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まぼろしのひつじ  作者: うしさん@似非南国
五章 月の狼
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閑話9 月喰らう狼 下

わんこ回後半。2話同時更新の2つめですよ。

 かつては森林であった荒野に、黒く霞むような、実体があるのかも定かではない、異形。


 僅かに生き延びた生命を喰らい、それでも飢えは一瞬たりとも収まらず。


 狙うのは、ただ暖かく、血の通う生物。


 時折、遥か海から棚引く霞が地表を覆うその時だけ、異形はその動きを止め、地のどこかに潜む。

 そのあとは、不思議と獲物が増えている。まあ、程なく異形の足りることない糧になるのだが。



 そうして、飢えたまま。

 それでも長い年月が流れ、荒野は再び森林へと姿を変え。


 異形はいつの間にか多くの分体を持ち、拡散し、森の半ばを動くもののない領域と化していた。

 だが、ある一定の場所から先には動かない。動けない。

 森の東の果てには異形を拒む強力な結界。

 そして、森の中央にほど近い場所から西へは、意識があるかも定かではない異形自身が忌避する、なにか。


 それは、時折地表を流れる霞の置き土産。緩やかな、存在を悟られることのない、幻影の結界。


 だが、ある日、その幻影は、異界から落ちた何者かに、かき消された。ただ、落ち来ったものに、その自覚はなかったろうが。


 それでも、警戒することを覚えた異形は、すぐ西に向かおうとはしなかった。

 何となくだが、知っているようなものであった気もする、その落ちし者は、異形が苦手とする光の力を、微かに持っていたからだ。


 アレに触れるのは、危ない。それくらいの判別はつくようになっていた。


 異形は闇に影に潜み、獲物を待つことも覚えた。少しずつ、獲物を削ぎ取っていくやりかたも。

 それでも飢えは収まることはなかったが、僅かに気が晴れるような錯覚をもたらした故に。


 本体は、あくまで安全な場所に潜んでいるつもりでいた。

 だが、ある日、その安全なはずの場所に訪れたものがあった。


「……アあ、コンナトコロに。ウトマシい、ツきノクライしケダもノめ。コンドこソ、クッテやロう」

 微かに異形の嫌う靄を踏みしめ入り込んだソレは、淡い黄色の髪を持つ、美しげなヒトのような形こそ取っていたが、明らかに異質なモノ。


 そして、あろうことか、軋むような声音の言葉が終わるや否や、足元から湧きだした闇で、異形のその本体と呼べる部分を、ひと呑みにしてのけたのだ。


「あア、たりヌ。ちっとモ、たりナい。つキよ。イつニなれバ、ミちルのか」

 意味不明な言葉を呟き続けるヒトガタは、いつの間にか、靄の中に消えていた。



 あとに残るは、統括するものの意思から外れた、生存本能だけで動く、異形の分体たちのみ。



 無明の闇。いや、これは、知っている。いや、知らない?

 混乱の中、異形に明確な疑問が生まれる。

 周囲から、己を奪い取り同化しようとする、悪意。カタチのないそれを逆に喰らってみる。食えなくは、ない。


 イタイ、クルシイ、タスケテ、イヤダ、コワイ、ウトマシイ、ウラメシイ。


 アア!ニクイ!


 そこにあるのは、ただ、悪意と怨嗟。正直、旨くはない。飢えが満たされもしない。

 だが、異形は敢えてそれを喰らう。己を保つために。己が、食われぬために。


 己を喰らったものは、己の力も使って、これも只管貪食に明け暮れているようだ。食われて、壊れてしまったモノたちを、怨嗟に取り込まれる前に己の腹に納める異形。


 ちょいちょい、と、その意識に触れるモノがある。霞のような、異形が好まない、あの気配。

 だが、今回は強い危険を感じはしない。

(よっしゃ繋がった。キミ、ちょっと取引しない?キミを食った奴、ガワだけ残して食って、以後そいつが食ったもの、キミに保管して欲しいんだ)

