閑話10 ろんぐへあー攻防戦
ほんとに、このタイミングでこれ書くのってタイトルですね。
当事者どっちでも旨くキャラが動いてくれなかったので、一応三人称だけど巻き込まれた、わんこ目線寄り。
部屋の中には、緊張感が満ちていた。
睨み合うのは、少女と青年。そして、子狼だというのに、明確に呆れ顔なのが判る、マーナガルム。
事の起こりは、何年か放置していた本体を、動かし方も忘れかけたくらいの久し振りで起動したら、放置されていた間にとんでもない長さに伸び切っていた、青年の頭髪。
自分で踏んで転ぶこと数度、懸案だった少年の義体の再起動は一旦なんとかして、あとの調整諸々は義体工学が本職である上司に投げたし、姫のお説教も、シーツ一枚巻いた半裸といっていい状態で甘んじて受けた。何の罰ゲームなんだろう、とは思わなくもなかったが。
取り合えず自分もこの邪魔くさい髪を切らねば、着替えもままならない、と、医療用のメスなんぞ取り出し、ちょい、と肩先の長さを測ったところで、少女がすっ飛んできたのだ。
「こら!なんてとこで、しかもなんでそんな道具で切ろうとしてるの!そんな短いのだめだって!!」
何を言い出すんだろうという顔で少女に目を向ける青年。その表情は、妙に硬い。
「いや、だめと言われても、どう見ても邪魔でしょうこれ。さっき何度転んだか、あなたも見ていたでしょうに」
手は止めたものの、平坦な声の調子は、明らかに意思を曲げるつもりはないと言外に告げている。
「そりゃあこの長さは確かに要らないけど!でもそんな肩先で切るとか、絶対ダメ」
少女は、およそ普段の、見た目の年齢に似合わぬ飄々としたところをかなぐり捨て、らしくもなく頑なに強調する。
まあ、そこまでは、案外よくある話なのではないか、と、ひっそりと扉の傍から見ていたマーナガルムは思うのだが。
お互いの意見はずっと平行線。そこまでも、まあ判らんでもない。そんなことは、よくあることだ。
だが、それを双方理由もろくに告げずに、一時間以上続けるのはどうなのだ、と、シャキヤールによって少年の元から追い出されて、騒ぎが起きる直前に、この部屋に放り込まれた子狼はすっかり呆れかえっている。
いや、彼の前のあるじは、ちゃんと理由を明確に述べてはいるのだが。ごくごくシンプルに、邪魔だと。
なにせ、青年が論戦を諦め、痺れを切らしていざ切ろうとすると、ぱちんと小さな電撃が飛ぶのだ。
「いたっ!酷い、自分の髪を切るだけなのに、なんでこんな目に!」
「だめだったらだめなの!絶対、長い方が、いいの!」
なんだろうこの駄々っ子は。
龍の姫、我とは今の主の元に来るまで、まるで接点などなかったのも確かだが、そなたそんな性格であったか?
それに、前のあるじも、なにやらいつもより感情的であるような?
マーナガルムの疑問を他所に、進展の気配のない論争は続く。
「そもそも、なんで短いのがだめなんですか?切るのは貴方の髪じゃないんですよ?」
そう訊ねると、何故か口ごもってしまう龍の姫。これは、何か知られたくないこだわりがあるのだろう。
(主が前にも言うておったが、話し合いは大事、隠し事はせんほうが人間関係には良いものだぞ。まあそなたらは人ではなかろうが)
流石に見かねて口を挟んだら、まさかの双方から、とんでもなく怖い目で睨まれ、子狼はじり、と後退する。
「わんこには関係ないから黙ってて」
「ナガル、下がっていていいですよ」
龍の姫はともかく、前のあるじにまで氷の微笑でそんなことを言われて、マーナガルムは、はあ?としか言えない表情になる。
なんだなんだ?どうやら、前のあるじにも謎のこだわりが、そして隠しておきたい何かが、あるようなのだが。
まあ関係ないと言われれば、その通りだ。マーナガルムは、そもそもこの龍の姫のことは、特に為人は、ほとんど知らない。
前のあるじも、彼女の事を語ったことは一度もない。
少年の夢に教えられたところによると、彼女はマーナガルムが堕神どもを喰らいに、この世界の外に出ている間に現れ、侵入者が開けた空間の穴を塞ぎ、更には堕ちる月本体を迎撃したのだというが。
拘るポイントがあるとすれば、やはりその頃の話ではあろうか。
前のあるじは、仮想世界での、あの短い髪型にするつもりであろうが、そういえば、そんな短さを選んだ理由が、良く判らない。
マーナガルムの知っている限り、ごく幼少の頃以外、かつての彼はずっと長い髪であったように思うのだが。
いや待て、今のこのあるじは、分体のほうであったな。そちらに、何か理由があるのだろうか。中身は、さほど変わっておらぬように思うのだが。
だが、だとすれば、我に知る術はないのう。
再開された口論から目を逸らし、かりかりと耳の後ろを掻き始めるマーナガルムである。
ぶっちゃけ、堂々巡りが過ぎて、飽きてきたというのもある。
そうこうしているうち、青年側が再度無理やり髪を切ろうと、ぱちりと電撃が飛ぶその痛みを無理やり振り払うように刃物を振るおうとし、コントロールを誤ったのか、少女のほうに弾き飛ばしてしまった。刃物が、龍の姫の頬を掠めたように見えた。
「……あっ」
「おおう。」
瞬時に顔色を変える青年を他所に、龍の姫は涼し気な顔だ。
見れば、傷ひとつないままの、白い頬。
確かに当たったように、見えたのだが。いや待て、音が、せなんだな?
