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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

祠を壊そう。壊さなきゃ。

作者: 南雲 皋

 壊して 壊して


    壊して   壊せ


壊せ 壊して  壊せ


     壊せ




 頭の中に声が響く。それは初め女の子の声に聞こえているけれど、だんだんと超音波みたいなキィキィしたものに変わる。それからどんどん低くなっていって、まるで地響きみたいな振動と共に、僕は目を覚ますのだ。


「壊せ壊せ言われても、何を壊せばいいのか言ってくれなきゃ分からないじゃん……」


 ここ最近、毎日ではないにせよ割と頻繁に見る気持ちのよくない夢。何かを壊せば終わるのかと思うけれど、せめてもっとヒントを出してくれないと壊すものも壊せない。

 溜息を吐いて朝の支度を済ませ、しっかり朝ご飯を食べてから家を出た。


奏太(かなた)、おはよー」


 家から少し歩いたところの交差点で、幼馴染である金沢(かなざわ)莉子(りこ)が手を振っている。


 莉子とは小学四年の時からはずっと同じクラスで、中学に入ってもまた同じクラス。家もそれなりに近いため、一緒に登校するのが当たり前になっていた。


 莉子は、寄りかかっていたガードレールからセーラー服のスカートを(ひるが)してこっちに走ってきた。

 小学校の頃は私服登校だったから気にならなかったけれど、制服になったせいで何となく気恥ずかしくもあった。


「おはよ」

「顔色悪くない? ちゃんと朝ご飯食べたー?」

「もりもり食べたよ」

「ならいーけど」


 並んで歩き出す。普通に歩いていけば到着が早すぎるくらいの時間に家を出るのは、寄り道をするからだった。

 少しだけ遠回りになる道。路地裏の更に奥まったところにある小さな空き地は、僕らの秘密基地だ。

 小五の夏休み、二人で遊んでいる最中に見つけたこの空き地は、いつでも少しひんやりしていて過ごしやすい。空き地の奥にはこじんまりとした祠があって、苔むしたそれを綺麗にしたのも僕たちだった。


「おはようございます」

「おはようございます」


 祠の前で頭を下げる。祠を掃除していた時、中に石でできたお地蔵様みたいなものが入っているのに気付いて、それからはその石を神様ってことにして来る度に挨拶をしているのだ。

 駄菓子屋で買ってきたお菓子を供えることもある。気付くとなくなっているから、やっぱりこの祠にはナニかがいるんだと思う。


「今日は私、美化委員の仕事があるから先に帰ってね」

「分かった」

「そういえば金曜日はカレー作るから、食べに誘いなって言ってたよ」


 莉子のお母さんが作るカレーは、牛すじが入っていてめちゃくちゃ美味しい。家族三人では到底食べきれない量を一気に作るから、カレーの時には僕の家族もご馳走になるのがお決まりだ。

 代わりにというわけではないが、うちの庭でバーベキューをする時には金沢一家が食べに来る。


「カレー久々だね。楽しみにしてる」

「そろそろ行こ!」

「うん」


 祠にもう一度頭を下げ、空き地を後にする。

 路地裏を吹き抜ける風に乗って、何かが聞こえたような気がした。


 ◆


「莉子、おはよ!」

沙和(さわ)ちゃん、おはよー」


 教室に入ると、莉子は僕と離れて友達と喋りはじめる。莉子は友達が多いから、僕と一緒にいるのは登下校の時くらいだった。

 委員会の仕事がなくても、僕以外の友達と遊びに行くとか、そういうことも当然のようにある。


 分かってはいるけれど、僕だけのものになればいいのにとも思う。口には出さないが、僕が莉子を見ているのに気付いた伊東(いとう)沙和から強めに睨まれた辺り、態度に出ているのではないかと思う。


