第49話
ハルムレクが来てくれてから、起きるのが前よりずっと楽しみにはなった。
でも、相変わらず眠っているほうが多い俺の生活自体に変わりはない。
案の定、妹が苦戦したシステム周りの資料で、ハルムも躓いているようで、よく俺の寝ている横に椅子を持ち出しては、資料をめくっている。
たまに気分転換にとばかりに子狼のマーナガルムに手を伸ばしては、ぺしりと前脚ではたかれているのを見ることもある。
別にここでやらなくてもいいんじゃないかと思うんだけど、地上での仕事がない時は、できるだけ、いつ起きるか判らない俺を待ちたいのだと言われると、ぐうの音も出ない。
今の俺の眠りは自分でも制御どころか、いつ眠っていつ起きるか、さっぱり判らないのが現状だ。
強いて言えば、深夜に突然起きることだけはないんだけど。
マーナガルム曰く、深夜に一人ぼっちで起きるのはまずかろうから、それだけは無理やり力技で回避しているけど、そのせいで余計起きる時間が安定しない、のだそうだ。むう、そこは悩ましいなあ。
俺は起きたときに夜中で、一人きりだったとしても、まあ夜中だからしょうがないよね、で済ますだろうけど、妹もハルムも、それは絶対に嫌がるの、判り切ってるからね……かといって夜中まで交代で頑張って起きてるとかされても、なんかふたりの健康に良くなさそうで嫌だしなあ。
そういう空気が読めるマーナガルムには感謝だね。
まあ、そんな感じで、俺の状態はさほど変わっていない。いや、少しずつ、本当にほんの少しずつ、自分だと判る、感触の判る部分が増えているのは確かなんだけど。
どうしても一度見てみたくて、妹が『癒し手』の力を使うのを、俺が起きている時にしてもらったことがある。
碧を帯びた、美しい光を指先に纏った妹が、いつもと違うように見えた、と思ったら、すとんと寝てしまっていた。
どうやら、力を受けた俺本人も、相応に疲れるものだったらしい。流石にそれは想定してなかった。
それ以後は無理は言わないようにしている。
それでも、起きたときに妹だけじゃなくハルムがいてくれるのは、本当に嬉しい。
地上でも仕事があるから、会えない時もあるけれど、それはしょうがないからね。
「ハルムは、どうしてここの仕事を選んだんだ?荒事のほうが得意って以前言ってたのに」
たまたま、俺が起きた時間と、ハルムの勉強の小休止のお茶の時間が重なったので、聞いてみる。
「ん?ああ、そのことか。
本移転の後で、集落に交渉に赴いた役人の中に、うちの家人がいてな。お前らを見かけなかった、なんでも知り合いの所に行っているらしい、とだけ言われたと報告があったんだ。
西から来たお前たちに知り合い?と思ったらここしか浮かばなくてな。
ちょうど同じ頃に、姫神様からフェイ氏が暫く不在にするという話があったので、もしや何かあったのかと。
万一に備えて、ここに志願できるように準備を始めたら思いのほか大変で、ガチで三年半もかかっちまったが……まさかそれが丁度いい頃合いだったとは思わなかったよ」
そう言うとハルムはニヤリとして見せる。
ああこれ、思いのほかどころじゃなく大変だったやつだ。
今こそ俺も知っているけど、この地は機密情報の塊だからな……
あれ、これ俺も、いつか動けるようになったとしても、あっちこっち呑気に物見遊山とかできないやつでは?
「そういえばフェイ氏の消息は聞いていないんだが、ケスレルは何か聞いているか?」
思い出したようにハルムが聞いてくる。
「いや、実は俺も行方不明としか聞いてない。姫さんも居場所がつかめないって言ってたけど、あの人はもともと姫さんの力と相性良くないそうだから、一回見失うと判らんみたいな話は聞いた」
これは姫さん本人に聞いたから、多分間違いない話だろう。あれ、相性云々はファズだったかな?
