第8話:卒業の第一号と、消えないデータ
018年10月。VTuberブームの光が強くなる一方で、その影では「半年間の壁」に突き当たった個人勢たちが次々と姿を消していました。
ゼンの唯一と言っていい同期であり、戦友だったジャンク。彼が下した「現実への帰還」という決断に、ゼンが贈った最後にして最大の花向けとは。アカウントが消えても残る「記憶」というデータについての物語です。
2018年、10月。
大学のキャンパスを彩る銀杏並木が、鮮やかな黄金色に染まり始めた頃。
バーチャルYouTuberという界隈は、さらなる加速を続けていた。企業勢はより豪華な3Dモデルを披露し、テレビ番組や雑誌に「V」の文字が踊ることも珍しくなくなった。
だが、その華やかな表舞台の裏側で、ある「冷たい現実」がひっそりと、しかし確実に広がっていた。
それは、春の熱狂に当てられてデビューした個人勢たちの、相次ぐ「引退」だった。
半年。それが一つの壁だった。
機材の維持費、伸びない数字、そして何より「画面の向こうに誰もいない」という孤独。
就職、進学、あるいは単なる生活苦。
「夢」という名の魔法が解け、現実の生活に戻るためにアバターを脱ぎ捨てる者たちが、秋の木枯らしに吹かれるように、一人、また一人とネットの海から消えていった。
「……あーあ。こいつもかよ」
深夜。六畳一間のアパートで、俺――ゼンは、Mutterのタイムラインを眺めながら、重いため息を吐いた。
『半年間、ありがとうございました。本日をもって活動を終了します。アカウントは三日後に削除します』
昨日まで笑ってゲーム実況をしていた奴が、翌日には無機質なテキスト一枚を残して消える。
ネットの世界において、人の「死」はあまりにも唐突で、そしてあまりにも静かだ。
その時、俺のDMに一通の通知が届いた。
送り主は『ジャンク』。
段ボールを雑に被ったロボットのアバターを使い、俺とほぼ同時期に活動を始めた数少ない「男の同期」だ。かつて、同接が一桁だった頃に「どっちが先に登録者千人行くか勝負な」と、深夜に牛丼を食べながら(通話しながら)笑い合った、戦友の一人だった。
ジャンク:
悪い、ゼン。俺、来週の土曜日で配信辞めるわ。
就活、本腰入れないとマジで留年しそうでさ。親とも揉めたし。
お前との勝負、俺の負け(逃げ)だわ。今までサンキュな。
スマホを握る手が、じわっと汗ばんだ。
俺は即座に、通話アプリの受話器のアイコンを叩きつけた。数回の無機質なコールの後、ジャンクの、少し掠れた声が響く。
『……よっす。早いな、反応』
「よっすじゃねえよ。なんだよ、逃げって。俺とお前の登録者数、今どっちも三百人台だろ。勝負ついてねえじゃん」
俺は努めて、いつものような軽い口調で絡んだ。だが、返ってきたジャンクの溜息は、これまでに聞いたことがないほど深く、重かった。
『……限界なんだよ、ゼン。お前みたいに図太くねえんだ、俺は』
ジャンクの声が、マイク越しに揺れる。
『お前、こないだのルカ先輩の炎上の時、あんなに格好良く立ち回ったろ? あれ見て、俺……確信しちゃったんだよね。「あ、ゼンはあっち側に行ける奴だ。俺は、ただの観客だったんだな」って』
「何言ってんだよ、お前――」
『毎日さ、三時間喋って、編集に五時間かけて、それで再生数が「五十」とかだとさ……俺ってこの世に存在してんのかな、って本気で悩むんだよ。画面の向こうに誰もいない部屋で、一人で段ボール被って喋ってる自分を、鏡で見た時の惨めさ……お前には分かんねえだろ』
俺は、言葉を失った。
分かる。分かりすぎて、何も言えなかった。
俺だって、同接が「0」のまま一時間喋り続けた夜がある。十九円のモヤシを啜りながら、自分の人生の無駄遣いをしているんじゃないかと、虚無感に襲われた夜がある。
「……分かってるよ。でもさ、ジャンク。お前の配信、匿名希望や佐藤も面白いって言ってたじゃん」
『ありがたいよ。でも、それじゃ飯は食えねえんだ。……俺、普通に就職して、普通の人間として生きてみるわ。Vチューバーなんて、ただのデータの遊びだったんだって、自分に言い聞かせてさ』
通話が切れた。
耳に残るのは、静寂だけだった。
アカウントを消せば、このネットの海から、彼が存在した痕跡はすべて失われる。
動画は「非公開」になり、検索結果からも消え、彼の声を知る者もいなくなる。
それが、個人勢にとっての「引退」という名の完全な消滅だった。
「……ふざけんなよ。データの遊びだ? だったら、俺たちが笑い合ったあの時間は、バグだってのかよ」
俺は、マウスを激しく叩きつけた。
ジャンクの最後の配信は、土曜日の夜。
彼は「誰にも迷惑をかけたくないから、最後は告知もせず、ひっそり終わりたい」と言っていた。
お通夜みたいな終わり方。そんなの、俺の『スジ』が許すわけがなかった。
***
土曜日の夜、二十一時。
