表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/11

第7話:安全圏の石投げと、クソゲーの流儀

2018年6月、界隈を覆い始めた「炎上」という名の集団リンチ。

些細な愚痴でネットの標的になった中堅Vのルカ。周囲が保身のために沈黙を守る中、ゼンは自ら泥を被り、ピエロになることで彼女を救い出そうとします。

 2018年、6月。

 関東地方が例年よりも早い梅雨入りを迎え、どんよりとした重い雨雲が東京の空を厚く覆っていた頃。

 急速な拡大を続けるバーチャルYouTuberという界隈には、湿り気のある不穏な空気が漂い始めていた。


 人が増え、金が動き、世間の注目が集まれば、当然そこには「摩擦」と「歪み」が生まれる。

 この時期、界隈の配信者たちが最も恐れ、そして最も忌み嫌っていた言葉。それは『炎上』だった。


 事の発端は、チャンネル登録者数一万人を誇る中堅のゲーム実況系女性V、『ルカ』が放った、ほんの些細な一言だった。

 彼女はその日、リスナーからリクエストされた八十年代の超高難易度アクションゲーム――いわゆる「死にゲー」を配信していた。

 理不尽な初見殺し、一ミリのズレも許されないシビアなジャンプ、そして一度死ねば数十分の苦労が水の泡になる鬼畜仕様。

 三時間に及ぶ凄惨な苦闘の末、画面に表示された「GAME OVER」の無機質な文字を前にして、彼女はついに、溜まりに溜まったストレスと疲労を爆発させてしまったのだ。


「……っ、もう無理! なにこれ、ただのクソゲーじゃん! 作った人の性格を疑うレベルなんだけど!」


 普段の彼女であれば、「悔しい!」「次は絶対クリアする!」と前向きに締めていただろう。だが、その夜の彼女はあまりにも疲れ果てていた。

 配信者であれば、誰もが一度は口にしたことがあるであろう、画面の向こう側の開発者に対する八つ当たりに近い愚痴。

 だが、運が悪かった。

 そのゲームを『不朽の名作』として神格化している一部の熱狂的な懐古ファン、そして、ネットの海で常に「叩いてもいい正義の標的」を探し回っている自称正義漢たちが、その発言に鋭く噛みついたのだ。


 ルカの発言は、最も悪意のある形で切り抜かれ、掲示板やSNSで瞬く間に拡散された。

『悲報:ルカ、レトロゲームへのリスペクト皆無で大炎上』

『ゲームをクソ呼ばわりする配信者は界隈から消えろ』

『開発者の苦労を考えない増長した女Vの末路』


 たった一晩で、彼女のコメント欄は数千通の罵詈雑言で埋め尽くされた。

 昨日まで「可愛い」と褒めそやしていたリスナーたちまでもが、空気の変化を察して一斉に掌を返し、石を投げ始めた。彼女と仲の良かったはずの他の配信者たちも、自分に火の粉が飛んでくるのを恐れ、まるで腫れ物に触れるかのように一斉に沈黙し、関わりを絶った。


 ネットの海では、一度「叩いてもいい存在」という烙印を押されると、安全圏から石を投げ続ける群衆を止める術はない。それは、理性を失った集団心理による、現代の公開処刑だった。


 ***


「……ケッ。どいつもこいつも、見てらんねえな」


 深夜二時。六畳一間のアパートで、俺――ゼンは、掲示板の惨状を眺めながら、不快そうに鼻を鳴らした。

 

 俺はルカと面識はない。コラボをしたこともなければ、挨拶のDMを一通交わしたことさえない、完全な他人だ。

 だが、何百、何千という大人が寄って集まって、画面の向こうで震えているであろうたった一人の女の子を、安全圏から袋叩きにしているこの光景は、俺の『スジ』がどうしても許さなかった。

 

「正論で擁護したところで、火に油を注ぐだけだ。……なら、やり方は一つしかねえな」


 俺は、押し入れの奥底で埃を被っていた、化石のような古いゲーム機を引っ張り出した。

 そして、その日の配信タイトルを、最大級の煽り文句と共に打ち込む。


**『例の”神ゲー”、俺ならノーコンティニューで余裕のクリアっしょw』**


 配信開始の通知が飛ぶと、いつもの常連二十人に混じって、面白半分、あるいは新しい「叩き先」を求めて殺気立った野次馬たちが雪崩れ込んできた。同時接続者数は、開始数分で一気に三百人を突破した。俺の配信史上、最大規模の数字だ。