それにしても、前のあるじの顔色が酷い。何か、思い出したくないものを思い出したときのそれのような。
「……何をびびってるの、こんなもので私に傷などつかないわよ。これでも龍ぞ?」
すっ飛んでいったはずの刃物を指先の上に浮かせて、龍の姫が冗談めかして言うのにも、反応がない。
ああ、これは、まずい。感情が良くない方に振れている気配が繋がりから伝わってくる。普段は、完璧に隠しているのに。
慌てて、その場にへたり込んでしまった、あるじであった者の足元に駆け寄るマーナガルム。
案の定、震えている身体。触れることではっきりと判る。身動きが取れなくなるほどの、それは、フラッシュバック。
「……ああ、そうか。君、分体なのに、本体の記憶も、ちゃんとあるのね」
気が付いた、というように龍の姫がぽつりと漏らす。
返事はない。
ただ、ますます顔色をなくした狼のあるじは、今にも倒れそうに見える。成程、それを知られたくなかったのか。
「君は随分と私の翼の事を気にしているようだけど。根本的に最初にやらかした連中の始末をちゃんと付けたのも君でしょう?
私は翼があろうがなかろうが、今も昔もこの世界を出る力はないから、それで充分チャラよ、チャラ。正直、おつりまで来るわよ。
……それとも、まだ他に何か隠してる?私が治そうとして失敗した時も、砂姫屋が分体を割った時も、何かが変だったのは覚えてるわ。
だからこそ、フェイの事は眷属扱いで手元に置いていたのだけど。
今回のロストでやっと判った。あれは、初めから壊れていたのね。分体の作った都市統御システムのAI人格をそれらしく纏っただけの、中身のない、フェイク」
「……ええ、いえ。あれは、初めから、現れると判っていた、あの残滓を封印するための、器でした。結果的に多少違う中身には、なりましたが」
ぽそりと、狼の旧主が告げる。
狼も、旧主が普段から分体をふたつ運用していること自体は知っていた。そのほうが練習になるから、と。
だが、そんなことまで、計画していたのか?いや、あの駄神どもも、随分と良からぬ感情の残滓を垂れ流してはいた。時間もなく、なおかつ面倒であったから、侵略者の世界に投げ捨ててきてやったから、持ち帰っていないだけだ。
ああ、ヒトの怨念の残滓でさえ、世界はこの有様だ、あちらは今頃形骸も喪っているかもしれんな。と狼はひっそり笑う。
「いやまって、流石にそれだと私でも気が付く、はず……いや、待て。砂姫屋が上手くいかなかったから、と、片方を持ち帰っていた、あれが?あちらのほうが?」
ちらりと龍の姫に目をやれば、困惑の表情。なかなか、拝めるものではなさそうだが、旧主の状態の方が気に掛かる。あくまでマーナガルムは他人事を貫く姿勢だ。
致し方あるまい、コレは、我の知らぬ場所での話だ。
「……『フェイ』の人格は、あれは、シャキヤールの分体の一つのコピーです。どうしても、あのひとの行動が理解できなかったので、ならば試しに実演してみようか、と思ったのが始まりですが……」
確かに、旧主の性格と、あの、巫女や今の主曰くの『はっちゃけた』性格とでは、合わぬだろうし、理解もしがたいであろうな、と、黒い子狼は耳を傾ける。だが実演とは?