 そうしたら、飢餓の解決方法を教えてやろう、と言われ、渋々ながら、異形はその案に乗ることにした。

 どうせ、初めから、己を食った愚か者は、いずれ中から食い破ってやるつもりではあったので。


(じゃあこれ。繋がりが切れかけてたからこっちで保護してたけど、もともとはキミのだから。食ったものは此処に全部溜まってるから、当面はそのままいつも通りにしていてね)


 どうやってか渡されたソレは、確かに己の分体の匂い。微かな繋がりの先にあるそれは、喰らいしものを一方通行でため込んだ、いわば保管庫のような状態。

 なるほど、腹が満ちぬのは、コレに全部しまい込み続けていたせいか。

 己を喪う前に作ったそれを解除する術が、今の己にはない。当面はこのままとはそういうことかと、異形は得心する。


 森で暴れているだけだった頃より、知性を幾許か獲得した異形は、更なる策を考える。

 試しに、あの悪意の塊が食おうとしたものを、完全には壊れないように取り込んでみる。

 幾度かは失敗したし、成功したと思ったものも、心が壊れていてどうにもできなかったりもしたが、最近の数人はまあまあうまくやれた。

 悪意の塊が何故か使える石化を使わせてからやれば、割合綺麗にしまえると判ったのは、ここ三人ばかりのときのことだ。


 そういえば、森に放置してきた分体はどうしているか。時間も距離も遠くなって確認しづらいので、別の分体を投げてみる。


 おや、旨そうなヒトの子供がいるな。余計なものもくっついているが、喰らってみるのもいいかもしれぬ。

 ゆっくり迫って、影の中から、染み入るように。

 案の定、余計なものたちが邪魔をする。

 だが、抵抗されるのも久し振りだ。これはこれで、愉しい。


 結局、いくばくか喰らうことはできたが、獲物には東の結界の先に逃げられてしまった。

 まあよい、まだ子供であったし、きっとまだ機会はあろう。楽しみだ。


 いつの間にか、異形は楽しむことを、覚えていた。

 愉しいと、飢えをほんの少し、忘れるということも、覚えた。



 そんな風に、残滓の能力を少しずつ掠め取ったりしていくうち、喰らったものに、おかしなものがいるのに気付いた。

 喰われたにも関わらず、健やかな魂。大概、恐怖や恐慌である程度どこか壊れるものなのに。

 どんな者であったろうか。ああそうだ、石にしてから取り込んだ、どこぞの都市の姫とかいう触れ込みの娘だ。

 石化の時に少々欠けが生じているが、それ以外は穏やかに、ただ我が腹を確かめて回っている。

 奇妙な、とは思ったが、よく見れば、何か大きな力の破片を石のからだの奥底に秘めている。

 あれは触れてはいけないものだ。悟った異形は、それについては放っておくことにした。

 その破片の存在を娘は知らないようだし、そうであれば、出る手段はないだろうから。


 以前の獲物のヒトの子供は、そのあと残滓が接触して、手痛い反撃を受けてまた取り逃がしたらしい。

 ざまあみろ、我の獲物に手を出すからだ。

 最早己に張り付く表皮程度にまで愚か者を喰らってしまった異形は、残滓をせせら笑う。

 魂は我の領分ではない故、逆に奴は気が付いていないが。


 ああだが、いい加減喰いたいな。あの子供はどんな味だろうな。楽しみだな。

 随分と執着している自覚はあるが、まあ我は恐らく、もともと獲物には執着する質のようだし、そんなものだろう。


 既に本質を喪いかけていることすら気付かない愚かな残滓は、異形を己の配下のように扱うようになっていた。

 気に入りはしないが、約定のこともある。己に不都合がない限りは従わざるを得まい。


 とはいえ、可能な限り、その命は形骸化された状態で行われる。真面目に従う義理などないので。

 それに、最近気付いたのだが、残滓のどこかから、懐かしい、知ったものの気配がある。微かで、今にも消えそうなそれは、己の何かに近しい、だが別の何か。それが、従うべきだと、己に告げる。


 はて、とない首を傾げるかのように考えこむこともあるが、答えは出ない。


 そんな折、異形は靄の女に、ひっそりと、それまでいた場所から、遥か東のどこかに、移動させられた。

 なんだ?これは、あの東の結界の内ではないか!