 よくないな。


 僕はなるべく莉子の方を見ないように意識した。

 でも、授業に集中しようとすればするほど莉子のことが気になって仕方なくなって。我慢できずにチラと斜め前の席に座る莉子を見る。


「!」


 目が、合った。

 居眠りでもしていたような前屈みの姿勢で、少しだけ顔をこっちに向けた莉子と、視線が絡む。いつもの莉子とは少し違う、影のある表情にドキリとした。

 すぐに前を向いてしまったけれど、たった一瞬で僕の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。


ガンッ


 椅子に衝撃が来て、思わず振り返る。後ろの席の伊東が、僕の椅子を蹴ったらしかった。


森谷(もりや)ー、後ろ向くなー? そんなに後ろ向きたいならちょっとこっち来て音読してくれ」


 先生が板書をする中、僕は教壇に立って教科書に載っている短編小説を音読する羽目になってしまった。クラスメイトの注目を浴びるのは、すごく、嫌だ。

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて僕を見る伊東が、視界に入って気分が悪くなる。


 残りを読み切るために莉子の方に視線を向けた時だった。


「う、おげぇ……ッ」


ビシャビシャビシャ


 伊東が、吐いた。

 机の上の教科書もノートも筆箱も汚して、朝ご飯とは思えない黒ずんだ何かを、吐いていた。


「うわっ、きたね!」

「飛んだんだけど! 最悪ー!」

「うぅ……おぇぇぇッ」


ビシャビシャビシャ


 先生が慌てて伊東の元に駆け寄り、保健室に連れていった。吐瀉物(としゃぶつ)には触るなと言われたので、誰もが伊東の席から距離を取っている。


 先生に言われなくとも、誰も触りたいとは思わなかっただろう。少し離れた教壇から見ても、かなり気持ちが悪かった。

 黒っぽい吐瀉物の中には、何やら小さなものが動いている。クラスメイトの声を聞くに、ウジだか、何かの幼虫がいるらしい。


 周囲の席の生徒たちは机ごと動かして逃げていたし、雑巾や新聞なんかを持ってきてバリケードを作る者もいた。


 ザワザワとした教室の中、莉子が教壇に立ったままの僕のところへやってくる。


「ビックリしたね。沙和、大丈夫かな」

「う、うん……」

「奏太の席も汚れちゃったかも」


 かなりの勢いで吐き出されたので、隣や斜め前に座っていた生徒たちは制服や鞄を嫌な顔をしながらティッシュで拭いている。僕の机にも、何かしらの被害はあっただろう。


「そうだね……でも、座ってなくてよかったかも。椅子とか机は拭けばいいし」

「そうだねー。ティッシュ持ってる?」

「ポケットティッシュ、鞄に入ってたと思う」

「ならよかった」


 結局この時間は自習になって、休み時間に他の先生たちがやってきて吐瀉物を掃除してくれた。マスクとゴム手袋を身に付けた先生たちは、なるべく動揺しないように作業をしているみたいだったけれど、虫が動く度に眉間にシワが寄るのが見えた。


 伊東は帰りのホームルームになっても戻ってこなかった。きっと早退したのだろう。あんな物を吐き出したのだ、病院に行った方がいいに決まっている。

 ただ、心配する気持ちよりも平穏な授業を送れた安心感の方が大きい辺り、僕は伊東のことがだいぶ嫌いだったのだと自覚した。

 


 ◆


 一人で帰るのは、寂しい。

 僕にとって友人と呼べるのは莉子しかいなくて、莉子に何か用事があれば必然的に一人ぼっちになる。


 学校からは真っ直ぐ帰りなさいと言われるけれど、そんなことを守る生徒はほとんどいない。制服姿のまま、駅前の繁華街に向かう生徒が多かった。

 ゲームセンター、クレープ屋、ビルとビルの間にぽつんとある公園の入口にたむろして、ずっと話し込む生徒たち。


 僕はそんな彼らの姿を遠巻きに眺めながら、そこに混ざる自分を夢想する。


『友達は選ばないと』


 想像の中でさえ、母は僕の行動を許さない。彼らのような人たちと関わるのはよせと、有無を言わさぬ圧で語り聞かせる母の目は、見られなかった。


 代わりに、少し歩いたところにある神社に向かう。小さな神社ではあるけれど、空気が綺麗で好きだった。宮司さんも優しくて、莉子がいない時には度々足を運ぶ場所。

 鳥居をくぐると、モヤモヤしたものが一気に晴れるような心持ちになる。


「森谷くん、久しぶり」

「こんにちは」


 境内を箒で掃いていた宮司さんが、僕を見てにこりと笑う。しめ縄の巻かれた大きな木の根元にあるベンチに腰掛け、少しだけ休んだ。


 落ち込んだ気分もだいぶ楽になったので、宮司さんに挨拶をして神社を後にする。空き地に寄ることも一瞬考えたけれど、帰りのホームルームが終わってからもうそれなりに時間が経っていたので家に帰ることにした。


「ただいま」

「おかえりー、お風呂沸いてるから入っちゃいな」

「うん。あ、今週の金曜日、莉子のところでカレーだって」


 自分の部屋に向かいながら、台所に立つ母にそう告げる。母はにこやかに振り向いた。


「あら久しぶりね。予定空けておかなきゃ」


 風呂に入り、夕食を食べ、宿題を終えて眠りに就く。いつも通りの夜。

 ただ、その日の夢はいつもと違っていた。



 壊せ   壊して


壊せ 壊せ 壊せ


           壊して



 四方八方から声が聞こえる。それはいつもと変わらない。ああ、またこの夢だと思った瞬間、声が止んだ。

 代わりに、真っ白な空間に女の子が立っていた。おかっぱの黒い髪、高そうな赤と金の着物を着て、真っ黒なボールを持っている。


「壊して」

「ずっと君が言ってたの?」


 大きな瞳が真っ直ぐに僕を見つめている。手の中のボールはまるで生きているみたいに(うごめ)いて、なんだか気持ちが悪い。よく見ると真っ黒というよりは少し赤みがかっているような気がした。


「壊して」

「何を壊してほしいのか教えてくれないと、壊せないよ」


 そう言うと、少女の目がカッと見開かれた。目が飛び出てしまうのではないかと思うくらいの表情に怖くなる。少女の背後から伸びてきた黒いモヤのような何かが、何本もの腕の形になって少女を拘束した。


「ほこら」

「えっ?」


 聞き返した時には、もう少女はモヤに完全に飲み込まれていた。手や足が何本も伸びては引っ込み、まるで生きているみたいにうねうねと動く。そのモヤから伸びた大きな手のひらが僕に向かってきた瞬間、夢から覚めた。


「うわぁぁぁあああ!」


 ハァハァとベッドの上で呼吸を整える。あれは夢だ。大丈夫。ただの夢。

 僕の叫び声を聞いて両親が部屋に飛んできたが、嫌な夢を見ただけだから大丈夫と言えば安心したように戻っていった。


 少女の声が、耳に残っている。少女は最後、何本もの腕に掴まれながらも「ほこら」とハッキリ言っていた。

 僕の知っている祠は、秘密基地にあるものだけ。あれを壊せと言っているのだろうか。壊してしまって、中にある神様みたいな石は大丈夫なのだろうか?

