第9話:巨大な背中と、深夜の牛丼屋の誓い
2018年12月、初の大型VRライブ「Vフェス」が開催。圧倒的な光を放つトップ層と、底辺個人勢の自分。その巨大な差を目の当たりにしたゼンが、深夜の牛丼屋で誓った「野心」のお話です。
2018年、12月。
街中がクリスマスソングに浮き立ち、年末特有の忙しなさと高揚感に包まれていた頃。
俺――ゼンは、深夜二時の駅前にある、黄色い看板が眩しい牛丼チェーン店に一人で座っていた。
深夜の倉庫バイトの帰り道。防寒着を貫通してくる冬の冷気に体温を奪われ、指先の感覚はとうに失われていた。
運ばれてきた三百八十円の牛丼並盛り。その湯気を見つめながら、俺は悴んだ手でスマホを取り出し、耳にイヤホンをねじ込んだ。
画面の中で再生されているのは、今日、都内の巨大なイベント会場で開催された、界隈初の超大型VRライブ『Vフェス』の生中継アーカイブだった。
『――みんなー! 今日は集まってくれて、本当に本当にありがとう!!』
画面の向こう側では、トップを走る『四天王』たちや、飛ぶ鳥を落とす勢いの『虹生』のスターたちが、眩いばかりの光の中にいた。
最新の技術で動く三Dのアバターは、まるでそこに実在するかのように滑らかに踊り、何万人という観客を熱狂させていた。
画面を埋め尽くす、色とりどりのサイリウムの海。
滝のように流れる、数えきれないほどの応援コメント。
それは、俺が毎日見ている「同接二十人」の風景とは、あまりにもかけ離れた、別の世界の出来事のように見えた。
「……すげぇな、マジで」
俺は、紅生姜をたっぷりと乗せた牛丼を口に運ぶ手を止め、画面を凝視した。
彼女たちが立っているのは、俺の六畳一間のアパートから、光の速さで何年もかかるほど遠い場所にある『ステージ』だ。
ふと、牛丼屋の窓ガラスに、自分の姿が反射しているのが見えた。
疲れ果てた顔、ボサボサの髪、そして安っぽいスマホの画面に齧り付いている、どこにでもいるしがない大学生。
チャンネル登録者数、ようやく五百人。
この圧倒的な星々の輝きの前では、俺が毎日必死に通している『スジ』なんて、砂漠の一粒の砂ほどの価値もないのではないか。そんな弱気が、ふっと心をよぎった。
Mutterのタイムラインを開くと、案の定、同業者たちの呟きで溢れかえっていた。
『ルカ:Vフェス、ヤバすぎ。語彙力が消えた。……いいなぁ、私もいつか、あんな綺麗な光の中に立ちたい』
『セリナ:眩しすぎますわ……。ワタクシたちのような個人勢とは、住む世界が違いすぎますのね……』
ルカやセリナ、これまで俺が関わってきた奴らでさえ、その圧倒的な「差」に打ちのめされていた。
憧れ、嫉妬、そして静かな諦め。
巨大な資本と技術を注ぎ込まれた企業勢のスターたちと、自分たちとの間にある、埋めようのない深い溝。誰もがその残酷な現実を突きつけられ、下を向いていた。
俺は、冷めかけた牛丼を一気にかき込み、コップに入った冷たいお茶を飲み干した。
胃の奥に落ちた米が、少しだけ熱を持って、俺の身体を内側から温める。
「……住む世界が違う、か」
俺は、震える指先を握りしめ、スマホのキーボードを叩いた。
今の俺が何を言ったところで、負け犬の遠吠えにしか聞こえないかもしれない。それでも、仲間たちが、そして俺の配信を毎日見に来てくれる『ダチ』たちが、こんな寂しい夜に下を向いているのは、どうしても我慢がならなかった。
> **@ゼン:**
> お前ら、Vフェス見てビビってんの?
> たしかにすげえよ。光ってたよ。でも、あんなのただの通過点っしょ。
> 俺は、ウチの特等席に座ってるダチどもを、いつかあそこの最前列に連れて行くって決めたわ。
> お前ら、今からペンライト振る練習しとけよ。
それは、底辺Vの、救いようのない虚勢だった。
同接二十人の男が、数万人のステージを目指すと宣言する。世界中が笑うような大ボラだ。
だが、その大ボラを本気で信じて、胸を張って笑い飛ばすことこそが、俺がこの界隈で生き残るための、唯一の武器だった。
投稿ボタンを押した直後。深夜二時を回っているというのに、即座に通知が鳴った。
送り主は『匿名希望』。
一番最初の配信から、ずっと俺の横に座り続けてくれている、あの疲れ切ったサラリーマンだ。
> **@匿名希望さん:**
> 楽しみにしてます。最前列のチケット代、今日から貯金しておきますね。ゼンさんのことだから、本当にやりそうで怖いです。
続いて、ルカやセリナからも、呆れたような、けれどどこか嬉しそうなリプライが届き始める。
> **@ルカ:**
> あんた、本当にバカじゃないの!?w でも、あんたが先に行くなら、私も負けないから! 追い越してやるからね!
> **@セリナ:**
> ゼン様らしい、あまりにも無鉄砲な宣言ですわね。……ふふっ、ワタクシも、その景色をご一緒させていただきますわ。
どんよりと停滞していたタイムラインに、小さな火が灯ったような気がした。
俺のバカげた言葉一つで、誰かが前を向けるなら、それでいい。それが俺という配信者の価値だ。
俺は、牛丼屋のカウンターを立ち上がり、重い自動ドアを開けた。
凍てつくような冬の夜風が、俺の火照った顔を叩く。
「……あーあ。言っちまった。これでもう、後戻りはできねえな」
これまでは、「目の前の一人を笑わせればいい」と思っていた。
だが、今日見たあの眩しい景色を、俺を信じて待っている『ダチ』たちにも見せてやりたいと、心から思った。
俺がマイクを握り続けている理由は、ただの暇つぶしじゃない。
誰にも見向きもされなかった俺を見つけてくれた、あいつらの期待に応えるためだ。
「四天王だか虹生だか知らねえけどさ」
俺は、漆黒の夜空に浮かぶ、一番明るい星を見つめて不敵に笑った。
「いつか必ず、俺たちがそのステージの真ん中で、『よっす』って言ってやるよ」
深夜の牛丼屋、三百八十円の誓い。
ただの大学生・ゼンの中に、初めて本物の『野心』という名の炎が、激しく燃え上がった夜だった。
俺は、冷え切った手をポケットに深く突っ込み、家路を急いだ。
明日の配信は、いつもより少しだけ、気合を入れなきゃならない。
俺の特等席には、もう、俺だけの夢が載っているわけじゃないのだから。
最後までお読みいただきありがとうございます!
圧倒的な差に絶望するのではなく、それを目標に変えるゼンの覚醒回でした。
次回、第10話は第1章完結編『平成最後の大晦日と、108回のよっす』。2018年を最高の形で締めくくります。
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