魔物人が潜んでいるようです。アデルの言う封印が解けたことで彼らも外の世界との繋がりが持てるようになった。黒いタイルの出現やロージィの異変の発生はそこが始まりになっているのかもしれません。
食事は決まった時間に出てくるのだそうです。迷宮内では必要ないはずですが、ここ食べておけば町に戻ってから料理する手間が省けるのだとか。最近では向こうもアデルの好物が分かってきたようで口に合った物が食べられるようになったと言います。倒れたミノタウロスは勝手に補充され、他の魔物は常に淀みから湧いて出てくる。ここでのアデルの仕事はそれほど多くなかったようですね。
「ちなみに、いつもは何をしているんですか?」
「編み物をしたり、ミノタウロス相手に精霊術の稽古をしたり、展望台に並べるロージィ人形を作ったり。基本的にこっちの仕事は夜だけだから、眠くなったら寝てしまうわ。ベッドが欲しいって頼んでみたこともあるけど駄目だったわね。その頃にはもう天井の声が聞こえなくなっていたから」
アデルが仕事を始めるのは夜も更けてから。そのタイミングで大広間へ入らないと先へ進めないなんて、探索者の方からすればちょっと酷い話だと思いました。マヤトーレが鍵を見つけられなかったのも、多分昼間に迷宮を訪れていたからなんでしょう。
続けてレミーニャのことを尋ねてみましたが、アデルには全く心当たりがないようでした。以前、ミノタウロスが一体やられていたことがあるから多分それだろうと……。
大広間を一周した私たちはオルガンの前まで戻ってきました。アデルはもう帰ってしまうのだそうです。今日はもう守護者の仕事はお終い。昼は受付で忙しいですから休める時にはしっかり休んでおきたいのでしょう。
「そういえば、このオルガンには何か仕掛けが隠されているんですかね?」
「ああ、鍵盤の右端と扉の装飾の事でしょ。私も気になっていたんだけど、特に何も起こらないのよね。こんな話を聞いたことがあるかしら、変わった鍵の付いた宝箱の……」
その話はさっきマヤトーレから教えてもらいました。だけど、黙って聞いてあげることにします。得意げに話すアデルが何だか可愛らしくって、私はその様子を微笑ましく眺めていました。
「わあ、アデルちゃんは博識です!!」
「そんなことないわよ。私はもう帰るから、せいぜい頑張ってロージィの異変を解決して頂戴」
背を向けて、アデルが去って行こうとします。その足が不意に止まりました。
「ところで、あの二人はさっきから何をやっているのかしら?」
ジークベルトとマヤトーレの二人が壁際にいました。アデルが箱の話を始めた辺りで向こうへ行ったと覚えていますが、何をしているのでしょうか。見ると窓枠を叩いたり引っ張ったりしています。
「二人とも何をしているんですか?」
「見りゃ分かんだろ。窓を開けられないか試してるんだよ」
外に変わったものでもあったのでしょうか。ぼんやりと庭園らしき物が見えますが、目を凝らしても暗くて良く分かりませんでした。
「不思議に思わないか。今まで私たちは窓の外のことなんて全く気にしていなかった」
窓から庭が見えるというのは、別段珍しいことでもないでしょう。私はそう思いましたが、どうしてでしょうか、守護者であるアデルまでもが首を傾げています。
「確かに変ね。不思議だわ」
「アデルちゃん、何が変なんですか。ただの庭があるようにしか見えないんですけど」
「そういうことじゃなくて、庭があるのに全く気にしていなかったことがおかしいのよ。私なんてもう何日もここに通っているのに、今まで一度も気にならなかったもの。窓の外を見ようとさえ思わなかったわ」
マヤトーレが頷きます。言われてみればそうかもしれません。本棚があるから本を手に取る、オルガンがあれば取りあえず弾いてみる。それは人間の本能のようなものでしょう。窓があれば外を見るのが自然です。迷宮のような特別な場所ならなおのこと、気にならない方がおかしいのです。
「不思議ですね。どうしてでしょうか……」
「ミステル、窓の外をもっと良く見てみろ」
マヤトーレに言われ、顔を張り付けるようにして目を凝らします。小川の流れる美しい庭園、暗くてはっきりとは見えませんが垣根の後ろで何かが動いているようでした。
「あれは?」
動いている影は一つではありませんでした。大きな小山のような何かが、庭園を歩き回っているんです。
「もしかして、ミノタウロスじゃない?」
