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ピーク時を過ぎたファミレスの脱力加減は、気持ちの冷めてしまった熟年夫婦の醸しだす雰囲気に似ている気がする。
レポート作業に追われる学生、恋人との会話に華を咲かせる者、遅めの昼食。
実に様々だが、平日の夕刻は特に客の入りが少なく、アルバイトの身としては、ここは退屈との戦いになる。
もっとも、これから陽が落ちきってピークタイムに突入してしまえば、欠伸の一つを垂れる暇も無くなる訳だが……
「それにしても暇ですよねぇ」
神経質そうな学生が爪を噛みながら店を出るのを確認した辺りで、その客が二時間ほど鎮座していた席の片付けに向かおうというところで、背後から声をかけられた。
小柄にしては発育のいい女性らしい各所に加え、明るく馴れ馴れしい距離感が、ほかのアルバイトにも評判のいい一つ年下の後輩だ。
確か名前は……
「柏崎、暇なら今の客のテーブル片付けてきてくれ」
「ええー、やぶ蛇じゃないですか。後輩にお仕事押し付けるつもりですかー?」
他の客の迷惑にならない程度の、しかし大袈裟な身振りとコロコロ変わる表情は愛嬌があって可愛らしくもあるが、これで仕事も人並にこなせるから小憎らしい。
「お前の行動力を買ってるんだよ。これから大仕事だし、準備運動だ」
「んも~、しょうがないなァ……あ、それと『柏崎』や『お前』じゃなくて、千夏でいいですよ。呼びにくいでしょ?」
後ろ向きに笑いかけながらテーブルに向かうという、店員としてそれはいいのか? というような軽い足取りだが、この客の入りでは誰も指摘するような粋狂は無い。
適度に空気を読んで、力の抜けるところで力を抜いて、締めるところはちゃんと締める。それができる彼女は、見た目ほど安い女ではないのだろう。
しかし、幾ら馴れ馴れしいとはいえ、それほど仲がいいという覚えも無い相手に名前で呼べというのは如何なものか。
まあそれが彼女の話術の一つなのかもしれないが、個人的には『千夏』のほうが呼びにくい。俺としては『柏崎』という堅い響きが喋りに向いている気がした。
「いってきましたよ、あっきーさん」
「ん、ご苦労……なんだと?」
気が付けば、柏崎はもう戻ってきていた。学生がコーヒー一杯で粘っていただけに、それほど時間はかからなかったのだろう。
それより、耳慣れない呼称の所為で思わず後輩を二度見してしまった。
「え、だって名前、秋信さんでしたよね。だから、あっきーさん」
「そんな珍妙な愛称をバイト中に使わんでくれ。他が真似したら吊りたくなる」
「むしろ流行らせましょうよ。あっきーさん、なんだか真面目くさってて、新人の女の子が怖がっちゃうんですよ。だからせめて可愛いあだ名をつけて親しんでもらおうと……」
「世間じゃそれを余計なお世話というんだ。別に、新人が怖がろうと、知ったこっちゃない。お前が教えてやればいいだろ」
投げ遣りに遠慮しておくと、小柄な後輩から視線を外して、暗くなり始めた窓の外を眺めた。
こうして日が沈んでいく様は、色のグラデーションが自然の美しさを醸しているものだが、そこに人工物などで遮られると妙に損をした気分にさせてくれる。
実質、アルバイトを始めた当初から、俺はどこか投げ遣りだったのを自覚している。今この瞬間の倦怠感に流されての事ではない。
別に仕事が楽しくないワケではない。身体を動かして罵りあいのような接客をするのも、終わってみれば心地よい疲労が押し流してくれる。
充実感はあるし、頭と身体を働かせている間は、余計な事を何も考えずにすむ。
だから退屈は逆に苦痛だったりもするのだ。
ふと出来上がった仕事の合間の余裕。それは仕事に慣れれば仕方無く出来てしまうものなのかもしれないが、そんなときに嫌でも脳裏に浮かんでしまう。
今この瞬間をも、あの病弱な天邪鬼は気だるげに病魔と闘っている。そう思うと、今のこの緩い空気がいかにも不快だ。
「あ~、また人の話聞いてない! 仕事中にボーっとするのよくないですよ、あっきーさん」
「……それ、やめてくれ」
「ええ~、なんでですか~?」
明らかに故意と思われる涙目で猛烈に抗議する柏崎を適当になだめつつ、珍妙な二つ名の流行をなんとか阻止する方向へと話を進めることにする。
しかしこの分では、力技に及んででも浸透させそうな勢いだ。まったく、可愛い顔をしていながら考える事はえげつない。
ある意味でアイツと似ていて、それでいて確実に大きく異なる。
駄目だな。いつもどこかで、誰かと比べている。対象はいつも彼女だ。
付き合っているわけでも、ましてや好き合っているというわけでも、恐らくないだろう。
「ねぇ、あっきーさん。さっきから隙あらば外ばっかり見てますよね?」
「だから、それはやめろと……」
「ひょっとして、そこに誰か居るんですか? 窓の外、ひょっとして平家の亡霊が……」
一瞬、コミカルに眉尻を下げる少女のその瞳の奥に、核心に迫ろうとする何かが垣間見えたような気がした。
すぐに冗談で掻き消してしまったその微笑に、何か探るような……馴れ馴れしく愛嬌を振りまくムードメーカーにあるまじき、お節介じみた気遣い。そんなニュアンスを覚えた。
ああ、そうか。きっと柏崎は、心配してくれているのだ。遠回しに、そして婉曲的に気付かれぬよう。
恐らく彼女の性分が、辛気臭く虚空を見つめる真面目腐った風の男が気に食わないのだろう。
「いや、何も……」
そして恐らく、見透かされていた。
「何も無い。そういう性分なんだよ」
嘘を吐いた。窓の外に重ねた影を、柏崎に悟られるのを水際で防ぎたかった。
その先に、まさか本当に平家の亡霊が居たワケではないし、ましてやそんなものが見えるような特技も無い。
そこに彼女は居ない。そんな事は解っているのに、そこに影を見てしまう。
その残り香をかすかに捉えられただけに過ぎない。
「変わってますね、あっきーさんって……嘘がヘタです」
「ん、そうか……」
珍しく声の調子を落とした柏崎に、ただ驚嘆も落胆もせず、問い返すでもなくただ突っ返す。
それだけしか出来なかった。
きっと、それ以上を問われれば、思わず吐露していたかもしれない。むしろ、誰かに縋ってみたかったのかもしれない。
だが、柏崎はそれきり、話題を変えてしまった。
それは救いだったと思う。誰かにすべき話ではない。何より、独り善がりで無関係が過ぎる。
それをするのはとても惨めな事なのだ。気分に任せて語れば、俺はどこまでも落ちる自信がある。
柏崎がその辺りを察してくれたかどうかは解らないが……今だけは、この優しい後輩の好意に甘える道を選ぶ事にした。