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季節を感じる瞬間というのは、ふと思い浮かぶものではなく、どちらかといえばそこに感じてようやく思い出したように覚えるものだと思う。
たとえば、昼時に屋上に出てみて浴びた日差しがいつもより眩しく感じたとき。そんなときに、ようやく夏の訪れを覚える。
今年も暑くなりそうだ。
夏を感じると言えば、この返しだろう。もはや定番過ぎて、何もいえなくなる。
「よう、今日は弁当?」
屋上に出てすぐ、階段部屋いわゆるペントハウスの影になる隅っこのほうで、一人弁当箱を広げていた美里にこちらから声をかける。
「ああ、いいところに来たな。コーラを頼む」
「おいおい、俺は自販機かよ」
「なら奢りで頼む」
「尚悪いわ。自分で行けよ」
フェンスに背を預けて焦げ茶色の包みを広げて、なんとも色合いに欠ける弁当をつまみつつ、美里はなんら表情らしいものも見せずに滔々と用件ばかりを述べる。
こちらとしては当然の反論を打ち立てたつもりだが、美里の顔が理解できないというようにこちらを見つめるのには、こっちも理解できない。
「秋信の方が早い。私は足が遅い。金だ」
有無を言わせず、差し出したその手には百二十円が乗っていた。まるで断られると思っていないようである。
確かに美里は、クラスの女子と比べてみても鈍い。急ぐ事はあっても、走っているところなんて、ほとんど見ない。
病気がちな身体のため、疲れやすいのだそうだ。それでなくとも、普通にしていても息切れなど体調不良を引き起こすのだ。
美里本人もそれを気にしているはずだが、最近ではそれを利用して俺をちょくちょく足にしてくれるから困る。
「まったく、しょうがないな。コーラでいいんだよな?」
「ああ、ペプシじゃない方だ」
結局、断るわけにもいかず、代金を受け取ってきた道を引き返す事にする。
もともと断るつもりはなかった。美里はあくまで、先手を打ったに過ぎない。
屋上で二人昼食をとるのも、その飲み物を俺が買いに行くのも、ほとんど日課になっている。
だから美里が出会いがしらにああいうことを言うのも、不自然な流れではないのだ。
しかしわざわざ邪険にしているように見えるよう、そう仕向けているのも彼女なりの気の使い方なのではないかと思う。
自分自身を敢えて悪く見せて、誰とも一定の距離をとろうとしている。
俺という存在は、そんな美里に常に一歩だけ踏み込んでいる。少なくとも春日美里らしさを心得るくらいには繋がりがある。
幼い頃から美里が身体を病魔に侵されていたことは、なんとなく知っている。本人が明言しないため、どういうものなのか知らないのだが、高校に入ってからというもの、その病状は悪化したように思える。
だというのに美里は相変わらず徒歩で通学し、遅刻や早退は増えたものの、欠席は減っている。
そして、あまり人に苦しんでいるところを見せなくもなった。心配されるのが煩わしいらしい。
強がりなのかどうかは解らない。やめてくれと言いたいが、それも言えない。
頼られるのが怖いわけではない。むしろ頼ってほしい。
喜ぶべきではないのかもしれない。だが、俺は間違い無く、無理をして登校し続ける彼女の姿に好意的であると言わざるを得ない。
無理をするのをやめろ。と言えば、彼女は止めてくれるだろうか。
無理をせず、登校も控え、専門の病院にかかることもしてくれるだろうか。
そうして俺たちはやがて、屋上で食事をすることもなくなって、会う事すらなくなって……そうして、忘れていく。
「──」
ふたたび屋上に出ようとペントハウスのドアノブに手をかけたところで、聞こえてしまった。
異物を喉に詰まらせたような呻き声と、咽返す音、それから肺が悲鳴を上げるような空回りの呼吸。
ドア越しに聞こえるほど、彼女の息遣いは危うく激しい。
思わずドアを蹴破らん勢いで押し開けようとしたのだが、
「……いかんな、これでは……秋信に心配させてしまう……駄目だな。まったく……」
息も絶え絶えに、ふと洩れ聞こえた自分の名前に、力を込めかけた手が震えた。
今すぐにでも目の前のドアを叩き割ってやりたかった。
美里は心配すらさせてくれないようだ。どこまで一人で居るつもりなのだろうか。
俺は隣に居てはいけないのか。居させてもらえないのだろうか。
そんな関係でないことは、百も承知。だけど、そうありたいと思うのも事実だ。
こんな気持ちを、いつまで抱えて居ればいい?