 考えても、何も分からなかった。


「祠を壊せ?」

「うん、夢で壊せ壊せ言われるから何かと思ってたんだけど、昨日祠ってハッキリ言われたんだよね」


 結局、自分だけの手には負えないと判断して莉子に相談した。莉子に聞いても何の解決にもならないかもしれないが、一人よりも二人で考えた方が絶対にいいはずだ。


「祠って、秘密基地の?」

「僕が知ってる祠って、あれだけなんだよね」

「私も。でもあれって神様のお家じゃないの? 壊していいの?」

「分かんない」

「とりあえず見てみよっか」


 秘密基地に向かっていると、路地裏の手前、何かが地面に落ちていた。


「うっ……」

「なに? カラス……?」


 そこには首の取れたカラスの死骸が、転がっていた。目玉は何かに抉られたようになくなっていて、そこからウジが沸いている。

 流石にそれをまたぐ気にはなれなくて、近くの植え込みから枝を一本折らせてもらい、それでカラスの死骸を少しズラした。

 

 何だか嫌な感じがして秘密基地に急ぐと、祠の周りを黒いモヤが囲んでいた。昨日までは、あんなものはなかったのに。


「奏太? どーしたの?」


 祠の前で立ち尽くす僕に、きょとんとした顔の莉子が聞いてくる。

 

「あれ、見えないの?」

「あれってなに?」


 どうやら黒いモヤは僕にしか見えていないらしかった。莉子は首を傾げた後、祠の格子扉から指を差し入れた。

 莉子が中にある石にちょんと触れた瞬間、大量の黒いモヤが勢いよく祠から噴き出した。


「う、わッ……!」

「えー! なに? 奏太にだけなんか見えてんの? ずるい!」

「り、莉子は大丈夫なの?」


 莉子の周囲にはさっきまで祠を囲んでいたモヤが立ち込めている。もはや莉子の姿も見えなくなるくらいに、モヤが。

 モヤは莉子の周りをぐるぐると回っている。時々、赤ちゃんの泣き声や、男の子の笑い声が聞こえていて、その中に夢で聞いた女の子の声がした。


 祠を壊せば、モヤも消えるのか?

 僕は地面に転がっていた大きな石を拾って祠に投げ付けた。途端にモヤが動いて石を弾き飛ばしたのを見て絶望する。どうすればいいんだろう。どうすれば祠を壊せるんだろう。


『消して』

「え?」


 聞き馴染みのある少女の声がして、莉子の周囲を覆っていたモヤが晴れた。声のした方を見れば、夢で見た姿のままの少女が立っていて、モヤが全て少女の周囲に移動している。

 助けてくれたのだろうか。彼女がこの祠の神様で、モヤのせいで身動きが取れなくなっている?


 何が起きたのか分かっていない莉子に、今起こったことを説明すると、やはり少女が神様に違いないという話になった。


「でもさ、どうして自分の家を壊せなんて言うんだろうね」

「うーん……モヤにボロボロにされちゃったから引っ越したいとか?」

「そっか、今の家が気に入らないってことか」

「壊さなくてもよくない? とは思うけどね~」

「モヤにあげちゃえばいいのにね」

「確かに」


 ケラケラと笑う莉子は、怖いものなんて何もないみたいな感じで。さっきまでの状況に恐怖を覚えていた僕は、どこか救われたような気持ちになった。

 僕にとって莉子は、あの神社みたいに綺麗な、澄んだ空気の持ち主だった。


「消してっていうのは、モヤのこと?」

「多分そうだと思う。石投げたけど、モヤに邪魔されちゃったから」

「モヤは祠、壊されたくないんだね~。なんでだろ」

「住み心地がいいんじゃない?」

「あぁ、そっか。そうかも」

「どうやって消したらいいか分かんないね」

「うん……分かんない」


 モヤが何なのかも分からないし、どうしたら消えるかなんてもっと分からなかった。答えなんて出せるはずもなく、気付けば登校時間ギリギリになっていて、二人で走って学校に向かった。


 伊東は学校を休んでいた。

 昨日の放課後に清掃作業をしたみたいだけれど、伊東の机も周囲の床も、黒ずんだ汚れは落ちなかったようだ。何なら黒っぽく汚れた範囲が昨日より広がっているようにさえ見える。

 

 担任は詳しい話をしなかったけれど、感染性の病気だとかそういうことではないらしかった。席が近かった生徒はあからさまに肩を撫で下ろしている。


 その日も、平和だった。学校で僕に対して行われていたことのほとんどが、伊東によるものだったと証明されたようなものだった。

 別に、何をされても学校に行きたくなくなるとかそういうことはなかったけれど、不快なものは不快で。だから伊東が休んでいるうちは、何も気にせず莉子と登下校を共にすることができるなと思った。


 いつになく落ち着いて授業を受けていると、窓際に座っていた生徒が悲鳴をあげた。その後、何かが地面に叩き付けられるような音がして、教室内が静まり返る。


「さ、沙和……」


 悲鳴を上げた生徒が震える声で窓の外を指さし、他の生徒たちが窓を開けて下を確認した。そしてまた、悲鳴。

 先生の静止の声も聞かず、僕もみんなに紛れて窓から覗き込んだ。


 そこには、血の海に沈む女生徒の姿があった。

 頭から落ちたらしく、顔は無惨に潰れているけれど、短いスカートも、二つに結んだ髪の毛も、ワンポイントの入った靴下も、見慣れたもので。

 

 だから間違いなくそれは、伊東だった。


 教室内のざわつきが大きくなる。先生が窓際から生徒を引き剥がすようにして、カーテンを閉める。

 授業は自習になり、しばらくして下校するようにと指示された。伊東が落ちた場所の見える正門は使用禁止になり、裏門から全校生徒が帰宅させられる。


 伊東が、死んだ。

 自殺、した?


