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美里の言う付き合えというのは、やはりというか、世間的にデートの類だったようだ。
ただ、それというのも妙な話で、午前の間に美里を迎えに家まで行ってから市内までバス移動、それから二人並んで街々を歩いてみても、あまり特別な感慨は浮かばなかった。
彼女の目的は、どうやら服の購入だったらしく、自分はその荷物持ち要員として駆り出されたというところだろうか。
自分も美里もいつも通り。それこそ妙な話だ。
こうして二人で街に繰り出して歩き回るのは、実は初めてのことなのだ。
だというのに、出来上がってしまった距離感とでも言うべきなのか、美里に同行する事に慣れてしまった足取りは、いつも通り彼女のゆっくりとしたペースに合わせてしまっているし、そのくせ万一に備えて常に肩や腕がつかめる位置に居る。
何も思わない筈は無い。少しは新鮮であるべきなのかもしれないのに、いつも通りのもどかしい距離感がそこにはある。
違うのは、舞台が校内でなく街中であることと、お互いに私服であることくらいか。
本日の美里の服装は、ベージュのロングスカートにグレーのカットソーという、長い黒髪にも相俟って……と言うべきなのか、なんとも暗色ばかりで地味である。
すらりとした長身と姿勢のよさがなければ、軽く浮いてしまいかねないが、その辺り美里は堂々としたもので、見事に着こなしているから不思議だ。
そう、同じである筈などないのだ。そうなのに、歳相応の胸の高鳴りというのか、いわゆるそういったときめきのようなものをイマイチ自覚で気ないでいる。
楽しくないわけではないのだが……何かが違う。
「どうした、食べないのか?」
気が付けばボーっと窓の外を眺めていた。
いつも通りの美里のぶっきらぼうな言葉で現状を思い起こすと、それまで意識の外にあったものが五感に語りかけてきた。
冷房の利いた店内に緩やかなBGM。壁一面のガラス戸から正午過ぎの高い陽が僅かに差し込むのとは別に、木目のテーブルから立ち昇る熱気と、食欲をそそる薫り。
向かいに座る美里は、手近のどんぶりにこんもりと盛られたお粥を陶器のレンゲで、これまたどこで学んだのか上品な仕草で口に運んでいる。
ああそうだ。
朝方から買物に付き合うのだから、美里の体調も加味して、日中の気温が上がりきらないうちに切上げる算段だと思ったのだが、その思った以上に買物が多く、どうやら美里の言葉足らずの中に昼食の予定まであったらしく、自分はただ想定外の事情に閉口しながら彼女の行き着けのお粥屋さんに案内され……
そして今に至るわけだ。
そういえば、注文を取ってからボンヤリとしていた。それが少しばかり過ぎたのだろう。
見れば、自分の目の前にも、どんぶり一杯のお粥と、それから付け合せの漬物が数種類。キュウリに茄子、それから赤紫なのはラディッシュだろうか。
「悪い、少しボーっとしてた」
誤魔化すようにして割り箸で茄子の漬物を一つ摘む。と、噛み締めた途端、鼻先がツンと痛み、思わず眉が寄った。
どうやら山葵漬けだったらしい。無害な色をしているかと思ったら、とんだ不意打ちだ。
「ふふ……」
「なんだよ?」
「いや、別に」
さぞ滑稽に見えたのか、美里はしばらくレンゲを持った手で口元を隠しつつも、今日何度目かの含み笑いを抑えきれないようだった。
それだけに、言及してもからかわれるだけであることなど、容易に予想できる。
そうなると、こちらとしては誤魔化すか苦しい笑みでやり過ごすしかないわけで、同じ轍を踏むわけにも行かず、苦い笑みを噛み殺すように、しかし極めて慎重にお粥に手を付けることにする。
ちなみに美里のお粥はシメジや椎茸、ナメコなどをふんだんに使ったキノコ粥で、こちらはほうれん草と卵のお粥に鶏肉のそぼろが盛り付けてある。
鶏そぼろの小山を崩してほうれん草粥と一緒に口へ運ぶと、ほのかにごま油の香りがした。どうやら中華粥に近いらしい。
基本的に薄味だが、素材の味がよく生きた素朴な味わいは、普段の惣菜パンの濃い味に慣れた舌にも優しく、いくらでも喉を通りそうだ。
なるほど、美里の好みそうな味である。これならば美里でなくとも、ご飯の味を再確認してしまう。
