保安官
「まったく、世話を焼かせるな。」
木造の簡素な小屋の中でユースケは説教を食らっていた。この小屋は保安官の詰所である。先ほど呆れたように呟いたのは、この村の保安官として皇国から派遣された役人だ。
その体躯は190サント、100ギルグラムを誇る、逞しい大男である。50をいくらも過ぎているのだが迫力は微塵も衰えがない。大男は髭をたくわえた顎を撫でつけながら話を続けた。
「また魔獣の群れが押し寄せてきたかと、急いで現場に向かうと裸の小汚ない男が捕まえられちょる。それが旧友の息子であったときの儂の気持ちをちょいとは考えてみんか。のう、ユースケ」大柄な体に似合わない、ひょうきんに肩をすくめる動作をして青年をチラリと見る。
「すまねぇ、ショーンさん。まさかトレントと勘違いされるとは……」青年は肩を落としつつ口を開いた
「この村の近くに発生した、シドイン級の妖巣。多くの旅人が奴の犠牲になっている。俺は皇都の闘士ギルドから妖巣駆除の依頼を受けてこの村にやって来たんだ。この近辺で魔獣が活発化しているのは、妖巣の発する負の魔力が原因でしょう。」
「ほう、あの泣き虫のクソガキが皇都の闘士になるたぁ、世の中何が起きるかわからんな」ユースケの逞しい成長に頬を緩ませる。だが、この近隣の妖巣は駆け出し闘士の手に負えるものではないことをショーンは知っている。
「未来のS級闘士様よぉ、ここの妖巣にはもう関わるな。シドイン級に成長した妖巣は百戦錬磨の皇軍対魔部隊でも簡単には駆除できん。若い才能を散らすことはない…儂も昔は闘士の真似事をやっとったから手柄を立てたい気持ちはよくわかる、が、その功名心に駆られて命を落とした者は少なくないぞ。」そう諭すように呟いて、すこし傾いた椅子にズシンと腰をおろした。
「そんなんじゃないんです!俺の兄貴は妖巣に取り込まれて…ショーンさんも知ってるはずだ、妖巣に取り込まれた人間がどんな結末を辿るかを!」思わずユースケは声を荒らげる。
暫しの静寂の後、ショーンが口を開いた
「そうか、フミヤーンは妖巣に…それは残念だった。取り込まれたのはいつのことになる?」
「3年ほど前に、皇都周辺の妖巣駆除の作戦で音信不通に。兄貴の部隊なら簡単に終わるはずの若い妖巣だった。中で何があったのかは知らないが、帰っては来なかった。おそらく仲間と共に妖巣に取り込まれたかと…」目を伏せ、拳を震わせる天パ。
「妖巣の中は時間の流れが外とは違う。無事なのか、いや生きているのかさえ定かじゃあないぞ。」
そんなことはわかっていた、生きている確率が限りなく低くても、兄を助け出したいのだ。
ショーンは椅子から立ち上がると青年の肩に手をポンと置いて話しかける。
「それにユースケ、お前さんは妖巣に取り込まれかけよったぞ。服が脱げとることにさえ気づかんかったのは未熟な証拠だ。妖巣は気づかぬうちに服を溶かし、取り込んでから人を喰らうのだ。どんなに魔力の多い闘士であっても、魔道具の媒介無しで妖巣を駆除することはできんだろう。」
「そ、それはやってみないと分からないじゃないですかっ!」ユースケはショーンの顔を見上げながら反論する。
「やった結果、尻尾を巻いて撤退か。少しでも気を抜いていたら取り込まれていたはずだ。こんな綱渡りのような闘いは闘士のやることではない!絶対に勝てるという確信をもって闘いに臨むことが、長生きできる秘訣だ…悪いことは言わん、皇都に戻っちょれ」
ギリっと奥歯を噛むユースケ。ショーンの言葉はぐうの音も出ないほど正論だ。
消え入るような声で言い訳を呟く「撤退ではなく転進だ…」
皇軍対魔部隊の士官であった兄、フミヤーンでさえ不覚をとるほどの相手。いくら魔力量が多いとはいえ駆け出し闘士の自分に、まともに太刀打ちできるほど優しい相手ではない。そんなことは頭ではわかっているのだ。どうにもならぬ現状を再確認させられたユースケにドッと疲れが押し寄せ、後ろにあったソファーにフラフラと腰を落とす。何分経った頃だろうか、ガチャッという音と共に簡素な木製のドアが開く。薄暗い室内に光が差し込んできた。
「し、しつれいしまーす。カルフェをお持ちしました。」