「ほう?眷属だと聞いたことがあるが、相性が、悪い?」
「ナノマシンって技術自体がそうらしい。だから俺ともあんまり相性は良くない。ほら、姫さん機械壊す系だから……あいて。」
ぱちんっと、警告するように、こめかみ辺りに微かな放電。事実を述べたら怒られた件。
「……やっぱり痛いのかそれ。そこ生身だったんじゃないのか」
不審げなハルムの顔。
「一応生身だけど、ナノマシンも少量循環してる感じ?何かの機能を代替してるとかいったけどなんだっけな」
説明されたのはだいぶ前だから、記憶が些か怪しい。妹ならきちんと覚えているんだろうけど。
「……生身部分への栄養補給とかそこらへーん。まだ内臓機能が中途半端だからね、なんていうか、二系統併用状態?」
しゃこっ、っと軽い音を立ててドアが開いて、回答とともに妹が入ってきた。
「やあ。シーリーン嬢はフェイ氏の事は何か聞いているのか?」
ハルムが首を傾げながら聞く。そういや、その辺の話はずっとしていないままだな。主に俺の起きている時間が足りなくてさ。
「知らない。行方不明なのが確定なのだけは知ってるけど……あと、かみさまは探すなって言っていたから。それも、理由は知らない」
おっと、予想外の情報。姫さん、探してもいなかったのか。
「探すな?それはまたなんでだ……?」
「……はじめから、いずれ居なくなるのは判っていたのよ。タイミングが予想と大幅に違っただけで、ね」
するっといつも通り突然虚空に現れた姫さんが、ハルムの問いに答える。
「あいつはもう戻ってこない。ここも、これからは君たちに委ねるしかないのよ。だからハル君もうちょと勉強頑張ろうか、そこの手書きの注釈間違ってるわよ」
突き放すような物言いをしたかと思ったら、ハルムの手元の書類を指で弾く。
「あ、ほんとだ。そこをそんな覚え方すると四頁先で詰まるわよ?」
横目で覗き込んだ妹にまでダメ出しされて、ハルムががっくりと項垂れる。
「まあそれでも、この時代の人間としては格段の理解力よ。それだけでも世間様に充分自慢できる程度には、ってここのことは大っぴらに公表できないけどね。
そこの巫女ちゃんのは、ただの天然チートだから比較しちゃダメ」
「うっわ、かみさまに天然チートとか言われた……」
「だって『任意振り分け可能な完全記憶』とか充分チートじゃーん。おまけに何その〈動物意思疎通〉って!この世界にスキル持ち込めてる時点でチートおぶチートなんですけどー?」
「えっ魔力だけじゃなくてスキルも本来ならお取り上げ対象なの?初耳なんですけど?」
「普通はもうちょっとこの世界の法則に寄せた『異能』になるはずなのよー?どっかのエルフちゃんみたいにさあ」
「あれっあの人この世界産じゃないんだ」
「魔力の存在しない世界にエルフとかいるわけないじゃん!」
「あっそういえば、ってことは彼女も落っこちてきた組?」
「うちの世界が底みたいな言い方やめてくれるー?実際落ちてたけどさあ!」
傍から見てるとかわいい女子二人が仲良くわちゃわちゃきゃいきゃい言ってる、平和な図なんだけど、内容はこれだし、中身はガチの神様となんでか最強巫女様だ。
っつか妹さんや、かみさま相手に随分物言いに遠慮がなくないですか。ハルムが引いてるぞ。あ、書類に逃避した。そっか、ハルムは女子のこういう会話苦手なのか。覚えておこう。俺?集落の奥さんがたで慣れてる。
(女神とそれに仕える巫女と言いつつ、力の差は然程ない故なあ。次元が違うが、友達付き合い位が丁度良いのだろうよ)
マーナガルムが解説してくれたのはいいんだけど、待って、うちの妹さん、どんだけ強いんですか。
「巫女ちゃんが馬鹿みたいに強いのも事実だけど、ぶっちゃけ私が弱体化したっきりだからってのもあるのよ。
