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 少しばかり自論を展開するようで恐縮ではあるが、誰かに相談事を持ち込むときというのは、だいたい最初から本人の結論が出ていたりする。

 それなら、どうして他に相談する必要があるのか。

 思うに、そういった手合いは、確信がほしいのだろう。

 賛成に自信を持ち、反対には自分の正しさを再認する。

 結局、導き出す答えは最初のままであることが多い。

 それでも、誰かに聴いてほしいのだ。誰かに、背中を押してほしいのだ。

 重く苦しい決断であればあるほどに、一人で背負いきれないものであればあるほどに、誰かと共有して楽になりたくなる。

 美里が俺に話してくれたことも、きっと同じことだと思う。

 その決定権は美里にしかないし、そもそも俺ごときが簡単に決めていい事じゃない。

 今考えるべきは、何が彼女をそこまで決意させたのか。

 美里は生きたい、といった。

 常人よりも遥かに脆いという自負どころか、死がもう直ぐ手前であることすらも知っていながら、それでも尚、生きたい、と。

 思えば、彼女が今まで他を邪険にしてきたのは、やがて自分が消える事を知っていたからなのではないか。

 やがて消えてしまうなら、最初から居なかったことにしておけば、他の誰かの心を濁す事もない。

 そう考えるのは、少しばかり穿ちすぎなのだろうか。

 しかし、なら、どうして、今というタイミングを選んだのだろう。

 彼女の容態すら知らなかったというのに、どうして今になって……否、それを責める権利は俺には無い。

 訊かなかった自分の所為。言わなかった彼女の所為。

 解り合っていたつもりでも、お互いに、大事なところを避けて通ろうとしていたのだ。

 そのほうが楽だった。思い悩む必要が無かった。

 お互い、踏み込まないままなら、そのままの距離で……

 春日美里の病気のことを俺が知る事も無く、

 天城秋信が彼女を好いていたのを彼女が知る事も無く……

 そのままなんとなく、想像したくもない未来が否応も無く、その距離を引き裂いて離してしまうのだろう。

 俺は、その想像したくもない未来を、なんとなく感じていたのだろうか。

 或は、また他に流されて決めた結果でしかないのか……

 きっと俺は、自分の気持ちの確信がほしかったのかもしれない。


「あのー、御注文まだですかぁ?」


 ようやく気持ちに整理がついたところで、もはや聞き慣れてしまった間延び気味の声がタイミングよく現実を呼び起こしてくれた。

 すっ呆けているようで、周りを見て的確に行動する彼女の行動は、悪く言えば腹黒いのかもしれないが、それを悪用しないのが美点である。

 柏崎千夏を平たく言って好ましく思う人間は、恐らく誰もがこういう部分に反応しているのかもしれない。

 庇護欲をそそるような小柄や、それに反した胸元の優雅さ、そして十人男が居れば半分以上は振り向くだろう整った顔立ちなどというポイントは別問題としても、だ。


「客に注文を催促するとは、どういう了見だ」


「でも、お冷だけでお店に居座られるのも困りますからねー」


 気のせいだろうか、得意げに微笑みながら胸をそらすその姿が妙に突慳貪というか、いつもの馴れ馴れしい調子と違って棘があるように思えた。

 それほど、注文が遅いのが気に食わないのだろうか。

 勝手知ったるバイト仲間に加え、俺のバイト先であるファミレスとは言え、あくまで客席に座る正真正銘の客相手の態度にしてはいささか問題があるだろう。


「わかった。ドリンクバーとエビクリームドリアと、あとチキンバスケット頼むから、俺に仕事の鬱憤をぶちまけるのはやめろ」


「別に、ぶちまけてなんかいませんよー。ていうか、お腹空いてるんじゃないですかぁ」


 腰の赤いチェック柄をしたハーフエプロンに常備されている電子端末を取り出すことも無く、それどころか注文を反芻確認することもせず、口を尖らせて若干の不機嫌顔を見せ付けるのは、もしかしてわざとやっているのだろうか。

 これはこれで馴れ馴れしい対応ではあるが、柏崎らしい馴れ馴れしさとは違うし、普通の客対応でこれをやられても従業員として間違っている。

 こちらが何も言わないでいると、柏崎は一息吐いて人入りの少ない店内を見回し、手近な店員に目をつけると、


「とーまちゃん。あっきーさんにドリンクとドリアとバスケお願いできるかなー?」


 信じられないことに、口頭で注文を委託。そして当の柏崎はというと、立ち去る気配を見せない。

 ちなみに注文を受ける形となった「とーまちゃん」こと藤原冬馬は、自他共に認める気弱で大人しい新入りであり、俺と親しいわけではないが柏崎にきびきび指導されているのをよく見かけることから、彼女の自分勝手な物言いであろうと強く断る事はすまい。