エプロンドレスを着た小娘が湯気立つコップを2つ載せたお盆を抱えておずおずと入ってくる。年の頃は15、6歳であろうか。肩口までの黒髪を一括りに後ろに流し、はにかんだ表情で机の上に木製のカップを並べている。
少女はユースケに向き直ると、申し訳なさそうに口を開いた。
「さ、先ほどは魔獣と勘違いしてしまって申し訳ありませんでした!」ペコリと勢いよく頭を下げる。
ユースケは困惑する。誰だこの娘は、村人の一人だろうか。よく分からないけど紳士的な対応をしなければ…ユースケはソファーから立ち上がると頭を下げたままの少女に向き直る。
「いやいや、頭をあげてよ。俺も後で鏡をみてビックリしたんだ、魔獣と勘違いされてもおかしくはなかったよ。」
少女は遠慮がちにユースケの顔を見る。優しげに整った顔立ちをしており、なかなか可愛らしい。
ユースケは少女の雰囲気に覚えがあった、先ほど門の下にいた歩哨である。小柄な男かと思っていたが、それは重大な勘違いであったようだ。鎧をつけていたのでわからなかったが、背丈はユースケより一回りも低く、155サントくらいだろう。そしてなにより激しく主張する胸部にユースケの目は釘付けとなる。(はっ、俺としたことが。こんな逸材を見逃していたとは…)布に包まれた大瓜を堪能しているユースケに、少女が遠慮がちに声を掛ける。
「あの…どうかいたしましたか?」
「あ、いや、そろそろ大瓜の収穫シーズンがはじまるなと思っていただけだよ。気にしないでくれ」爽やかに答える。妙なやり取りを黙って見ていたショーンは呆れた目をユースケに向ける。
「まったく、立派になったと思いきや、そげんところは相変わらずか。逆に安心したよ。」
よく意味のわからなかった少女はとりあえず話に乗っかることにした。
「ユースケさんは昔から農業に興味があったんですか?家の畑でも大瓜を作っていますよ。今晩の夕食後にでもお出ししますね。」
それじゃあ家の手伝いがあるのでまた後で、と言って少女は詰所を出ていった。
「ん、また後でってどういうことなんだ?」ユースケは素朴な疑問をポツリと漏らす。
「ああ、ユキは宿屋の娘なんだよ。この村に宿はユキのところだけだからな、さぁとりあえず冷める前にカルフェでも飲もうじゃないか」
ユースケとショーンは未だ湯気をたてるカルフェをグイッと飲む。カルフェは南方原産の植物の種子から作られる飲み物で嗜好品の一種である。ほろ苦い中に甘みがあり、産地ではないがサトナーカ皇国では茶に次いで人気の高いドリンクだ。冷めると苦味が増すので大抵の場合は少し熱いくらいで飲むのが今の流行となっている。ちなみにユースケはこのカルフェがあまり好きではない。無類の甘党であるためにカルフェの苦味が嫌いなのだ。しかし本人は甘党であることを隠し、苦いものが好きだと公言している。そのほうがカッコいいから、というのが本人の考えなのだ。
「やっぱりカルフェはこの苦味がいいですね、ユキちゃんが淹れてくれたものはなおさら苦くて美味い。あの宿屋の親父、キモいくせにあんな可愛い娘がいたとは知りませんでしたよ」例に漏れず苦手なのを我慢して格好をつけるユースケ。
「いきなりちゃん付けとは馴れ馴れしいな。さぁ、それを飲み終わったら宿屋に帰って頭を冷やせ。明日の夕方にでも皇都に送っていってやろう」ユースケの強がりをスルーするショーン。
「明日、ああ、まあ僕はこれで失礼します。今日はあざっした」適当に話題をはぐらかす。この男はいつも都合が悪くなるとその場を適当に繕う癖があるのだ。形だけの挨拶をしてさっさと詰所を出て行くユースケ。とりわけ急ぐこともないが、50過ぎのおっさんと話すより年下の女の子ところへ行くほうが楽しいにきまっている。
「明日送っていくからな、勝手な真似はするなよー。聞いているのかー!」ショーンの言葉を最後まで聞かずさっさと退室したユースケに一抹の不安を覚えるも、まあなんとかなるだろうと楽観視できるのがショーンという男。この男も結構適当なのだ。
寄り道せずに上機嫌で宿屋に向かったユースケは、ガラリと目的地の扉を開ける。その顔は緩みきっていた。