第6話:設定崩壊の波と、モヤシ炒めの流儀
2018年5月、界隈に起きた「設定崩壊」という歴史的転換点。清楚キャラが素を出すことが正義となった時代に、ゼンが貫いた「19円のモヤシ」のリアリティと、彼なりの誠実さについてのお話です。
2018年、5月。
ゴールデンウィークが過ぎ、東京の街に初夏の湿った風が吹き始めた頃。
バーチャルYouTuberという界隈は、単なる「ブーム」を越え、一つの巨大な「文化の曲がり角」に差し掛かっていた。
それまでの常識では、Vチューバーとは、緻密に作り込まれた『アニメキャラクター』そのものであるべきだった。
魔王であれば、威厳に満ちた言葉を吐き、人類を屈服させる野望を語る。
アイドルであれば、常に清廉潔白で、リスナーに夢と希望を与える女神として振る舞う。
画面の向こう側の『中身』が何歳なのか、どんな生活をしているのかなんてことは、夢を壊す禁忌であり、絶対に触れてはならない暗黙の了解だった。
だが、その鉄の掟を、あのある一人の『学級委員長』が跡形もなく粉砕してしまったのだ。
彼女は清楚な制服に身を包んだ優等生キャラクターでありながら、生放送という戦場で、マシンガントークと共に自らの「狂気」をさらけ出した。
「雑草を食べたことがあります」
「B級映画のサメに食べられるシーンが大好きなんです」
そのあまりにも強烈な『生身の人間としての面白さ』は、完璧な虚像に飽き始めていたネット住民たちを熱狂させた。
これをきっかけに、界隈には【清楚崩壊】や【設定崩壊】という言葉が溢れ始めた。綺麗な嘘よりも、生々しい真実のほうが面白い。そんなパラダイムシフトが、初夏の界隈を激震させていた。
「……はぁ。世の中、すげえことになってんな」
深夜一時。俺――ゼンは、アパートの六畳一間で、熱暴走寸前のPCから漏れる熱風に吹かれながら呟いた。
手元にあるのは、一分前に炒め終わったばかりの、湯気を立てる一皿。
フライパンから直接皿に滑り込ませたそれは、具材が一切入っていない、文字通り『モヤシだけ』の炒め物だった。
「さてと。一仕事するか」
俺は安物のマイクを引き寄せ、配信開始のボタンをクリックした。
掲示板で少しだけ名前が出たおかげか、最近は配信開始と同時に、二十人近い「ダチ」たちが待機所に集まってくれるようになっていた。
「よっす。……あ? なんだ佐藤、いきなり『兄貴、今日のディナーは何ですか?』って。お前、俺が毎日高級ステーキでも食ってると思ってんのか?」
画面の中の金髪アバター――いかにも夜の街でブイブイ言わせてそうな、チャラいイケメンの『ゼン』が、画面越しに呆れたように肩をすくめる。
チャット欄には、瞬く間に『www』とコメントが流れた。
『佐藤:いや、そのガワなら西麻布でシャンパン開けててもおかしくないだろww』
『タカシ:実は大富豪の御曹司っていう設定なんだろ? 正直に言えよ』
『黒猫:最近のブームだと、ここで「実は納豆しか食ってません」とか言うのが正解らしいですよ』
最近常連になったサラリーマン、黒猫の冷静なツッコミに、俺は鼻で笑った。
「あのな、お前ら。そんな『設定崩壊芸』みたいな、小洒落た真似が俺にできると思うか?」
俺は、皿に盛られたモヤシを割り箸で一つまみし、カメラに向かって突き出した。
「これを見ろ。これこそが、俺の今夜のメインディッシュだ。昨日、スーパーのタイムセールで十九円で買ってきたモヤシ。それを、バイト先の物流倉庫からくすねて……いや、正当に譲り受けた塩コショウだけで炒めたやつだ」
一気にチャット欄が加速する。
『19円www』
『安すぎんだろ』
『イケメンのガワ被って19円のモヤシ語るな』
『哀愁がすごい』
「うるせえよ。いいか? これを白飯にバウンドさせて、一気にかきこむ。これが、奨学金と深夜バイトで食いつないでる現役大学生の『リアル』だわ。西麻布? シャンパン? そんなもん、味も匂いも想像できねえよ」
俺はモヤシを口に放り込み、咀嚼しながら喋り続けた。マイクがバリバリと音を立てるが、そんなことはお構いなしだ。
「……ふぅ。いいか、お前ら。最近流行りの『設定崩壊』とかいうやつ。あれ、俺から言わせりゃ、そもそも最初から『設定』なんて持ってるから苦労するんだわ」
俺はパイプ椅子の背もたれに深く寄りかかり、天井のシミを見つめた。
「俺がもし、『実は魔界の王子です! 毎晩乙女の血のワインを飲んでます!』なんていう嘘の看板を掲げて配信を始めたとするじゃん? そりゃ最初はカッコいいかもしれないよ。でもさ、配信終わってPCの電源落とした後、一人でこの十九円のモヤシを暗い部屋で啜ってる自分を想像してみろよ。……悲しすぎて、その場でログアウトしたくなるわ」
『たしかにww』
『メンタル死ぬな』
『魔界の王子(主食モヤシ)は草』
