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第1話:0人の観客と、1つのリプライ

2018年。

VTuberという言葉がネットを席巻し、誰もがその熱狂に当てられていた時代。

星の数ほどのアバターが生まれ、そして……その多くが、誰にも知られずひっそりとログアウトしていきました。


これは、そんな激動のネットの海で、決してマイクの電源を切らず、画面の向こうにいる「ダチ(リスナー)」の居場所を守り続けた、ある名もなき配信者の物語です。


あの頃の空気感と、泥臭くスジを通す男の生き様を、少しでも楽しんでいただければ嬉しいです。

 2018年、1月。

 東京の端っこ、私鉄の各駅停車しか止まらない駅から徒歩十五分の木造アパート。その六畳一間には、容赦のない冬の隙間風が吹き込んでいた。


「さっむ……。マジで凍死すんだけど」


 備え付けの古いエアコンは、ブオォォンと轟音を立てている割には生ぬるい風しか吐き出さない。

 着古したグレーのパーカーの襟を立て、俺――ゼンは、スーパーのタイムセールで手に入れた十九円のモヤシ炒めを白飯にかきこんだ。塩コショウだけの味付けだが、深夜の倉庫バイト明けの胃袋にはやけに染みる。


 左手でスマホの画面をスクロールすると、動画サイトのランキングは昨日と同じように『バーチャルYouTuber』たちの切り抜きで埋め尽くされていた。


『はいどーもー! バーチャルYouTuberの……!』


 画面の中で、可愛らしい3Dのアニメキャラクターが滑らかに動き、愛嬌を振りまいている。コメント欄は数万人の熱狂的なファンからの書き込みで滝のように流れていた。

 いわゆる「四天王」と呼ばれるトップ層の動画だ。


「……顔出ししないで、部屋から一歩も出ずにこんだけチヤホヤされるとか。コスパ最強すぎんだろ」


 モヤシを飲み込みながら、俺は独り言ちた。

 今、ネット界隈では「Vチューバー」という新しい遊びが爆発的に流行り始めていた。少し前までは一部の特権だった「アバターを被って配信する」という行為が、個人レベルでもなんとか手が届くようになってきたのだ。


「俺もガワ被ってイケボ出しとけば、ワンチャン女子大生とかからモテるんじゃね?」


 そんな、深夜テンション特有の極めて不純で軽い動機だった。

 俺は食べ終わった皿を流しに放り投げ、部屋の隅にある小さなデスクに向かった。


 鎮座しているのは、バイト代の三ヶ月分を叩いて買った中古のデスクトップPC。その上には、昨日家電量販店のワゴンセールで買ってきた、プラスチックの匂いがキツい三千円のWebカメラと、ノイズを拾いまくる安物のスタンドマイクが繋がれている。


 一週間かけて、ネットの有志が書いた難解なブログを読み漁り、フリーの配信ソフトと顔認識ツールをなんとか設定した。


 カチッ、とマウスをクリックしてソフトを立ち上げる。

 画面のプレビューウィンドウに、見知らぬ男が映し出された。


 フリー素材のパーツを適当に組み合わせて作った、少し目つきの悪い、金髪のイケメン。

 俺が首を右に傾けると、カメラが顔を認識して、画面の中の金髪も半テンポ遅れて右に傾く。俺が口を開くと、金髪も少しだけ口を開いた。


「お……動いた。つーか、俺イケメンじゃん。これなら勝てるっしょ」


 自分のジャージ姿とのギャップに思わずニヤつく。

 配信用のチャンネル名は、本名をもじるのも面倒だったので、適当にハンドルネームと同じ『ゼン』とだけ入力した。

 アバターという「皮」さえ被れば、俺はただの貧乏大学生から、ネットの海の住人になれる。


 時計の針が、夜の二十一時を指した。


「よし。いっちょモテに行くか」


 緊張なんかしていない。たかがネットの暇つぶしだ。そう自分に言い聞かせたが、いざ『配信開始』のボタンに乗せた人差し指は、情けないことに少しだけ震えていた。


 ***


「……よっす。ゼンでーす。えーっと、初見さんいらっしゃい」


 マイクに向かって放った第一声は、六畳の部屋の壁にぶつかって虚しく響いた。


 配信画面の右下。

『視聴者数』を示すカウンターは、配信を開始してから十分が経過しても、残酷なほど綺麗な「0」のままだった。


「……あれ? これツール壊れてね? 誰かいたらコメントしてー……っていないか!」


 無理やりテンションを上げて一人ツッコミを入れてみるが、チャット欄は雪原のように真っ白だ。

 当然といえば当然だ。昨日アカウントを作ったばかりの、実績も知名度もない男の配信なんて、広大なネットの海から見つけ出せる奴がいるはずもない。


 用意していた「四天王のアイツ、俺がいつか登録者数で抜いてやるからな!」という威勢のいいライバル宣言ネタも、誰も聞いていない空間で口にするのはあまりに虚無すぎて、開始五分でボツにした。


 話題が尽きた。

 仕方なく、俺は目の前にあるキーボードのホコリを見つめながら、どうでもいい日常の愚痴をこぼし始めた。


「いやさ、マジで聞いてよ。今日、大学の経済学の教授がさ、急に『明日までにレポート五枚』とか言い出して。鬼かよって話。こっちは深夜まで倉庫で段ボール運んでんだわ……。あ、今日の俺の夕飯? 十九円のモヤシ炒め。塩コショウ多めにかけると、マジで高級フレンチの味するから。お前らもやってみ」


 誰に向かって話しているのかもわからない。

 ただ、ノイズまじりの安物マイクに向かって、ボソボソと喋り続ける。普通なら精神が削られて、いたたまれなくなって配信の停止ボタンを押すところだろう。


 だが、俺は不思議な感覚に陥っていた。

「……あれ? 俺、誰もいなくても喋るの、意外と苦じゃねえな」


 誰も聞いていないからこそ、変にカッコつける必要がない。

 安物のマイクが拾う俺の息継ぎの音(ダイソン並みにうるさい)も気にならなくなり、俺は次第に身振り手振りを交えながら、一人語りに熱を帯びていった。


「だいたいさ! 今の世の中、見た目だけで判断しすぎなんだよ! 俺みたいに中身で勝負する……いや、ガワは金髪イケメン借りてるけどさ! とにかく、俺は俺のやり方で――」


 ドンッ!!!