 隣を歩く莉子の顔色は悪く、ずっと地面を見つめていた。慰めた方がいいのだろうけれど、気の利いた言葉の一つも出てこない。

 ただ、莉子が泣いたらすぐに差し出せるように、ティッシュをポケットに突っ込んだ。


 結局、莉子は泣かなかった。僕の前で泣きたくなかったのかは分からない。消え入りそうな笑顔を少しだけ浮かべ、別れた。

 とぼとぼと歩く後ろ姿を見送り、僕も家に帰った。


「おかえり。大変だったみたいね」

「うん……」

「クラスメイトなんでしょ?」

「そうだよ」

「それだけよね? 話したことは? ないよね?」


 母の手が、僕の腕を掴む。

 あぁ、嫌だな。

 顔が上げられない。

 

「ないよ」


 話したことはない。話しかけられたことはあるけれど。

 友達でもない。ただの、クラスメイト。だから母に嘘も、ついていない。

 

「そう。ならいいの。お風呂まだ沸いてないから、先に宿題やっちゃいなさい」


 母は僕から手を離し、風呂場へと消えていった。

 部屋に戻ろうとすると、僕の服を誰かが掴んだ。振り返ると、祖母が立っていた。

 

「奏太ぁ、お前ならできる。頑張んなぁ」


 よく分からない応援を受けながら、僕は自室へと向かった。





 壊せ

      壊して


壊して         壊せ


   壊せ

         壊して


 壊して



 また、少女がいる。

 何もない空間に少女が一人立っていて、僕を見つめている。

 何かしゃべるかと思って黙っていたけれど、今日の少女は何も言わなかった。


「消すって、黒いモヤのことでいいの?」


 少女はこくりと頷いた。


「どうやって消せばいいの?」


 少女は首を横に振る。

 彼女にも分からないのに、どうして僕に分かるだろう。僕は溜息を吐いた。


「何ができるか分からないけど、頑張ってみるよ」


 おばあちゃんの応援を思い出す。僕ならできると言っていたけれど、僕なんかに何ができるというのだろうか。

 それでも、少女は嬉しそうに笑った。


 その口は、大きく弧を描いていた。



「はぁ……ッ」


 自分の吐いた呼吸の音で目が、覚める。

 部屋の中はまだ薄暗くて、時計を見れば朝の四時。けれど二度寝をする気分にはなれなかった。胸の辺りが締め付けられるような、嫌な感覚。


 台所に行き、ウォーターサーバーから注いだ水を飲む。冷たい水が喉を通る感覚に身震いした。

 そのままリビングのソファに腰掛け、ぼんやりと考えを巡らせた。


 何をすればいいんだろう。


「あ」


 神様のことは、神様に聞けばいいんだ。

 僕は宮司さんの顔を思い浮かべた。きっとあの宮司さんなら、何か手掛かりになるようなことを教えてくれるに違いない。


 僕はコップを洗って、丁寧に拭いた。等間隔にきっちり並べられた食器棚にズレないように戻す。勝手に使ったことがバレないように、慎重に。


 それから自分の部屋に戻り、小ぶりのノートを取り出す。聞きたいことをまとめておかないと、うまくしゃべれないと思った。


・神様が引っ越しをすることはあるか

・神様の引っ越しをじゃまするものの対処法はあるか

・じゃましているのは黒いモヤ

・手とか足とかになる時もある

・いろんな声がする

・神様は女の子

・モヤを消してとお願いされた


「よし」


 放課後、聞いてみようと思っていた時、部屋の扉がノックされた。


「奏太、起きてる? 今日、学校お休みですって」

「おはよう。お休み?」

「そう、警察なんかが立ち入るから、学校には来ないでくださいって連絡が来たわ」

「分かった」


 ちょうどよかった。僕はいつも通りの朝の支度を済ませると、制服に身を包んで家を出た。

 真っ直ぐ神社に向かうと、朝のお勤めを終えたらしい宮司さんが見えた。僕に気付くと微笑んでくれる。


「なんか、大変だったみたいだけど大丈夫?」

「はい。あの、僕聞きたいことがあって」


 ノートを見ながら、質問すると、宮司さんは少し考えた後で僕を近くのベンチに促した。宮司さんも隣に腰掛けて、少し距離が近くなる。


「神様のお引っ越しはあるよ。神社も古くなれば建て直したりするしね。神様に、これからお引っ越しをしますって報告をして、綺麗に丁寧に神様や、神様の分身を梱包……包んで、新しい場所に着いたら元のようにお家を整えてあげて、ここが新しいお家ですよって教えてあげるんだ。森谷くんは神様にお願いされたの?」

「うん、今のお家を壊してほしいんだって。たぶん、じゃまするやつにボロボロにされちゃったんだと思う」

「そうか。なら報告はいらないから、神様を取り出すところからだね。でも、それができないんだよね?」

「そう。じゃまされるんだ」

「邪魔しているモヤは、多分いくつかの霊が混じり合ったものだと思うんだけど……どんな声が聞こえたか覚えてる?」


 僕は昨日の祠での出来事を思い出しながら、赤ちゃんの声と男の子の声がしたと言った。他にもよく分からない唸り声みたいなものもしていたような気がするけれど、よく思い出せない。


「うーん……赤ちゃんに関しては、たぶん自分から邪魔をしているわけじゃなくて、他の霊に巻き込まれているだけだと思うんだよね。だから、あなたのいるところはここじゃないんだよって教えてあげたら素直にいなくなってくれるかもしれない。ちょっと待ってて」