「よっす。……あ? なんだ、今日は随分と客が多いじゃん」


 画面の中の金髪アバター――ゼンが、挑発的に、そして心底馬鹿にしたように口角を上げる。


「なんか今、世間じゃ例のレトロゲームのことでピーピー騒いでるらしいな? ゲームにリスペクトがないだの、開発者に失礼だの。……お前ら、そんなにあのゲームが神格化されてんなら、俺が証明してやるよ。俺、アクションゲームに関しては自称天才だからさ。今からサクッとノーコンクリアして、あのお嬢ちゃん(ルカ)に『お前の腕が足りなかっただけだ。文句言う前に練習しろ』って、先輩として教えてやるよ」


 チャット欄には、『大きく出たな底辺w』『返り討ちにされろ』『ルカの味方か? それとも売名か?』と、毒々しいコメントが怒涛の勢いで流れる。


 だが。

 ――開始からわずか十分後。


「あああああ! クソ! なんだこの当たり判定! 今のは絶対避けてただろ!!」


 画面の中のアクションキャラは、最初のステージにある、何の変哲もない最初の穴で、すでに二十回連続で落下死していた。


「おい待て、このジャンプ力おかしくないか!? 届くわけねえだろこんな距離!! 入力遅延か? それとも俺のPCがボロすぎるのか!?……いや、違う。これ、ゲームの仕様が狂ってんだわ!!」


 俺は、ガタッ! と安物の木製デスクを叩いた。その鈍い衝撃音が、ノイズまみれのマイクに乗ってリスナーの鼓膜を震わせる。

 演出でも何でもない。俺はガチで、そのコントローラーを握る指が千切れそうなほどの操作性の悪さに、血管が浮き出るほどキレていた。


「おい、これ作った奴ちょっと表出ろ! なにが神ゲーだよ、ただの理不尽の詰め合わせじゃねえか!! 敵の配置が嫌がらせの極致なんだよ! 空中で方向転換できないとか、この時代の物理法則はどうなってんだ!? 重力が三倍くらいあるぞ!!」


 画面の中で、無残に爆散し続ける自機。

 俺のあまりにも情けないプレイ、そして開始前の大口が嘘のような見事なまでの手のひら返しに、張り詰めていたチャット欄の殺伐とした空気が、急速に変質し始めた。


『ゼン兄貴、弱すぎるだろwww』

『口だけ番長ワロタ』

『初見プレイだけど、これ見てるだけでもクソゲーなの伝わってくるわ』

『いや、これはマジでひどいw ルカがキレた理由が分かったわ』


 俺は必死に、手汗で滑るコントローラーをガチャガチャと鳴らしながら、喉が枯れるほど叫び続けた。


「いいか、お前ら! ゲームっていうのは、遊ぶ人間を驚かせたり、楽しませたりしてナンボなんだよ! こんなストレスで寿命が縮まるだけの鉄屑を『神ゲーだから批判するな』とか言ってる奴、一回自分でこのコントローラー握ってみろ! 指にタコができるぞ!!」


 死んでは叫び、叫んではまた穴に落ちる。

 俺が全力でピエロになり、実際にそのゲームの「理不尽さ」を、身をもって(そして最高に無様に)証明し続けたことで、ルカへの批判はいつの間にか「このゲームの常軌を逸したクソさ」を笑い合う空気へと塗り替えられていった。

 

 俺を叩きに来たアンチたちも、俺のあまりの下手さと、なりふり構わない絶叫に毒気を抜かれ、いつの間にか「そこはダッシュジャンプだろw」「右の足場に判定があるぞw」と、ただのゲーム実況のリスナーへと戻っていった。