今はそこは気にしないほうがいいわ、変質してるとはいえ、ちゃんと人の身体に収まっているんだから平気平気」
姫さんがこっちの言葉に出していない会話に気付いて手をひらひらさせる。
「……平気じゃなくなったら、どうなるんだ?」
ぽつんと、うっかりした問いが口から零れる。妹がうっ、とひるんだ顔をする。が、それだけだ。
「そういえば、どうなるのかしらね?私の時は龍化してかーさん泣かせちゃったけど、巫女ちゃんそういうタイプでもなさそうだしー」
予想外に、姫さんが首を傾げる。神様でも判らないことはあるのか。
「あーどうだろ、流石に自分がそんなとこまでいってるとすら思ってなかったから、考えたこともなかったわ、正直わかんない。そうなるつもり自体、今のところないしね」
妹本人も首を傾げてしまった。というか、今のところない、で済ませられる程度の話なのか、これ。
(別に案外どうもせんのではないか?獣の相は持っておらぬようだし……
ただ、この世界のかつての神々が皆獣相を持っていた、とかであれば話は別だが。その場合は確実に世界に引き摺られるであろうからな)
マーナガルムが口を挟む。
「私は出てった連中の事はあまり知らないけど、皆がそうってことはなかったわね。少なくとも月神はそういうのなかったみたいだし。
私、生まれたのが凄く遅かったから、あんまり出てった組の事知らないのよねえ。
会った事あるのって、顔も覚えてない創世神と、最後にちらっと会った月神だけだもの」
ああ、なんか久々に神様っぽい発言を聞いた気がするな、というところで眠気がきた。
「そうか、わからない、かあ……だめだ眠い、みんな、おやすみ……」
ほんとにこの眠気、唐突に来るから予測できないのが面倒だなあ、と思いながら目を閉じる。
皆が口々におやすみを言ってくれたのは、辛うじて聞こえた。
ふかり、と、暖かくて柔らかい毛皮の感触。きょうも大きいマーナガルムに包まれたポジション、もちろん羊のぬいぐるみ付き。
この状況にも、すっかり慣れてしまった。
そういえば、ここに居る時のマーナガルムとの会話って、姫さんや妹には聞こえてるのかな。
(いや、聞かれてはおらんと思うぞ。我の感情が稀に漏れるとは巫女が言っていたが。主の隠蔽は完璧だと褒められたな)
え、これって隠蔽されてるのか。なんでだ?
(西に残された我の力の片鱗と、それを食ろうた月の残滓が、どういう訳か、未だに主を諦めておらぬ。まあ我は狼の性質を持つうえ、月を追うモノと定められておったが故、これと定めた獲物を追う執念に関しては強いのも確かではあるが……どうにも、それだけでもなさそうなのがな、気に掛かる)
なんだか余り気持ちの良くない話だな、と思って、無意識に羊のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。子供みたいだな、いや今の姿は幼児だから違和感はないんだろうけどさ。
あれ、今、羊の眼が紫紺色に見えた、ような。
紫紺の瞳、髪、あの高層建築の夢の少女……いや、違う、夢じゃない、夢ではないどこかで、彼女だけは確かに見た。あれは……?
(主、どうしたのだ?ぬいぐるみなぞと見つめあって)
ふん、と鼻を鳴らすマーナガルム。
だめだ、思い出しかけてた何かが、霞んだように消えていく。
……随分と不自然に。そうだな、何かがおかしい。
改めて、羊のぬいぐるみを見つめる。ええと、なんだったか。確か、色だ。紫っぽい……?
(主?!)
急激に、眠気のような何かが意識を遮る。戸惑いと怒りと動揺を含んだ、マーナガルムの気配が遠ざかる。
なんだ、誰だ、邪魔を、するな……