 宮司さんは一旦神社の中に入っていって、しばらくして戻ってきた。手には人の形をした木の板を二つと、数枚のお札を持っている。

 そして漢字なのかひらがななのか、そもそも文字なのかもよく分からないものが書かれた木の板を僕に差し出した。


「この木の板は、お母さんとか、その子を守ってくれる存在の代わりになるようにしてあるから、赤ちゃんを優しく呼んであげながら出してみて。この木の板と一緒に、成仏してくれればいいんだけど。それと、この何も書いてない木の板は、まだなんの代わりにもなっていないから、男の子が一緒にいたいと思うような人が思いついたら、その人のことを想像しながら名前を書いてあげて。上手くいけば、一緒に行ってくれる。このお札は、危なくなったら森谷くんを守ってくれるようにお祈りしたやつだから、絶対持っていくんだよ」

「分かった」

「本当は一緒に行ければいいんだけど、僕はここから離れられないから……ごめんね」


 僕は首を振る。ここまでしてもらえるとは思っていなかったから、じゅうぶんすぎるほどだった。ヒントをもらえるだけでもありがたかったのに、道具やお札をもらえるなんて。


「あの、お金……」

「いらないよ。上手くいったら、うちの神様にお礼を言いにきてくれればそれでいいから」

「分かりました! お礼、言いにきます」


 立ち上がって頭を下げ、神様にも挨拶して帰ることにした。お金がなくてお賽銭箱には何も入れられなかったけれど、次に来る時は母に、無理ならおばあちゃんにこっそりお金をもらおうと心に決めた。


 もらったものをポケットに入れ、祠に向かう。カラスの死骸は野良猫にでも食い荒らされたのか、骨と肉片になっていた。誰も片付けはしないのだなと嫌な気分になりながら路地を進むと、祠は昨日よりも多くのモヤに囲まれていた。


 僕は字の書かれた木の板を取り出し、祠の前に立つ。胸の前に木の板を構えて、赤ちゃんを呼んだ。


「名前……分からないけど、赤ちゃんを離してください。お母さんかお父さんか、おじいちゃんおばあちゃんかもしれない、君の大切な人はそっちじゃなくて、こっちにいるよ。どうしていいか分からなくて泣いてるの? ここに来たら、帰れるよ。あったかいところにいける」


 モヤが激しく動き、赤ちゃんの泣き声が大きくなる。モヤは僕の周りを取り囲むように動くけれど、僕は震えながらもその場に立ち続けた。



カエレ

       カエレ

            サレ

  クルナ


 ココニ      

        クルナ



 脳内に直接響いてくる声に、頭が痛くなる。目の前がチカチカして、足がふらついた。けれど、お札のおかげかモヤが僕に触れることはなかった。

 僕をつかもうとしてつかめない手の中にほんの小さな手のひらを見つけ、僕はその手に木の板を押し付けた。



オギャア

         オギャアァァ

   ァアァァ


 オギャアァァァ……ァ……



 泣き声が、止んだ。


 モヤの動きがゆっくりになり、少し薄くなったように感じられた。握りしめた木の板は縦に真っ二つになっていて、しばらく経っても赤ちゃんの声は聞こえないまま。


 上手く、いったんだろうか。


「やっぱりここにいた!」


 莉子が、こちらに向かって走ってくるのが見えた。そのとたん、モヤが莉子に向かっていくのが分かる。

 もしかして。


 僕は木の板に金沢莉子と書いて、モヤに向かって投げ付けた。モヤに飲み込まれた男の子の笑い声が響き渡って、割れた木の板が地面に落ちた時、モヤはさらに薄くなっていた。


「今の声、なに……?」

「聞こえたの?」

「うん、男の子の声がした」

「たぶん、もう大丈夫」


 莉子が連れて行かれたかもしれないことを思うと、冷や汗が止まらなかった。でも、これできっと大丈夫。木の板が、莉子の代わりになってくれたはず。


 モヤがいつの間にか消えていて、祠の前に少女が立っていた。少女は、夢で見た時よりも身長が高くなっていた。モヤを消した分だけ、大きくなれたのだろうか。


「もう少しで、壊せるようになる」


 前よりもスラスラとしゃべるようになった少女が、僕に微笑んだ。

 少女の背後にはまだ少しのモヤが見えていて、それは僕の方にも手を伸ばしているように見えた。


 本当は、成仏させてもらいたいのだろうか。赤ちゃんと男の子を成仏させてあげたから、僕に助けを求めている?