 突然、背後の壁から鈍い衝撃音が響いた。

 トークに乗って無意識に声が大きくなっていた俺に、隣の部屋の住人(神経質な浪人生)が強烈な「壁ドン」をお見舞いしてきたのだ。


「っ!?」


 ビクッと肩が跳ねる。

 配信中だというのに、完全に素の情けない声が出そうになった。

 だが、俺はとっさにマウスを握り、画面の中の金髪アバターをドヤ顔の表情に切り替えた。


「……おっと。お前ら、今の音聞こえた? 悪い、うちで飼ってる『召喚獣』が腹減って暴れてんだわ」


 自分でも呆れるくらい、スラスラと適当な嘘が出た。


「……ごめん嘘。隣のおっさんがマジギレした音っす。これ以上喋ると、俺のリアルHPが削られて物理的にゲームオーバーになるから、今日のところはこの辺にしとくわ」


 右下の視聴者カウンターをちらりと見る。相変わらず「0」だ。


「ま、初日はこんなもんっしょ。義理堅い神様が一人くらい見に来るのを待つか。じゃ、おつかれっしたー」


 俺は『配信終了』のボタンをクリックした。

 画面が黒く切り替わり、俺のアバターが消える。


 途端に、部屋にはPCの冷却ファンが回る「ブオォォン」という音と、エアコンの空回りする音だけが残された。

 張り詰めていた糸が切れ、俺はパイプ椅子に深く背中を預けた。


「……ははっ。やっぱ、そんな甘くねえか」


 モテるどころか、誰の目にも触れない一時間。

 アバターを被れば魔法がかかるなんて、ただの幻想だった。結局、俺はただのモヤシを食う貧乏大学生のままだ。


「明日から普通に倉庫のシフト増やそ……」


 俺は伸びをして、ベッドに寝転がろうとした。

 その時だった。


『ピコン』


 デスクの上に放り出していたスマホの画面が光った。

 配信の告知用に今日作ったばかりのSNS、『Mutterマター』からの通知だった。


 企業のアカウントからの自動返信か何かだろう。そう思いながら、何気なく画面をスワイプした俺は、そこに表示された文字列を見て、心臓が大きく跳ねた。


> **@匿名希望さん:**

> 初配信お疲れ様です。召喚獣のくだり、声出して笑いました。

> 誰もいないのにずっと喋り続けてるの、メンタル強すぎですね。

> 明日もやってくれたら、また見に行きます。


「……は?」


 俺は、スマホの画面に顔を近づけた。

 何度も、何度も文字を読み返す。幻覚じゃない。たしかに、俺宛てのリプライだ。


 視聴者カウンターは、ずっと「0」だった。

 だが、あのツールの数字の裏側で、バグか遅延かはわからないが、たしかに一人。俺のしょうもない一人語りを、最初から最後まで聞いていた『誰か』がいたのだ。


 誰もいないと思っていた真っ暗な観客席に、ずっと一人だけ座って、俺を見ていた奴がいた。


「……マジかよ」


 スマホを持つ手が、じわっと熱くなった。

 『絆のアイ』の数万人のファンに比べたら、たった一人なんて誤差みたいなものだ。でも、今の俺にとっては、その「1」という数字は、世界そのものがひっくり返るくらい重くて、熱い事実だった。


 俺は、ベッドから跳ね起き、再びPCの前に座り直した。

 まだ熱を持っているキーボードに指を置き、不器用なフリック入力ではなく、わざわざ両手で全力のタイピングを叩きつける。


> **@ゼン:**

> @匿名希望さん お、サンキュ。

> 明日も二十一時からやるわ。約束な。


 送信ボタンを、ターンッ! と力強くエンターキーで押し込む。

 軽いノリで始めた暇つぶしが、たった一つのリプライで「引くに引けない約束」に変わった瞬間だった。


 俺は、真っ黒なモニターにうっすらと反射している自分の顔――金髪のアバターではなく、ジャージ姿の冴えない自分を見た。


「……一回『明日もやる』って言っちまったからには」


 俺はニヤリと、アバターと同じような不敵な笑みを浮かべた。


「たとえ明日、誰も来なかったとしても。マイクの電源入れるしかねえっしょ。ここで逃げたら、俺の美学スジに反するわ」


 2018年、1月。

 後にV界隈で伝説の兄貴分と呼ばれることになる男が、この世界で一番最初に通した、短くて強固な「一本目の筋」だった。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!


誰にも見られていないと思っていた初配信。でも、数字の裏には確かに「一人」がいました。ここから、ゼンの不器用で熱い配信者人生がスタートします。


次回、第2話は『「虹生」の衝撃と、俺の立ち位置』をお届けします。

圧倒的な勢いで現れた2Dライバーたちの波を前に、同接1人のゼンはどうスジを通すのか? お楽しみに!


【読者の皆様へのお願い】

少しでも「面白い!」「あの頃のV界隈、懐かしい!」「ゼンの生き方、嫌いじゃないぜ」と思っていただけましたら、

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ゼンの特等席(チャット欄)の成長を、ぜひ一緒に見届けてください。

引き続きよろしくお願いいたします!

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