 とはいえ、これはいくらなんでも客あしらいどころの問題ではないだろう。


「後輩を手足のようにこき使うな。というか、注文取ったんなら、いつまでも客席に居座るなよ」


「えー、普段汗を流してる場所で冷凍食品をぱくつく先輩を見たいですー」


「ミもフタも無いことを言うんじゃない。だいたい、バイト中だろ」


「でも、お客さんがいませんよー」


 勝ち誇ったように胸を張る柏崎には、やはり立ち去る気配が見えない。

 もう何やら意地のようなものすら感じられる。

 柏崎とはバイトでの付き合いしかなく、それにしたってほんの数ヶ月程度といったところだが、その間に彼女がその立ち回りの巧さを作り出している頭の回転を、ここまで意地悪く感じたのは初めてである。

 はて、俺は彼女に何か悪いことをしてしまったろうか……と思いかけて、息が詰まるかのような感覚と共に先日の帰り道の情景が脳裏に過ぎる。


「柏崎、お前まさか……根に持ってるのか?」


 慎重に言葉を選んだつもりだったが、何を言ってもお互いの傷口に塩を塗るようなものだった。

 だが、柏崎の反応は予想と違い、怒るでも面食らうわけでもなく、ただ得意げに鼻を鳴らしただけだ。


「持ってます。というか、諦めてませんから」


 そこには勝気の笑みや、恨みの強面も何も無く、真意の読めないただの決意だけがあった。

 そのせいで、負け惜しみにすら聞こえるその言葉すら、力強さを覚える。


「楽しそうだな。何の話だ?」


 ふと視線を逸らした先に、待ち人が姿を現していた。

 今日の予定の一つ、ここで待ち合わせるという約束を律儀に時間通り順守しつつ姿を現したのは、この場に言葉の一石を投じた第三者、美里だった。

 不意をつかれ、客対応もままならない柏崎を脇目に、美里はその長い黒髪を静かに揺らしつつもあくまでも静かに俺の向かいの席につく。

 外見だけを見れば、まさかこの口から色気も優雅さも感じさせない淡白な物言いが吐き出されるとは夢にも思うまい。


「少したて込んだが、時間通りだろう? こちらは、秋信の知り合いか?」


 メニューを取るでもなく、何も置いていないテーブルについた手を組むと、今し方脇目にくれた柏崎を再び一瞥する。

 この間、柏崎は先ほどの勢いを完全に殺され、また今に至っても客対応どころか、その場に凍りついたままで半ば呆然としていたようだ。


「ああ、こいつは……」


「柏崎……千夏です」


「バイト先の後輩だよ……その、ちょっと話し込んでな」


「へえ」


 鼻白むようにして眉根を下げる穏やかな美里に対し、言葉を濁した俺に向けて明らかに険のある視線を向ける柏崎。

 位置的には違うのだが、なんだか板ばさみになっているように思えるのは、気のせいだろうか。

 このまま沈黙していては、嫌な空気が生まれかねない。というか既に嫌な兆候が見え隠れしている。

 なにか言うべきなのだろうが、言葉が出ない。何を言っても逆効果の予感がする。

 そんな杞憂を胸のうちに秘めつつ、打開策をひねり出そうと思い悩んでいると、そこに美里が一歩踏み出していた。


「私は春日美里。秋信とは、腐れ縁でな」


 嫌味の無い、それでいて余裕を感じさせる穏やかな笑みで柏崎を見つめ、直ぐにこちらへと向き直る。

 その笑みはどういう意味があったのだろう。

 直ぐ向かいに座っている人間を見るにしては、やけに遠くを見据えるかのように、目を細めている。

 安心しきったような、普段の美里が隙の無い無表情である分なのか、そのさらけ出された無防備な安堵が、とても不安だった。


「御注文、承りました。ごゆっくりお待ちください」


 気が付けば、柏崎が微妙に間違ったマニュアルと共に、席を離れていた。

 先ほどまで離れたがらなかったのが、奇妙なほど足早に、それはもう今にも駆け出さんばかりだったが、それが今は幸いだったかもしれない。

 柏崎には悪いが、小柄な体格に不似合いな大股で立ち去る姿は滑稽で、その様を見送ったお陰で、不安が少しだけ晴れた。



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