 でも、もう木の板は使い切ってしまった。もう一度神社に行ったら、宮司さんにもらえるだろうか。


 僕と莉子は、神社に行くことにした。



 神社に続く石段を上っている最中、異変に気付いた。

 石段は少ししかないのに、いつまで経っても神社に辿り着かないのだ。僕も、莉子も、一生懸命石段を上るのに、全然鳥居をくぐれない。


 まるで、下りエスカレーターを上っている時みたいな感覚。一段上れば一段増えているような気がしてならなかった。


 見上げた鳥居の向こう側で、宮司さんが真っ青な顔をして僕らを見ていた。

 こちらに向かって何かを言っているけれど何も聞こえない。


「宮司さん何て言ってるんだろう?」

「莉子にも聞こえない?」

「うん、奏太の声しか聞こえない」


 さっきまで虫や鳥の鳴き声も聞こえていたような気がするけれど、今はとても静かだった。

 僕と莉子だけが、世界から切り離されているような気がした。


 宮司さんは、身体の前で腕をバッテンにして、必死に何かを叫んでいるみたいだった。

 何がバツなのだろう。

 神社に入るのに、何か作法を間違えただろうか。


「ここに来ちゃいけないってことじゃない?」

「あ、そっか。きっと神様が来ないでって行ってるんだね。それじゃあ、あんまり気が進まないけど……お札を使おう」


 宮司さんに頭を下げ、神社を後にする。

 違和感がなかったわけではないのだけれど、思考がまとまらなかった。



 壊せ  

     壊せ



 早く、壊さなくては。

 彼女のために、祠を。


 僕らはまた秘密基地に戻ることにした。

 僕を守ってくれると言っていたし、きっとお札を使えばモヤを無理やり消すこともできるだろう。

 一人では心細いから莉子にもお札を渡そうと思ったけれど、拒否される。


「奏太がもらった物なんだから、奏太が使わないと」


 それもそうか、と思う。確かに、宮司さんは僕のためにと用意してくれたのだろう。僕が使って、僕がお礼を言うのが筋なように思った。


 僕は一人でお札を握りしめる。

 お札を持つ手が、少しピリピリした。モヤに近付いているから、それに反応しているのだと思った。


 祠の周りのモヤは、かなり薄くなっていた。

 しばらく耳を澄ましてみたけれど、声は聞こえなかった。残りのモヤには、人格がないのかもしれない。ひとつの固まりになってしまって、もう何が何だか分かっていないのかも。


 お札を持った手をモヤに突っ込むと、何重にも聞こえる大きな叫び声が響き渡った。

 耳を塞ぎたかったれけど、お札を持っているからできなくて、鼓膜が破れるんじゃないかと思った。


 気付くと、祠の前には僕よりずいぶん背の高くなった少女……女性が立っていた。髪型と服装のおかげで同じ人だと分かるけれど、まるで別人だ。


 握っていたお札は全てボロボロになっていて、風が吹くと崩れて飛んでいってしまった。手を払いながら、自分と莉子の無事を確認する。

 黒いモヤは、もうどこにも見えなかった。


「壊せ」


 僕はその言葉に従って、大きな石を拾い、祠を殴った。莉子にも声が聞こえていたのか、一緒になって祠を壊している。

 蹴ったり、体当たりをしたり、大きな音がしているだろうに、近所の人が注意しに来るようなことは、なかった。

 

 もはやただの木片となってしまった祠と、祠のあった場所に置かれた石。

 お地蔵様のようだと思っていたそれは、歪んだ人間のような形をしていて、少し気味が悪かった。


 気味が悪い?

