何でもするから
夕日が地平線に沈み1刻ばかり過ぎたころ、皇都をぐるりと囲む赤の壁が見えてきた。皇都は城郭都市であり、その周囲には外敵の侵入を阻む長大な壁が構築されている。もっとも現在は実用的な理由よりもシンボルとしての存在になっているのだが、数十キロメイルを囲む赤の壁は雄大さを感じさせる。壁が赤いのは素材である赤魔鉱石に由来する。この鉱石は日中に太陽光を取り入れ、夜間に光を放出する特徴をもつ変わった鉱石である。そのお陰で皇都の外壁は夜間でもごく僅かな光を放つ。光を嫌う魔獣は近寄れないのだ。
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「めっちゃ混んでるやないですか、これ待たないといけない系ですか?」青年は不満そうに口を尖らせる。
皇都の最外壁では常に検問が行われている。外へ出る際は簡単なのだが、入る際には保安管理局の審査を受ける必要があるのだ。そのせいで皇都の出入り口はいつも混雑している。
「いや、安心しろ。外交官と保安官は別口で入れる。外壁沿いに1キロメイル進んだ場所に直通の門があるぞ」魔導車が揺れるたびに負傷した腕がズキズキと痛む。
特別通用門は車が1台通るのがやっとの大きさである。2人を乗せた魔導車が近づくと槍を小脇に抱えた警務官が敬礼をした。
「すまないな、腕がこの有様で答礼は省かせてもらう」赤黒く染まった包帯を巻いた腕を見せながら警務官に笑いかける。
「…それは構いませんが、後ろの座席にあるものは?」顔を引き攣らせながらも職務を遂行する警務官。
「道中で地龍に遭遇してな、逃げきれんかったから討伐したのだが、こやつが勝手に牙を積み込んだんだ。」
「地龍をお2人で討伐されたので?昨日正式に闘士協会に討伐依頼が提出された地龍であると推測されます」
「まぁ無事では済まなかったがな、このざまだ」ショーンが負傷した腕を窓の外に出した。その時ミシリと嫌な音を立てて上腕が反対側へ、曲がってはいけない方へと折れ曲がった。
「えっ…今すぐ治療院に連絡いたしますので少々お待ちを!」流石に顔色を変えて門の内側へと駆け込んでいく。
「おい、お前さんが適当に包帯を巻くから骨が飛び出ちまったじゃねえか」呆れながら運転席へ顔を向けるショーン。
「すんません、内蔵まみれで臭かったんで適当でした。あと怖いんで折れた腕をブラブラさせないでください」相手がおっさんなので手を抜くのは仕方がない。心配して欲しければ美少女にでもなってくれ。
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「おやおや、だいぶ酷く怪我をなされましたね」柔らかな笑みを浮かべながら負傷した腕に手をかざす治療士。
「すまねえな、順番を飛ばしてもらって。」チラリと後ろを振り向くショーンの視線の先にはずらりと治療待ちの老若男女が並んでいる。
「いえいえ、郊外の地龍を討伐してくださったと聞いております。未来の犠牲者を救って下さったのはありがたいことです。それでは始めますよ」ニコリと笑い、掌を損傷部位にかざす治療士。仄かな温かさと共に白色の光が優しく患部を照らす。
眠りに落ちそうで落ちない、そんな心地よい感覚がたっぷり10分は続いた後、優しい光がフッと消えた。
「お疲れさまでした。無事に処置できましたので、これまで通りに使っていただいて結構ですよ。」額からにじみ出る汗を拭いながら治療士が告げる。
「いつ見ても不思議なもんだ…時間が巻き戻ったように傷一つ残ってねぇ。迷惑かけたな、治療士のねえちゃん」完治した腕をぐるぐる回しながら礼を述べる。
「若輩者のわたくしには勿体無いお言葉。貴方の人生にリカード様の加護があらんことを。」そう言って治療士は左右に2回ずつ、優しく柏手を打って恭しくお辞儀をした。
「若いのに大したもんだ。お前さんにも加護があらんことを」敬礼をして治療院を後にするショーン。
治療院はリカード教団が運営する医療施設であり、外傷を治癒する治療士は全て教団の司祭である。白色の魔力を持つ者は稀で、その中でも厳しい教団の訓練を達成できた者のみ治療士の資格を得ることができる。多忙かつ薄給の厳しい仕事であるが、リカード教団の司祭はこの大陸で最も名誉のあるものと認識されている。知恵と人格を兼ね備えた者のみが使用できる白色魔力の使い手は真の君子といえるだろう。
