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第5話:8ちゃんねるの地下深く、金髪の噂

2018年初夏。

Vチューバー界隈が爆発的に拡大し、トップ層が同接数万人を叩き出すようになった時期。

しかしその裏で、滝のように流れるコメントと「読まれない疎外感」に疲れ果てたリスナーたち(通称:V疲れ)も生まれ始めていました。


今回は少し視点を変え、そんな大手の熱狂に疲れた一人のサラリーマンが、匿名掲示板の噂を頼りに、ゼンの「特等席」へとたどり着くまでの閑話(リスナー視点)のお話です。

 2018年、5月。

 俺――ネット上では『黒猫』というありふれたハンドルネームを使っている、都内のIT企業で働くしがない二十代のサラリーマンは、冷え切ったコンビニ弁当のプラスチック容器を箸でつつきながら、ため息を吐いていた。


 PCのモニターに映し出されているのは、今をときめく超大手企業勢Vチューバーの生配信だ。

 画面の右下に表示された同時接続者数は、驚異の『53,000人』。

 可愛らしい3Dのアバターが、愛嬌たっぷりにゲームをプレイし、時折カメラに向かってウインクを投げかける。そのたびに、チャット欄は恐ろしい速度でスクロールし、滝のように文字が流れ去っていく。


『かわええええええ!』

『今のウインクで死んだ』

『神ゲーキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』


 俺もその濁流の中に、「こんばんは、今日も可愛いですね」というコメントを投下してみた。

 しかし、俺の書き込んだ文字は、コンマ数秒で他の数千のコメントの波に飲まれ、画面の上へと消え去った。当然、配信者の目に留まることはない。彼女が名前を読み上げてくれるのは、赤や緑の目立つ色で数万円の高額な「投げ銭」をした一握りの太客だけだ。


「……はぁ。なんか、疲れたな」


 俺はマウスから手を離し、モニターから目を逸らした。

 ほんの数ヶ月前、Vチューバーという文化が物珍しかった頃は、ただ彼女たちが動いて喋っているのを見ているだけで楽しかった。

 だが、界隈が爆発的に拡大し、トップ層が何万人という数字を集めるようになった今、俺は強烈な「疎外感」を感じ始めていた。


 何万分の一。

 それが、今の俺の価値だ。大手の配信枠の中では、俺は生身の人間ではなく、ただの「視聴者数+1」というデータでしかない。コメントを打っても誰にも読まれず、ただ大群衆に紛れてペンライトを振るだけのモブキャラクター。


 残業続きのすり減った精神には、その「圧倒的な孤独感」が妙にキツかった。


「……どっかに、もっとこぢんまりとした、居心地のいい場所ねえかな」


 俺は大手Vの配信タブをミュートにし、ブラウザの別タブで『8ちゃんねる』を開いた。

 日本最大級の匿名掲示板。その地下深くにある「Vチューバー総合板」は、今日も信者とアンチが数字でマウントを取り合う、血で血を洗う魔境と化していた。


 その殺伐としたスレッド群をスクロールし、俺はひっそりと過疎っている一つのスレッドを開いた。

 スレッド名は『【Vチューバー】底辺・過疎配信者発掘スレ Part.43』。


 ここは、大手の狂騒に疲れ果てたネットの亡霊たちが、同接数十人以下の「底辺V」をスコップで掘り返しては品評する、いわば限界集落のような場所だった。


 俺は、惰性でレスを流し読みし始めた。


『781:名無しさん@8ちゃんねる

大手の箱推し疲れたわ。コメント早すぎて読めねえし。誰か、のんびり酒飲みながら見れる過疎V教えてくれ。』


『782:名無しさん@8ちゃんねる


> > 781

> > ゲーム実況なら〇〇がおすすめ。同接30人くらいだけど声がいい。』

>

>


『783:名無しさん@8ちゃんねる

てか昨日、変な奴見つけたんだけど。』


『784:名無しさん@8ちゃんねる


> > 783

> > kwsk(詳しく)』

>

>


『785:名無しさん@8ちゃんねる

アバターはフリー素材のツギハギみたいな金髪の男なんだけど、同接6人なのにずっとスーパーの半額惣菜の争奪戦について、一人で熱く語ってた。しかも安物マイクでノイズ入りまくり。』


『786:名無しさん@8ちゃんねる

なんだそのクソ環境w 底辺のテンプレじゃねえか。』


『787:名無しさん@8ちゃんねる

いや、それがトークはやたら面白いのよ。深夜ラジオのハガキ職人みたいなノリ。しかも、同接一桁だからコメント全部拾って、リスナー全員の名前呼んでプロレスしてんの。なんか、場末のスナックみたいな変な居心地の良さがあったわ。』