 いや、そんなことはない。これは神様で、だから大切に包んで、引っ越しを。


「奏太、行こ」

「え?」


 いつの間にか女性の姿はなくなっていて、僕の腕を掴む莉子の手が痛い。僕はポケットからハンカチを取り出して石を包み、莉子に連れられて秘密基地を出た。


 莉子に促されるまま歩いていると、僕の家に着いた。莉子は勝手に門を開け、玄関の扉を開け放つ。

 慌てて出てきた母の姿に、怒られる覚悟をしたけれど、金切り声は聞こえなかった。


 母は、莉子を見て固まっていた。


「奏太、まさか、祠を壊したの?」


 どうして母が祠のことを知っているのだろう。母の声を聞いて、父に、おばあちゃんまで玄関先にやってくる。


「奏太、お前祠を壊したのか」

「壊したの?」

「こ、壊したよ! だから何?!」


 僕の言葉を聞いた瞬間、三人とも真顔になった。そしてすぐに満面の笑みを浮かべ、僕と莉子をリビングに連れていく。


「奏太、あなた祠が見えてたのね」

「どうして早く言わないんだ、父さんたち気が気じゃなかったんだぞ」

「奏太はできる子だと思ってたよォ、頑張ったねェ〜」


 ニコニコニコニコ


 怖いくらいに笑顔の三人が、次々に僕をほめる。どうしていいか分からなくなって隣に座る莉子を見ると、その顔がおかっぱの女性とかぶって見えた。


「り、こ……?」

「なぁに?」


 にっこりと笑う顔はいつもの莉子で。僕はなんでもないと首を振った。


「祠を壊したなら、儀式の準備ね」

「儀式?」

「そうよ。新しい祠が必要でしょう?」


 そうだ。

 これは神様の引っ越しなのだ。


 ボロボロになった家を捨てて、新しい家に移さなくてはならないのだ。

 僕は大事に持っていた包みをテーブルに置いた。


「奏太、それ何?」

「神様だよ」

「あぁ、それが入っていたのね。でも、それはもういいのよ。空っぽなの。また必要になったら用意するから、その石は捨てなさい」


 せっかく持って帰ってきたのに。石を庭に投げ捨てると、出掛ける準備をしろと言われた。

 外から帰ってきたばかりなのだ、そのまま出掛けられるよと答えれば、母たちは慌てているようだった。


「奏太、先に行こ?」

「え、どこに?」

「裏山」


 莉子が声を掛けると、母のかしこまった返事が聞こえた。まるで目上の人にするみたいな返事だったのが、少しおかしかった。


 途中、莉子は自分の家の玄関を開けた。家の中に向かって何やら叫ぶと、慌てたように莉子の両親が出てきた。

 玄関先に二人並んで、僕らに深々と頭を下げている。


「あの、どうかしたんですか?」


 僕が聞いても、二人は頭を上げなかった。


「気にしないで。行こ!」

「う、うん……」


 僕らの後ろを、付き従うように莉子の両親が歩く。なんだか居心地が悪かった。

 気付けば僕の家族もいて、頭を下げたまま後ろに付いてくるのだった。


「あ」


 莉子が突然声を上げ、どこかを指さした。その先を見れば、伊東と書かれた表札があった。

 タタタッと駆けていった莉子がインターホンを押すと、少しして勢いよく玄関が開いた。


「おま、お前か! 沙和を返せェェ!」


 スウェット姿の体格のいい男性が、泣きながら飛び出してきた。莉子を守らなくてはと思ったが、男性は莉子を素通りして僕に掴みかかろうとしてくる。


 大きな手が僕の胸ぐらを掴もうかという瞬間、男性の動きが止まった。どうしたのかと見上げれば、目から、鼻から、口から黒ずんだ何かが噴き出している。


「ぐ、あ……ゴポォ……」


ビチャビチャビチャ


 これはあの日、伊東の口から吐き出された物と同じだ。


 そう思う間もなく、男性は倒れた。

 叫び声を上げて男性にすがりつき、僕を睨んで何事か喚き散らした女性も、僕に掴みかかろうとして同じように色々なところから黒い何かを噴き出し、倒れてしまった。


「バカだね、この人たち」

「……伊東の、両親?」

「そうじゃない? 沙和と同じところに行けてよかったね〜」


 ケラケラと、笑う莉子は、莉子ではなかった。

 莉子に見えるけれど、違う。

 だって莉子は、伊東の両親の頭を革靴で踏み抜いたりはしない、はずだ。


パキャッ


「奏太に絡んだ罰だよ。ずっと殺したかったんだァ。最近ようやく、少しずつやれることが増えたからね。莉子の寝てる時にしか出てこられなかったけど、もういつでも大丈夫」

「キミは、誰?」

「奏太の言う、神様だよ。分かってるでしょ? 祠、壊してくれてありがとーねェ、もう少しかかるかと思ったけど、いい具合に成長してくれて嬉しかったよ」



 グチャッ


     グチャ


ブチャッ



 何度も何度も何度も何度も踏まれて、もうそこに顔があったのかどうかも分からなくなっている伊東の両親を、近くの家から出てきた男性が引き摺って伊東家の中へと運んでいった。


「後の処理はしておきますので」


 アスファルトに残された大量の血と、肉や骨や脳みそなんかを、おばさんがホースから出る水で排水溝へと押し流す。


「おふたりはお進み下さい」


 男性も、おばさんも、僕たちに向かって深々と頭を下げていた。


 気付けば、いくつかの家から人が出てきて僕らを拝んでいる。たくさんの人に見送られながら、僕らは裏山へと向かうのだった。



 裏山には、ちょっとした登山道がある。

 小学生の頃から遠足でも何度か歩いたし、緩やかな一本道であるために時々莉子とも一緒に歩いた道だ。


 途中でその歩き慣れた登山道から外れ、少し行くと開けた場所に着いた。

 木を切り倒して作られたらしい広場だった。


 こんな場所があるなんて知らなかった。普段であれば、天気のいい日にピクニックでもしたら気持ちよさそうだと思うくらいの広場だったが、この状況ではそんなのんきなことも言ってられない。


「この辺でいっか。はい、奏太もおいで」


 よく分からないまま莉子に付いて来てしまったけれど、ここで儀式をするのだろうか。

 広場の中央にいる僕と莉子を囲むように、変わらず頭を下げたままの親たちが立つ。


 他にも、近所の人たちがちらほら付いてきたらしかった。死体の処理をすると言っていた二人の姿は、見えなかった。


「顔、あげていいよ。覚えておきたいし」


 莉子がそう言うと、みんなが顔を上げて僕らを見た。全員が、ほんの少し僕を見たあとで、すぐに莉子の方へトロリした視線を向ける。


 いまいち状況が飲み込めていない僕は、助けを求めるように周囲を見渡した。


 母が、一歩前に出る。莉子が頷くと、ようやく僕と視線が合った。

 今まで母の顔をよく見たことなんてなかったから、自分の母親であるはずなのに、どこか他人じみていて不思議だった。

 あんなに怖かったのに、今は何も感じない。


 母は、見たことがないくらいに笑っていた。目も、口も、全身で。そして、僕に向かって話し始めた。


「お母さんたちはね、昔からずっとこの土地で神様を祀ってるの。私たちだけの神様よ? でも、神様も、その祠も、見える人にしか見えないの。てっきり奏太には見えていないのだと思っていたのに……、見えていたなら教えてくれなきゃ」


 神様が見える人が限られているのは分かっていた。でも、祠も?

 莉子を見るけれど、笑っているだけで何も答えてはくれない。

 莉子のお母さんが言葉を続けた。


「莉子はね、奏太くんと同じクラスになってから少しして、夜になると出歩くようになったの。初めは夢遊病かと思ったわ。でも、違ったの。神様が出てこようとしていたの」


 たぶん、祠を見つけてからのことだろう。僕も莉子も、親の言う『祠が見える人間』で、そして僕よりも莉子の方が、きっと神様との相性がよかったのだ。

 夢や祠の前で見た神様が少女だったから、女の莉子の身体が馴染んだのかもしれない。


「金沢さんから連絡をもらって、私たちも確認したの。それで莉子ちゃんの中に神様がほんの少しいることが分かって、だからもう奏太のそばには莉子ちゃんがいればいいと思ったのよ。ね、お父さん、私の判断は正しかったでしょう? 奏太が祠を壊したのよ!」