(だーいじょうぶ、隠蔽は完璧にしてあげてるし、触媒経由で何時でも戻せるから。取り合えず待機していて)


 そうやって送り込まれた先は、透過できない謎の筒の中。人の形をした何かが納められている。

 おや、これは生きていて、そして、何故か、見知った気配が微かに匂う。

 齧ってみようとしたら、謎の力に阻まれる。いやこれは謎ではないな、我の好まぬ、機械とかいうものが、含まれておるようだ。

 確か、あの獲物の子供にも、二度目の襲撃の時には含まれていたような。ああ、勿体ない。味が落ちるではないか。


 いやいや、待て。我はこれを知っているぞ。この匂いは、あるじ、あるじの、それだ。

 なぜだ、あれは、あるじは。失われたのではないのか。

 それに、何かが、違う。そも、このからだに、中身は、いない?


 異形はただ混乱する。答えは、まだ、出ない。


 やがて異形の前に現れたのは、かつて獲物と見定めた少年と、残滓に乗っ取られたと思しき、見覚えのあるような、ないような青年。

 だが、少年の語る言葉は、声は。聞き覚えが、ある。


(アレを、クらエ)

 争い合うなかの、残滓の命。ちょうど、少年のほうが、異形の目の前に。

 なれば、まあ致し方ない。いつものように。


 ぐわりと少年を包み込んだものの、何か違和感がぬぐえない。はて、これは。あらかた食えぬのでは?


【僕もいいですけど、そっちも食べちゃいましょうか】

(悪いけど残滓もくるんじゃって、まとめて隔離するわ。なんかこいつら、へんてこに繋がりあってるのなんなのー)


 ふたつの、恐らくお互いに隠蔽しあっている声が、微かに伝わってくる。

 なるほど?それが目的か。あるじに似た声は、捨て鉢が過ぎるように思うが。


 当面それでよかろう、と、異形は残滓に取り込まれたものも取り込む。とはいえ、こちらは頭からつま先まで、己には食えない機械だ。

 取り込み染み入っていた、残滓の意思だけを引きずり出す。

 何か、別の物もひっかけてしまっているが、今は気にしないことにする。


 靄の女が、その食えない部分と、少年の身体を異形から引きはがす。

 それは、我の。と言いたかったが、その前に、世界から切り離された。


(うわあ、そっちの子の中身まで持って行っちゃだめよ!食べないでね!保護してよね?)

 そんな言葉で気が付くと、確かに少年の魂と思しきものが、異形の元に在る。

 この女、無茶を言いおるわ。まあ魂などというものを食べるような習性は持っておらん、はずだが。


 しかし、何故だ。なんだか、繋がっているなにかがある。

 いや、これは以前少々喰らったせいか。

 あと、少年にくっついていた、例の、余計なものたち。これも喰らう訳にはいくまいな、と思っていたら、微かな靄の気配とともに、小さな羊の形のぬいぐるみが作り出され、余計な者たちはその中にしまい込まれた。

(それも、ちょっと預かっておいて)

 いやはや、我に慣れたのか、なめられているのか、注文が多いことだ。


 まあ、分体の中で争って暴れているものたちを、外に影響が出ないよう閉じ込めておくのも案外余裕であるし、預かる者がひとつふたつ、増えたところで、どうということはないか。あとは、時を待てばよかろう。



 ――異形であったものは、己の変化に、飢えを忘れさせているものに、まだ気づいていない。

隔離組のあいつら、ずっと揉め続けてたんだろうか……

この話のあとがこの章の1話に繋がるとかいうややこしげな時系列。

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