 配信の最後、俺はコントローラーを投げ出すようにデスクに置いた。

 結局、一面すらクリアできなかった。


「……はぁ、はぁ。結論、出たわ。ルカ先輩。あんたが『クソゲー』って言ったの、百パーセント正しいっしょ。むしろ、あれで三時間も粘って配信を続けたあんた、マジで聖母か何かかよ。俺なら開始五分で本体ごと窓から投げ捨てて、近所の川に不法投棄してるわ。……お前らも分かったか。これがリアルだ」


 俺はルカを直接的に「守る」とは一言も言わなかった。

 ただ、彼女の発言を自らの身を呈して肯定し、自らが泥を被ることで、ネットの悪意の矛先を分散させたのだ。

 それが、安全圏から石を投げるダサい群衆に対する、俺なりの『スジの通し方』だった。


 ***


 翌日。

 昼過ぎ。大学の講義室、一番後ろの席。

 教授の退屈な講義をBGMに、俺がスマホを開くと、MutterのDM欄に通知のマークがついていた。

 送り主は、昨日まで地獄の底にいたはずの『ルカ』だった。


> **ルカ:**

> 突然のメッセージ、申し訳ありません。ゼンさん。

> 昨夜の配信、アーカイブで拝見しました。

> 私が不用意な発言をしたせいで、ゼンさんまで「ゲームへのリスペクトがない」と一緒に叩かれたらどうしようと、画面の前で本当に生きた心地がしませんでしたが……。

> ゼンさんの、あのあまりにも悲惨な……失礼、必死なプレイを見ていたら、なんだか憑き物が落ちたように笑ってしまいました。

> 私の言葉を、あんな風に笑いに変えてくださって、本当に、本当にありがとうございました。


 俺は、講義室の窓から差し込む六月の眩しい陽光を、眩しそうに細めた。

 画面に映る自分の顔(金髪のゼン)は、相変わらず目つきが悪くてチャラい。けれど、昨日の配信のコメント欄には、少しだけ「このゼンって奴、意外と嫌いじゃないかも」という新しいリスナーの声も混ざっていた。


 俺は片手で、授業のメモを取るふりをしながら、適当なトーンで文字を打ち返した。


> **ゼン:**

> 気にすんな。俺はただ、あのゲームのクソ仕様にガチでキレただけだから。

> それより先輩。面白い配信してんだから、あんなザコどもの、安全圏から石投げるだけのノイズなんて気にすんなって。

> 待ってる客がいんだろ? とっとと次枠取って、今度はもっとマシなゲームで客を楽しませてこいよ。


 送信ボタンを押し、スマホをポケットに突っ込む。

 

 バズろうが、炎上しようが、画面の向こう側にいるのは、俺と同じ体温を持った『人間』だ。

 困っている奴がいたら、隣に座って一緒に泥を被ってやる。

 安全圏で群れて、誰かの人生を弄んでいる奴らには、全力で中指を立てる。

 

 それが、金髪アバターを被った俺の、たった一つの、そして譲れないマナーだった。

 

 その日の夜、ルカは三日ぶりに配信を再開した。

 タイトルは『リベンジ! あのクソゲーをクリアするまで寝ません(心強い助っ人募集中!)』。

 

 そのチャット欄には、昨日の殺伐とした空気は微塵もなかった。

 そして、その「助っ人」として、俺のところには彼女からのコラボ依頼という名の『果たし状』が届くことになるのだが――それはまた、別の話だ。

 

 六月の雨が、窓を叩いている。

 俺は、コンビニで買ってきた安い傘を差し、バイト先へと向かうためにアパートを後にした。

 相変わらず財布は軽いが、心の中には、昨日あの理不尽なゲームに立ち向かった時のような、奇妙な熱が居座っていた。

最後までお読みいただきありがとうございます!

正論で反論するのではなく、自分も同じミスをして笑いに変える。「窓の外の百万人」の悪意を、自分の身一つで受け止めるゼンの漢気回でした。

次回、第8話は界隈に訪れる切ない別れ。引退する仲間を見送る『卒業の第一号と、消えないデータ』をお届けします。


**【応援のお願い】**

今回のゼンの立ち回りに「痺れた!」と思っていただけましたら、**ブックマーク追加**と**評価(星)**をぜひお願いいたします!執筆の大きな力になります!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