日常の一角。
基本的になんとなくで戦ってます。
意味不明な意識でつるんでます。
でもそれがいいと思ってます。
作者は西尾維新のファンす。
「感慨なる時空」と称されるこの俺こと『蓮回 時空』は只今もの凄い状況に陥っている。体中を無数の微痛の走る傷に覆われ、ベレッタと呼ばれる人殺しの小道具を右手で深く握りしめてグリップの表面には手汗が滲んでいる。その歪に黒を光らすその銃の表面は死体と同じほどひんやりとした低温を持っている。ベレッタという自動拳銃に一度(誤射すると危ないので)「安全装置」を掛け、右手の手汗を砂で汚れたワイシャツで拭きとりまた握り直す。グッと腕を通り越して肩にまで達する重さを実感する。人を殺す重さ。命を奪う重さ。ソレを行うものが待機する重さ。ソレを打ち出すのに必要な重さ。何度持っても慣れの来ないこの感覚に多少の戸惑いを覚えながら背後の壁に背中をゆっくりと預け、腰の上辺り――両手でグリップを握り重心近くに拳銃を持っていき、いつでも構えの姿勢をとれる体制をとる。
はぁはぁ…と口で一定の規則正しい呼吸をおこない先ほどから鼓動の加速が止まらない心臓を落ち着かせようと努力する。また、グリップを持ち直す。ここはある学校の一角、曲がると階段のあるスペースだ。
『カツン――…カツン――…カツン――…』と廊下にヒールの甲高い音が響き渡る。音だけを聞くと相手との距離はまだ離れている。
これが俺の敵「無情なる友情」とされる(矛盾するのかもしれないが)俺の友達『壱奈岐 友』である。
――――カツンッと足音は俺が背を預けて隠れている壁のすぐ傍で停止した。
さぁ、始めようか。
かぁと体中が熱を帯びるのが分かる。ついでにアドレナリンが脳から分泌されるのを理解する―――前に、右手の甲を上にして壁から身を瞬時に右に乗り出す。体全体を一気に壁から出すのではなく、一瞬、一瞬のラグで拳銃から乗り出す。相手の補足が優先事項だからだ。身体を全て出してからの相手の補足では一蹴されるのがオチだろう、―――相手の姿を目の端で捉えると、乗り出して――立ち止まらず廊下を突っ切るように重心を前に向け前のめりになりつつ先ほど右手の甲を上にして構えたベレッタの引き金を迷わず引く。
すると引き金を引くと遊底がジャゴッジャゴッとスライドされ、火薬が発火し、ズドォンと腹に響くけたたましい音を立てながら弾丸が射出され、敵をハチの巣にした。
はずだった。俺の引いたトリガーは固く固定されビクともしなかった。
「安全装置を外し忘れるなんてどこの漫画のキャラクターだい?」
少し低めの、それでいて女性の音色のその声の主は、自衛隊が使うという格闘術で俺の手から拳銃を振り落とし、脇腹に目にも止まらぬ強烈な足突きを放った。思わず口が開き、がぁ!!とかいうあえぎ声を上げて蹴られた個所を手で押さえこみながら倒れた。俺は。心臓が今までにない早鐘を打つ。
「まったく、お話に成らないね。じゃあ、死になよ」
彼女は《無情》にそう言い、一瞬前まで俺の所有物だったベレッタを床から拾い上げ、安全装置を上げてそして――――…。
「ぶふぅ!!あはははっ!!!」
いつもは絶対にしないようなミスを犯した揚句に俺は無情にも自らの持っていた武器でPK(PLAYER KILL)されて綺麗な紅色の桜を頭で作って死んでいた。そう、このテレビゲーム『DEAD KILL → ARIVE』の俺の扱っているアヴァターが。無残にも。
オンライン対戦成績一位の俺のアヴァター《spame》が次点の二位の友のアヴァター《orind》に殺されたという事だけなのだが。彼女のアヴァターは二つ名を持っている。
一つは「無情なる友情」、これは俺達の間のオフ専の二つ名。二つ目は「能動の挫折させる土下座」。対戦相手を挫折するほどコテンパンに打ちのめす所と彼女のハンドルネーム《orind》に由来する。oriが土下座している茂田井だからだ。まぁ単なる洒落と言ってもいい。
「まさか『感慨なる時空』様(笑)が安全装置を解除し忘れるとはねっ……ぶっはははははっ!!!」
「(笑)!?」
さっきからあほみたいに腹を抱えて笑っている彼女こそが友である。見た目は清楚な黒髪美少女でお嬢様的風貌なのでこんなテレビゲームなど興味ないように見えるが、このゲームは彼女の所有物なのである。
ゲーム大好き漫画大好きライトノベル大好き下ネタ大好きな彼女なのである。
「よーかったねぇ、これがオフで。オンだったら笑いモノだよ」
まだ詰るかこいつは。
俺はしかし強く言い返せないので話を反らし、打ち負かすためにもう一度対戦しようという旨を伝え、今度こそはとゲームのコントローラーを握った。
キーンコーンカーンコーンと授業の終了を示すチャイムが夢現だった俺の精神を現実に強制帰還させた。四時間目の授業は英語であり、俺の最も嫌いとする教科でもあった。苦手と嫌いは違うとよく言うがよく言ったものだ。全く持ってその通りでる。何故ならば俺は英語は凄い出来る。テストは中学から高校の現時点までオール百点である。そんな俺がどうして英語を嫌うのか。それは俺が英語が『出来すぎるから』だ。出来すぎて、面白みの欠片も無く、退屈で嫌気がさす。そんな所だ。
言っておく。けして不真面目ではない。ノートだってしっかりととっているし、授業中は居眠りなどはせず、発表だって自分からする。で、だ。どうしてそんな俺が嫌いであるが凄くできて真面目に受ける英語を夢現で受けていたかというとそこには深そうでとっても浅い浅はかな事情があった。
「……はぁ」
ここで一度深く溜息を突くことにしておく。