「え。実、演?……つまりなに?最初私の傍にいたのは、君だったということ?」
訝し気な顔の龍の姫。何故か赤面する旧主。そこで、赤面?そこでは、ないのでは?困惑する子狼。
「そ、そうです……途中で、やることができたので、AIのフェイクと入れ替わり、その件自体を自分でも封印しましたが」
……成程。真に隠していたかったのは、そちらか。子狼はそれには納得したものの、旧主の心情がいまいち測りかねている。
「なんでそんな、わざわざ自己封印なんてややこしいことを。いや今の君を見てたらなんとなく判るけど。単に自分の言動がこっ恥ずかしくなっただけね?」
……龍の姫よ、そんなどストレートにこの密かに繊細な旧主を抉らんでくれんかな?
思いはしたものの、先ほどの怖い目を考えて、口には出さない賢明な子狼である。
旧主は、うぐぅ、と、声に出るかでないかの呻きを上げて、項垂れている。昔のこととはいえ、何をやらかしたんじゃ、あるじ?
いやまあ、あのはっちゃけ女神の性格を写し取ったなら、結構酷いことにはなっていそうだが。
「……いやまあ、あれは、私がそれをやったとしても確実に封印するわね、うん……」
龍の姫まで明後日の方を見ながら同意する。本当に、何をやったんじゃ、あるじ??
困惑する子狼の存在など忘れたように、龍の姫は青年を覗き込む。いや、実際多分忘れられているのだろう。所詮子狼は、彼女にとっては、青年のオマケ程度の存在だ。どこに居ようと、大差ないのだろう。
「何にしても、短いのは、だめ。……また、いなくなっちゃう」
ぼそ、と、小声の呟き。
「……いなく?貴方の前で短髪にしていたことは、ないと、思うのですが」
いや、一回事故ってざんばら髪になって怒られたことはありましたっけ?と首を傾げる旧主。あれは本気で心当たりがない顔だが。
「……分体じゃなくて。本体が。私が見たのは、反動で壊れる、ところ、だったけれど。あの時、短かったの。覚えていない?」
意を決したように、龍の姫が言葉を続ける。
あ。
子狼の古い記憶が、微かに想起される。そうだ、あの時。
(……すまぬ、前のあるじ。それは我がやった。駄神共が、あるじの髪を掴んで離さなんだ故、拘束と共に切り落としたように、思う)
だから、本人は認識する暇もなかったのでは、なかろうか。
それなら、話が合わぬのも道理。
「……ああ、あの時ですか。……確かに、何か妙に軽くなった気はしていたのですが、壊れる衝撃で狂っていたものだとばかり。そういうことだったのですね」
記憶に齟齬があるのかと、どきどきしていた、などと、意外と落ち着いた様子で答える旧主。
つまり、龍の姫は、うっかり目撃した月神の壊れる瞬間がこっそりトラウマになっていて。
前のあるじはといえば、屑どもに髪を掴まれたことのほうが汚点として心の底にあって。
それはお互い妥協したくなかろうな、と、子狼はため息をつく。まさか自分もばっちり当事者だとは、思ってもみなかったが。
「だから、その、全部切るのは、やめてほしい。見る度思い出すのがあれなのは、ちょっと」
恐る恐るといった様子も珍しい。龍の姫の懇願というだけで、天変地異ものの珍しさではある気はしているが。
「……前髪だけは短くさせてください。このところずっと短いほうがデフォだったので、咄嗟の時に対応できそうにないので」
後ろは最悪縛ればいいし、などと心の隅で考えているのが、子狼に伝わってくる。
まあ、落としどころとしては悪く無かろう。
「ところで結局、君の事はなんて呼べばいいの。フェイじゃないものね」
「シャキヤールと同様に、セルファ、でいいですよ。分体一号とかはできたらやめて欲しいので?」
そんな呼び方をしたのは、きっとあの残念女神だろうな、とひっそり感想を心の隅に埋める狼。
ざっくりと長すぎる過半を切り落とし、前髪を肩のあたりで切りそろえ。
後ろのざっくりしすぎた部分は、気が付いたら綺麗に揃っている。
「なんか今妙なことしたわね?」
「だってあなた刃物持てないでしょう?毛先の微調整程度なら、ナノマシン使ってちょちょっと」
後ろは見えないんでナガルの眼を借りましたけどね、と、子狼に笑いかける旧主。
気のせいだろうか、最初からそれでやってしまえば、良かったのではないか?
機械の事は判らぬから、それを疑問として口に出すことはしない狼。
部屋を出ようとした龍の姫と、それを見送ろうとした青年が、扉が開けっぱなしであることに気が付くまで、あと少し。
次はちゃんと本編です。
というかこれ今章の最後に置きたくなくてですね。