「気に入ったか?」
「ん、ああ……美里がおじやに嵌る理由が解った気がする」
「うむ、そうやって米に惚れ込むがいい」
「いや、お前ほど狂信的じゃないけどな」
御用達の店が認められて御満悦なのか、得意げに微笑みつつ箸休めのキュウリをつまむ。
食事中だというのに、今日の美里はよく喋る。
普段に比べれば、というレベルでしかないが、午前中付き合った雑感をいえば、今日の美里は本当に楽しそうだ。
ただ好きなお粥にはしゃいでいるだけなのかもしれないが、自惚れでないなら今の美里の姿は歳相応といって遜色無い。
いつもは、俺の知っているいつもの美里は、気だるそうな重い足取りに氷で出来ているような鉄面皮を貼り付けて、不景気が服を着て歩いているような……
それがいつも危なげで、不安だからなんとなく目を離せなくて、それで気付けば三年以上も傍にいて、今は……
「──あ」
何かを言いかけて、喉がつっかえた。
それが無性に具合悪く思えて、誤魔化すように割り箸でキュウリを口に放り込む。
幸いにも美里は、こちらの奇行に気付いていなかったようだ。
どうやらキュウリはぬか漬けだったようで、口の中にぬか独特の香りと昆布の風味、乳酸菌の甘味と塩味がキレのいい歯ざわりと共に広がる。
さっきの山葵漬けもそうだったが、漬物一つとっても、素朴ながら丁寧な仕事をしていることがわかる。
というか、一皿に盛る漬物だというのに、いちいち漬け方を変えているところなど、もはや店側の趣味なのではないかとすら思える。
「む、ぐっ……!」
唐突に、美里の肩が揺れた。
大笑いして肩を揺らす事は珍しいが、それが笑顔から生まれるものでないことは、どんぶりに投げ出されたレンゲが踊る様と不規則な咳で存分に見て取れた。
「大丈夫か!?」
「ん、平気だ」
二、三度ほど息を詰まらせたものの、思わず立ち上がっていたこちらの心配を他所に、美里は直ぐに顔を上げた。
辺りの客が何事かとこちらを窺っているのを感じ、慌てて腰を下ろすと、美里の苦笑が目に入った。
「すまん、ナメコが喉に詰まった」
口元を押さえたままむぐむぐと口を動かして嚥下する美里の一言で、上半身の関節が破けた風船のように縮む錯覚を感じた。
高くなりかけた呼吸が、大きな息を吐くと同時に、今更ながら高鳴った動悸を無理に転調させ、耳に痛いほど大きな鼓動を響かせる。
「……驚かすなよ」
「なんて顔をしている。デートくらい、笑顔でやったらどうだ?」
「あのなぁ、誰のせいで……」
心臓に悪い今し方の事態に文句の一つでも垂れてやろうと意気込んだところで、ふと一つの考えが脳裏を過ぎって踏みとどまった。
今の今まで忘れていたが、これがいつものパターンではなかったろうか?
何を怒ろうとしていたのだろうか。
美里がこういった発作のようなものを引き起こす事は、そう珍しくも無い。
いつもの自分なら、そう慌てる事も無く、美里の状態を見て相応の対応をこなすくらいはできた。
むしろ、取り乱していたのは俺のほうだったのか。この状況に一番動揺し、腹を立てていたのは本人ではなく俺だったのだ。
そうして、俺はようやくそこから糸口を辿り、まるで編みかけのタペストリーを解いてしまうかのように、気付いてしまった。
「少しは、気が晴れたか?」
美里の声は、あくまでも柔らかで静かなままだ。
怒ってはいない。むしろ、微笑んだままだろう。
対する俺は、きっと毒気を抜かれたようにポカンとしているのだろう。
美里は最初から、俺を元気付けるために買物などに付き合わせたのだ。
ここ数日、俺は正直言って参っていた。色々とありすぎたし、自分自身の気持ちの整理もあった。
答えは出ないままだったが、ここにきてようやく──多分、美里も気付かないまでに、乱れ糸が一本に解れた気がした。
「ああ、なんか……気を遣わせたな」
微笑む美里を、イマイチ自信の無い笑みで見つめる。
そのまま食事を再開するのはいささか勇気が要ったが、直後に先ほどの騒ぎを聞きつけた店員が駆けつけたお陰で、あっさりと空気が先ほどの和やかなものに戻ってしまった。
けれど、先程よりも確かに違う事がある。
どうして今まで気付かなかったのだろう。
いつの間にか目的が挿げ替えられていた。
いつも、傍に居るという事。
それが恋慕であるという事。