ジャンクの最後の配信枠。サムネイルには『最後の雑談。ありがとうございました。』という簡素な文字だけが踊っていた。
予想通り、同接は「十二人」。いつもの常連たちが、察したような空気で静かにコメントを送っている。
「えー……よっす。みんな、来てくれてありがとな。えっと、今日は大事なお知らせというか……」
段ボールのロボットが、弱々しく手を振る。
彼が「引退」という言葉を口にしようとした、まさにその瞬間だった。
『おーい! 段ボール野郎! 勝手に終わろうとしてんじゃねえよ!!』
突如、通話アプリを無理やりバイパスさせて、俺の声がジャンクの配信に割り込んだ。
『え、ゼン!? お前、自分の配信枠は!?』
「今日は休みだボケ! うちの常連、全員こっちに連れてきたわ! 見ろ、同接!」
ジャンクが慌ててカウンターに目をやる。
十二人だった数字が、一気に「五百人」を超えていた。
『な、なんだこれ……!? どういうことだ!?』
「俺だけじゃねえぞ。……来い、お嬢様! ルカ先輩!」
俺の呼びかけに応えるように、チャット欄に『虹色』のバッジをつけたアカウントが次々と現れた。
『セリナ:没落貴族のワタクシが、庶民の門出を祝いに来ましたわ! ジャンク様、今までお疲れ様でした!』
『ルカ:ちょっとゼン! 呼び方失礼でしょ! ……ジャンクくん、こないだは私の炎上の時、裏で励ましてくれてありがとう。最後くらい、ド派手にやりなさいよ!』
さらに、彼女たちが連れてきたリスナーたちが、ジャンクの枠を埋め尽くした。
俺が裏で、必死に頭を下げて回った結果だった。
「俺の大切なダチが辞めるんだ。最後くらい、最高の景色を見せてやりたい」
その一心で、これまで築いてきた『スジ』のすべてを使い切った。
『お、お前……バカじゃねえの……っ! こんな、俺みたいな底辺の……引退に……っ』
ジャンクの声が、マイク越しに激しく震え、やがて嗚咽に変わった。
「底辺だろうがなんだろうが、俺が背中預けた男なんだよ!」
俺は、自分の六畳一間の部屋で、画面の中のロボットに向かって叫んだ。
「いいかジャンク! アカウントを消せばデータは消えるかもしんねえ。でもな、お前とクソゲーやって、朝まで将来の不安をぶちまけ合った俺たちの記憶は、俺の頭の中で一生バグらねえんだよ!!」
チャット欄が、見たこともない速度で流れていく。
『ジャンクさん、お疲れ様!』
『ロボット、格好良かったぞ!』
『ゼン兄貴のダチなら俺たちのダチだ!』
『卒業おめでとう!!』
五百人のリスナーが、ジャンクという一人の配信者が「確かにここにいたこと」を承認していた。
データの海に消える前に、彼は確かに、五百人の生身の人間と繋がっていた。
「……おう。……おう! ゼン、お前、マジで……最高のライバルだよ!」
そこからの二時間は、涙と、それ以上の爆笑に包まれた。
ジャンクは最後、泣き笑いの声で「就活、死ぬ気で頑張ってくるわ!」と宣言し、配信を閉じた。
数分後。
ジャンクのアカウントは「存在しません」という無機質な表示に変わった。
俺は、静まり返った部屋で、一人でモニターを見つめていた。
常連たちが俺の枠に戻ってきて、「兄貴、お疲れさん」「粋なことするね」と労ってくれる。
俺は、スマホのメモ帳を開いた。
そこには、配信を始めた頃にジャンクと書いた『やりたいことリスト』が残っている。
「……データの遊び、か。上等じゃねえか」
俺は、キーボードを叩き、Mutterに一行だけ投稿した。
@ゼン:
誰が何と言おうと、あいつは俺たちの「戦友」だった。
お前らがログアウトしても、俺はここに居続ける。
帰ってくる場所を消さないのが、俺の最後のスジだ。
2018年、秋。
最初の卒業を見届けた俺の胸には、寂しさよりも、もっと重くて熱い「責任」が宿っていた。
誰もいなくなったとしても、俺だけはマイクを切らない。
それが、消えていった仲間たちへの、俺なりの最高の弔いだった。
「さて……十九円のモヤシ食って、明日も配信するか」
俺は立ち上がり、冷蔵庫を開けた。
そこにはジャンクとの思い出のように、少しだけ萎びたモヤシが、出番を待つように転がっていた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
「データの海で、消えない記憶を刻む」。ジャンクを見送るゼンの姿を通して、彼が背負うものが「自分の夢」から「仲間たちの想い」へと変わっていく重要な回でした。
次回、第9話は『巨大な背中と、深夜の牛丼屋の誓い』。
界隈のトップに君臨する四天王の圧倒的な光を前に、ゼンが初めて「野心」という名の炎を燃やします。
【応援のお願い】
今回のゼンの熱い立ち回りに、少しでも胸が熱くなっていただけましたら、**【ブックマーク追加】と、下部の【☆☆☆☆☆】から評価(星5つ!)**をいただけますと、執筆のモチベーションが爆上がりします。何卒よろしくお願いいたします!