『788:名無しさん@8ちゃんねる


> > 787

> > へぇ。ちょっと気になる。URL貼れよ。』

>

>


『789:名無しさん@8ちゃんねる

ほらよ。ちょうど今、配信始まってるみたいだぞ。

【URL:[youtube.com/watch?v=xxxxx](https://www.google.com/search?q=https://youtube.com/watch%3Fv%3Dxxxxx)】』


 俺は、その『789』のレスで指を止めた。

 フリー素材の金髪。安物マイク。コメント全拾いのスナック営業。

 普段なら「男のVなんて見ねえよ」とスルーするところだが、その時の俺はなぜか、その「場末のスナック」という言葉に強く惹かれていた。


 俺は、吸い込まれるようにそのURLをクリックした。


 ***


 画面が切り替わり、配信枠が開く。

 まず耳に飛び込んできたのは、「サーッ……」というホワイトノイズと、PCの冷却ファンが回るブオォォンという雑音だった。

 画質も決して良くはない。画面の中央には、掲示板の書き込み通り、少し目つきの悪い金髪の2Dアバターが鎮座していた。


 右下の同時接続者数は、『8人』。


 数万人の枠から来た俺にとって、それは目を疑うような過疎っぷりだった。

 だが、画面の中の金髪――『ゼン』という名前らしい――は、そんな数字など全く気にする様子もなく、実に楽しそうに喋り倒していた。


『……だからさ! 夜の二十二時のスーパーの惣菜コーナーっていうのは、ただの買い物じゃねえのよ。戦場なわけ。半額シールを持った店員のおばちゃんは、いわば戦場の女神。俺たち一人暮らしの貧乏大学生は、その女神の動向を棚の陰から息を殺して見守ってんの』


 俺は思わず、持っていた箸を止めた。

 なんて下らなくて、そしてなんて熱量のこもったトークだろう。


『で、女神が「若鶏の唐揚げ弁当」に半額シールをペタッと貼った瞬間! 俺ともう一人のライバル(推定:疲れ切ったサラリーマン)の目が合うわけよ。そこからはもう、コンマ一秒の反射神経の世界だね。俺は昨日、その唐揚げ弁当を巡る死闘に敗れて、結局十九円のモヤシを買って帰ったわけだが……』


 安物のマイクが、ゼンの呆れたような笑い声を拾う。


『お、佐藤。なんだお前、「俺なら唐揚げ弁当二個奪える」って? 寝言は寝て言え。お前この前パチンコですっからかんになって、素うどんすすってたじゃねえか。匿名希望はどう思う? サラリーマンの反射神経、甘く見ちゃいけねえよな?』


 画面の端のチャット欄。

 そこには、ゆっくりとしたペースで数件のコメントが流れていた。


『佐藤:パチンコの話はすんなw』

『匿名希望:ええ、我々サラリーマンの執念を舐めないでいただきたいですね。』


 驚いたことに、ゼンは画面に流れる数少ないコメントを、一つ残らず完璧に拾い上げ、まるで本当に目の前にいる友人と会話するように言葉を返していた。

 そこには「配信者」と「視聴者」という一方通行の壁は存在しない。完全に、一つの丸テーブルを囲んで酒を飲んでいるような、濃密な空間ができあがっていた。


 俺は、無意識のうちにキーボードに手を伸ばしていた。

 大手Vの配信では読まれるはずもないと諦めていた指が、自然と文字を叩く。


『黒猫:初見です。半額弁当戦争、わかります。俺も昨日、ネギトロ丼を目の前で奪われました。』


 エンターキーを叩く。

 チャット欄に、俺のコメントが表示された。

 当然、文字の流れる速度は遅い。俺のコメントは、画面の下部にしっかりと留まっていた。


 その数秒後。

 画面の中のゼンが、ふと目を細め、ニヤリと笑った。


『お? 黒猫。初見さんいらっしゃい。……なんだ、掲示板の匂いがするな? まぁどこから来たにせよ、ウチのスナックを選んだのはセンスいいぜ』


「……えっ」


 俺は、思わず声を出した。

 俺の名前が、呼ばれた。たった一言の、取るに足らないコメントを、彼はいとも簡単に見つけ出し、そして俺という人間に向かって直接話しかけてきたのだ。


『ネギトロ丼を奪われた悲しみ、痛いほどわかるわ。あれただの敗北感じゃなくて、その日の夕飯のQOLクオリティ・オブ・ライフが劇的に下がるからな。……お前ら、初見の黒猫に席空けてやれ。奥のパイプ椅子、ちょっとパイプ曲がってるけど座りな』