「俺はさ、お前らとマジのトーンでバカ話がしたいわけ。嘘のガワを被って、嘘の生活を語って、それで『今日も楽しかったですね』なんて綺麗に終わるのは……なんていうか、お前らに対して誠実じゃねえんだよ。スジが通らねえんだ」
俺は、画面の中の、自分の分身である金髪の男の顔を見つめた。
「俺の今日の夕飯は、一人に見られてようが、百万人に笑われてようが、十九円のモヤシ炒めだ。それが俺という人間だし、これ以上でも以下でもねえ。隠す必要もなきゃ、盛る必要もねえだろ。……これが、俺の『モヤシ炒めの流儀』だわ」
チャット欄には、いつの間にか笑いだけでなく、妙に納得したような、あるいは「この男、バカだけど一本通ってるな」という空気のコメントが混ざり始めていた。
――同じ頃。
都内にある、ゼンのアパートよりは少しだけマシなワンルームマンション。
PCのモニターに映るゼンの配信を、一人の少女が、食い入るように見つめていた。
彼女の名前は、セリナ。
つい先日、機材トラブルで放送事故を起こしかけたところを、ゼンに(裏のDMで)救われた、あの「没落貴族のお嬢様」である。
彼女は今、深刻な『板挟み』に遭っていた。
初配信のピンチを乗り越え、彼女の「お嬢様」というキャラクターは一部の層に熱狂的に受け入れられた。登録者数は順調に伸び、一千人を突破した。
だが、その数字が増えれば増えるほど、彼女は苦しくなっていた。
「……おーほっほっほ、なんて言ってるけど」
セリナは、手元にあるコンビニの半額弁当――割り箸で丁寧に分けられた、昨日の残り物のご飯を見つめた。
彼女の正体は、没落した貴族でもなんでもない。ただの、地方から出てきた苦学生だ。学費を稼ぐために必死にバイトをし、家賃を払えば手元には数千円しか残らない。
最近流行りの「設定崩壊」ブーム。
彼女も、本当は「もうお嬢様を演じるのは限界です! 本当は安売りのお肉に目がありません!」と叫びたかった。だが、彼女を応援してくれている一千人のリスナーは、彼女の『お嬢様』という虚像を愛している。その夢を壊すことが、彼女にはできなかった。
(嘘の飯の話をして笑うのは、スジが通らない……か)
モニターの中で、ゼンのアバターがニヤリと不敵に笑っている。
彼は、金髪のイケメンという最高に華やかな「ガワ」を被りながら、その中身が「十九円のモヤシ」であることを、誇らしげに、そして当たり前のように叫んでいる。
その姿は、今のセリナにとって、どんな煌びやかな大物Vチューバーよりも眩しく見えた。
「……ゼン様は、本当に強いですわね」
セリナは、震える指でキーボードを叩いた。
『セリナ:……おーほっほっほ! ゼン様、モヤシなどという質素な食材、ワタクシのお屋敷のメイドですら口にいたしませんわ!』
いつも通りの、完璧な「お嬢様」としてのコメント。
だが、今の彼女の胸の内は、以前とは少し違っていた。
「お? セリナ嬢じゃん。いらっしゃい。……なんだ、今日はお屋敷の豪華なディナー、フォアグラとか抜け出してきたのか? うちのスナック、モヤシと水道水しか出ねえぞ」
ゼンは、彼女の「設定」を一切疑うことなく、いつものように快活にイジり返してくる。
『セリナ:ふふっ……たまには庶民の毒を食らうのも一興ですわ。今度、最高級の塩コショウをお持ちいたしますわね。……※特売のやつですけれど』
最後の数文字を、彼女はあえて括弧書きで付け加えた。
「はは! お嬢様が特売とか言うんじゃねえよ! 設定崩壊か? まあいいや、その特売の塩コショウで、今度はモヤシ二袋炒めてやるよ。特等席、空いてるぜ」
その言葉に、セリナは思わず吹き出した。
まだ、本当のことを全部さらけ出す勇気はない。それでも、この男が守っている「居場所」でなら、少しだけ背伸びを辞めて、自分を笑ってもいいような気がした。
2018年、初夏。
設定という仮面を被って踊り続ける狂騒の時代。
キャラクターが崩壊し、リアルが滲み出すその混沌の中で、ゼンが掲げる「モヤシ炒めの流儀」は、自分を見失いかけていたセリナや、日々の生活に疲れたリスナーたちの心を、静かに、だが力強く繋ぎ止めていた。
「よし、お前ら! 今日は『もし十九円のモヤシが世界から消えたら、俺たちは何を主食に生き抜くか』っていう絶望的な会議を始めるぞ! 佐藤、お前はもう雑草でも食ってろ!」
安物のマイクが、ゼンの全力の笑い声を拾う。
同接二十五人。
世界で一番貧乏くさくて、世界で一番嘘のない夜が、今日も更けていった。
最後までお読みいただきありがとうございます!
「嘘をつくのはスジが通らない」というゼンの言葉が、設定に悩むセリナの心を救う回でした。
次回、第7話は炎上事件に巻き込まれた仲間を救う『安全圏の石投げと、クソゲーの流儀』をお届けします!
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