 父は、ひとり盛り上がる母をなだめた。

 莉子以外の人間とはしゃべるなと言い出したのは、これが原因だったのか。


 莉子は、起きている時の莉子は、ずっと莉子だったのだろうか。神様の影響を受けていたから僕と一緒にいてくれたのかもしれないと思うと、胸が苦しくなった。


 でも、秘密基地で莉子にはモヤも神様も見えていなかったのだ。あの反応は嘘には思えなかった。だからきっと、起きている時の莉子は神様じゃなく、ただの莉子。


 せめて、莉子の意思で僕のそばにいたのだと思いたかった。だからと言って、何が変わるわけでもないのだけれど。


「祠はね、定期的に更新されるべきなんだよ。ずっと同じままではダメなんだ。どんどん強くしていかないと」


 母の口を塞ぐように、父が話し始めた。父の声をこんなに聞くのは生まれて初めてだった。


 神様を祀る人たちは、今までずっと繰り返してきたらしい。


 祠が見える、祠が壊せるということは、その時ある祠を守る力よりも強い力を持っているということで。

 だから祠を壊すことができた僕は、現状一番力の強い人間、ということになるらしい。


「でも、黒いモヤを消せたのは宮司さんからもらった道具のおかげだよ。僕の力じゃない」

「なに? 黒いモヤ?」

「奏太。あれはね、違うの」


 モヤと聞いて首を傾げた父の代わりに、莉子がしゃべりだす。あのモヤは、祠とは関係ないのだと。


「確かに邪魔はしていたけどね、アレをどうにかできるできないは、祠を壊せる力とはまた別の話なの」


 関係ないはずはないと思うのだけれど、祠を壊してから自分が自分ではないみたいな変な感覚がずっとあって、頭の中がぐるぐるして、莉子がそう言うのならそうなのだろうと思ってしまって。


 祠を強くする。

 ずっと繰り返してきた。

 祠を壊せる人間は強い人間で、その強い人間はどうやって祠を強くするんだろう。


 僕が、力を込めながら祠を作るのだろうか。神様のための祠を。


 莉子と、目が合う。その目には光が見えなくて、真っ暗で、どこまでも続いていそうなくらいに、深い。


「そろそろ、いい?」

「はい、もちろんです」


 莉子が尋ねると、みんなが頷いて僕らと距離を取る。

 これから儀式が始まるのだろうか。何をすればいいのか全く分かっていないけれど、大丈夫なのだろうか。


「もう少し育ってからでも良かったけど、どんどん美味しそうになるからもう、我慢できなくて」

「え?」


 がぱり、と。

 顔が裂けてしまうのではと思うくらいに、莉子が口を開けていた。蛇みたいに、アゴが外れたみたいに大きく開いた口の中には何本もの尖った歯が生えていて、それが、ゴキッと、僕のさこつにかみついて、いたくて、さけぶけど、だれもなにもしてくれなくて、ぼくは


「あぁぁあぁあぁぁぁあ!!!!!!」


 バキバキと、じゅるじゅると、ぐちゃぐちゃと、じぶんのほねとにくが、くいあらされて、いくのを、いたい、ぼくの、ないぞう、りこ、ちがう、かみさま


 かみさま


「いたあぁぁいいぃぃぃいいぃ」

「美味しいよ、美味しい、強くて、甘くて、ありがとう奏太、邪魔なヤツら消してくれてありがとう」


 かみさまにたべられて、ぼくは、しぬ



 神様に食い荒らされた僕は、いつの間にかとても高いところからみんなを見下ろしていた。僕の身体は黒いモヤになっていて、だから、気付いた。

 気付いてしまった。


 あの黒いモヤは、神様に食べられた人間なんだって。


 それじゃあ、あれは、モヤは、消してはいけなかった。僕を、助けようとしてくれていた。

 来るなって、帰れって、教えてくれていたのに、僕は。


 もう、涙も流れなかった。

 僕を喰った神様は確かに今までより強くなっているみたいだった。僕ひとりでまとわりついたところで、すぐに消されてしまうだろう。


 ひとりじゃ、ダメだ。

 僕を助けようとしてくれたモヤみたいに、何人かでまとまらなければダメだ。


 何年かかるのだろう。

 複数のモヤが集まる前に、神様が神様でなくなってほしいと思う。


 僕の身体は完全に食べられてしまって、制服の切れ端が地面に落ちている。母がそれを拾って、ゴミ袋に入れていた。


「務め、ご苦労。私はまた、新たな祠に篭もるとするよ」


 そう言って去ろうとする神様に、莉子のお父さんが声を掛けた。


「あの、今後は」


 ぐるり、と首だけを百八十度回転させて彼の方を見た神様は、長い舌で唇を舐めながら言った。


「お前たちの行く末を邪魔するものが現れた時は、名前を刻んだネズミを庭先に出しておけ」

「ありがとうございます。おやすみなさいませ」


 震える声で頭を下げるお父さんの肩を、神様がポンと叩いた。

 とたんに絶叫が響き渡り、彼は地面にうずくまってしまった。その腕は、変な方向に折れ曲がっていた。


 ふと神社の方を見ると、神社を中心にして大きな柱のような結界が張られているのが見えた。

 宮司さんは、あれに護られているのだ。

 モヤを消してしまうまでは、僕もあの中に入れたのに。


 もう、助けを求めることはできそうになかった。神社に近付くことさえできないだろう。


 神様が新しく作る祠を見失わないように、僕は必死になって神様を上空から追い掛けた。神様が秘密基地に戻ったのを見て安心する。きっとあの場所が、神様のお気に入りなのだ。

 新しい祠もまた、あの空き地に作られるに違いない。


 僕は空き地が見える電波塔にいることにした。ひとりではかなり薄いから、ここでじっとしていれば気付かれないだろう。


 神様に消されないようひっそりと、長い年月を過ごさなければならない。



 神様よりも強いひとが現れるまで、ずっと。


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