 チャット欄の常連たちも、一斉に反応する。


『佐藤:黒猫さんいらっしゃい!』

『タカシ:パイプ椅子どうぞー』

『匿名希望:ネギトロ丼の恨み、ここで晴らしていってください。』


 胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じた。

 何万分の一のデータじゃない。俺は今、確かな「一人」の人間として、この空間に迎え入れられたのだ。


『よし、黒猫も来たことだし、今日は「もし俺たちがスーパーの店長になったら、どの弁当から半額シールを貼るか」っていう不毛な議論を朝までやろうぜ』


 ゼンが楽しそうに笑う。

 俺は、冷え切ったコンビニ弁当を口に運びながら、気がつけば、ここ数ヶ月で一番の笑顔を浮かべていた。


 大手の眩しい光もいい。何万人と熱狂を共有するのも楽しい。

 でも、俺が本当に求めていたのは。残業で疲れ果てた夜に帰ってきたかったのは、名前を呼んでくれて、バカ話に付き合ってくれる、こういう「俺たちのための特等席」だったんだ。


 俺は、迷うことなくゼンのチャンネルの「登録」ボタンをクリックした。

 四十三人目の、新しい常連客の誕生だった。


 ***


【ゼンの視点】


「じゃ、今日はこの辺で店じまいにするわ。お前ら、夜更かししすぎて明日遅刻すんなよ。おつかれっしたー」


 配信終了のボタンを押し、俺はパイプ椅子の上で大きく伸びをした。

「あー、喋った喋った。腹減ったな……」


 机の上のペットボトルのお茶を飲み干し、俺はふと、配信ソフトの終了画面に表示された最終的なデータに目をやった。


『最大同時接続者数:24人』


「……お?」


 俺は思わず二度見した。

 いつもは多くて六、七人だった同接が、今日は配信の中盤からジワジワと増え始め、最終的には二十人を超えていたのだ。

 チャンネル登録者数も、一晩で十人近く増えている。


「なんだ? どっかの誰かが、Mutterか掲示板で俺の宣伝でもしてくれたのか?」


 ありがたい話だ。数字が全てではないと粋がってはいるが、純粋に俺のバカ話を聞いてくれる「ダチ」が増えるのは嬉しい。

 今日新しく来た『黒猫』という奴も、ノリが良くてなかなか面白い客だった。


 だが、同時に俺は気を引き締めた。

 二十人。この数字は、今までのように「全員のコメントを完璧に拾う」ことができる、ギリギリの境界線だ。これ以上増えれば、コメントは流れ始め、読めない人間が出てくる。


「……ま、何人増えようが、俺のやることは変わんねえけどな」


 俺は、真っ黒になったモニターに向かって呟いた。


「同接が一人の時も、二十人の時も。もし万が一、一万人になった時も。俺は絶対に、目の前の席に座ってる奴らを全員『個客』として扱う。それが、俺の通したスジだからな」


 俺はPCの電源を落とし、十九円のモヤシを炒めるために重い腰を上げた。

 2018年、初夏。

 大手の狂騒の裏側で、俺のちっぽけな特等席は、少しずつ、だが確実に、ネットの亡霊たちの「帰る場所」になり始めていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


大手の配信では「数万分の一のデータ」でしかないリスナーが、ゼンの配信では「名前を呼ばれる一人の客」になる。

同接が一桁〜数十人の底辺・過疎配信だからこそ生まれる、あの独特な「場末のスナック感」の居心地の良さを描きました。

黒猫という新しい常連も加わり、ゼンの特等席は少しずつ賑やかになっていきます。


次回、第6話は『設定崩壊の波と、モヤシ炒めの流儀』。

界隈を席巻する「中の人の素を出す」という新たなパラダイムシフト。設定崩壊ブームの中、ゼンが語るモヤシ炒めのリアリティとは?


**【お願い】**

少しでも「こういう過疎枠の空気感、好き!」「黒猫の気持ち、ちょっとわかるわ」と共感していただけましたら、

ページ下部より**【ブックマークの追加】**と、**【☆☆☆☆☆】から評価(星)**をポチッと押して、ゼンの小さなスナックを応援していただけると、執筆のモチベーションが爆上がりします!

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