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 意識が覚醒すると、重たい瞼が軋むような緩慢さで展開する。

 網膜が早朝の光に慣れるまでにはいくらか時間を要したが、回転の緩い寝起きの頭では時間の経過も瑣末事だ。

 大きく息を吐いて先ずは上体を起こそうとして、それをすぐに諦める。

 手先足先が麻酔を打ったように痺れ、頭がなかなか一定のレベルの感覚にまで覚醒してくれない。

 感覚が遠い。まるで半分だけ眠っているかのように、身体が重い。

 別に驚く事は無い。調子が悪いときは、いつも“こう”だ。

 生まれつき血の巡りが悪いお陰で、私の身体は他の誰かと比べて重たい。

 起き抜けに感覚が遠くなってしまうのも仕方の無いことだ。

 そして、ここから部屋を出るまでに、なんとか平静を装うべく他の誰かには味わう事の無い日課をこなす事になる。

 それはその日の調子如何にもよるが、なんにせよ肉体に嘘を吐くのは相応の覚悟と忍耐が必要だ。

 常人相応へと装う事が肉体に対しての嘘だというのだから、笑えてくる。

 ここまで無理をして、普通を装う必要は無いのかもしれない。むしろ、病人らしくひ弱なままで居られたならば、それはそれで快適な学生生活を送れるのだろう。

 病人らしく……我ながら中途半端なことをしていると思う。

 本当に病人らしくしているのなら、そもそも無理をして学校に行く必要など無いし、病院で寝ているほうがはるかに身体のためなのだろう。

 現に調子を崩して早退してから今日に至るまで、自宅で行動できるほど回復するのにも一週間かかっている。

 学校へ登校するのも一週間ぶりだ。頑張って常人を装うとしても、この体たらく。

 私のこだわりなど、たいした意味は無い。無駄な努力なのかもしれない。

 しかし……それが嫌なのだから仕方ない。

 そろそろ起きねば……

 学校に……

 あいつに……




 教室の引き戸を開けると、クラスの約半数もの衆目を集めたが、闖入者が私と解るとすぐに興味を無くして各個の作業へ戻る。

 ホームルームをすっぽかして若干の遅刻。ついでに保健室に寄って出席の旨を伝えて、ようやく教室に上がってこの時間である。

 わざわざ保健室に寄って行くのは、何かこちらの問題が生じた場合に保険医が即座に手を回せるよう、事前に顔を出しておくよう言われているからだ。まあそれはともかく。

 寝起きに手間取ったお陰で、久々の登校にも出遅れてしまったが、授業の前に到着できたのは幸いだったろうか。


「よう、久し振りだな」


 自分の席に着いて教科書ノートを机の中に仕舞い込んだところで、秋信がいつもの調子で気さくに声をかけてきた。

 いつもというには一週間ほどの間を考えれば語弊があるのかもしれないが、それを感じさせないほどいつもの調子だったのでそれで正しいのだろう。


「ああ、随分長く休んでしまった」


 率直な秋信の言葉にこちらも率直な言葉で返してみる。私情さえ絡まなければ、味気は無くとも嘘はない。

 たまの悪態も嫌味も、秋信らしいいつもの調子が、なんとも心地よい。

 病院で過ごした一週間は長くも感じたが、この教室は良くも悪くもあまり変化が無いらしい。

 私が数日学校を休んでいた事すら、クラスメイトにとっては興味深い事ではないし、秋信はそれでも懲りずに相手をしにやってくる。


「ノート取っといたから、今日の予習分だけでも写しとけ」


「助かる。相変わらず人が好いな」


 差し出されたノートを軽口を叩きながら受け取ると、秋信は気分を害した風も無く口の端を持ち上げて笑うだけだ。

 懐かしく思ってくれたのだろうか。秋信もまた、私の事をいつもの調子と受け取ってくれたのだろうか。


「一時間目は、古文だ。そいつを優先したほうがいいだろうな」


「ああ、すぐに写して返さねば、秋信が困るからな」


 流石に、こまめにノートを取る性格の秋信からノートを取り上げたまま授業を受けさせるのは忍びない。

 早速自分のノートを取り出して書き写しにかかるが、そこで手が止まった。


「そこで見ているつもりか?」


「気になるか?」


「……少しな」


「そうか。じゃあ、あとで声をかけてくれ」


 嘘を吐いた。

 もう少し食い下がるかと思ったが、秋信は意外にもあっさりと自分の席へと戻っていった。

 それを見計らってから、ノートを書き写す作業に全身全霊をかけるとする。

 その為に先ず──シャープペンを握る手に巧く力を込めることから始める。

 右手の感覚が、まだ少し遠い。シャープペンを握っている感触がいまいち掴めない様な状況だ。

 この際、字面に気を遣うことは無いだろう。自分さえ読めれば問題は無いはず。

 問題なのは、授業が始まってしまう前に秋信にノートを返す事ができるかどうかだ。


「なんとか、書けはするか……」


 独りごちて、今度は速さを加えてみる。多少の字の乱れは大目に見てもらうことにする。どうせ自分しか使わない。

 肩が笑いそうになるのを堪えて一行を終えたところで、思わず溜息が漏れた。

 それでも手は休めない。我ながら酷いノートだが、使えるなら見栄えはどうでもいい。

 こうして形に残る、私の醜さ、人としての未熟さは苦痛でしかないが、それが嫌だとは思わない。

 このやせ我慢がまだ通じるうちは、まだまだぎりぎり学生をやっていられるのだ。

 こんな醜態を秋信に晒すことは避けたいが、それでもこうして嘘を吐けばまだ強がっていられる。

 それがたとえ嘘であっても、誰かに迷惑な嘘でなければ悪い気はしない。これが恐らく最良の選択だろう。

 こうして秋信の傍に居られる事が、秋信とともに関われる事が、私にとっての最良なのだから、それできっといいのだ。



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