「ええ!?」
分かってしまえば一目瞭然。広い庭園をミノタウロスが闊歩していました。どうして今まで気づかなかったんでしょうか。守護者のアデルを含めて誰一人として、庭園の様子が見えていなかったのです。
「ジークベルトが気絶していただろ。爆発に巻き込まれて、貴様が魔法をかけて寝かせておいた。その後目覚めて、意識が朦朧としている状態で鍵探しを始めた。どうやらその時に気付いたらしい」
「お前らも気付いてるもんだと思ってたけどな。だって、ミノタウロスだぜ」
これは一体どういう意味を持つのでしょうか。そういえば、アデルはミノタウロスが補充されると言っていましたね。その辺りと関係があるのかもしれません。
「ミノタウロスの補充は、いつも私が町へ帰っている間に行われていたわ。どこから現れるのかなんて考えたことなかったけれど、まさか外で飼われていたなんて」
「誰かが庭のミノタウロスを室内へ送り込んでいたということですか。さっき話していた管理者という奴ですかね」
アデルが首を捻ります。話を聞く限り、彼女も基本的には私たちと同じ外の人間です。守護者といえども迷宮内部の事情については殆ど知らされていないのでしょう。
「もしかすると、その管理者や他の住人にしか分からない隠し通路のような物が存在するのかもしれないな。普通は分からないようになっていたものが、普通の状態じゃないジークベルトには見えたのかもしれない」
マヤトーレはじっと窓の外を見つめていました。窓枠を掴む手には力が込められていますが、全く動きそうにありません。
「レミーニャはこの庭園を進んで行ったんだ。だから、私に気付かれずに姿を消すことができたのだろう」
私たちの前には二つの道が示されていました。アデルから受け取った鍵を使い、素直に大広間の扉をくぐるか、何とか窓を開けてミノタウロスの蔓延る庭園を横切るか。庭園の方はどう転んでも危険な道でしょう。只でさえ暗くて視界が不十分な上、ミノタウロスたちの巣のようになっていますから。
「マヤさんの言う通りかもしれません。でも、あんな危険な場所へ入るのは賛成できません。それに窓だって開かないみたいですし」
「おい、マヤ。この窓だけ鍵がかかってないぞ。開くみたいだぜ」
この男は何でこういう時にだけ上手くやるんでしょう。
マヤトーレが庭園へ飛び出していきました。ジークベルトも当たり前のように追いかけていきます。
「待ってください。冷静に考えるべきです」
「貴様はその道を行け。レミーニャの奴を見つけたらすぐに追いかける」
戦力の分散は悪手も良い所。いつものマヤトーレなら絶対にしなさそうな判断です。これは放っておいたら危ないかもしれません。
「そんなこと言ったって、二人を置いてはいけませんよ」
どのみち私一人で先へ進むのは難しいでしょう。仕方がなく、窓枠に手をかけます。土の上に降り立って私は絶望しました。すでに二人の姿は見えません。この暗闇にミノタウロスの集団。例え、魔法で明かりを灯しても後を追うことは敵わないでしょう。
「ミステル、貴方死にに行くつもり?」
すぐに走れば何とかなったかもしれません。けれど、もう駄目でした。夜目の効くマヤトーレたちならまだしも、私ではこの暗さの中でミノタウロスと戦うなんてとてもじゃないですが不可能です。
「待つしかないでしょうね。大丈夫よ、ジークベルトは兎も角、マヤトーレは相当な使い手みたいじゃない。夜の戦いに慣れているのならミノタウロス相手でも何とかなると思うわ」
遠くの方で炎の瞬きが揺らめいています。私はまだ決めかねていました。あの炎を頼りにすれば、もしかしたら二人と合流することができるかもしれません。
「アデルちゃん!!」
「何よ!?」
「一つお願いがあります。友人として、一生に一度のお願いです」
手伝って欲しいと、駆け寄る私の前で無情にも窓は閉められてしまいました。硝子に頭を擦り付ける勢いで懇願しましたが、アデルは全く取り合ってくれません。
「もう帰るって決めたの。明日だって展望台の仕事があるんだから」
そのまま背を向けてアデルは去っていきました。取り残された私は独りぼっち、途方に暮れて空を眺めました。
「友情なんてクソくらえです……」
雲はないのに月が見えない。夜空をこんなに恐ろしいと感じたのは初めてかもしれません。不安で胸がいっぱいです。果たしてマヤトーレとジークベルトに合流することはできるんでしょうか……。




