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金の十字に口付けを

作者: 天沢 祐理架

満月が注ぐ城のテラス。涼やかな風が頬を撫で、宴の酔いを醒ましてゆく。

背中の硝子の向こうでは戦勝の熱気覚めやらぬ貴族たちが美酒を煽り、この国を勝利に導いた英雄を讃えていた。

先の戦の勝利に加え、隣国との血縁関係を結べばこの国の平和はより確かなものとなる。王女の婚約は既に決まり、後は挙式を待つだけだ。

私の瞳が映すのは、亭々皎々とした光の中に佇む軍服の後姿。皺一つない厚手の生地は均整の取れた長身の首から下をくまなく包み、それでいて覆い隠された身体をきれいになぞる。

広い肩から優美な曲線を描いて下る腰のラインは革のベルトにとめられて、よりくっきりと艶やかなシルエットが浮かび上がっていた。

その背姿に思わず吸い寄せられて歩が進む。カツンと響く靴音に、ラインが揺らめき鎖が光る。視線を上げると唯一露出した肌と、愁いを帯びた双眸が、私の心を撃ち抜いた。

「夜風はお体に障りましょう。宴にお戻りになられては」

柔らかく低い響きが耳を擽る。幼子を諭すような優しさに、私の胸がきりりと痛んだ。

貴方は戦場で負った幾つもの傷痕を軍服で全て覆い隠し、美しいラインだけを私に見せて、優しくそっと突き放す。

二人きりで話せるのも、今日がきっと最後なのに。

「主役のいない祝賀会など興味はないの」

彼の胸元に光るのは、父が授けた十字の黄金章。敵を退け国を救った英雄の証。

皆が彼を讃えるが、その栄光の裏にどれほどの血が流れたろう。

「いい気なものだわ。貴方の痛みなど知りもしないで」

軍服の下に隠された傷痕は、私にはけして触れられない。だから、せめて。

手を伸ばし、彼の背負った十字に触れた。留金を外して掌の上にそっと降ろす。

ずしりと重い十字架は、この先も彼と共にあるのだろう。私がこの国を離れても。彼が朽ちても永遠に、英雄の名と歴史と共に。

金に輝く十字架に、私はそっと口吻た。冷たく固い感触に、胸の奥が切なく疼く。そのままそれを口に含んで思い切り歯を立てた。私のつけた傷痕が、彼と共に永遠に残るように。

口の中で歪むのは、金の十字を象った彼そのもの。栄誉と功績、そして罪。

歪んだ十字を確かめて、彼の胸へとそれを返して微笑んだ。

「わたくしは貴方を誇りに思います。ですが、もう二度と貴方を戦場に赴かせはしません」

隣国の后として、今度は貴方を守りましょう。

彼は英雄の軍服を、私は王族のドレスを、脱げる機会などきっとない。

だから、きっと、これでいい。

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