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闘士協会にはホクホク顏のユースケの姿があった。なし崩しで討伐した地龍は正式な討伐対象となっていたため、それなりの賞金を得ることができたからだ。その額20万ペソ。中層の庶民ならば、ひと月に1万ペソで一家3人が余裕をもって暮らせることを考えるとひと財産である。さらに地龍の大牙は10万ペソで売れたので30万ペソが青年の手元にあるのだ。
(デュフフ…これだけあれば武具を新調してもお釣りがくる。娼館で遊ぶのもワンチャンあるな、先っちょだけならセーフ)などと訳のわからんことを考える青年、当然ながらショーンの取り分など考えてすらいない。下衆である。
ガランガランと鈴の音の鳴る闘士協会の扉を開けると、大金を前に超ゲス顏のユースケの姿があった。
「はぁ…おいユースケ、そのだらしない顔をなんとかしろ。金は安全な処に預けておけ、行くぞ」ショーンは呆れながらもユースケの前に立つ。
「ショーンさんも好きっすね、オススメの店ありますか?」
「どこに行くと思ってるのか知らねぇが、青の魔力使いを紹介してやるって言っただろう」(ダメだ、こいつに毎回ツッコミを入れてたら白髪になっちまう)
「あ、そうでした。今すぐ行きましょう!」
「もう一度だけ念押ししておくが、俺は紹介するだけだ。それ以降のことはお前さんから頼めよ。気に入られるとは思えんが…」
皇都で生活するドワルフ族は鍛冶を生業としている者が多い。ドワルフ族は長耳族ほどではないが魔力の扱いに秀でており、魔力を物質に付与する技術が代々伝えられているらしい。他種族が真似をしようにも繊細な技術であるため、ドワルフ族以外に魔道具を開発できた前例はない。2人の向かう先は皇都随一の魔道具工房であり、そこに件の人物がいるのである。
石造りの皇都では珍しいレンガ造りの建物、開けっ放しの扉から放出される熱気と甲高い打撃音。でかでかと掲げられた《コイーデ魔具工房》の看板は駆け出し闘士ユースケの憧れの店でもある。
「ファ!ショーンさんの紹介する人ってここで働いてるんですか?」
「働いてるというより、そいつがボスだな。あまり会いたくはないが…」店内を警戒しつつゆっくりと店内を覗き込むショーン。
ガンガンと響いていた鉄を打つ音が止む。むさ苦しい作業員を掻き分けて髭もじゃが近づいてくる。
「ショーンカイナャジ!ナダリブシサヒ、イダウョキ!」
身の丈150サントほどの髭達磨が両腕を斜め前方に伸ばして徐々に距離を詰めてくる。同じようなポーズでショーンも待ち構えている。シュールな光景。
2人の距離がゼロになった時、ガップリと手を掴み力比べを始めた。一体なにをやってんだこいつらは…
拮抗していた力比べは髭達磨に分があったようだ。ショーンをジワジワと宙に浮かせて放り投げる。ドスンと工房内に土煙が舞う。工房内は大盛り上がり。
「ナダウヨタチオガラカチ、ショーン!ワッハッハ!」太鼓腹をドカンと叩き大笑いする髭達磨。
「保安官は書類仕事が多いからな、昔のようにはいかんさ」髭達磨の手を借りながらムクリと起き上がるショーン。
…ガハハと笑いながら抱き合うおっさん2人。非常に気色悪い。
「デレソ、ダノモニナハラクンボナウソルワノマタアノコソ?」髭達磨がユースケをジロジロ眺めながらショーンに問う。
「あぁ、こいつか。エースケの息子でな、ユースケという。生意気な奴だが、見込みはあるぞ」
「エースケカコノ!ダDNAノツヤハ天パニカシタ。ナイシカツナ」何か納得したような様子の髭達磨。
ジリジリと青年に歩み寄り、バシバシと肩を叩く。
「エースケの子、ユウツケよ。儂がこの工房の主コイーデだ。」
「共通語しゃべれるんかい!そしてユウツケじゃなくてユースケだし!」耐えきれずにツッコミを入れるユースケ。それを聞いた髭達磨はムッとする。
「年長者に対する態度を知らんようだな? 舐めてんのか?」急にヤンキーと化した。
両腕を斜め前方に構えている。力比べのポーズである。
恐る恐る腕を組んだ瞬間に青年は天井へと叩きつけられた。
「グェ!」踏みつけられたゲコのような声を出し床に落ちるユースケ。その様を見届けた髭達磨は鼻で笑う。
「態度も悪い、力も弱い、貴様の望みが何か知らんがその程度では話にならん。出直して来い、クソ坊主!」シッシッと手を払いながら背を向ける髭達磨コイーデ。
「待って下さい、コイーデさん!俺は兄貴を救うために力をつける必要があるんだ!何でもする、俺に青の魔術を教えてくれ!」素早く土下座の姿勢で平伏す青年。
それを聞いたコイーデがゆっくりと振り返る。「ん、今何でもするって言ったか?」